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雪の道へと  作者: 雨慮
8/12

雪の道へと8




 黒い葉の針葉樹に囲まれ雪山を見上げる湖畔の村。

湖岸の上に建つ家屋の扉はすんなりと開くと、そのまま壁にぶち当たる。ティセは扉を閉めずに中に入った。


 広々とした居間に人は居ない。リュックを肩から下ろすと足元の床板が軋み、背後からも軋む音。振り向く間も無く何かで殴られ軽い衝撃と共に何かがパコッと寂しい音を立て、床に折れた木材が転がった。

 すぐに襲って来た何者かは外へと逃げる。ティセはその茶色い背中を追いかけ、開きっ放しの扉から外に出ると茶色の何者かは雪の上で転び、脱げた帽子の下から金色の髪が露になる。

 ティセは金髪を後ろで結った少女に近寄り手を伸ばす。

「何を、するの。」

「来んなっ!」

「んっ―」

 少女が暴れて頬を叩かれた。ティセは顔色を変えず、怯える少女の頬に拳を押し当てると思いっきり雪の上に押し転がした。 

「何もしないよ。」

 ティセは雪の上にしゃがんで年上らしい少女を宥める。

「叩いた…」

 少女は震えた呼吸を鼻を啜る。

「私を叩いたわ!」

「わたしは二回叩かれた。一つは貸しとく。」

「借りる物なんて無い―」

 ティセが拳を振り上げると少女は目を瞑って身構えた。

「わよ…」

 少女が目を開くと涙が溢れる。

「貸しとく。襲ってこないなら。」

「だって、急に人が家に入って来てそれで…怖かったのだけど、ここで勇気を出さねばと奮い立ち、窓を押し上げた隙間から転がり出て軒下に手頃な角材を見つけた時には、これで賊を打ち倒せば、か弱な私も一兵卒として殊勲を挙げられると思い、ふぅ。それを抱えて玄関に走り軒昂にも武器を高く構えて家に入りましたが心臓は鳴りて止まず、お腹がじんじんとして苦い唾が出て、足には汗を―」

「あなたはこの家の人なの?」

「―すると貴女が追って来るから…。いいえ、理由あって借りています。」

「わけって?」

「必要な理由です。」

 少女は落ち着いたのか堂々とはぐらかす。

「貴女はこの辺に住んでいるの?」

「旅して来た。この山沿いを。」

 ティセは湖の向こうに聳える雪山の裾と黒い森の間を指差す。

「それは普通の事? この雪に閉ざされた境界を跋渉するのは。」

 首を振って否定する。

「もう行くわ。」

「つまりこの村は初めてって事でしょ。それなら案内してあげるわ。」

 金髪の少女は帽子を拾い立ち上がると村の家々のある方に向かってずんずんと歩いていく。

「何しているの。早く来るのよ。」

 ティセは渋々後を追った。



 名前も知らない金髪の少女と村の建物を次々と見て回る。

「ここは何かしら。」

 小屋の中には網や農具が置いてある。

「物置小屋みたい。」

「スケートの刃があるわ。これを付けて凍った湖面を滑りましょう。」

「お腹空いてるからやらない。」


「ここは、何か匂うわね。」

 小屋の中には樽や空っぽの箱が並んでいる。

「食糧庫みたい。魚の干物が落ちていた。」

「それを食べたらスケートをしましょう。」

「寒いからやらない。」


「ここは何もないわね。」

 小屋の中には石の積まれたストーブがある。

「蒸し風呂みたい。」

「ここで―」

「やらない。」

「まだ何も言ってないでしょ。貴女…名前なんていうのよ。」

「ティセ。」

「では、ティセ。お腹を満たして体を温めたら湖に来るのよ。」

「知らない。」

「どうして、まだ何かあるわけ?」

「何も、しない。」

「聞き分けが無いわね。何ならできるの。」

「これが案内? 何も知らないのに。」

「…それは」

「一人でやればいい。」

「もう、いい。」

 そう言うと彼女はポケットのたくさん付いた革のジャケットからライターを取り出し、小屋の裏にあった薪に火を点ける。

「寒いのでしょ? 火は大きくしないで。」

 少女はティセに燃える薪を渡し、二足分のスケートの鉄刃を抱えて凍った湖へ歩いて行った。



 家屋に戻って物色していると湖上の雪を箒で掃く少女の姿が見え、窓辺を離れる。


 湖の畔の緩やかな斜面。少女が駆け寄り、ティセの手を引く。

「ほら早く。これ着けて。」

「見に来ただけ。」

 ティセはスケートの鉄刃を押し付けられる。

「着けて。命令よ。」

 ティセは雪に鉄刃を落として拳を構える。

「も、もう効かないわよ。そうだ、貴女が先に命令したらいいわ、それから私の言うことを聞きなさい。」

「面倒。」

「私は決まっているから。早くしないと無効よ。」

「じゃあ…これ履かせて。」

 落とした鉄刃を足先でつつく。

「えー、私が?」

「命令よ。」

 ティセが座って足を投げ出すと少女は呻き声を上げながらも鉄刃をティセの靴に括り付ける。

「はい、できました!」

 少女に腕を引っ張られて立ち上がる。雪に刃が刺さり浅く靴跡が付く。

「ほら、行くわよ。」

「命令は?」

「え?」

「早くしないと無効になるよ。」

「だって…いいから氷の上に来なさい!」

「二人も乗ったら割れる。」

「平気よ。」

 引っ張られて氷の上に乗り、勢いのまま滑って少女の腕にしがみつく。

「腰が引けているわ。氷の上では支えてあげるから行くわよ。」

 少女に手を引かれ、細かな雪が残る凍った湖面に糸の様な跡を付けた。


 

 ティセ、氷上の箒によろよろと近寄る。

「いーい? 私が打った石をそれで止めて打ち返すのよ。」

 どこかで見つけた櫂の先で箒を指して少女が指示をする。

「それが命令?」箒を拾う。

「それでいいわ、よっ!」

 拳より小さく平たい石が滑って来て、箒の穂先に突き刺さる。ティセは穂先を持ち上げるも石は見当たらない。

「あれ?」

「下よ! 下!」

 足の間に石があった。

「早く返して!」

 箒で石を払うと石は転がり途中で止まった。少女が滑って来て石を打ち返し、それが何度か続く。

「いつまでやるの、お嬢さま。」

「名乗っていなかった? アンナ…よ。」

 氷の上にも慣れてきて、ティセは石を受け止めるとその場でくるりと回る。

「ふーん。ふふっ、そうだ勝負をしましょう。」

 ティセの様子を見てアンナが持ち掛ける。

「嫌。」

「命令よ。」

「次は私の番。」

「何よ。また交互に命令するつもり?」

「もう、終わるわ。」

 背を向けかけるとアンナが石を操り滑って来る。

「私から石を取れたら終わりでもいいわ。」

「不毛よ。」

 アンナはティセの周りを滑る。

「そうね、こんな物は退屈凌ぎに過ぎないわ。」

「それなら、上等。」

 ティセはアンナの操る石に向かって箒を差し出す。アンナはサッと避け、弧を描くと余裕を見せる。

「こんなのではいつまで経っても終われない˝っ!」

 アンナの顔に向かって雪を掃き掛けた。ティセはその隙に突っ込むも躱され、崩れた態勢を立て直そうとした所を振り向き様のアンナの懐に頭から突っ込み二人揃って転倒した。

「んぅ…氷、割れないものね。」

 凍った湖面を磨くティセと違いアンナはすぐに立ち上がり辺りを見渡している。

「石は…」

 石は雪の掃かれていない湖面の上まで弾き飛ばされていた。

「ちょっと、取ってなさい。」

「もう、終わり。」ティセ、引き上げる。

「何よ! 大体貴女がね…」

 アンナは文句を言いつつも石を取りに行く。その間ティセは雪玉を作り、固く押し固める。

〈ドボン〉

 唐突に水音がして見ると、結氷が割れて想像通りにアンナが湖に嵌っていた。ティセは安全そうな位置まで近寄り、氷の上に飛び散った水で更に雪玉を固く丸めながら声を掛ける。

「何してるの。」

「好きでしてない! 早く助けなさいよ!」

「命れい…」

 ティセは氷の上雪玉を捨て、濡れた氷の上を這って進む。アンナの手を掴んだところで足元の氷にひびが入り繋いだ手の力を抜く。

「…覚悟なさい。」

「うん…」

 氷と共にゆっくりと体が水に沈む中、ティセは最後に訴える。

「わたし、泳げないから。」




 湖から二つの跡が雪を溶かし建付けの悪い玄関に靴を脱ぎ捨て入っていく。

「なんで火が点いてないの!」

 凍える冷たさに瀕してアンナが叫ぶ。

「大きくするなって。」

「ライターが濡れて点かないっ。」

 ティセはリュックから火打ちを取り出し悴む手で火を点けようとする。

「…見て。すごく震えてる。」

「何が嬉しいのよ!」

「蒸し風呂に火があるわ。」

「先に言いなさい!」



 冷たく重い濡れた服でサウナ小屋に辿り着く。扉を開けると白い煙と熱が押し出されて噎せ返る。それでも床を這って小屋に入ると濡れた服を脱ぎ、肌に直接熱を当てた。煙が薄れて扉を閉める。

「はぁ、はぁ。ねぇ、耳付いてる?」

 アンナが赤くなった耳を擦っている。

「外に落ちていたわ。」

 ティセは煙が染みた目を擦る。

「嘘よね。」

「どうだか。」

 ティセは立ち上がり濡れた服を焼けた石の上に絞り、シューと水が蒸気に変る。そうして小屋の中を蒸し上げ、最後は厚手のズボンを胸に抱えて絞ろうとする。

「アンナも脱いだら。」

 ティセは革のジャケットを脱いだだけのアンナを見て言う。

「そうね…そうする。」

 そう言って服を脱ぐ彼女の赤い顔に向かって服をはためかせ蒸気を浴びせる。

「こいつ、また!」

 アンナはやり返そうとボタンを外す手を早めている。ティセはその姿を台に腰掛け、まじまじと見る。

「随分と凝っているわね。」

 アンナの肌着はレースなどの細やかな飾りがあしらわれ、艶のある輝きを放っている。

「貴女のそれは、なんだか雑巾みたい。」

 ティセはアンナに近寄る。

「なによ?」

「別に。薪が足りない。」

「そうね。」

「命令。取って来て。」

「なんで私が取って来ないといけないのよ。」

 アンナが服を絞って蒸気が広がる。ティセは指を広げ、その握っていた石を見せた。



「髪を切って。」

 家屋に戻るとアンナから鋏を渡され命令が下された。解かれたその金髪はまだ湿っている。

「どのくらい?」

「鬱陶しいから、ばっさりやって。」

 椅子に座ったアンナの後ろで、ティセは旅の間に伸びた自分の髪を指に巻いてみる。

「切ろっか?」

 アンナが嬉々として立ち上がる。

「いいよ…」

「こーたいこーたい。切ってあげるって言ってるの。」

「じゃあ、前の方だけでいいから。」

 身体に布を巻き、俯き加減で目を伏せる。髪に触れられ鋏の音がする度、短く切れた白い癖毛が布の上に少しずつ落ちる。

「威勢は良かったのに慎重ね。」

「動かないで。何かが崩れてしまうわ…」

 恐る恐るの散髪が終わり交替する。ティセは腰掛けた彼女の肩下まである金髪を手に取る。

「あ、そうだ―」

 ジョキン!と言葉を待たずに鋏を閉じ長い髪が落ちる。

「なに?」

「うん…。その髪あげるわ。」

「いらない。」

 そう断ってティセは淡々と髪を切った。




「私のお連れが戻ってきた。」

 サウナ小屋で乾かしていた服を取り込んでいるとアンナが入ってきて言う。

「ティセは物置小屋にでも居て。」

 外は風が強くなり切ったばかりの髪を乱れさす。

「何方へ行くのだっけ?」 

「シヴァス。」

「へぇ。そうだ、ついでにスケートを片付けておいて。」

 アンナ、人影の方へ走る。


 薄暗い小屋の扉を風が叩き、外を多くの気配が過ぎ去った。暫くすると扉を叩く音に男の声が雑ざり、扉が開くとティセのリュックを持った髭面の男が現れティセを外に連れ出した。


 湖を迂回して山の方へ向かうと木陰からアンナが姿を見せる。

「ティセ、山越えよ。頼みます、ロウ大将。」

 男が口を堅く結んだまま頷く。

「山…」

「シヴァスへ向かうにはこの道しか無いって。お互い無事で、また会いましょ。」

「…良いよ。そういう命令なら、一つまでは。」

「ん、頑張りなさい。」

「次は私の番だから、憶えていて。」

 拳を振り合上げて見せるアンナに背を向け、ティセは歩き出した男に付いて行った。



 小屋で見つけた藁の深靴を履き雪深い山を登る。男は何も言わず、ティセのリュックとスキーの板を背負い、時々ティセの背中を押した。


 高く感じていた雪山の稜線に出る。曇り空の下、雪庇が広く見せる尾根で男が口を開いた。

「ここまでだ。後は一人で行け。」

 男は風の中ではっきりと言い、ティセにリュックを渡す。

「ありがとう。」

 小さな声でお礼を言って去ろうとする。

「待て。何もしないのも忍びない。」

 男に呼び掛けられ幾つか缶詰を渡される。

「無事を。」男が去る。

「あなた達も。」






 まっさらな雪の斜面に朝陽が反射する。

ティセはグネグネとした木々に囲まれたあばら屋で一夜を過ごし、そこで見つけた机の天板を雪に突き立て斜面の上に立った。

 冷たい空気を吸い込み、板を置く。

「せー、のっ。」

 空から視線を一気に落として板に乗る。板はズルズルと動き出すと加速して、少女の叫びが白雪だけの世界に吸い込まれていった。




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