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雪の道へと  作者: 雨慮
5/12

雪の道へと5



 山の斜面で雪を乗せた茂みを鏃が狙う。茂みが揺れ、現れた獲物に矢が放たれた。ガンッと思わぬ音が響き標的が倒れ込む。狩人は自らの過ちに気付いて慌てて駆け出した。



「本っ当にごめんなさい!」

 赤毛の女狩人は獲物の無事を確認して深々と頭を下げる。獲物、もといティセは無言でリュックに突き刺さった矢に触れる。

「まさか、こんな山奥に人が来るなんて思いもしなくて。」

 矢はリュックを突き破り、鍋の蓋に穴を空けている。

「あはは…。あ、あたしが取るよ。」

「いい。自分で取る。」

「先が尖っていて危ないからさ…あっ!」

 ティセが刺さっていた矢を折ると彼女は声を上げた。

「あちゃー。折れちゃった。」

「折ったの。」

「そ、そうなんだ。あぁ、鏃は返して。」

「駄目だった?」

 リュックから出した鍋の中に折れた矢の先が転がっている。

「壊れる時には壊れる物だけど、折るのはね。でも今日がその時だったのかも。」

 彼女は二つに折れた矢を矢筒に入れる。

「ごめん、あたしが悪いのに。で、君は迷子とか?」

「違う。狐や狸でもない。」

「いやぁ帽子がそういう風に見えてさ。えっと、旅? お仲間は?」

「一人。北へ行くの。」

「へぇー。じゃあ、気を付けてね。」

 二人の間に沈黙が流れる。ティセは鍋蓋に空いた穴から狩人を覗く。

「町はどっち?」

「どこの?」

「近くの。」

「近くに町なんて無いけど。やっぱり迷ってる?」

 ティセは蓋を持った手を下ろして答える。

「知っている道なんて無いもの。」

「そっ…か。じゃあ家に来る? 道、教えてあげられるし。」

 狩人はティセを家に招く事にした。



 山に鎮座する巨大な岩の窪みに丸太の壁が張り合わされている。そんな狩人の家の室内は岩と丸太の壁に明るい色の塗装がされて横長に奥の扉まで伸びていた。

「えーと、どこだっけ。お茶ー。」

「お構いなく。」

 入ってすぐの丸太側の窓の下には机と椅子があり、中央にストーブ、その奥の棚を彼女は探している。岩壁側にはくたびれたソファ、床には毛皮が敷いてある。

 彼女の探し物に待ちかねたティセはソファに座る。結局探し物は見つからず、彼女はストーブの上の薬缶の中身をそのままマグに注いでいる。

「あたしはレーラ。えっと、よろしく。」

「ティセ。動物じゃない。」

 靴先で床の毛皮をめくる。レーラは苦笑いしてティセにマグを渡す。マグに入った湯冷ましを啜り、沈黙が流れた。



 夕陽が机の上で矢を作るレーラを包んで逆光の中に影を落とす。ティセは横たわっていた体を起こしてソファに座り直す。

「ぐっすりだったね。疲れてた?」

「寝てない。寝てないよ。」

「えぇー…」

 レーラは喋りながら手を動かし矢柄に羽を付けている。ティセは立ち上がり、いつの間にか椅子の上に置いてあったリュックを手に取る。

「あのさ、泊っていかない?」

 矢を一つ完成させ、レーラが訊く。

「山を下りる道は?」

「いや、今から行くと真っ暗になるからさ。明日、教えるよ。」

「そんなに掛かるの?」

「うん。途中に集落があったけど、もう誰も居ないし…もし泊っていくなら、お肉、食べさせてあげる。」

 彼女は声を上擦らせながらティセの顔を覗いてくる。

「鍋の穴。」

「え?」

「蓋の穴。まだ塞いで貰って無かったから。」

 ティセはリュックを除けて椅子に座った。



 椀に入ったスープに薄く切られた干し肉が浮かんでいる。ティセは椀を目の前まで持っていき、浮かぶ肉を凝視する。

「…薄い。」

「味、薄かった?」

「まだ飲んでない。」

 ティセはスープに口を付ける。薄くとも確かに肉の出汁が出ているのを感じる。

「この鍋調子いいね。穴があっても問題なさそう。」

 机の向かいでレーラが冗談を飛ばす。

「塞いで。」

「はい。後で直します。」

 ティセの鍋がストーブの上で蓋の穴から湯気を噴き出す。レーラはそれを見て何が楽しいのか喜色を浮かべていた。



 的の描かれた袋を鏃が狙う。寸前、矢先がぶれ、放たれた矢は袋をぶら下げていたロープを掠めて岩壁で跳ね返った。

「惜しい~。射る瞬間に力が入ったね。」

 レーラは椅子に腰掛け奥の扉の前で弓を持つティセを励ます。

「もう一回もう一回。肩が下がらないようにね。」

 ティセは弓を引くのをやめてレーラを見る。

「蓋、直して。」

「あぁー、そうだった。やってみよう。」

 彼女はそう言って床にランプを置いて座り、鍋蓋に空いた穴をじっくりと観察し始めた。ティセの手元もランプで照らされ、日中にレーラが持っていたのとは違う小さめの弓に彼女の名前が彫ってあるのが見える。

「どうしたの? こっちは気にしないで、練習してて。」

「うん。」

 作り立ての矢を番え的を狙う。

 カン、カン、カン、と金槌で蓋を叩く音がして一矢射る。外れ。

 カン、カン、カン、また三度槌音が響いて一矢射る。また外れ。

 ガン、キン、「あっ」、鈍い槌音が声に変り一矢射る。中り、袋が揺れる。

「…やった。」

 ティセはレーラを見て低い声で言う。レーラは蓋を隠して的の方に目を背けている。

「や、やったね。名手になれそう。」

「でも狙う獲物は選ぶわ。」

「よーし、勝負しよう。あたし一点、ティセは二点で。」

 レーラは立ち上がって自分の弓を取る。場所を代わったティセが鍋蓋を確認すると穴の捲れ上がった所が欠けているようだった。ティセは蓋を手に持ち勝負を受ける。

「いいよ。的はこれがいい?」




 所々に雪が積もった山中で、いつもの外套は脱ぎ手袋をはめた手で弓を引く。狙う先には鳥。矢を放つもずっと手前の木に命中した。

「あれ、失敗したね。もっとこうやって…」

 レーラが背中に張り付いてきて弓の構えを教える。

翌朝になり、せっかく練習したのだからとティセを狩りに誘ったのだ。

「んうっ。」

 ティセは小さく唸って肩を揺すり、くっつくレーラを振り解く。

「そ、そんなに嫌わなくてもいいのに。ま、見てて。」

 言うや否や彼女は矢を番えて弓を引く。滑らかな動作、整った呼吸、目を細めて矢を放つ。

〈羽音〉

 矢は外れ、鳥が飛び立つ。

「あぁー!まただ。恥ずかしい。」

「昨日は外さなかったのに。」

「動かない的とは違うから。風もあるし。だけど調子悪いなぁ。」



 狩りが成果を出さぬまま時が経ち、山の中腹まで下りた森の中でティセは枯れた針葉の木を見上げる。

「どうしたの? 何か居た?」

「村はどっちなの。」

「えっと、こっちじゃないね。」

 歩き出すレーラを追う。

「ティセはどんな所に住んでいたの?」

「こんな所。山の中。」

「へぇ。じゃあ町とかは? 行った事ある?」

「町にも住んでいたわ。」

「そ、そう。どっちが好きだった?」

 問いから少し間が空いた。レーラが振り返らんとする。

「分かんない。」

 レーラはすぐに向き直る。

「分かんない、か。」

 沈黙。歩き続けて地面が盛り上がった明るい場所に出た。

「良い天気だね。あ…。」

 歩いてきたティセの視線にレーラは言い淀む。

「あそこ。」

「へ?」

 地面が少し下がった木立の中に尻を向けた兎が居る。

「お誂え向きだ。仕留めちゃえ。」

 レーラはティセの背を叩いた。袋の的より距離はあるが上から狙える。矢を番え、一歩静かに前へ出て弓を引き、鏃の先で狙いを付ける。張り詰めた弦、背中に響いた硬い衝撃、床に積まれた毛皮。今、兎の黒い目が見えた。 

 矢が風を切り、兎の足に突き刺さる。

「いけない。」

 声がして、逃げようとする兎をもう一つの矢が的確に射止めた。二本の矢が刺さった兎は地面で沈黙し、レーラはそれを凛とした眼で見送っていた。



 薄い氷が浮んだ泉で汗を拭く。腕捲りをして靴を履いていると、レーラが仕留めた兎を持って話しかける。

「へへっ、これから捌くよ。」

「…うん。」

「これはティセの獲物だからね。」

 ティセは手足の裾を捲ったまま家の方へ駆け出す。

「あはは…子供は風の子かな。」


 くたびれたオンボロのソファに横たわる。

黒いストーブ、机を挟んで向かい合う椅子。身体が沈んでいく。

穴の開いたリュック、床に積まれた毛皮に触れる。意識が沈んでいく。



 空の群青が深まり、焚き木の赤橙を肉の入った鉄鍋が抑えつける。その様子をティセは少し離れて見つめていた。

「実は最近、弓の調子が悪くてさ。新鮮なのは食べてないんだ。」

 火に掛かる鉄格子の上で鉄鍋に入った肉が焼けるのを、レーラは手作りの椅子に座って見ている。

「良い匂いがしてきた。肉と香草の香り。」

「釣られて熊でも出てきそう。」

「この辺じゃ熊は見ないけど、ティセが釣られたね。」

 漂っていた煙が風に流れた。

「あのさ、明日はどうする? このまま居ても…」

「釣られたわけじゃない。明日は此処に居ないわ。」

「そっかあ。じゃあ肉、お肉をたくさん食べてゆっくりしていってね。」

 レーラが肉を裏返す。焼き上がる頃には辺りが暗くなったが、焚き木の火が収まるまでは寒空の下で肉を食べた。



 ティセ、ストーブの前でリュックの穴をちくちくと縫っている。

「食べ過ぎた。ティセが最初、遠慮するから。」

「こんな風に穴が空いていたら、そこから裂けてたかも。」

「いやぁ。やらせちゃって、ごめん。矢とか罠は作れるから細かい作業が苦手って訳でも無いのだけど。」

 ちくちく穴を塞ぐ。

「住んでいた町ってどんなだった?」

「村と変わらない。知らない人が多いだけ。」

「あたしの行った町の記憶はお祭りをしていて、ただ眺めるだけだった。露店でパパに何かの飾りを買ってもらって。そっか、全部知らない人だったんだ。」

 レーラがランプを持ち、奥の扉を開け入っていく。ティセは縫う手を止めて中を窺う。

「何があるの?」

「いつもは肉とかを吊るしてあるのだけど…恥ずかしながら今は何も無いや。」

 扉の奥は自然なままの洞穴で、床板を張った居住の空間と同程度の長さがあった。最奥の広くなった空間で膝を付くレーラをランプの灯りが包んでいる。ティセが奥まで進むとレーラの前には箱が置かれ、壁には猟銃が立て掛けてあるのが見える。

「それ、使えばいいのに。」

「だって、あたしのじゃないから。」

 箱を覗くと幾つもの折れた矢が入っていた。

「明日はこれを供養するから、よかったらそれだけ付き合ってくれる?」

「矢を?」

「うん。燃やすだけなのだけど出来てなくって。」

「いいよ。」

 そう言って振り返った扉のずっと向こうに的が見える。

「子供の頃にここから的当てして怒られたよ。向こうからこっちのぶら下がった肉を的にした時はもう大変だった。」

 思い出を語る彼女は明るく笑っていた。



 朝の強い冷え込みの中、高台に登って石の前で矢を燃やすと彼女は長い間祈っていた。




 山腹の廃れた集落の辻でレーラが立ち止まる。

「こっちに下ると町へ行ける。北へ行くなら崖の道が早い。どっちにする?」

 ティセは地図とコンパスを懐から出して詳しい道を訊く。

「町へ行くと遠回りかな。北の道はほら、あの岩山の切り立った一本道だから迷わないと思う。」

「町へは迷うの?」

「いや、きっと迷わないよ。」

「崖沿いに行く。」

「うん、道まで送るよ。」

 


 山肌に沿って岨道が続いているのが見える。

「えっと、弓をあげる。矢筒もこれを…」

「いらない。」

 ティセは身に着けている物をくれようとするレーラから遠ざかる。

「他には、うーんと…」

「干し肉だけで十分。」

「毛皮があった。昨日、仕留めた奴じゃないけど。」

 レーラが押し付けてくる毛皮を受け取る。

「帽子に穴が空いたら、これで直す。」

「そんな事をするのはあたしぐらいだって。んじゃ、ここでお別れ。ありがとね。」

「あ…」

 少し口を開くも一度目を伏せ、またレーラを上目遣いに見る。

「さよなら、レーラ。」

 最後にレーラは片目を瞑り、歯を見せた。

ティセは道を向くと風に目を細めながら歩いていった。

 





 風雪を避け、懸崖の深い裂け目に身を隠した。

天井は見上げるほど高く奥まで光が届かない。風雪が止むのを待つ内、奥の闇に溶け込んだ。入口の上部では氷柱が育っている。そのまま見上げていくと天井の闇に黒い何かが居た。見ている内に目が慣れて羽の乱れた鳥だと分かるが、闇の中では只々不気味だった。


 目を閉じていた。ぞろぞろと靴音の小隊が近付き、窟屋の前を過ぎていく。闇の中の鳥は死んでいるかのように乱れた羽の一つも変わっていない。

 その時、誰かが窟屋の中を覗いてきた。咄嗟に目を閉じ薄目を開けると窟屋の前で二人の男が話していた。突然ガャーとしゃがれた声で鳥が鳴くと驚く二人の足元に氷柱が落ちた。二人は顔を見合わせ遠のく靴音の小隊を追いかけて行った。

 ティセは頭を下げて静かに入口へと進む。砕けた氷柱を見て鳥の居る天井を見上げ「鳴かないでね」と小声で言って氷柱の真下を跳び越えた。風雪は止んでいる。暗中の鳥の姿はもう目に映らない。




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