小手森城は深紅に染まる 後編⑭
「おおぉぉ――!」
雄叫びを上げ、気迫を見せる。
流石に単身で現れただけのことはあるようで、菊池顕綱の振るう刀には恐怖や迷いなどというこの場において無駄な感情は感じられなかった。
ただ一点、私を敵として認識している。
過去に会ったとか、天下に抗う若武者とか、仕えたかったとか。それまで会話がなかったかのように。
お互い武器を取ればその時点で敵なのだと、私に教えてくれるようだ。
「オラァ!」
菊池顕綱が繰り出す縦の斬撃をかわすと、私は彼の横っ腹に左脚を叩き込んだ。
「グッ⁉」
咄嗟に左肘でガードされてしまう。良い反応をしている。
衝撃で数歩後ろに弾かれるが、見た目ほどダメージはないようだ。
「あ、危なかった……。まともに受ければ骨が持っていかれますな」
「へーやるわね。あれをガード出来るのヤツ中々いないよ!」
「ん、それは褒めているのですかな?」
「そうよ!」
次は私からだ。
距離を一気に詰めると、菊池顕綱の顔面に右脚を振りかざす。
「ヌッ!」
これも刀の腹部分で受け切ってみせた。
どうやらさっきのはマグレではないようだ。
「足技だけと分かっていれば!」
防いだ事で反撃に転じられる。
そう思ったのかもしれないが、菊池顕綱の身体は後ろへよろめいた。
「ブッ!」
右フック。
私はガードされるのを予測して、右手を一手遅らせ、菊池顕綱の顔面に叩き込んだ。
これには菊池顕綱も怯んだ。
刀を地面に刺し、鼻を押さえ痛がっている。
「ウガ……、足技だけではないのですか⁉」
「誰がそんな事言ったのよ。確かに蹴り技は私の十八番だけど、別に手を使わないなんて言ってないから」
「せ、拙者はそのように聞いていましたので……」
どこの誰に聞いたのか分からないが、それはリサーチ不足だ。
私は自分で自分の事はなんとかすると決心した時から、プロの格闘家からいろいろ教わった。
それに私の喧嘩スタイルを取り入れたのが今に至る。
あえて名前を付けるのなら【陽徳院流喧嘩術】。ここまで調べて私の全てを理解したと言えよう。
まぁこの時代の人間には無理な話だけどね。
「まだやる?」
「当然! 拙者を見くびってもらわれては困る!」
鼻血を手で拭うと、菊池顕綱は反撃に転じる。
やっぱりコイツは単身ここに来ただけの事はある。そこらの将と違い、良く動きが見えている。
島津義弘や歳久といった将ほどの特徴は無いが、全体的にバランスが良い。
少しでも舐めた事をすれば、あの刀の錆になりそうだ。
「なら、こっちも本気でやらないとね」
脚裏を地面に擦り合わせ、叩き付ける。
私は【纏雷ノ構】をとった。
「なっ⁉」
菊池顕綱は驚いているようだったが、地を這う雷の力を得た私は一瞬で彼の背後に回り込んだ。
「ぐあっ!」
持ち前のセンスを生かし、ギリギリのタイミングで私の蹴りを防ぐ菊池顕綱。
「ま……マジ⁉」
初めて防がれた。
纏雷ノ構を習得以降、この動きを目で追えるヤツなんていなかったのだが。
それをこの漢はギリギリだが防いでみせた。
という事は、この漢は雷の力を借りている私の動きが見えているのだ。
「グ……なんて速さ……。それにこの重さ……、まるで岩で殴られたようだ……」
防ぎ切った刀がガタガタと震えている。
完璧に見切られたと思っていたが、僅かながらも本人にダメージは入っているようだ。
「やるじゃない! それじゃあ遠慮なくギア上げさせてもらうね!」
私は出力を最大限上げた。自分が今どれくらい動けるのか、それを知りたいからでもある。
菊池顕綱も私の波状攻撃を防ぎながらも無理矢理反撃を繰り出すが、その一手が悪手となった。
「ブッ!」
一撃が顔面にヒット。
体勢を整えようとするが、一度失ったリズムを戻すというのはプロのアスリートでも至難の業。
続く攻撃が脇腹に入り、ついに菊池顕綱は地面に片膝を付いてしまった。
「ぐああぁぁ――‼」
四方八方、私は手加減無しで菊池顕綱の身体に攻撃を叩き込んだ。
彼が戦う意思を示す限り、私はこの手を緩めるつもりはない。
「ああ……」
ボトリッ。
菊池顕綱の手に握られていた刀が地面に落ちた。そして地面に蹲るように、ボロボロになった菊池顕綱は肩で息をしながら口に溜まった血反吐を吐いた。
勝負あった。
あれだけ私の攻撃をもろに食らったのだ。菊池顕綱はもう戦えない。
仮に戦えたとしても、私はこれ以上この漢を痛めつけるつもりはない。そんな趣味もない。
「お……お見事でござる……」
痛々しい声でそう呟きながらも、菊池顕綱は身体を半分上げた。
その顔は笑っていた。私にボコボコにされたのに、その顔は苦痛に歪むどころか笑っていたのだ。
「噂通りでした……。少なくとも、拙者が今までお会いしたどの将よりも強く……ガフッ」
「喋らないほうが良いよ。骨は確実に折れてるし、最悪臓器傷つけちゃったかも」
「フフッ、敗者に気遣い無用。……愛姫殿、これを」
菊池顕綱は私に刀を投げ渡した。
「……? 何のつもり?」
「介錯をお願いしたい」
「かいしゃく? 介錯って何?」
「拙者はここで果てとうございます。愛姫殿には……その最後をお願いしたい」
果てたいって、ここで腹を切るって事⁉ 切腹するって事⁉
「……さすがに人の首を斬るのは初めてですか?」
「当ったり前でしょ! 私、首なんて要らないし! 今まで戦ってきた奴だって首なんて取った事ないもん!」
「――ガフッ、貴女はやはりお優しいのですね……」
優しいとか優しくないとか、そういうのじゃなくて。本当に必要ないからやらなかったわけで。
「……そうだ、介錯ついでにもうひとつお願いが……」
「……まだあるの?」
「仮に殿(大内定綱)が降伏を認めたのであれば末席で構いませぬ、どうか伊達へ服従する機会を与えてくださらないでしょうか」
コイツ……、これから切腹しようとしてるのにまだ逃げ出した奴の事を……。
「おかしい……」
「……え?」
「おかしいってそんなの! アンタは皆のために頑張ってんのに、何で逃げた奴を庇うの⁉ 利用されてるだけって何で分かんないの⁉」
「利用されてるだけ……ですか。ハハッ、確かにそうなのかもしれませんね」
「じゃあ……」
「それでもあの御方は大内家の当主なのです。だからお守りしたのです。あんな方でも領民からは結構好かれているのですよ、ハハッ」
異常だ。これから死ぬのに……、へっぽこ当主に命を捧げて笑っているコイツは異常だ。
皆を守ってこその当主でしょ! 皆の先頭に立つのが当主でしょ!
「違う、大内定綱は臆病者よ! そんな奴の何が当主――」
「姫様!」
私の言葉を遮るように、左月が私の名前を呼んだ。
「爺……」
「もう良いでしょう。大内定綱に忠義を尽くす事がその漢の義なれば、それを貫かせてやる事も武士の情けにございます」
「……、私に大義がなくても良いって事?」
「それはこれから果てようとしているその漢が一番理解しておりましょう。姫様はこの漢の言葉を殿に伝えるか、伝えないか、それだけにございます」
これ以上自分の考えを押し付けるな、という事だろうか。
左月の言う通りか。この漢はもうここで死ぬのだ。
それを私がどうこう言ったって……。
「鬼庭殿、感謝致す! では愛姫殿、介錯を!」
「待って! 私はまだ――」
声は届かなかった。いや、遅かった。
菊池顕綱は脇差を抜くと、自分のお腹に突き刺した。
「グググ……!」
血が、ホースに穴が開いたかのような勢いで一気に血が噴き出した。
「定綱……さま……、お……大内の民を……頼みます……」
本当はもっと叫びたい事があるだろうに。
それでも菊池顕綱は最後まで主に忠義の言葉を口にした。
「さぁ愛姫殿……、介錯を……」
そうだ、介錯だ。
私はコイツの首をこの刀で切り落とさないといけないのだ。そうしないと、この漢はいつまで経っても苦しいだけなのだ。
コイツは私が始末しなきゃ……。
「あ……あれ……?」
手が震えて動かない。
私の手が、腕が、身体が、脳が……。この漢の首を落とすのを躊躇っている。
「愛姫殿……、何を躊躇しておる……。早く……その刀で……」
「わかってるけど……、手が……動かない……」
「な……何を戯けた事を……」
刀に重りを付けられたようだ。
おかしい。私はこの時代で何人もの敵を殺してきたはずなのに。
それなのに……。
私はこの漢を斬るのを躊躇している。
「……、そんな……甘い覚悟で……天下をとるなどと……」
菊池顕綱の顔は大量の出血と痛みで青ざめている。
が、その眼光は鋭く私を睨みつける。
この眼、つい最近どこかで見た気がする。
「貴女は……優しすぎる……。おに……鬼の心をお持ちなされ……。さもなくば……喰われてしまいますぞ……」
「お、鬼の心……。喰われるって何に……?」
「さぁ……はやく……。はや……く……」
その瞬間だった。一瞬の出来事だった。
菊池顕綱の首が斬り落とされ、私の数メートル前に転がっていった。
勿論、斬り落としたのは私ではない。
左月だ。
いつになっても斬り落とさない私に変わって、左月が自分の刀で斬り落としたのだ。
「……爺ぃ」
パンッ。
と、大きな平手打ちの音が響いた。
「……え」
私は殴られた。
左月の大きなシワシワな手が、私の頬を平手で殴ったのだ。
「父上! 姫様になんという事を!」
喜多の怒っている声が聞こえるが、そんなものはどうでもよかった。
悲しい顔。私を殴った左月の顔は怒りではなく、悲しい顔をしていた。
「死にたい時に死ねぬは武士にとって最大の屈辱。ましてやそれが介錯を任せた相手ともなれば……」
私の両肩をガッシリと掴み、左月はそう言った。
私の躊躇いは菊池顕綱を侮辱していたのだ。それを見て耐え切れなくなった左月が代わりに首を刎ねた。同じ武士として最後に引導を渡したのだ。
「……ごめん……なさい」
ついつい謝罪の言葉が口からこぼれた。確か前にも似たような事があったうような。
そうだ、私が愛姫の身体を借りて転生したばっかりの頃、色々あって引きこもって左月に迷惑をかけたんだっけ。
あれから数年も経っているのに、私は嫌な意味で変わらないなぁ。
「父上!」
「――ゴッ」
怒り心頭……どころか鬼のような顔をした喜多が、左月の腹を思いっきり殴った。
「姫様に手を出すなんて……、父上とはいえ身の程をわきまえなさい!」
あまりの痛さに悶絶する左月。
一応左月って七十歳超えてるおじいちゃんなんだけど……。
「姫様、どうか父の無礼をお許しください! どうしてもとおっしゃればこの喜多に父上の首を刎ねるご命令を!」
と、喜多はその場で土下座をした。
相変わらず忠義が凄いというか、自己犠牲精神が尋常じゃないというか。こんな空気の中罰を与えられるわけがないじゃないか。
「やめてよ、そーゆーの」
「ですが……」
「私が悪かったの。左月は悪くない。はい、これでおしまい!」
「しかし、それでは皆に示しが……」
「私は左月に殴られてない。この頬は……そうね、この首だけになっている菊池顕綱に殴られたの。戦ってたんだから当たり前でしょ。そうでしょアンタ達!」
私の強引な質問に愛姫隊の兵士達は首を縦に振った。
これで良い。死人に罪を擦り付けるのは気が進まないが、あの時この漢も躊躇している私を殴りたかったと思う。そう思えば、これは当然の罰なのだ。
殴られた頬を擦り実感を確かめる。
すると、突如として小出森城の西門が開いた。
「な、なに⁉」
轟音と共に開門した所からは……誰も出て来なかった。
てっきり菊池顕綱がやられた事に怒った城兵が出て来るのかと思ったが、そうではなかった。
それどころか門から熱風が吹き出てくる。
同時に悲鳴もだ。
「城が……燃えてる……⁉」
よく見ると門の内側は黒くなり、閂がボロボロに砕けている。
爆風だ。おそらく正門は意図的に人が開けたのではなく、城内にあった爆薬か何かが爆発したのだろう。
それにしても何で火が……。
「まさか!」
嫌な予感がした。
そう思うと居ても立っても居られず、私は愛姫隊の騎馬隊のひとりから馬を奪い取る。
「姫様、どこに⁉」
アイツ……、まさか禁忌って……。
そんな事が、そんな事が許されるわけないじゃないか。
喜多達が必死に制止しようと試みるが、私はそれを振り切り、燃える小出森城の中に突っ込んだ。




