小手森城は深紅に染まる 後編③
「だぁぁ――だぁぁ――」
「イテテテ……。左衛門ちゃん、髪ぃ引っぱらないで……」
片倉屋敷に寄った理由。
それは小十郎と朱里の間に生まれた子供を見に来たのだ。
子供の名前は片倉左衛門。
左衛門とは幼名だ。政宗が元服前は梵天丸と名乗っていたのと同じで、これから大きくなって名前が変わると思うと非常に考え深い。
「あ――、ぶ――」
そんなこんな、私は次期片倉家を継ぐであろう当主様を見に来たのだが……。ツインテールがおもちゃみたいで楽しいのか、気に入られてしまい上機嫌で髪を引っ張られている……というわけだ。
「これ左衛門!」
「まぁまぁ赤ちゃんなんだからそんなに怒らないで。私は大丈夫だから……」
腕白すぎる赤ちゃんだ。
腕で抱き抱え、シーソーのようにあやしているのにも関わらず、左衛門はそんな事に興味を示さず、目の前にある長い髪の毛を神社の鈴緒のように掴んでは横に振った。
「姫様の髪が気に入ってしまったのでしょうか。私の髪は全然いじらないのですが……」
「仮にそうなら、左衛門ちゃんは見る目があるわねぇ。この時代で髪のケアはめっちゃ大変なんだから」
「け、けあ……?」
「簡単に言えばお手入れね。石鹸だけじゃ髪が荒れるから、その後に椿を絞ったオイルを塗ったりとか」
「あっ、だから姫様から花の良い香りがするのですね!」
交易品の中に石鹸があったのはめちゃくちゃテンションが上がった。
本来知っている石鹸より泡立ちは悪いが使えない事もないため、私は石鹸で油分を取られた場所にいつも花のオイルを塗るようにしている。それがこの時代で出来る最大限のケアだ。
最初は侍女達に気味悪がられていたが、今ではちょっとしたブームになっている。
特に、女の子は綺麗になる事と良い香りがするアイテムには敏感なのだ。
「それって私でも簡単に手に入る物なのでしょうか?」
「オイルの事? 交易品に他のも結構あったから、今度朱里の分も買っといてあげるね」
「えーホントですか⁉ やったー嬉しいです!」
そんな女子トークを繰り広げていると、後ろからおぼんを持った漢が歩いてきた。
「楽しそうですな」
と、お茶を持った小十郎が腰を下ろす。
「あら小十郎、どうしたのその恰好? まるで大掃除でもしてるみたいじゃん」
「あ……申し訳ありません。ついつい暑く、このような姿で姫様の前に……。すぐに着替えて来ますので」
「別にいいよ。ここは城じゃないし、そんなに気を使わなくて結構。私がお邪魔しただけだしね」
姫様がそれでよろしければ……。
と、小十郎はお茶を私の前に差し出した。
ちなみに、小十郎は今上半身裸である。
と言っても下品というわけでない。汗が滴るいい男とはまさにこの事を言うのだろう。
鍛え上げられた肉体にバキバキの腹筋。大仕事を終えたのか汗がタラリと落ち、オールバックの爽やかフェイスでこちらに微笑む。
このようなシチュエーションが好きな女子なら今頃発狂していそうだ。
「ふふふ、旦那様もお疲れ様です。疲れたでしょう、旦那様もそろそろ休憩なさってください」
「うむ。日頃家の事は朱里に任せきりじゃったが、屋敷内外の掃除に洗濯、それに食事の準備となると大変じゃのう。朱里はようやっておるとつくづく感心する」
小十郎は今まで朱里の代わりに家事をやっていたようだ。
詳しく聞くと、普段は朱里に家事を投げっぱなしだったが、戦が無い時は積極的に家事を手伝っているらしい。
勿論、朱里はそこまで体調が悪いわけではないし、産後から半年経過しているため、今となってはある程度動けるまでしっかりと回復している。
それでも小十郎は率先して家事を手伝う。良い旦那ではないか、個人的にグッドファザー賞である。
「姫様もどうかゆっくりしてください。拙者が左衛門をお預かり致します故」
そう言うと、小十郎は私の髪の毛で遊んでいる左衛門を取り上げた。
「ほーれ左衛門、次は父が遊んでやるぞ! 高い高ーい!」
「きゃっきゃっ!」
空中にあげられた左衛門は今日一番の笑顔を見せる。やっぱり父親が一番良いんだろう。
それと小十郎も楽しそうだ。むしろ一番遊びたかったのは小十郎までありそうだ。
その姿を見て朱里もクスクスと笑っている。
「そうだ小十郎、私に話したい事って何?」
私が質問すると小十郎は遊ぶ手を止め、揺り籠を持つように赤子を抱き抱える。
察したのか、朱里は小十郎から左衛門を受け取った。
私が片倉屋敷に寄った本当の理由。
生まれたばかりの子供を見に来ただけではなく、実は小十郎から個人的に寄って欲しいとお願いされていたのだ。
「先に姫様にはお伝えしなければと思いまして。実は……次なる戦が近々迫ってござる」
「ええっ⁉」
少し前に蘆名と戦ったばかりなのだが、また誰かと戦うのか。
私は全然構わないけどね。
「先日、大内家臣である刈松田城主・青木修理が当家に屈するとの知らせが入りました。既に殿へは使いを送っておりますが、これを機に大内攻めを始めようと思いまして」
「おおっ! ってことはウチ等を舐めくさってた大内に直接鉄拳制裁出来るってわけね!」
一度は伊達の家臣になるとか言っておきながら、結局私達を騙して裏切った奴等だ。何もありません……とかあるわけがないのだ。
とはいえ、そんな事は私が城に帰れば分かる事だ。小十郎はそんな事を伝えるために、わざわざ私を屋敷に呼んだのだろうか。
私はそれについて小十郎に尋ねる。
「いえ、姫様をここに呼んだは少しでも早く伝えた方が良いと思いまして。実は、此度の戦に姫様の御父上……田村清顕殿も参戦なさる予定です」
「え……、田村のオッサンが?」
そんな他人みたいな。
と、小十郎と朱里が声を合わせた。
いかんいかん。愛姫のお父さんってのは分かっているのだけど、ついつい知り合いのオッサン程度に考えてしまう。
ずんの顔もあるし、会った時は「パパ久しぶりー」程度に言ってやるか。
「是非先陣を、と田村殿直々に申し出がありまして……」
「へぇーオッサンもヤル気じゃん!」
「大内定綱は元々田村殿の家臣でしたからな。田村家だけの問題ならまだしも、同盟先の伊達家も裏切ったとなれば攻め滅ぼすための大義名分がある……と言ったところでしょうな」
あー確かそんな話を左月が以前話していたのを思い出した。大内の後ろには畠山、それに蘆名もいるから簡単には攻め入れられないって。
なら今の大内が伊達を裏切ったのは、実家の田村にとって都合が非常に良いわけだ。伊達の援軍を得たようなもんだし、隣の敵対勢力を排除出来る絶好のチャンスだし。
「蘆名領の一部を手に入れたとはいえ、諸将には先日の蘆名攻めは伊達の大敗北に映っておりましょう。なら、動かないと思っている今の内に動くが好機」
「なるほど。オッサンが来るって事は私が総大将を務めればいいのね⁉」
「違います」
アッサリ否定された。
「な、なんでよ……」
「ご存知の通り、清顕殿は体調が良くないのです。娘である姫様が戦場に来ると知って張り切っておりますが、大内を攻めれば少なくとも畠山と蘆名は動くでしょう。そうなれば病を抱えた清顕殿にとって避けたかった長期戦となるのです」
「手紙じゃ治ったって言ってたんだけど……」
「それは姫様を安心させるため。黒脛巾組の報せでは日に日に容態は悪化していると……」
会った当初は風邪かと思ったけど、そんなに重症だったのか。
それならわざわざ無理して戦に出る必要はないと思うけど。
「清顕殿にもメンツがありましょう。元を辿れば田村家が大内を飼いならせなかった事での離反。それを同盟国になったとはいえ他家に丸投げ……、というわけにもいかないのです。そのあたりをご理解いただければ……」
なるほど……、そりゃあ病体にムチ打ってでも戦に出ちゃうか。
「そこで姫様にお願いが……」