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小手森城は深紅に染まる 後編⑥

 天正十三年(一五八五年) 八月中旬。

 私を含む伊達先鋒衆は一足先に伊達領を出発すると、伊達の味方となった苅松田(かりまだ)城に到着し、青木修理の案内のもと川俣の地に本陣を置いた。


 その数日後、政宗率いる伊達本隊が到着すると同時に、愛姫の父親である田村清顕率いる田村隊も到着した。


「おー愛や、会いたかったぞ!」


 会っていきなり抱きつかれ、頭をナデナデ。

 余程会いたかったのか、抱きしめる腕がちょっと痛い。


「く、苦しい……」

「おーすまんかった、まさか本当に戦場で愛に会えるとは思わんかったでの!」


 田村清顕にとって私が戦場に出ているなど噂でしかなかった。

 半信半疑だったが、それを恰好や現場で直に見た事により確信に変わったようだ。


「お打の報告といえど多少は疑っておったが、フムフム……馬子にも衣裳とは言ったもんじゃのう!」


 田村清顕は顎を擦りながら笑顔である。

 

「どう似合ってるでしょ。これは隣にいる左月爺からプレゼントなんだぁ」

「よう似合っておるぞ! しかし、ちょっと下半身を露出しすぎではないか? 具足を付けているとはいえ、それでは少し危ないじゃろ」


「どちらにせよ甲冑着れないんだから長いの着ても意味ないよ。それだったら少しでも動きやすい方がいいでしょ?」


 そんなものか、と田村清顕は不安そうながらもそれ以上はツッコまなかった。

 すると、隣にいる左月が田村清顕に軽く頭を下げた。


「おひさしゅうございますな、清顕殿」

「おお、左月殿ではござらんか! 最後にお会いしたは愛の婚姻の義以来でしたかな?」


「はい、もう六年となります。殿も姫様もご立派に成長なされた。それに比べ儂は老いる一方。死に一歩一歩近づいていると思うと虚しくなりますなぁ」

「鬼左月と呼ばれたお方が何を言っておる。これからも伊達家のために長生きしてもらわねば困りますぞ、ワハハ!」


 左月と田村清顕による世間話が始まった。

 お互い歳も離れているのに、まるで親友と会ったかのように楽しそうだ。


「左月殿が戦場に来ているという事は、輝宗様も今回の戦に参加しておるので⁉」

「いえ、儂は既に家督を譲って隠居の身。ですが、姫様に頼まれて今は愛姫隊の片翼を任されている次第でして」


「なんと! これはこれは、娘はとんでもない御方を引き入れましたなぁ!」


 嘘だぞ、嘘。

 私が頼んだんじゃなくて、左月からお願いして来たのだ。


 私だって左月がもう歳なのは知っている。老人を狩りだすほど畜生な人間ではない。

 だから左月には屋敷でゆっくり余生を過ごしてもらいたいのだが、私が出陣すると聞くといつも愛姫隊に帯同するのだ。要らないと突っぱねても聞きやしない。


 まぁおかげで今では両翼に鬼庭親子という強力な剣があるんだけどね。


「おっと、少々話がすぎましたな。清顕殿、若が本陣でお待ちです。拙者がご案内いたしますぞ」

「ええ、お願い致そう。愛、ちと席を外す故また後でゆっくりと話そう」


 いってらー。

 と、私は田村清顕に手を振り、ふたりを見送った。


「清顕殿、体調は良さそうでしたね」


 隣にいた喜多が笑顔でそう呟く。

 ずんからもまだ病が治っていないと聞いていたのが、今日会った田村清顕は生気に満ちたひとりの戦国武将にしか見えなかった。


「姉御ぉぉ――!」


 私を呼ぶ声が後ろから聞こえる。

 愛姫隊の豚丸だ。


「成実の若大将が先鋒衆の各将を呼んでるブヒィ――。なんでも黒脛巾組が敵の情報を持ち帰って来たから陣形の最終確認をしたいと――」

「今行く――。じゃあ喜多、ちょっと行ってくるからここはお願いね」


 私は自分の陣を喜多に任せると、成実のいる先鋒衆が集う本陣に移動した。


 ――――――――――


 ●陸奥大内領 小出森城


 政宗や愛姫の伊達軍が川俣の地に入り陣を構える一方、侵攻先であった小出森城では陸奥大内家当主・大内定綱(さだつな)が城に入っている諸将集め、緊急の軍議を開いていた。


「ぐぐぐ……」

「…………」


 極度のストレスからか指の爪を噛み、脂汗を搔きながら真剣に絵図を眺めるは大内定綱。

 当主の普段見せない表情に皆が言葉を失いかけていた。


 それもそのはず。

 この状況を作ったのは大内領に突如侵攻してきた伊達軍が原因で間違いないのだが、それ以前に大内家臣である青木修理が伊達に寝返っていた事は大内定綱にとって大きな打撃となっていた。


「……殿?」

「…………」


「……殿?」

「…………」


「……殿!」

「――うるさいっ‼ 今策を考えておるのじゃ、お前達は黙っておれ‼」


 陸奥大内家の智将と呼ばれた大内定綱は非常に焦っていた。

 伊達が兵を集めた時点で侵攻に備えて蘆名と畠山に援軍を要請していたのだが、味方の裏切りは伊達軍の侵攻を止めるどころか容易にしてしまい、援軍が到着する前に領内で陣を構えられてしまう始末である。


 さらに、深刻だったのは兵数だ。

 伊達軍の数はおよそ八千。それに対して伊達の急な侵攻に対応出来なかった大内軍は約千。しかも、その半数が戦経験のない領民ばかりであった。


「あ……顕綱(あきつな)ぁ、何故屈強な兵共を集められぬのじゃぁ……」


 先程の態度とは一変、大内定綱は弱弱しく菊池顕綱に兵士が集まらない理由を問う。

 ちなみに菊池顕綱は大内定綱の甥にあたる。


「それが……青木殿の寝返りに加え、同盟国である蘆名と畠山が援軍に来ないという偽言が領内で広まっており、武士達が兵を出すのを渋っている状況に……」

「だ、誰じゃそんなくだらん噂話を流したのは……」


 勿論、偽言を流したのは領民や商人に化けていた伊達の忍び集団・黒脛巾組だ。

 最初こそ疑心暗鬼になる程度ですんでいたが、伊達軍が苅松田城に入った事をきっかけに疑心暗鬼が確信に変わり、多くの地侍達が招集を拒んでしまっていた。


「クソッ! クソクソクソクソクソクソぉぉ‼ 伊達の子倅ごときがぁぁ‼」


 また政宗の進軍も予想外だった。

 蘆名領の一部を手に入れたとはいえ、数ヵ月前伊達は蘆名との戦いで多くの兵を失っている。


 それがまさか、こんな短期間での大内領侵攻。

 縁戚関係を強めながら統治していく輝宗の時とは違い、武でもって支配地を拡大する政宗の動きは大内家全体に衝撃を与えた。


「殿、落ち着いてください。知らせは蘆名や畠山に届いているはず、あと数日もすれば援軍が到着する故それまで耐え抜きましょうぞ!」

「そ、そうです、菊池殿の申す通り! 殿が軍配を握れば小出森城は鉄壁、野蛮な伊達軍なんぞ返り討ちにしてやりましょう」


 冷静を保てない大内定綱に甥の菊池顕綱を始め、大内家臣達が当主を鼓舞する。

 しかし、それらの言葉は大内定綱にとって逆効果だった。


「鉄壁だぁ? 集めた人間の半数がガキや女の小出森城でどう軍配を握れと申すか、石川ぁぁ?」

「そ、それは……」


「オメ―は出来んのかオメ―は! ガキが甲冑着れるか⁉ 女が鉄砲を撃てるか⁉ 馬が槍を持てんのかって聞いてるんだよ!」

「うう……」


 石川勘解由(かげゆ)という大内家臣が詰め寄られる。

 勇気づけるつもりだったが、何もかもが上手くいかず後手にまわってる大内定綱には屈辱的に聞こえた。


「儂が軍配を握ればこやつらが屈強な兵士に変身でもするってか⁉ そんなおとぎ話に出てくるような軍配があればぜひとってみたいぐらいじゃ、馬鹿が!」

「と、殿、そこまで僻まなくても。我々は殿の采配を信じておるのです、いつものように強気で揮っていただければ……」


 なだめようと荒れている大内定綱に近づく菊池顕綱だったが、その身体は逆方向へ弾き返された。


「顕綱……お前もお前じゃ、何じゃこの城は! 堀や土塁は中途半端、いつでも敵に攻め込まれてもいいように改修せよと前々から申しておったであろうが!」

「そ、それは殿の居城である小浜城の改修に人夫や銭をまわしていたからに……。とてもじゃありませんが小出森城を改修する余裕などありません」


「ちっ、もういい! 言い訳なんざ聞きとうないわ!」


 大内定綱は立ち上がると、軍議を行っている部屋から立ち去ろうとする。


「殿、どちらに⁉」

「小便じゃ、小便」


「ではお供を」

「付いて来るな、気持ち悪いわ! お前達はこれらの状況をどう打開するか考えておれ!」


 そう言い放つと、大内定綱は部屋から去って行った。

 残されたのは菊池顕綱と石川勘解由、そして数名の家臣達。お互いがお互いの顔を見合わせ、冷静を欠いている主に苦言が漏れる。


 大内定綱とは本来このような漢ではない。

 冷静で物事をしっかり判断でき、あらゆる計略で大内家を守ってきた。それ故に田村家からも独立出来たのだ。


 だが、大内定綱には唯一致命的な弱点があった。

 人は劣勢に立たされると考えがまとまらず負の連鎖に陥りがちになるが、大内定綱は人一倍はその負の連鎖に陥りがちである。


 一言で言えば『考えすぎ』なのだ。

 そのため冷静を欠きやすく、終着点を見つけるために家臣達へ強くあたる時もしばしばあった。


「言い過ぎですぞ」


 家臣達の小言に菊池顕綱は釘を指す。


「菊池殿にあのような趣向があるとは思わなんだ」

「ち、違いますよ! 何を勘違いしておられるのですか!」


「ハハハ、冗談じゃ冗談」


 家臣のひとりが菊池顕綱を揶揄った。

 別に菊池顕綱はそっち系の趣向があってそういう事を言ったわけではない。ひとり行動だったため、身を案じてのお供をすると言ったのだ。


「じゃが、まさかここで伊達が攻めてくるとは思わんかった。青木修理が調略されていた事も驚きだが、蘆名にやられた後だというにこんなに早く動いてくるとは……」

「ああ、今の伊達家は今までの伊達家ではない。武でもっての実力統治、やっている事は天下統一直前で散った織田信長公のそれぞ」


惣無事令(そうぶじれい)が発令間近だというにようやるわ」

「何じゃ惣無事令とは?」


「簡単に言えば大名同士争ってはいけないという御触れよ。なんでも近々九州に発令されるとかなんとか」


 家臣達の話は現状の打破から惣無事令の話に移行してしまった。

 九州は愛姫の介入により同盟が成立している状況だったのだが、ここ最近島津と龍造寺、そして大友との間に小競り合いが頻繁に起きていた。


「待ってください。今はそんな話をしてる場合ではないでしょう」


 菊池顕綱が逸れた話を元に戻す。


「蘆名と畠山が援軍に来るまで数日かかります。それまで未完ではありますが、この城で耐えきりましょう。一応備えだけは万全ですので」

「うむ。伊達の先鋒衆は伊達成実を先頭に原田宗時と浜田景隆(かげたか)、それに鬼姫と呼ばれておる愛姫もおると聞くでな。準備はいつも以上にいたそうぞ」


「……愛姫? 愛姫とは伊達政宗の正妻の?」

「うむ」


「何故彼女が戦場に?」

「そんなもん儂が知るか。じゃがあの相馬義胤を退却させ、蘆名領・岩山城陥落の立役者だったと聞く。鬼のような女である事は間違いないわ」


 鬼のような女? と、菊池顕綱は思った。

 菊池顕綱は愛姫と一度会った事がある。当時はまだ田村家のいち従属国だったため、伊達に嫁ぐため大内領を通る愛姫を世話したのだ。


 菊池顕綱は思い出す。

 愛姫といえば当時十二歳という若さだったため子供っぽさは抜けていなかったが、愛想が良く、他人にもかかわらず周りに気配りが出来る、非常に出来の良い女だった。


 格下の相手でも横暴な態度なんてしない。それどころか笑顔で、もてなしに対して労う姿勢すら見せてくれた。

 一言で言い表すなら『慈愛に満ちた女』、愛姫という名に相応しいと思った。


 そんな女が何故戦場に?

 

「おっと、殿が戻られるな」


 ズカズカ、と荒い足音が聞こえる。大内定綱が頭を冷やし戻って来た。

 その後、ある程度落ち着きを取り戻した大内定綱を中心に軍議が再開される。


 基本戦術は最初と同じ籠城策。蘆名と畠山の援軍を待つようだ。

 援軍が予定より早く到着するらしい。大内定綱が冷静さを取り戻したのはそのためだ。


 だが、菊池顕綱だけは違う事を考えていた。

 何故彼女が?


 それだけが頭から離れなかったのだ。

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