王子様の独り言
元からローだったファンタジー要素がなくなってしまいました。
本人が恋だと言っているので恋愛ジャンルを選択してみましたが、相手不在なのでこれで正解だったのか不明です。
可愛い。何度見てもやっぱりかわいい。
ユリウスは行儀悪くベッドにひっくり返って、飽きることなく携帯電話の画面を眺めた。
大昔に建築され、内装だけ暮らしやすく改装してある王城の自室である。学校の寮や日本のものと違い、縦にも横にもなることができる巨大なベッドだ。
これだけ広ければ、接触嫌悪症の気がある女の子も、最後だから特別、でなくとも一緒に眠ってくれそうだ。
……無理か。無理だな。少し妄想してしまっただけだ。それくらい許してくれ。
ユリウスが清乃に出逢ったのは、単なる偶然だったのか、もしくはなんらかの意思がはたらいたものだったのか。
それは現在調査中だ。
調査の進行状況は、まだ教えてもらっていない。
もしかして、と姉が言っていた言葉はあるが、それはまだ単なる憶測に過ぎず、にわかには信じがたいものであった。
ふたりは出逢う運命だったのだ。
それでいいじゃないか。
十代の小僧に、少しくらいは夢を見させてくれ。
異国の少女、もとい女性に最初に惹かれたのはいつだったかとユリウスが記憶を辿ってみると、頸部に喰らった衝撃が思い出される。
女の子に手荒な真似をしてしまった。焦っていたとはいえ可哀想なことをした、と動揺のなかで、ユリウスはベッドに寝かせた彼女が目を覚ますのを待っていた。
程なく開かれた少女の目と目があった。
ユリウスの周りではあまり見ない黒い瞳は、その瞬間に強い光を宿した。
そうだ。見惚れてしまったのだ。あの光に。
まさかそれが、自分の首を狙う戦士の眼だとは気づかなかったのだ。
ベッドまで運んだときの軽さを覚えていた。その軽い体重を乗せた蹴り足の威力に危機感を覚え、また乱暴にしてしまった。
彼女はサムライの子孫だ。幼いといえど戦闘民族、油断したら殺られる。本気でそう思ってしまった。
それくらいの衝撃を、物理的精神的に受けたのだ。
敵を前にしていないとき、自然体の清乃は、可愛い女の子だった。
作ってくれるご飯は美味しいし、その小さな口から出てくる言葉はいつも筋が通っていて、尊敬できた。
普段動く姿はのんびりしていて、隙あらばベッドに転がり、枕元に置いてある本を広げる。
ぶっちゃけ、ナマケモノのようだと思っていた。
せっかくだからもっと違う動物にたとえたいが、普段の彼女はナマケモノそのものである。
帰国してから、気になって調べてみた。ナマケモノは動き過ぎると死んでしまうらしい。彼女も動かないための言い訳にそんなことを言っていた。
結論。杉田清乃はナマケモノである。今度会えたら言ってやろう。
彼女が実は戦闘民族どころか、平均的な運動神経すら持ち合わせていないことには、すぐに気づいた。
よくそれであの蹴りを、と思ったが、フェリクスのついでにされた平手打ちは、やっぱりなかなかの威力があった。何故だ。
昔は弟とよく喧嘩した、と言っていた。
弟の存在があったから同じ年齢のユリウスの境遇に同情し、また同じ感覚で攻撃できたのだと、そういうことらしい。
つまりユリウスは、彼女に弟と同じくらいにしか思われていないのだ。当時も、現在に至るまで。
最初から最後まで、ユリウスの片想いだったというわけだ。
誰だよ、その顔で落とせない女なんかこの世に存在しないって言った奴。
彼女はいつも可愛い。だがこれは美しい、のほうが正しいか。
フェリクスが絶対派手なほうがいい、と強く言い切るからそのとおり購入してしまった、真っ赤な薔薇の花束。あれ、オレ今からプロポーズするんだっけ、と途中で錯覚しそうになってしまった、あの花束を抱えて笑う清乃は、最高に可愛くて綺麗だった。
やっぱりフェリクスの言うことを聞いて正解だった。
画面の中の清乃は艶々の黒髪を豪華なアップスタイルにして、造花、これは造花か? 日本の工芸品か、とにかく華やかなモノを飾っている。
清乃の髪は短かったはずだ。ユリウスよりも少し長い程度だった。日本の女の子の髪の毛は半月でこんなに伸びるのか。ミステリーだ。
ユリウスがいた頃は一度も化粧なんてしていなかった。そのままで可愛いから気にしていなかったが、それもあって最初の頃は本当に二十歳なのか疑っていた。
彼の周囲にいる大人の女性は、いつも隙のない化粧をしている。ユリウスの母などは、武装解除した姿は息子にも見せない。
だから小柄であどけなく、いつも素顔の彼女が大人のわけがない。年齢マウントを取るためにサバを読んだのかと思っていたのだ。
多分ひとつふたつほど歳下の可愛い女の子。しっかりしているけれど初心な娘で、ユリウスが必死で考えた色仕掛け作戦に引っかかるどころか、逆に怯えさせてしまった。
あんな反応をされたのは初めてだった。
自慢とかじゃなく、単なる事実としてユリウスは顔がいい。どこに行っても可愛がられ、彼が近づけば男女問わずメロメロになった。
恥じらうくらいならともかく、嫌悪感も露わに睨まれ泣かれることは想定していなかった。それでこの子は十五、六よりもっと小さい子なのではと思ったのだ。アジア系女性の年齢はよく分からない。
歳上の余裕で、可愛らしい嘘を信じたフリをしてやったつもりだった。彼女を安心させるため、ユリウスもわざと幼い振る舞いをしてやったこともある。
自動車を運転する姿を見たときには驚いた。日本では子どもも運転できるのかと勝手にカルチャーショックを受けてしまった。運転免許証を見せてもらったら、生年月日が書かれていた。
日本の年号について教えてもらった。「昭和」の年号を西暦に直して計算してみた。何度計算し直しても、彼女の免許証に記載されている日付は二十年前のものだった。
ショックだった。
とにかくそんな彼女だったから、綺麗に装った姿を見たのはあのときが初めてだったのだ。
キッパリ振られた。
だけど好きだよ、と言ってくれた清乃のために、友人に徹しようと思っていた。
その決意は脆くも崩れ去った。
だってこんなの反則だ。
清乃がこんなに綺麗だなんて、知ってしまったら忘れることなんてできない。
長くなった睫毛に違和感があったのか、彼女は時々顔をしかめながら、ずっとぱっちり目を開けていた。
彼女はモノグサなひとだ。部屋の散らかり具合に、最初は正直引いた。
そのせいなのかなんなのか、彼女は普段、目を面倒臭そうに中途半端にしか開けない。白けた顔と言えばいいのだろうか、幼い顔立ちとは裏腹な表情をするのだ。
清乃は成人女性にしては小さく、十七歳のユリウスの顎くらいまでしか身長がない。
少しだけ、この少しの加減が大切なのだ、これ以上近づいたら拒絶されるギリギリまで距離を詰めると、彼女はユリウスを見上げる。
顎をあと五度だけ反らせばいいのに、モノグサな彼女はその五度を億劫がって、代わりに瞳を上に向けるのだ。驚くほどぱっちりと大きくなる目でする上目遣いが、ユリウスの心に音を立てて突き刺さった。
酔っ払っていつもより無防備になった清乃に、夜道で下から顔を覗き込まれたときには、動揺を隠しきれなかった。くそっなんの試練だ、こんな奴に酒なんか飲ませるな、そう思った。
多分彼女は何も気づいていない。そんなことをユリウスが考えていることを知ったら、意地になって顎を反らすようになるだろう。
剥き出しになる細い頸を眺めるのも悪くないが、熟考の結果上目遣いのほうが好きだという結論に至った。その光景を堪能するときには、バレないよう冷静を装っている。
それで、そう、着物だ。振袖。
彼女は瞼をちゃんと持ち上げて、元から赤い唇を紅く塗って、頬にもほんのり紅を乗せていた。人形のような顔になった清乃は、振袖を着ていた。
血の色とは違う鮮やかな赤い生地に、なんだあの精緻な模様、色をたくさん使っているのに不思議とまとまっている、花がたくさん描かれた日本の芸術的民族衣装。
成人式の会場前まで行ったら、同じように振袖を着た女性がたくさんいた。でも清乃が一番綺麗だった。
そこで気づいた。清乃はそんなに小さくない。日本の女性は小柄なのだ。集団の中で彼女は確かに小さめではあったが、更に小さい女性も何人かいた。
フェリクスも同じようなことを言っていた。
あれ。キヨが埋もれてないな?
いや、実は姉ちゃん日本ではそこまでじゃないからな。あんたたちがデカいだけだよ。ちなみに俺だってそこまでじゃない。
それが清乃の弟の言葉だ。
これでもう、フェリクスに幼女趣味なんて言わせない。
清乃は大人の女性だ。
日本人は黄色人種だ。肌が黄色いと聞いていたが、黄色くない。清乃の膚は白い。
まあ、モヤシっ子だからね。移動以外は基本室内にいるし。だそうだ。
もやしっこってなんだ、響きがカワイイ。とユリウスが言ったら、引きこもりのインドア派ってことだよ、陽灼けする機会がないだけ、と素っ気ない答えが返ってきた。
それは深窓の令嬢ってことじゃないのか、と思ったが、嫌な顔をされそうなので黙っておいた。
何故嫌なのかは分からないが、彼女が嫌がりそうだということは分かる。
もちろん白いといっても普段接する人たちの白さとは違う。だが時折見える首筋だとか細い手首の内側だとかから透ける静脈の色にどきりとしてしまうのだ。その儚さに胸を打たれ、息が詰まった。
そのたびに、陽の下に晒されることのない小さな肩や折れそうな腰、服で隠している肌はすべて同じ色なのだろうかと考えてしまう。
普段隠している色気の破壊力よ。ユリウスは何度もヤバいと思って目を逸らした。
彼女の顔は化粧をすると更に白くなって、差した紅色が映えていた。
携帯の荒い画像だと、あのときほど感動できない。
眼裏に浮かぶ姿を思い出すほうがマシだ。
(……待てよ)
清乃のドレスアップはフェリクスも見ていた。彼の能力で記憶を流し込んでもらえば、記憶がもっと鮮やかに蘇るのではないだろうか。
そんな能力の使い方はまだしたことがないが、やってみて損はない。
「フェリクスー!」
「…………おまえ本気か」
「本気だ。頼む。またあの姿を見たいんだ」
「またキヨが無駄遣いと言うぞ」
「キヨには言うな!」
フェリクスは呆れ顔だ。
分かっている。ユリウスだってこんなの変だと思うがしかし。
見たいのだ。会いたいのだ。会って黒い瞳を見つめたい。向かい合って、もしくは横に並んで他愛ない話をして、同じものを見て笑いたい。
清乃に触れたい。抱き締めて今度こそ唇にキスしたい。
この気持ちのどこが恋じゃないというのだ。
清乃が言うことは大体正しい。時々駄目人間発言をするが、それ以外は大体正しいことを言う。
だけどあの最後の日、それは恋愛感情じゃない、と断じたあの言葉は間違っている。
ユリウスは清乃に恋をしていた。今だってその気持ちは変わってない。彼女のことが好きだ。別れてからも変わらず清乃を恋うている。
先祖の騎士のように今すぐ清乃の前でひざまずきたいと、毎日のように考え彼女を想っている。
「……無駄だと思うけどな。俺よりおまえの記憶のほうが鮮明に残ってるだろ。目をつむったほうが細部まで思い出せるはずだ」
「いいから早く」
………… ……
………… ああ
(ああ、そうだな清乃。やっぱり君が正しい)
着物を着た清乃は、フェリクスの記憶にも美しく残っていた。
優しく微笑んでいた。何度かフェリクスを睨んでいた。いつもと違う装いに、自然とそうなるのか澄ました顔をしていた。
振袖か。
大昔の先祖にも袖口が広がった衣装を着ていた時代があったはずだ。騎士の最盛期、女性はコットと呼ばれるワンピースを着ていた。当時の資料にも載っている。富を象徴する長く豪華な袖だ。
だが振袖とは全然違う。
ここは日本じゃない。
ユリウスはこの国の王子だ。
王にはならないけれど、王になる兄を支えて生きる義務がある。日本で生きていくことは許されない。
清乃は自分の力で生きていた。親や男の存在に寄りかかることを良しとしないひとだった。そうするのが当然と言い、施されることを厭うていた。
彼女をこの国に連れて来ることはできない。
正式な妃にはできないが愛妾として側に居てくれ、不自由はさせない、なんて誇り高い彼女に言うことは許されない。殴られて終わりだ。今度は拳だな。そこで永久にさようなら、だ。
ユリウスは真剣に清乃を求めた。
彼女にもそれは伝わったはずだ。
だが彼女はユリウスの求愛をするりとかわし、優しく諭した。
ユリウスと清乃に恋人として生きていく未来は存在しえない。
互いに愛しく想う気持ちを大事にしたいなら、恋人になってはいけないのだ。
清乃が正しかった。
あの日彼女が拒否してくれたから、この気持ちが風化するまで、風化してからも彼女と繋がっていることができる。
友人の地位に甘んじることができたなら、それが許されるのだ。
日本の美しい民族衣装が思い知らせてくれた。
従兄は清乃本人よりもその衣装に心奪われていたようだ。
ユリウスの記憶にあるよりも詳しく脳裏に再現してくれた。
首元から少しだけ覗く違う模様の生地、胴周りに巻かれた幅広の帯。小さい足に履いていた変わった形の白い靴下、履物は草履と言っていたか。
美しい日本人の美しい伝統衣装。
あの衣装はこの国では作れない。
彼女は美しい着物を産み出す国で生きるべきだ。
ユリウスと清乃は住む世界が違うのだ。
「どうした、ユリウス。望みどおりだったろ。なんで落ち込むんだ」
「……ありがとう。諦めがついた」
フェリクスは不可解な顔になったが、追及はせずにいてくれた。
「ふうん?」
黙って乱暴に頭を撫でてくれる従兄は、実の兄や姉よりも近しい存在だ。
その能力を使うまでもなく、いつもユリウスの気持ちを分かってくれる。
「なあフェリクス。十八歳の誕生日って、日本で言う成人式みたいなものだよな」
「違う。ただ成人に達する日ってだけだ。キヨは二十歳になって何ヶ月かしてから成人式に出てただろう」
「でもオレの成人を祝うパーティーがある」
あと二ヶ月くらいだ。ユリウスはこの国で大人と認められる。
日本では十八歳は酒を飲んだら駄目らしいが、国内では親同伴でなくても大っぴらに飲酒できるようになるのだ。
国内でなら、大人として清乃と向かい合える。
「王子だからな」
「パーティーにキヨを招待してもいいと思う?」
フェリクスが怪訝な顔になった。腰掛けていたソファの肘掛けを跨ぎ越して、ユリウスの隣に座る。
彼は従弟の頸に腕を回しつつ考え込むポーズをとった。
「…………おまえ今諦めたとか言ったろ。何を諦めるって?」
「キヨと恋人同士になること」
「ならなんで」
「好きじゃなくなるまで好きでいるくらいいいだろう。恋人にはなれなくても会いたいんだ」
「……おまえなあ」
フェリクスが呆れ顔になる。
「別にいいだろう。世話になったひとを呼ぶのは普通のことだ。弟も一緒に招待すれば変な噂にもならない」
「……そうだな。まあいいんじゃないか、それくらい。でも一応、おじさんの許可は取ってからにしろよ」
「うん!」
ふ、と小さく笑ったフェリクスはまた白金髪の頭をぐしゃぐしゃにしながら、子どもの頃のように天辺にキスを落とした。
「まあ頑張れ。でもあんまり困らせてやるなよ。あの娘、見た目と違って頭ガッチガチのブシだからな」
「分かってる。キヨは身持ちが堅いんだ。いいことだろう。オレたち友達になるって約束したんだ」
「そうか」
「よし、メール……よりも直接招待状を送るか。日本語で書くのは難しいから、英語でも大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。喋りはともかく、読み書きはある程度できるみたいだし」
「……いつそんな話を」
「英語のメールが来る。文法の教科書みたいな文章に、時々エゲツない言葉が混ざるヤツ。面白いぞ」
「いつの間に!」
「日本を出てすぐの頃から。暇潰しに送ったら、その日のうちに何かしら返ってくるぞ。時差を考えろとは言われたけど」
「なんて送ってるんだ。オレは何を送ればいい」
「……マジかよ。おまえ本当に七歳なんじゃないのか。good morningでもI love youでもなんでもいいからとりあえず送ればいいだろ」
複数の女性と同時進行で付き合っている男の言うことは当てにならない。
「ウザいと思われたらどうすればいい」
「気にしなければいい。俺はもう言われた」
「オレは気にする。もういいや。とにかく招待状だ。今から書くから出て行け」
「はいはい。頑張れよ、王子様」
部屋を出て行く背中を呼び止めると、ん? とすぐに振り返った。
「ありがとう」
「おう。また視たくなったら言えよ。俺が忘れる前にな」
「言わないよ。……多分ね」
最後にぽろりと溢れた本音に笑って、フェリクスは今度こそ出て行った。
さて、招待状だ。
今のうちに書き上げてしまって、国王の許可は晩餐の時間にでも取ればいいだろう。
オレはキヨノの成人式を祝いに行った。キヨノも来てくれ。弟にも会いたい。
でいいかな。
甘い言葉を書き連ねたら拒否されそうだから、これくらいがいいだろう。
彼女のご両親にも、娘さんを招待させてくださいと請う手紙が必要か。しかし十七歳の子どもの手紙にうんと言ってくれるだろうか。
大人の名前が必要か。国王や王妃の名を出したら話が大きくなる。フェリクスの名では警戒されそうだ。
となるとエルヴィラか。同性同年代の名前は印象が良さそうだ。魔女だけど。あちらのご両親はそんなことは知らないから問題ない。そうしよう。
日本にいた頃にはあんなに近かった清乃の存在が、こんなにも遠い。
誕生日会に来てくれと言いたいだけなのに、あちこちに根回しが必要だ。
でもいい。少しの努力で彼女に会えるなら、安いものだ。
来てくれてからも、ちゃんと紳士的に振舞うと誓う。心のまま清乃にまとわりついて、若い女性の醜聞になるようなことには絶対しない。
迷惑だと、思われたくない。
一時の感情に流されない。友達の距離感を忘れない。
それが、男女の友情を成立させる条件だ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
続編『王子様の棲む処』もよろしくお願いいたします。