お花を摘みに
食後の食器洗いは私の仕事だ。ここまでお世話になっておきながら何の役にも立てないのが心苦しかったこともあり、私は意気揚々と流し台の前に立った。
「アルテイシアさん。やっぱり大変ですから僕も手伝い……」
太陽さんが何かを言い掛けたが、その時私は指を指揮棒に見立てて振るっていた。
「悪戯好きのお手伝い……ウォッシュ、ドライ、オーガナイズ♪」
私は生活魔法を用いて食器を洗って、乾かして、戸棚にしまった。
太陽さんが作ってくれた夕食があまりにも美味しくて、会話も楽しかったものだから、私はつい上機嫌になって鼻歌のように魔法を唱えてしまう。
「……え?」
何か手順を間違えただろうか、太陽さんが何かを言いたげに私を見ていた。
「い、いやですわ太陽さんったら、そんなに見つめて……て、照れてしまいますわ」
「え、いや? う~ん……手際が良いなと思って……」
「ありがとうございます。今お茶でも淹れますわね……お紅茶はどちらに?」
「今、食器が勝手に飛び込んで行った戸棚の中にティーパックの紅茶が……?」
「?」
太陽さんは何故か心ここにあらずといった表情のままである。
私はその理由が気になりつつも言われた通りに戸棚を開け、紅茶が描かれた色鮮やかな箱を見つけた。
取り出してみれば個装された茶葉入りの袋が入っている。
「まぁ! こちらの世界のお紅茶はとても便利なのですね!? えっと、お湯は……えいっ♪ 魔女のお湯魔法♪」
「……べ、便利ですよね。あは、あはは……」
太陽さんは相変わらず困ったように笑う。
私もお役に立ててとても嬉しかった。
夕食後、紅茶を傾けながらテーブルを挟む私達の間には緊張とは無縁の穏やかな雰囲気が漂っていた。
食後の満足感のせいもあるだろう、私達は言葉少なめだったはずだ。だが、まるで既に旧知の仲であったかのように、言葉を発する必要性を感じない心地良さだった。
壁の薄いアパートでは近隣住民が帰宅する雑踏の音が聞こえる。
それが隣の部屋の住民だと、その後少しの生活音が続き、いつの間にか気にならなくなる。
太陽さんは時折スマホを気にして手に取り、私はその隙を狙って彼の顔を見ていた。
普段なら彼は自室でテレビを見たりスマホを操作したり、ゲームや漫画に興じていたはずの時間だという。
だが、その日はリビングにもテレビがあると言うのに、彼はそれを見ようとはしなかった。
私のためにプライベートの時間が費やされてはいないかと問うと、彼はこう言った。
「母が亡くなって1ヶ月。実はまだ、自分の時間の使い方が定まっていなかったんです。何をしたら良いのか解らなくなってしまったと言うか。母の存命中は自室で遊んでいたんですけどね。それも上手く出来なくなって。だから、誰かがこうやって一緒にいてくれるのは、僕にとって凄く嬉しいことなんですよ」
母親の部分はともかく、彼は私の気持ちを代弁してくれているようだった。
「それにしても、凄いですよね魔法って。他にはどんな魔法があるんですか?」
「そうですわね、例えば……美食家妖精の気まぐれ♪」
私はパチンと指を鳴らして太陽さんの紅茶に魔法を掛けた。
「お料理や飲み物を美味しくする魔法ですわ」
「へええ……凄いんだなぁ……」
彼はそう言って色の変わったカップの中身を見ていた。
「そう言えば、魔法って僕にも使えるようになるんですかね?」
「どうでしょうか? こちらの世界では魔力の存在を感じませんもの」
「アルテイシアさんはどうやって魔法を使っているんですか?」
「私ですか? 私はもう、それが当たり前の世界で生きてきたのですから、今更それを感覚以外で伝えようとするのは難しいですわ」
半分は本当だが、もう半分は怪しい。
冷静に考えてみれば私も何となく魔法を使えているだけで、使い方を説明できない。
だから残念だが、私はそれ以上のことを太陽さんに伝えることができなかった。
「そうですか……」
だが、太陽さんの本気で少し寂しそうな顔を見た時、私の悪戯心に火が点いてしまった。
「太陽さん、お手を拝借しても?」
「手、ですか?」
彼が手を出すことを戸惑っていたので私からその両手を取った。
すると一瞬彼の手が微かに震えた。
緊張していたのだろう、私とて男性と手を繋いだ経験等そう多くはない。
が、緊張感よりも今の私を突き動かす悪戯心の方が遥かに勝っていた。
私達は両手を結んで、どこか魔術の儀式を思わせるようテーブルの上に輪を作った。
「ア、アルテイシアさん、一体何を……?」
「今から太陽さんに私の魔力を流し込んでみようと思いますわ。目を閉じて、ゆっくりと、手を通して循環するものの感覚を探ってみてくださいまし」
「わ、解りました」
彼は余程魔法を使ってみたいのか、私の嘘を疑いもせずに素直に目を瞑って集中した。
か、可愛いですわ~!
当然、私は魔力の循環させ方など知らない。
「どうですか? 何か感じませんか?」
太陽さんはギュッと目を強く瞑ったまま真剣な顔で、深く呼吸を繰り返していた。
「……解りません」
当然だ。だが私はもう少し甘い声で囁いてみた。
「残念ですわ……私のお気持ちごと受け取っていただきたかったのですが……」
「あ! 今なにか解ったかも!」
彼は即答した。
だがそんな訳はない、私は声を殺して震えた。
「素晴らしいですわ……その感じをお忘れにならないでくださいね」
私は小刻みに震えたがる横隔膜を必死になだめながら、次なる嘘を練った。
「これは私が子供の頃、魔法の先生に習ったことなのですが、魔法には魔法のタチツテトという言葉があります。ターゲットは対象を認識すること、チャンティングは詠唱すること、などです」
太陽さんは目を瞑ったまま物凄く真面目に聞いていた。
「はい……ではツは?」
しまった、と思った。私は調子に乗って深く考えもせずに勇み足を踏んでしまったのだ。
まさかこの悪ふざけにここまで本気に乗っかられるとは思わなかったのだ。
「えっ!? ツ、は……確かツールですわ。魔道具でも魔力でも何でも良いのです」
苦しいだろうか?
「ふむふむ……では、テ、は?」
「ふえっぇ!?」
この辺りで私は横隔膜の震えだ何だと彼を笑っていられる状況ではなくなっていた。
「えぇっと……テ、は……えぇーっと、テ、テイストですわ。どんな効果にするのか思い描くことが大事なのです。……と、大体はこの4つが揃えば魔法は発動いたしますの」
それ以上踏み込まれると私が苦しいので無理矢理そこで切り上げに入った。
「なるほど……魔法の味わいも深いということですね……」
太陽さんは暫く考え込んでいたのでどうやら追及は免れたと安堵したのだったが。
「ト、も気になります」
と、聞かれてしまったので私は答えを持ち合わせておらず固まってしまった。
「そうですね、何分遠い記憶ですから、何だったでしょうか……?」
もう誤魔化すしかない。
そう思っていたその時、パッと彼の真剣な目が開かれ、困っていた私とピッタリ視線が重なってしまった。
私は一瞬の驚きを経て、高鳴っているのが自分の心臓であることに気付いてしまった。
「ト、トキメキ……ですわ」
何てことを言ってしまったのかと激しく後悔する私。
しかしそんな私に気付きもせずに、太陽さんはそれを本気で腑に落とした様子だった。
「凄い! 本当に魔法って素敵ですね……やっぱり最後はトキメキなんだなぁ」
少年のように純粋な太陽さんを見ていると、やっぱりどうしようも無く可愛く思えてきて、私の横隔膜は再び暴れ出しそうになる。
「で、では太陽さん、そろそろ試してみませんか?」
私はそっと彼から手を離し、人差し指を立てた。
「私の真似をしてみてくださいな。良いですか? 指先に先程の要領で魔力を込めて……キャンドル♪」
私の指先にはポッと可愛い火が灯る。
「解りました、やってみます……いきますよ……」
出るハズがない。魔力が無いのだから出る訳はないのだ。
しかし彼はこれ以上ない程の真剣な表情で、信じて疑わない表情で、言った。
「キャンドル!」
当然何も出ない。
「プフフフフフ……ッ!!」
私はとうとう堪えきれなくなって、お下品にも彼の前で噴き出してしまった。
訳も解らずに呆然とする彼の顔はもう直視できそうにない。
「も、もう駄目ですわっ!! しょ、少々お花を摘みにっ!!」
私は必死にお手洗いへ逃げ込んだ。
そして防音魔法を掛けたお手洗いの中で暫くお腹を抱えて大笑いしてしまった。
こんなに大声で笑ったのは、おそらく生まれて初めてのことだったと思う。
お読みいただきありがとうございます。
ただいま悪役令嬢恋愛モノと異世界冒険モノを同時に進行してみようと思いつき、楽しく並行しております。
良ければ読んでみてやってください。
【現実世界に追放された悪役令嬢はモブを育てる】
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※こっちはプロット完結済みなのでエタりません。
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※空き時間にスマホでポチポチ書き溜め。長く楽しむ趣味的なのでプロット未完状態です。
ストーリー案とかコメントいただけると嬉しいです(笑)