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雪の道へと  作者: 雨慮
9/12

雪の道へと9




 町が見える。川に囲まれた中に高い建物が立ち並ぶ町が見える。

町へと架かる大きな橋を渡る。脚が重たい、重くなる。路面の僅かに突き出た煉瓦に足を取られそうになるぐらい、重くなる。身体が、頭の先まで。

〈ドォーン〉

 橋の真ん中、大きな音がしてハッとする。空気が震え、橋から足へ伝わる確かな振動は町を覆い、どこかで何かが崩れ落ちる音がして川が濁る。ティセは町に向かって走り出し、橋を渡り切るとその場に倒れ込んだ。

 また地響きが聴こえる。小さくなっていく。その時足の方で爆発が起こり、強い衝撃に飲まれ意識を失う。




 暗い部屋。外で言い争う声。うるさいと思ったがすぐに遠くなる。

 

 窓の無い部屋にランプの温かな灯が広がっている。寝台の上、目覚めたティセは光の届かぬ天井の隅に視線を置く。闇が渦巻いている。

 静かに扉が開く。女性が入って来てまた静かに扉を閉めると寝台横の机に物を置く。そして物憂げに壁を見つめ、机の上を指がなぞって下に落ちると、こちらに気付く。

「あぁ、よかった。目が覚めて。具合はどう?」

 女性はしゃがんでティセの手を取る。

「んんっ…平気。」

「そう。私はジクシー。水が要ったら手を握って。えぇ、分かったわ。」

 手を握ると彼女は机に置いてあった水差しでティセに水を飲ませる。

「薬は飲める?」

 ティセは顔を背けて手を握る。

「これは…どっちかしら?」

「飲めるよ。」

「うん。少し待って。」

 彼女は薬の準備をしている。壁の影が形を変える。

「口を開けて。素直ね。」

「嫌がればいいの?」

「え? そんな事無いわ。」

 ジクシーはティセに微笑みかけ、薬を飲ませる。

「飲ませてもらった事なんて無いから。」

「素直でいいのよ。」

「チカチカしてる。」

「眩しい? 」

 ジクシーはランプの光を遮るように動いてティセの額に手を触れる。

「まだ熱があるから、ゆっくり眠るといいわ。」

 立ち上がろうとするジクシーの手を掴む。

「どうしたの?」

「わたし、ティセよ。」

「ティセ。側に居ようか?」

 ティセはさっと手を離す。ジクシーはランプの灯を消し、扉の開く様な音は聞こえなかった。




 ぼんやりと目を覚ます。前に起きた時と同じ状態の部屋。日時も分からぬ夢現、天井の隅に向かって呟く。

「今は夢? どのくらい寝ていたの?」

 闇が渦巻く。

「むー。」

 唸り声を上げ、身体に布団を巻き付け寝返りを打つ。幾分元気になった様で、寝台から下りて裸足で立ち上がると足裏がじんじんと痛んだ。見覚えの無い寝間着。痛みを堪えて扉に向かい、扉を開けるとその部屋はカーテンが閉まって薄暗く、朝か夜か、やはり分からない。

 ティセは机に手を突き椅子に座って部屋を見渡す。この四人掛けの机、狭まった玄関には帽子掛け、質素な部屋を飾るのは本棚に並ぶ本の背表紙だけ。

 

 部屋が一層暗くなり、うとうとしていると玄関の鍵が開く音。ティセは座ったまま背筋を伸ばして、その女性を出迎える。

「おかえり、なさい。」

「あ、ふふっ。ただいま。具合はどう? 声の調子は良くなったみたい。」

「いいと思う。」

「良かった。待ってて。」

 彼女は持っていた籠を机に置き、寝室からランプを持ってくる。

「明るくして平気? そろそろあなたが起きると思って夕食を貰ってきたの。」

 籠の中から食器に盛られた料理が机に広げられる。

「食べられる物を食べたらいいわ。ゆっくりとね。」

 ジクシー、外套を脱ぎ、上履きを持ってくる。

「見た事が無い料理。」

「そんなに変わった物では無いけど、ただ色々な物が一緒になっているから。」

 料理を見ていると、ジクシーが机の下で上履きを履かせる。

「いい。」

「ええ。」

 それでも彼女は強引に履かせると、ふわっと立ち上がりティセに笑みを向けた。


 

 料理を食べていると扉を叩く音がしてジクシーが玄関を開ける。

「ジクシー、子供は?」

 若い男が現れて尋ねる。

「後にしてくれる? 食事中よ。」

 ジクシーが玄関を塞ぐようにして答える。

「起きたのなら話をする。」

「レナン。」

 男は部屋に入って来て椅子を動かすとティセの向かいに座り、被っていた帽子を机に置いた。

「名前から聞かせてもらう。」

「ティセ、紹介するわ。彼は青年団の代表レナンさん。」

「今では自警団だ。」

「こんにちは。」

「ティセ、か。この町に来た理由はなんだ。」

「レナン。貴方も挨拶ぐらいできる筈よ。」

「君は口を挟むな。」

「そうして強気に振舞えば立派な指導者に見えるの? 目の前の小さな女の子と話すのにそんなに勇気が必要なの?」

「君の親切と博愛の精神には頭が下がる思いだよ…この料理はどうした?」

「夕食会の残りよ。」

「多く残ったんだな。見知らぬ相手に出す程に。」

「これから知ればいいし、知らなくたっていいの。」

「そして僕は知る必要があるから来たんだ。さぁ答えてくれ。」

「んぅ。」

 ティセは油断して料理を頬張っていた。

「もう出て行ってくれる? ここは私の家よ。」

「君も分からないな。」

「いいえ、分からないのは貴方よ。貴方はこの家も守ってくれると言った。それを今、貴方が反故にしているのよ。」

「君次第だ。責任を果たすなら…」

「出て行って。話は私が聞いておくから。」

 帽子を被り直してレナンが席を立つ。

「おやすみなさい。」

 ティセの挨拶に無言で返すレナンをジクシーは外まで出て見送った。




「丈はいい? あとは…靴も要るわね。」

 翌朝、服を借りて外出の準備をする。古いスカートを見繕い、上着の余った袖を肘の方へ寄せて嗅いでみる。

「ティセ。」

 ジクシーに呼ばれ玄関へ行く。ゴム長靴に足を突っ込むと首に襟巻を掛けられる。

「行きましょう。」

 部屋は町に隙間無く立ち並ぶアパートメントの一階にあった。曇り空、路面の雪は道の脇に縁石の様に除けられ積まれている。二人はその綺麗に掃かれた通りを小さな歩幅で歩いて行った。

 

 

 町の広場を上階が大きなガラス窓になった建物が見下ろしている。壁に空いたアーチを潜り、中庭からその建物に入る。やたらに暗い通路の先、階段の踊り場だけが微かに明るい。ティセはジクシーを追って階段を上る。

「あれ、ジクシー。此処に来るなんて珍しいね。」

 階段の上、壁の小窓から女性の声がした。

「おはよう、スー。レナンに用事が有るのだけど、居るかしら?」

「今日は来てないね。ところで体調はいいの?」

「問題無いわ。心配してくれてありがとう。それと、これは貴女にお願いしていいのか分からないけど彼女の持ち物を取りに来たの。」

 ジクシーが壁に張り付いていたティセに目をやると小窓の声の主が小窓から顔を出す。

「噂の闖入者か。」

「どこで噂になっているのよ?」

「ここで~。ま、服ぐらいならいいんじゃない?」

「出来れば荷物を見ておきたいのだけど。」

「あー、はいはい。分かりましたよーっと。」

 どこか暢気な若い女性は鍵を持って小窓の部屋から出てくると、大きなガラス窓の部屋へと二人を案内した。部屋には長机が幾つもあり、電話機やタイプライターと同じ様にティセのリュックも机の上に置かれていた。

「何か持っていたい物はある?」

「全部。」

「全部持ってかれたら私ぃ、怒られちゃうかな。」

 ティセはリュックから目を背け窓辺へ近寄る。

「彼女、興味無いみたいだ。」

「返して貰えないのが分かっているからよ。」

「そっか。ま、どうせ出られないんだし、あんたも人の世話ばかり焼かない様に。」

「ねぇ、スー。貴女はこの町で誰の味方?」

「なに? 自分のとか?」

「貴女らしいわね。」




 町を歩いているとジクシーはよく話しかけられる。

しかし彼女は要領良く挨拶を返し、誰に捕まる事も無い。


 ジクシーに連れられて入ったカフェには子供達が集まっていた。彼女は次々と挨拶を交わして奥へと進む。

「はい、おはよう。えぇ、おはよう。グン、難問は解決した? イーザ。おはよう。」

 ティセが入口近くの席に一人で座ると何人かが見てくる。

「紹介するわね。」

 黒板の文字を消してジクシー先生が切り出した。

「彼女はティセ。町の外から来た最後の客人よ。」


 授業はすぐに始まり、ティセは丁寧に教えるジクシーの横顔を見つめていた。



「授業どうだった?」

 授業が終り、カフェを出るとジクシーが尋ねてきた。

「ごめんなさい。付き合わせた上こんな事を訊いて。でも、ティセならはっきりと意見を言ってくれる気がして。」

「…飽きなかった。」

「そう。初めてで分からない事もあっただろうけど、もし興味があれば教えるわ。」

 ジクシー、歩き出す。

「最後って?」

 彼女は足を止める。振り返った彼女は表情を変えない。いつもの哀しげな微笑だった。

「まだ伝えていなかったわね、この町の状況を。」


 

 広い通りから川で隔たれた町の端が見えてくる。

「どこまで覚えてる? 橋を渡って何が起きたのか。私達はこの町を、大事にしていた物を自ら壊してでも守ろうとしている。貴女には災難だったけれど、この町にとっては恩寵になるのではと私はそう思っている。」

 ティセが町へと渡った橋はすでに崩落し、欄干は川に沈んで折れた橋脚の周囲に砂と瓦礫が堆積していた。

「川に囲まれたこの町は偉大な大地から離れたのよ。」

「他の橋は?」

「大きな物も小さな物も、外に繋がる橋は落とされた。」

 ジクシーは続く言葉を飲み込み、瞳を閉ざす。

「出られない?」

「今は難しいわね。それにレナン達の判断もある。だけど安心して。私は必ずティセの味方をするから。」

 ジクシーが手を差し出す。ティセは差し出された手を躱す様にくるりと回り、彼女の隣でもう一方の手を握る。

「必ずじゃなくて、いい。」




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