小手森城は深紅に染まる 前編⑥
●蘆名領 関柴館
天正十三年(一五八五年) 五月七日。
政宗の命令で兵三百を率いて蘆名領に入った原田宗時は、小十郎が調略をした松本輔弘の居城・関柴館に入っていた。
「お前が松本輔弘殿か?」
「おお、待っておりましたぞ原田殿! 左様、儂が松本輔弘じゃ。……ところで政宗殿は?」
「殿はここにはおらん。後日、本隊を引き連れ檜原で本陣を構えられる。そんなわけで松本隊だけじゃ頼りない故、そこで俺……原田宗時様がとりま援軍として先へ入ったってわけよ」
「さ、左様か。それで原田殿の兵はいかほど?」
「三百」
「さ、三百ですか……」
「安心せよ、松本殿。俺の隊は屈強な猛者集団故、そこらの隊の二倍……いや、三倍の戦力はあろうぞ。何なら俺はその中でも一番強ぇ、俺だけで兵百人の価値はあるでな」
「そ、それは大層な自信で……」
「疑っておるか? なら、一度ここで手合わせしてもいいぞ」
宗時は背中に背負っている大きな刀を抜いた。
金色の鎖と繋がった宗時特注の大太刀。武器は絶対に離さない意思表示なのか、鎖は腰に巻き付けられている。
「ちょ、ちょっと待った! わかったからこんな狭い所で物騒な事しないでくだされ!」
「わかったんならそれで良いのだ」
ふぅー、と松本輔弘はひと息つく。
「一応確認だが、他の家臣達には伊達と内通している事はバレていねーよな?」
「ええ、それは大丈夫でしょう。何度か穴沢殿の使者が参ったが、そのつど儂は皆の決定に従うと言いかわしておりますので」
「……俺は嫌な予感がするんだが。やっぱ疑われてるんじゃねーの?」
「ないない。穴沢殿は昔から心配性故、周りの家臣団の気持ちが気になってしょうがないのでしょう。そんな事より今後の事ですが……」
松本輔弘は宗時と今後の動きを確認するため軍議に入った。
確かに松本輔弘の言っている事は正しく、蘆名家では次期当主の養子の件でゴチャゴチャし、裏切者を探している場合ではなかった。
ただ……この時ひとりだけ。
岩山城主・穴沢俊光だけは冷静に、蘆名家内の裏切者を密かに探っていた。
――――――――――
●蘆名領 岩山城
宗時が蘆名領に入って二日後、岩山城主・穴沢俊光は関柴館の南に居城を構える蘆名家臣、平田輔範と富田氏実にどうしても伝えたい事があると理由を付け、岩山城へ呼び寄せた。
「待たせたな穴沢殿」
「平田殿お待ちしておりました! 申し訳ない、本来であれば拙者より格が上の平田殿を呼びつけるなど無礼なのですが……」
「よいよい。……ん、何じゃ富田殿も呼ばれておったのか」
同じ空間に平田輔範、富田氏実、穴沢俊光が集まった。
ちなみに平田輔範と富田氏実は『蘆名四天』と呼ばれており、穴沢俊光より格上の重臣だった。
「それで穴沢殿、極秘で話したい事……儂等だけを呼び出して話したい事とはいったい何ぞ?」
富田氏実は穴沢俊光に問う。
「じ、実は松本殿が……」
「何じゃ、また松本か。どうせ桧原湖の魚を持ってこいと難癖たれてるのであろう。仕方ないのう、儂から欲しければ自分で使いを出せと――」
「い、いえ、今回は魚の件ではなくてですね……」
なんだ、違うのか。と、富田氏実は一言。
岩山城は桧原湖に囲まれていて、松本輔弘はそこの魚が大好物だったのだ。
「実は松本殿に不審な動きが」
「松本殿に?」
穴沢俊光はふたりに事情を説明した。
「な、何! 関柴館に伊達の家臣・原田宗時が入っているじゃと!」
「そうなんです。間者の知らせでは去年の秋頃から伊達の片倉小十郎という漢と密書を交わしていたようで」
「やっぱり裏切りおったな松本め! 同じ蘆名四天の恥さらしが!」
松本輔弘の裏切りに、平田輔範は床をドンッと叩いた。
「ちょ、ちょっと待て。穴沢殿は味方の城に間者を忍ばせておったのか⁉ それはいくらなんでもやりすぎじゃろ!」
「拙者の城のすぐ北は伊達領なのです。もしも隣の松本殿が裏切ったら……、そう考えると居ても立っても居られず……」
穴沢俊光の心配するのも無理はなかった。
居城としている岩山城は湖に囲まれてはいるが、北の峠を越えた先は伊達領、要は蘆名領と伊達領の境に位置している城なのだ。
そこに当主不在である蘆名家内の不安定さと、今までの縁戚外交から真逆の政策を取ろうとしている伊達家。穴沢俊光は誰を信じたら良いのか分からず、味方問わず間者を密かに潜らせていた。
「じゃがおかげで裏切者がハッキリした。よし、我等三名で松本輔弘を討伐しに参ろうぞ!」
「ま、待て! 松本殿がまだ裏切ったと決まったわけでは……」
「いーや、奴は裏切者じゃ! そもそも蘆名の当主に伊達の次男坊を入れる計画を持ち込んだのは松本輔弘と聞く。あやつはずっと前から伊達の手先だったのじゃ!」
「それは亀王丸様の母君が輝宗殿の妹君じゃから伊達が口出す権利はあろう。それに次男の件はあくまで後見人としてでは……」
「そういえば富田殿も伊達の件に関しては否定的ではなかったな。もしや其方も……」
平田輔範の疑いの目に、富田氏実は首を素早く横に振った。
政宗の弟を入れる件に反対しなかったのは、あくまで蘆名家をすぐに立て直したかったからである。伊達に取り込まれても良いと思ったからではなかった。
「ば、馬鹿を言うな。蘆名の当主は亀王丸様、それ以外にありえん!」
「では、蘆名領に我等重臣の許しもなく、勝手に伊達の者を入れた松本は裏切者であり、それには富田殿も賛同いただける。そう解釈しても良いのだな?」
「ま、まぁそうなるか……」
「よし、じゃあ早速裏切者の討伐に向かおうぞ!」
「……許せ、松本殿」
松本輔弘の裏切りは間者の知らせで三人の知るところとなり、各将は討伐に向けて兵を集める事となった。
宗時達がそれを知るのは数日後、政宗が檜原に入る前の事である。
――――――――――
●蘆名領 関柴館
天正十三年(一五八五年) 五月十二日。
関柴館で政宗達の援軍を待つ宗時達に悲報が届く。
「な、何ぃ⁉ 平田、富田、穴沢が兵を南に集めておるじゃと⁉」
「は、ははっ」
「して数は⁉」
「平田隊、富田隊、穴沢隊共に千は超えております。おそらく合計で三千はいるかと……」
「ググ……」
松本輔弘はここで初めて伊達と内通している事がバレていたと知る事となるが、遅れてしまった分事態は最悪の方向に向かっていた。
本来攻める側だったのが、逆に攻められる側に。この事は大いに松本輔弘を焦らせた。
松本輔弘も準備を怠っていたわけではない。
しかし、今は攻められる事を想定しておらず、兵は各砦に分散させてしまっている状態であり、居城である関柴館には宗時の援軍を含め千もいない状況だったのだ。
「む、宗時殿……宗時殿を呼んで参れ!」
「ははっ」
客室で呑気に寝ていた宗時。松本輔弘の使いの兵によって叩き起こされる。
「ふぁぁぁ……眠ぃ。どうした松本殿、朝餉にはまだ早い時間ですぞ……」
「何を言っておられますか、もう昼ですぞ」
「あら、そうなのね。じゃあ朝餉は食いそびれたのか……、もったいねー」
そう言いながら頭を掻き、退室しようとする宗時。
寝ぼけている宗時を松本輔弘は引き留める。
「ちょちょちょ、お待ちくだされ!」
「何……、次は夕餉にでも起こしてくだされ。寝る子は育つと言うし、俺はもうひと眠り……」
「何を馬鹿な事を言っておられるか! 敵が……、蘆名家臣の平田、富田、穴沢の隊がこちらに向かっておるのですぞ!」
「へぇーそうなのね。……って今なんと?」
松本輔弘の言葉に目が覚めた宗時は、もう一度聞き直す。
松本輔弘は今の状況を宗時に説明した。
「な、な、な、なんだとっ⁉ じゃあ数刻もすればここに蘆名隊がやってくるって事か⁉」
「ええ、そうです。どうやら拙者が伊達に内応している事が漏れたのでしょう」
「やっぱ疑われたんじゃねーか」
「め、面目ない……」
敵は関柴館の南にある三つの館、赤坂・北畑・高橋館の前まで既に進軍は終えていたのだ。
館兵は精々百程度。総攻めを食らえば一瞬で陥落する。
「こんな時に聞きにくいのじゃが、政宗殿の本隊はいつ入られるのじゃ?」
「俺様が蘆名領に入ってから遅くても二週間後には入るって言ってたな。……だから後一週間ってところか」
「い、一週間……」
「まぁ俺様がいれば一週間なんて余裕のよっちゃんよ。殿の援軍が来るまで原田隊だけで耐えてみせるぜ」
「いや、原田殿から蘆名領入りを催促する文をしたためては……」
「馬鹿、そんなかっこ悪ぃ事早くも出来っかよ。仮に攻められても、伊達に原田宗時あり。それを蘆名共に刻み込む良い機会じゃねーか」
「じゃ、じゃが……」
「安心せよ、松本殿。殿が俺様をここに送ったのはこういう事を見越して事。それにこっちへ兵をまわすと檜原方面の兵が足りなくなるだろうしな。とりま松本殿は時間稼ぎの使者でも使いに出させよ」
「わ、わかったぞ……」
関柴館の状況は黒脛巾組の偵察隊によって次の日の朝には政宗の耳に届いた。
しかし、松本輔弘の時間稼ぎは相手に読まれており、着々と館を攻撃する部隊が準備を始めていた。




