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雪の道へと  作者: 雨慮
7/12

雪の道へと7




 夜の森を彷徨い歩き、次第に足に力が入らなくなる。暗い森にそこだけぽっかりと穴が開いたように星明りの差す空間が現れる。ティセはそこにあった雪の積もった石に手を突いて息を整える。

 空が緑に揺らめいて見え座り込むと石に文字が見えたが暗くて読む事は出来なかった。



 森を抜けるとそこには墓石が立ち並んでいた。遠くの高い空から緑の光が波を打って押し寄せ、雪を染め墓石ごと少女を飲み込んだ。ティセは固く目を閉じる。

「あぶなっ!」

 よろめいたのを誰かに支えられる。

「ぶふーっ。生きている人間が何だってこんな夜中に。」

 目を開くと同時に酒の匂いが鼻を突く。夜闇の中で他に分かるのは背の高い女性という事だけ。

「生者なら家に来い。墓なら好きな物を掘ってやる。」

 高さの違う肩に抱えられ、熱い体温を感じながら墓地の中を引き摺られていった。




 陽が差し込む寝台の上で目覚める。

 質素な部屋、壁の煉瓦が熱を持つ。長机の上では壺などの陶器が布を被って眠っている。穏やかな朝陽を浴びた時が停滞する。

「ん、起きる。」

 床のリュックが脱ぎっ放した外套を纏っている。靴を履いて窓の反対側にある扉を開ける。片側に煉瓦の壁が続く短い廊下の先に顔を出すも、四角い机の置かれた居間には誰も居ない。

「朝寝坊、したみたい。」

 はねた髪を整えた。



 家を出ると墓地が見え、ここで飼っているのか鶏が歩き回って鳴いている。雪に残る足跡を追うと昨夜の女性が墓地の一画を何か所も掘り返していた。

「掘ったら掘った、たくさん掘ったら儲かるよ、っと。」

「これだけの穴に誰が入るの?」

 ティセが声を掛けると女性は驚いた様子でゆっくり振り返る。

「ど、どなた?」

「どなたって、あなたが家で休ませてくれた…」

「あー、あれは夜深の幻では無かったのか。墓地を横切る生者なんて灰で汚れた欲深い盗掘人と春の温かさに浮かれた魔女ぐらいのモノで、後は亡者が歩くだけなのに。」 

 女性は大きく息を吐くと、スキットルを取り出し中身を飲む。

「灰かぶりでも魔女でもない。わたしはティセ。」

「ネーテ・ラムセキ、だ。でー、ティセ。良い所に来たじゃあないか。一宿一飯の恩義を返す時だぞ。」

「それには一飯足りないけど。」

「後でパンでも焼いてやるか。けど眠りは足りてるな。」

 ネーテが自分の髪を触って見せる。ティセにまだ寝癖が付いていたらしい。

「助けてくれた分は返すわ。」

「まだまだ墓を掘らないといけない。これから忙しくなるんだ。少し休んだからって罰を当てないでくれよ。」

 ネーテはティセにシャベルを渡すと自分の掘った穴の中でスキットルの口をちびちびと舐めていた。



 ティセ、居間の机に伏せている。

「ほん。」

 ネーテが目の前にコップを置く。

「恩が足りなくて働けないとは、この腹ぺこちゃんめ。」

「夜通し歩いていたから。これお酒?」

 飲み物は発酵した甘い香りがして細かな泡がぽつぽつと浮いてくる。

「そう嗅ぐなよ。酒がいいか?」

 ネーテが何故か嬉しそうに尋ねる。

「飲めない歳よ。」

「そうかい。」

 ネーテがふらっと廊下の奥へ消える。ティセが起きて来たのとは反対側、家の中心の煉瓦の暖炉を取り巻く様に左右対称の廊下とこの居間がある。

 ティセはコップの中身を飲み干してネーテの様子を見に行く。閉じた暖炉の焚口、その正面の台所でネーテがパンの生地を作っている。

「おかわりか?」

 壺の中身を柄杓で掬ったネーテが尋ねる。首を振って否定すると、彼女はそれを生地を捏ねている鉢に入れる。

「何か、手伝う?」

「いや無い。あ、窯に火を入れてくれ。」

 ティセが頷き台所を離れるとネーテは柄杓に掬った物を口にした。


 台所から見えない廊下で火打ち石を使う。慣れない手付きで鋼を擦るも火花は出ない。顔を顰めて勢いを付けた所、爪にぶつけて血が滲みじわじわと拡がった。



 パンの焼ける匂いの中、机で眠ったネーテが唸っている。

「ねぇ。焼けたみたい。」

 肩を揺すって起こす。

「うぐぅ。焼けたかどうだか食べてみなよ。」

「声が変。」

 ネーテのえがらっぽい声を指摘して、窯から天板を取り出す。パンの膨らみは少ないがしっかりと焼けている。

「どいて。」

 机に天板を置こうとするとネーテは廊下の奥に消え、パンが程良く冷めた頃に酒瓶を手に戻ってきた。

「食べないの?」

「ああ。こっちの方が調子がいいんだ。ほら、食べ食べ。」

「焼きたてなのに。」

「はぁーあ。好きで飲んでんの。今はウチの家なんだ、勝手にさせてもらうから。」

 ティセ、ネーテをじっと見つめてパンを飲み込む。

「明日、早い? 墓掘り、するんでしょ。」

「夜は長いのに明日の事なんて考えたくもない。」

 その日はそれ以上言葉を交さず長い夜とやらは過ぎた。




 早朝、居間で酔い潰れていたネーテと共に外に出る。

「ほら、軒下に氷柱が出来てるだろ。」

 ネーテが氷柱を折って酒の入ったコップに入れる。

「これをガンガンに火を焚いた暖炉の前で飲むんだ。ティサもやる?」

「鳥の糞と煤の混ざった味がするのでしょう。」

「うげぇ。明日からは酒瓶を雪に埋めとくか。」

 酒を捨てて家中に戻る。

「はぁ、雪が酒なんて飲んじゃってもったいない。なんか代りの酒を持って来てくれよ。」

「自分でしたら?」

「父母の寝室の奥にある小部屋に隠してあるのだよ。」

 ネーテは机に突っ伏すと立てた親指で行けと手振りして、ティセは仕方なく従った。


 その寝室はティセの目覚めた部屋とは違い生活感のある匂いがする。玉簾の奥にある扉を開けると、高い所に円い小窓が一つある部屋の壁一面を無数の酒瓶が埋め尽くしていた。

「どうだい、この憐れな蒐集の賜物は。」

 いつの間にか背後に居たネーテがティセを押しのけ入ってくる。

「これだよ。こんなにも秘し隠していたのだ。何年も何十年も溜め込んで、初めて酌を交した日にも秘密だった。自分一人で賞玩したかったのだろう。」

 ネーテ、棚から酒瓶を取る。

「でも、そうはいかない。」

 ネーテはキュポンと蓋を開けると酒の匂いを嗅いでいた。



 この日も墓を掘った。掘っては酒を舐めるネーテから離れ、穴を掘った。

 墓穴を一つ。ここで誰かが眠るのだろう。



 夜更けに物音がして居間に出ると机にはコップだけが転がっていた。ティセは外套を着て外に出た。

 星明りの墓地でネーテを探す。

「こうも天気なら進めばよかった。墓を掘っても死人がひとりでに歩いて来たりしないのよ。」

 穴だらけになった墓地の一画、ティセの掘った穴から首を出してネーテが寝そべっている。

「風邪、引くよ。」

「体がぽかぽか、星はきらきらだ。」

「あなたの為に掘ったんじゃない。」

 足で土を掛ける。

「そのまま布団を掛けて子守唄を歌ってくれよ。ママ。」

 ティセは地面に突き立ててあったシャベルを手に取る。

「お仕事ですか? お墓は良いですよ。商売や演劇には流行り廃りが在るけども、人はいつでも死ぬ。あっはっは!」

 自分の言葉で大笑いして、抱えている酒を飲む。そんなネーテにティセは土を被せ続けた。




 早朝の墓場。土から出たネーテの首の前に無数の酒瓶が置かれている。そこにティセが酒瓶を手にして立つ。

「うぅん。ティ、ズ?」

 ティセは力を込め、透明な酒の入った瓶の栓を抜く。

「なんでか埋まっているし。鼻の中は凍って、とても寒い。助けてくれ。」

 ティセは瓶を口に当て、傾ける。

「おい、その酒は駄目だ。なに零してるんだ! おぶっ…」

 酒を浴びせて黙らせる。目を半開きにして口をパクパクとさせるネーテを見てティセは酒瓶を振りかぶる。

「はっ、はぁはぁ。なに…する、やめろっ!」

 制止の言葉より先に近くの墓石に投げつけた。ガラスの瓶は砕け散り中身をぶちまける。

悲鳴を上げ土中で藻掻くネーテに酒を掛けては瓶を割る。最後には土から這い出そうなネーテを後目に、地面の酒瓶を蹴散らしリュックを掴むと、真っ直ぐな道を墓地の外へ走り去った。






 


 道沿いの防風林の向こうに夕日が沈み、反対側の雪の連峰を染めている。ティセは道を外れ、山裾へと吹き下ろす風から隠れられる様な岩陰に天幕を張った。


 眠っていると大気の震えに目を覚ます。天幕が碧い光に靡き、まるで水底に沈んで見上げたよう。天幕から抜け出し、岩の上に登ると、高い夜空に緑の光が波打っていた。

「いつからそこで揺れていたのか。前にも見た、気付いていたはず。」

 緑の極光が広大な夜空を覆っていき、遠くの低くなった稜線からは夜雲に赤い光が湧き上がる。

「まだ日の出には早いのに…早いのに。」

 少女は異様な光の下で立ち尽くしていた。




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