小手森城は深紅に染まる 前編⑧
しかし、このような奇襲策やおびき寄せ作戦は一度きりだった。
平城の造りだった関柴館は籠城に向いておらず、たった一日でニノ曲輪を敵に奪われてしまい、残すところ本曲輪だけになってしまった。
「うーん、やっぱキチーな。いくら斬っても敵がドンドン増えてきやがる」
「ダメじゃ原田殿、ここはもう持たない……。搦手から北東に位置する我が領内の小松山城へ逃げましょうぞ。あそこの方が山城故籠城に向いておる。蓄えは少ないが、ここより時間は稼げるであろう」
「ここは松本殿の居城なのだろう。そう簡単に諦められるのか?」
「生きていれば取り返す時は必ず訪れよう。しかし、今は生き延びる事。それに政宗殿からお借りした原田殿を死なせるわけにはいかんでな」
「ふーん、そんなもんなのか」
宗時は原田家の当主となって日がまだ浅い。
そのため、居城を奪われる事は威厳を失うと同じと考えていたが、先を見据える松本輔弘の考えは得るものがあった。
それはまだ若干二十歳という若さもあったのだが、三男として与えられた経験はあっても奪われたという経験があまりない立場上の経験不足から来るものだった。
政宗もあえてそこを埋めるために、宗時を先遣隊として送ったのかもしれない。
「ささ、原田殿。こちらです」
「ああ」
宗時は松本輔弘に案内され、城の搦手から外へ脱出した。
が、それを見逃さない将がいた。
「あ、やはり出て来たな。追え追え、松本を逃がすでないぞ!」
松本輔弘は必ず逃げ出す。
そう思い、城の北側を見張っていたのは穴沢隊だった。逃げる松本輔弘を追うため追撃の合図を鳴らす。
「げっ……あんな所に敵がいやがる」
「あれは穴沢隊か⁉ クソッ、儂等が逃げるとわかって北側を監視しておったのか!」
「あんなのに追われるのはめんどくせーなー。……いっちょやっちまうか」
「いくら原田殿が強くてもあんな数を相手するは無謀ですぞ! 今はとにかく北に走ってくだされ!」
「ちっ、かっこわりーな……」
原田隊と松本隊を追うように南から穴沢隊の追撃が始まる。
逃げる兵隊の士気は皆無に等しい。最後尾の兵達は次々と討たれ、松本隊の数は百にまで減っていた。
「原田殿、あそこですぞ。あの意味深な櫓の側の川はあえて浅瀬にしてある故、渡河が容易になっておるのじゃ。どうぞ、先に渡ってくだされ」
「松本殿はどうする気だ?」
「儂は原田隊が渡河を終えるまでここで足止めをしますぞ。ささ、早く!」
「ああ、松本殿も無理はするなよ」
宗時を先頭に原田隊の渡河が始まった。遠目では分かりにくいが川には大量の石が敷き詰められているため、原田隊は次々と渡河を完了する。
それを見ていた松本輔弘も追撃隊の相手をやめ、自分も渡河をしようとした。その時――。
「よし、原田殿は無事渡河を終えたな。次は儂が――」
グサッ。
松本輔弘の胸に一本の弓矢が突き刺さった。
「グ……」
二本……三本……四本。
穴沢隊から放たれた弓矢は次々と松本輔弘の身体を貫く。
「裏切者の……末路は……こんな……ものか……、ぐふっ」
松本輔弘が討たれた報せは直ぐにも宗時の耳に入った。
「な、なんだこの声は⁉」
「どうやら松本輔弘殿が討たれてしまったようです。この歓声はそれかと……」
「ク……クソッ、当主となって最初の戦がこれかよ! 蘆名め、ぜってー許さん!」
「殿が戻ってはいけません! ここは一度小松山城に入りましょうぞ、考えるのはそれからです」
家臣に宥められ、渋々小松山城に入った宗時は籠城の支度に入った。
松本輔弘が戦死したことで会津松本氏は一旦の滅亡となってしまうのだが、その子孫は今後伊達家で生き延びる事となる。
――――――――――
●蘆名領 小松山城
松本輔弘が次の籠城先として目指していた小松山城だが、その姿は城というよりも廃墟と表現したほうが分かりやすい。
苔に覆われた石垣。
ボロボロで蔓科の植物が巻きついた櫓。
朽ちた木楯、錆びた刀が地面に転がっている。
こんな所で籠城出来るのかと疑いたくなる状況だが、城の唯一の入り口となる追手門だけはしっかりと整備されていた。
おそらく、万が一の場合に備えて松本輔弘が準備していたのだろう。
「殿、城内で保存食を見つけました。十日は凌げるやもしれませぬ」
「十日か……。あれを見て十日凌げるとは思えんがな」
山城から盆地を見下ろす。
そこには宗時を追って来た蘆名の平田、富田、穴沢隊が集まり陣をはっていた。
数にして二千強。
それに対して城に残った兵は二百そこら。
山城に続く道は狭いとはいえ、力攻めされれば一日ともたないかもしれない。
それぐらい、今の宗時には厳しい状況だった。
「……殿は搦手からお逃げください。獣道を通る事になりましょうが、殿でしたら無事に伊達領に辿り着く事が出来ましょう」
「何言ってんだ、俺様が尻尾巻いて逃げるわけがなかろう」
「殿は原田家の頭領なのです! 今ここで殿を失うわけには――」
「頭領なんていくらでも代わりがいようや。じゃが、お前達の代わりはおらん。そんな奴等を身代わりにしてまで俺は頭領を続ける気もしねーし、生きようとも思わねぇ」
「ですが――」
「何度も言わすな。そもそも今回こんな事になったのも、俺がもっと用心しておけば良かったのだ。その責任を俺は取らないとな」
何とも言えない空気が城内に流れ始めた。
そんな時、空気を一変させる人間が宗時の前に現れる。
「何しんみりしてるんスか」
宗時の前に黒装束を身に纏った忍びが現れる。
「捜したっスよ。関柴館が落ちてたので討たれたのかと」
「その装束は殿の⁉ いや、お前はたしか……」
見覚えのある顔。
女でありながら独特な語尾。
宗時はそんな事を考えていると、盆地の方が騒がしくなる。
「な、なんだ⁉」
下を覗くと、平田隊の陣が何者かに攻撃を受けていた。
「あ、あれは新田義綱⁉ まさか――⁉」
「はい。援軍っス」
「ちょっとまてよ! 確かに俺は殿宛に援軍を要請したが、それを願い出る文を書いたは昨日だぞ。こんなに早く援軍が来るなんて……」
忍びは何故こんなに援軍が早いのかを説明した。
敵に伊達と内応していた事がバレていた事。
伊達の忍び衆である黒脛巾組の偵察隊が政宗に報告していた事。
宗時が功を欲し、援軍の要請をすぐに送らなかった事。
そのすべてを政宗は知っている。
「って事は……」
「知りたいっスか?」
「……いや、いい」
そんな事より、今は目の前の集中しなければならない。
宗時はもう一度盆地を確認する。
すると、新田隊ともうひとつ。数百で構成された小隊が富田隊の側面を攻撃していた。
数こそ多くはないが、勢いだけは新田隊を凌いでいる。
宗時はその隊が誰なのか、すぐさま理解出来た。
「おい忍び、名は?」
「わちきはお打と言います」
「そうか。お打、報せご苦労! お前の主に俺様もすぐに打って出ると伝えよ!」
「……いいんですか? 見た感じ怪我人も結構いるみたいスが」
「馬鹿、そんな事言ってる場合じゃねえ! あの方が戦場に出てるんだ、俺様がこんな所で休んでられるか!」
「御意」
お打はそう言い残すと、その場から立ち去ってしまった。
宗時は城内に怪我人を残し、動ける兵だけに武器を持たせた。
「開門じゃ! このまま下って敵の正面を突く、俺に続け!」




