小手森城は深紅に染まる 後編②
天正十三年(一五八五年) 七月。
檜原での戦いに勝利した伊達軍は城主不在となった岩山城を破却すると、近くの小谷山に桧原城を作り、その城主に家臣の後藤信康を入れ仕切りを任せる事にした。
政宗の命令のため拒否は出来なかったが、元蘆名領という事で蘆名軍がいつ攻めて来るかわからないため、かなり不安だったようだ。
そんな信康を勇気づけるため、政宗は私を桧原城へ送り込んだ。
適当に激励してこい。
何で私が……と思ったのだが、信康はどうやら私の事を随分と気に入っているらしい。
確かに、米沢城で信康とは何回かお喋りをしたのを憶えている。
通っていた学校とか近くにあったお店の話とか。この時代の人間には到底理解出来ない話がほとんどなのだが、信康は左月同様、私の日本未来話を真剣に聞いてくれるのだ。特に未来の食べ物と文化ついては目を輝かせていた。
「姫様が子供達に披露している紙芝居というのも、その……マンガとやらなのですか?」
「マンガってのは、いわば紙芝居の進化系よ。書籍サイズに絵を書いて、吹き出しにセリフ……簡単に言えば言葉を付け加えた感じね」
「もしや……姫様もマンガとやらをお書きになる術をお持ちで⁉」
「いやぁないない、私なんかじゃその手のモノは無理ね。あくまで絵は小さい頃に書いたお絵描きレベルだし」
一ページ一ページキャラクターが違ければ、表情やセリフも違う。
特に複数のキャラクターが今何を考えているのか、どんな動きを見せているのか、それをひと目で理解出来るのはマンガの最大の特徴でもある。
そんな高度の産物を私が描けるわけない。
出来なくはないにしろ、他人に見せるには恥ずかしすぎる。精々子供達を楽しませる一枚絵を書くだけで精一杯だ。
「それにしても、こんなに話したのは久しぶりよ。喜多やずんは基本忙しいし、爺はずっと屋敷にいるわけじゃないし、猫に至ってはシャーシャー言ってるし」
「左月殿は姫様がお呼びになればいつでも米沢に参られるような気がしますが。それより猫とは……もしや猫御前様の事で?」
「そうそう。歳も近いし、結構良いヤツよ。たまーにムカつくけどね、アハハ!」
随分と仲が宜しいのですね。
と、信康は意外そうだ。
どうやらこの時代での正妻と側妻の仲というものは、想像以上にこじれているという。
それも当然だ。簡単な話、夫が自分の家に平気で浮気相手を連れ込んでいるようなものだからだ。
お家の関係を深めるための政略的な結婚といえど、私や猫は同じ人間、同じく女である。
「あまりに距離が近いと姫様の側近が不安になってしまいまうのでは……」
「いいじゃん、別に。私が誰と仲良くしようが、私の勝手でしょ」
「姫様がそれで良いのでしたら、拙者からこれ以上は……」
信康の言いたい事はわかる。要は私と猫御前との立場をハッキリさせておくべきだ、と彼は言いたいのだ。
この手の話題は私が最も嫌うところ。そのため、彼なりにかなり濁して伝えている事が容易にわかった。
とある企業があるとしよう。
私と猫御前を代表とするグループがあり、とある案件に対してこのふたつのグループが競い合ってるとする。より良い成績を収めた方は昇格、更にその部下たちには賞与も与えられる。
ここでは私のグループが勝ったとしよう。
当然、私のグループはみんなハッピーだ。みんなが私を称え、私に付いて来た事を誇りに思っているだろう。
逆に、負けた猫御前グループはどうだろうか。
部署の格差も広がった挙句、頑張ってきたのに敗北したせいで何も与えられない。付いてきたリーダーを間違ってしまったと思う人間もいれば、猫御前のグループから離れる人間も現れだろう。
それが勝負の世界であり、それこそが資本主義の根底であり、まさに弱肉強食とはこういう事だ。
話を戻そう。私と猫御前の陰での争い、それは……どちらが早く男子を産むのかの勝負なのだ。
ここだけを切り抜けば女子ブチギレ案件なのだが、時代が時代というのをわかってほしい。
私もこっちの世界ではもう十八だ。身体としても全盛期、脂が乗っている最高の状態と言っていいだろう。
だけど私は……、まだそのタイミングを見定めている。
……いや、見定めているは都合のいい言い訳か。
時代や国によって様々なルールがあり、それに逆行する行為がどれだけ愚かなのか、私は未来の日本で学んでいるはずなのだけど。
それなのに私は、まだこの時代でその行為を行うなら好きな相手としたい。
そんなお姫様のような甘い欲望を未だに抱いているのだ。
「……姫様、いかがなさいました?」
急に黙ったせいで信康が声をかける。
いかんいかん、私は信康を激励するために来たというのに。こういう事はひとりの時に考えればいいのだ。
「なんでもない、ちょっと次の衣装のアイディアが急に浮かんだもんだから! いやぁ流石は私、出来る女ってのは困ったものねー!」
「おお!」
などと、適当に誤魔化す。
「姫様のお作りになる衣装は土産や贈呈品として、今や伊達の名物となりそうですからなぁ」
「ふふーん、そうでしょ⁉ 今や予約は数年待ち、各大名共がこぞっと欲しがる交易品と言っても過言じゃあないからね! アハハハハ!」
下町である程度の量産体制が整ったせいか、最近は商人経由での注文が多くなってきた。
おかげで私も新作に手を付ける時間が出来たし、お金にも余裕が出てきた。
このままいけば店も大きく出来るし、舎弟達にももっと良い装備を買ってあげられる。
正直、順調すぎて怖いくらいだ。
「……そこで折り入って姫様にお願いしたい事があるのですが」
急に改まる信康。
「実は拙者、姫様のお作りになる衣装を非常に気に入っておりまして……。その……もしよろしければ一着拵えていただけないかと……」
「一着って……、信康が着るの?」
「は、はい! もちろんです!」
男性用の衣装か……。
私の作る衣装はもっぱら女性用なのだが、男性が気に入ってくれるのは意外だ。
……あっ、そういえば信長は私の作った衣装を着たんだっけ。
そう考えれば、男性用も案外悪くないのかも……。
「…………」
「や、やはり駄目でしょうや?」
「ううん。いいよ、作ってあげる」
「ま、まことにございますか⁉」
「まことまことよ。……その代わり条件があるわ」
「……じょ、条件?」
信康は唾を飲み込んだ。
そんな大した条件ではないので安心してほしい。
「しっかりとこの城を守りぬく事。それが条件よ」
「……え?」
拍子抜けだったようだ。
それもそのはず、その命令は元々政宗から与えられているものだからだ。
「いつ蘆名が取り返しに来てもおかしくない場所だけど、それを守り切れるのはアンタしかいない。それを私に証明して」
「それは殿から与えられた命にございますが……」
「いいのいいの。それにアイツの命令なんかより、私からの命令のほうが有難みあるでしょ?」
私からの有難いお言葉。
と、言いたいわけではないが、信康にはこれくらいの冗談は大丈夫だろう。
適当に……ってアイツが言ったんだ。
なら、自分が雑に扱われても文句は言えない。いや、言わせない。
「……プッ」
信康が顔を隠し、身体を小刻みに震わせる。
「ハハハハ、面白い事を申される! お任せくだされ。姫様からいただいた有難き命、この後藤信康……命に代えてでもお守り致します!」
「上等上等、これで私の仕事も終わったって事ね!」
「その代わり守りぬいた暁には……」
「ええ、信康がオーダーする衣装を好きなだけ作ってあげる。アンタが言いだしっぺなんだからアリ一匹伊達領に通すんじゃないわよ」
「御意にございます!」
こうして後藤信康のモチベーションをあげる仕事を終えた私は桧原城を後にし、真っ直ぐには帰らず、小十郎のいる片倉屋敷へ向かった。