小手森城は深紅に染まる 前編⑦
●松本支配地域 赤坂・北畑・高橋館前
天正十三年(一五八五年) 五月十四日。
館を囲む平田隊の本陣に、松本輔弘の使者が入った。
「……、と殿は申されております」
「なるほど。では、関柴館に伊達の兵が入っているという噂は偽りなんじゃな?」
松本輔弘の使者は首を縦に振った。
「あいわかった。松本殿にはすまなかったとお伝えしてくれ」
「ご理解いただき感謝致します」
松本輔弘の使者はそう言い残し、平田輔範の前から立ち去った。
「やはり噂は偽りでしたな。蘆名四天の松本殿が裏切るなどなかったのです、早速館を囲んでる兵に解散の命を」
「いや、半刻以内に館攻めをすると兵に伝えよ」
「え……、いやさっき『すまなかった』と殿は申しておられましたが……」
「それは告知なしで囲んでしまってすまなった、という意味じゃ。誰も囲いを解くとは一言も言っとらん」
「では……」
「館攻めは予定通り開始する。鉄砲が合図じゃ、との事を富田隊と穴沢隊にも伝えよ」
「は、ははっ」
館兵は平田輔範の言葉を信じ、戦は起こらないと警戒を解いてしまっていた。
そして、平田輔範の使者がその事を伝えてから数分後。
「よし、鉄砲隊放て! 裏切り者の松本の館に総攻めじゃ!」
この総攻めから俗に言う【関柴の戦い】が始まった。
松本隊の放つ鉄砲音に館兵は慌てふためき、それを合図と捉えた富田隊と穴沢隊も残りふたつの館を同時に攻撃した。
「ハハハッ、伊達に寝返ろうとする不届き者達を生かして帰すな! 門を突破し、館を制圧せよ!」
鉄砲隊や弓隊による攻撃で門前兵を一掃すると、大槌隊の門破壊が行われ、館内に平田・富田・穴沢隊の兵がなだれ込んだ。
「に、逃げろー‼」
「お、おい逃げるな、持ち場にもど――ぐふっ」
勝負にすらならなかった。
圧倒的な戦力差から逃亡する館兵が後を絶たず、抵抗する守兵達はあっという間に斬り捨てられた。
そして、館攻めが始まって一時間も経たないうちに赤坂・北畑・高橋館は陥落。平田・富田・穴沢隊はそのまま北へ進軍し、松本輔弘と宗時が陣取る関柴館へ向かった。
――――――――――
●蘆名領 関柴館
使者を送ったのも束の間、早々に館陥落の知らせがふたりの耳に入った。
「く、くそ……」
「裏切ってたってのが分かるや否や、動き出すのがはえーじゃねーか。流石は蘆名四天を名乗るだけはあるな」
「迂闊じゃった……、まさか降伏勧告もせず一気に攻めに来るとは……」
予想外の陥落の速さに、松本輔弘からは焦りが見える。
「兵糧の蓄えは?」
「ここにいるのは、原田殿の兵を入れてざっと千。蓄えからして三月もつかどうかといったところじゃ」
ここまでの事態を想定していなかったため、城の備蓄はそこまで多くはなかった。
蘆名軍はこの城に向かってくる。松本隊の兵達は慌ただしく籠城の支度を整え始めた。
「やはりここは政宗殿に援軍を頼みましょうぞ」
「まぁしゃーねーか。ここまでの事態になるとは殿も思ってもみなかっただろうし、こんな平城じゃ総攻め食らえば終わりだしな」
宗時は簡書を書き終えると、米沢に向かう早馬を飛ばした。
「は、早っ。もう書き終えたのですか」
「ああ、一言書けば済む故な」
「ちなみになんと書かれたので?」
「『殿、援軍はよ』って書いといた」
「…………」
こんな軽い簡書があるのか、と松本輔弘は不安になる。
「それより松本殿、あれが蘆名四天の平田隊と富田隊か?」
宗時は立ち上がり、天守から外を眺めていた。
そこにはもうじき夜になるためか、松明を灯した千を超える集団が館に向かって来ていた。
「三つ矢筈に九曜の旗……、あれは間違いなく平田殿と富田殿の隊じゃ。奴等め、もう来おったのか……」
「だとすると、もうひとつ足りねえなぁ。なんだっけ?」
「穴沢ですな。穴沢隊は川向うに」
関柴館の東に流れる姥堂川。その向かいに同じく松明を灯した集団が向かって来る。
「城を囲むつもりか」
「そのようですな。しかし我が城は西に山林、東を川で守られております故、南の敵に集中すれば良かろうかと」
「渡河は気にしなくて良いって事か?」
「ええ。姥堂川の幅は大した事ないのですが、水深は人ひとりのみ込むまでに深い。穴沢殿もそれを知っている故、簡単に渡河はせんでしょうや」
「なるほどな」
南の兵だけに集中するなら、兵力は千対二千。数では不利だが、城で守る分悪くはない。
そこに宗時は妙案を思いつく。
「面白い事を考えたぞ。松本殿、耳を貸してくれ」
宗時は小声で思いついた作戦を説明する。
「いやいやいや、いくらなんでも無謀ですぞ! そんな事をしてら原田殿は無事じゃすまない!」
「大丈夫大丈夫、マズイと思ったら引き返すからよ」
「いや……しかし……」
「それにこれが上手くいけばより時間を稼ぐ事が出来るかもしれん。穴沢隊が渡河を出来ない今が好機なんだよ」
悩みに悩んだが、松本輔弘は宗時の作戦に同意する事とした。
このままジッとしていても政宗の援軍が来るまで耐えられる分からなかったからだ。
「……分かり申した。宗時殿の策やってみようぞ」
「よっしゃ! じゃあ早速寝るとしますかぁー」
「……このような状況だというに、この方の肝はいったいどうなっておるんだ」
その日、関柴館は最低限の松明を灯しながら明日の準備に取り掛かった。
そして、次の日の早朝前。平田、富田隊が囲む関柴館の追手門が突如として開放された。
――――――――――
「皆の者、闇夜に十分目を慣らしてあるな?」
「ははっ」
「敵の起きている兵は少ない。四半刻(三十分)も経たないうちに空が明るくなる、それまでが勝負と心得よ」
「ははっ」
「撤退の法螺貝を聞き逃すでないぞ。よーしそんじゃ……、行きますか!」
日の出前の早朝、突如として関柴館の追手門が開いた。
宗時率いる騎馬隊五十が先鋒として布陣していた富田隊を襲った。
「オラオラオラ、何呑気に寝てやがる! 早寝早起きは武士の基本だぞ!」
先頭を突っ走る宗時の大太刀は、突然の物音に驚く富田兵の首を刎ねた。
「ぐふっ」
「ひぃぃ!」
響き渡る悲鳴に、消える断末魔。
宗時の一振りは五人を戦場から撤退させ、五人の首を同時に落とした。
「ホーラどうした! 俺様が伊達の一番槍・原田宗時様だ、首が欲しい奴からさっさと起きやがれ!」
原田隊の奇襲の報はすぐにも富田氏実に伝わった。
「なんだ、前が随分と騒がしいな。兵共の喧嘩か?」
「申し上げます! 関柴館の追手門が突如として開門し、原田宗時と申す漢が暴れております!」
「は、原田宗時じゃと⁉ この間原田家を継いだばかりの桑折宗長の三男坊が何故ここに⁉ して数は?」
「奇襲隊と思われる騎馬隊五十です。既に前衛が崩され、具足を外していた兵達は戦う事をせず逃げ出しております!」
「馬鹿者共が、すぐに皆を叩き起こし対応させるのじゃ! 相手はたったの五十。長槍隊を前に出し、後ろからは弓矢で援護せよ!」
「まだ日の出には早すぎます。こんなに暗くては弓矢を当てる事は……」
「直に目も慣れる、いいからやるんじゃ!」
「は、ははっ」
騒ぎは徐々に広がり、眠っていた富田兵も続々と起き始めた。
猛将の宗時も数にまかされてはひとたまりもない。これ以上の深入りを避けると、クルリと反転し関柴館に戻って行く。
「あーあ、戦う意思の無い者を斬るのはやっぱつまらんのう。おーいお前達、撤収じゃ!」
撤収の法螺貝が戦場で鳴り響いた。
それを聞いた宗時の騎馬隊達は続々と城に向かって馬を走らせた。
「逃がすな! 追え、追うのじゃ!」
富田氏実の号令で具足を付け終えた富田兵が宗時を追って追手門から城内に侵入した。
……だが。
「ぐふっ」
「し、しまった、これは謀られたか!」
四方八方から降り注ぐ弓矢の雨が侵入してきた富田兵の頭上を襲う。
それを見た兵達は下がりたいが、後ろ来る富田隊と団子状態になり身動きが取れなくなってしまう。
「これはこれは、原田殿の作戦は大成功じゃ! さぁ皆共、遠慮なく矢の雨を浴びせてやれ。矢はたんまりある、出し惜しむでないぞ!」
宗時の奇襲は敵兵を追手門に誘い込む囮だったのだ。
それに気付けなかった富田隊は奇襲と合わせて兵二百を失う事となり、初戦は宗時と松本輔弘側優勢でその日は耐え抜いた。




