雪の道へと3
夜の山小屋に二人の男が入ってくる。一人は悪態を吐き、もう一人は言い訳をしている様だ。
「まーた、おめぇに振り回されて、えれぇ目にあったぜ。」
「なんだよー。ほんとに山小屋だってあったんだから、褒めてくれたって良いだろ。」
二人は暗い中で物にぶつかりながら小屋の奥まで進む。
「おめぇがしっかり場所を覚えてさえいりゃ、こんな夜中になる事はなかったんだ。」
「あんちゃんが俺の言う事を信じてくれないから遅くなったんだよ。途中で引き返したりしてさ。」
「あぁあ、今日はなんも良い事がねえぜ。収獲もねえしよ。」
悪態の男がどさりと腰を下ろす音がする。
「でも今日は雨風をしのげる所で寝られるんだよ。誰のおかげだと思う?」
ゴーゴーといびきが返る。
「壁も屋根もあるぜ、良い所だなぁ。でも腹が減った。」
「ごちゃごちゃ言ってるから腹が減るんだ。さっさと寝ろ。」
「やっぱり狸寝入りか。ああ、でも仕方無いから俺も寝よう。」
言い訳の男もどさっと寝転んだようだ。
「おいっ、寄んな。」
「寒いんだよ。」
しばらく押し合ったりしていたようだが、いびきの音が聞こえてきた。
「あんちゃん、もう寝たの。」
小屋の二階にもしっかりと聞こえてくるいびきに、ティセは「うるさい」と呟く。
「そうだよ。うるさいんだよ。だからいつもは先に寝る…あんちゃんあんちゃんあんちゃんっ。」
言い訳男が急に怯えだす。
「起きてよ。いま幽霊みたいなか細い声がしてさ。ねぇ!」
いびきはますます大きくなる。
「あぁ、良い所だと思ったのに。いや、良い所だから幽霊も居るんだな。俺は静かにしているからさ、呪うならあんちゃんにしてくれよ。」
それきり言い訳男は黙り、悪態男のいびきだけが聞こえる。いびき男だ。
ティセは諦めて目を瞑った。
朝から怪しい雲行きになり、ティセは小屋の半二階で朝食を食べていた。そこに大きな伸びをして、いびき男が目を覚ました。
「んあー、んー。おい、ブカぁ。起きろ、朝だぞ。」
バンバンと叩く音がするが、言い訳男はもにょもにょと言うだけ。
「さっさと起きろ、置いてくぞ。」
ぺちぺちと顔を叩く音がして、やっと言い訳男も目を覚ます。
「おはよ。あんちゃん、まだ生きてる。良かったね。」
「何寝ぼけてんだ。オレに死んで欲しいのかよ。」
「違うよ。あんちゃんがいびきかいて寝てたら幽霊が出て来て。うるさい、呪ってやるぞ~って。」
「なんっだよ、おめぇ。そんなにオレのいびきがうるさいか? あぁ?」
「いや、ほんとだよ。あれはこの世の物とは思えない声だったね。」
「黙れ、とっとと行くぞ。」
「でも腹が減ったよ。」
「それで山賊共にでも先を越されたら食いっ逸れて野垂れ死だ。」
「なんだか良い匂いしない?」
「おめぇな…確かになんか匂うな。」
二人は小屋の半二階を見上げる。そこには俯きカチャカチャと鍋をつつく白髪が居た。
「出ぇたあああ!?」
言い訳男が大声で叫び、いびき男は外に逃げ出す。腰抜けの男達だ。
「なぁ、嬢ちゃん。何を食べているんだい。」
暫くの後、いびき搔きの腰抜け男は何事も無かった様にティセに話しかける。
「何か言いなよ、ほら。下りてきな。」
腰抜け男の横で言い訳男がしゃがんで笑い声を漏らしている。
「あぁおかしい。あんちゃん、あんなにビビっちゃってさ。」
「おめぇが脅かすからだ。」
「だってほんとに幽霊かと思うよ。老婆みたいな白い髪でさ。」
「バカ! せっかくオレが打ち解けようとしてるんだ。ほら、そっぽ向いちまったじゃあねえかよ。」
「えー、俺のせい?」
「いいか、あの年頃の娘は繊細なんだよ。よし、俺が気を引くから、お前はそーっと階段から行って取り押さえてこい。」
「んぅ、分かった。」
二人は小声になって指示を確認すると、目配せで動き出す。
「嬢ちゃん、今のはあいつが悪かった。謝るからこっちを向いて。」
階下にちらっと目をやると、腰抜け男がにかっと笑う。目を背けると階段を登ろうとしていた言い訳男と目が合った。
「ハ、ハーイ…」
言い訳男が手を振る。ティセは立ち上がろうとして積んであった木箱に頭をぶつけ、ぐらついた木箱は階段の言い訳男を巻き込み転がり落ちた。
「おい、ブカ。怪我ねえか?」
「平気?」
ティセも男に小さく声を掛ける。
「痛ってぇ。あら、膝の所に穴が開いちゃった。」
「そりゃ元からだろ。それよりあのガキやりやがったぞ。」
「今のは事故みたいなもんだよ。気にしてないよ。」
「おめぇは頭は悪いクセに、人が良いからダメなんだ。」
「でも、頭を下げてお願いしたら鍋を渡してくれるかもよ。」
「そんなことできるか。」
「じゃあ俺がやるからさ、それでくれてもあんちゃんは食べたらダメだよ。」
ティセ、鍋を持って立ち上がる。
「おっ、嬢ちゃん気が利くな。俺たち腹が減ってんだ、だから少し鍋の中身を分けてくれないか? 頼むよ、このとおり。」
「あっ、ずるいや。」
手を擦り合わせて頭を下げる腰抜け男を見て鍋を遠ざける。
「おい、こっちに寄越せ。待て、放ろうとするな。話をしよう、な?」
鍋を手摺に置く。
「下から手が届くからゆっくり下ろせ。」
ティセは両手で持った鍋を手摺の向こう側へ下ろす。
「ほら、もうちょっとだ。」
「落とす?」
「落とすな!」
「あんちゃん、俺が取るよ。」
「さわるな!」
つま先立ちで腕を伸ばした腰抜け男の手が鍋に触れる。
「熱いよ。」
「え、あっつ、あっちぃえっ!」
腰抜け男が鍋を掴んだ瞬間、ティセが声を掛けると男は掴んだ鍋を小さく放り上げて、ひっくり返る。
「あんちゃん危ない!」
降ってくる鍋を言い訳男が掴む。
「あっつい、あっつい。あっつく…あんまり熱くないよ、あんちゃん。」
言い訳男は床に転がる腰抜け男に笑いかけた。
「んぅ、まだ付いて来るよ。」
「そうかよ。」
山中を進む二人の男に少女が少し遅れて付いて行く。眼下に集落が見えると男達は早足になり、ティセから見えなくなる。ティセが集落の開けた場所に出ると二人が待ち構えていた。
「なぁ、なんで付いてきた。」
ティセは答えず先へ進もうとする。
「待ちなよ。」
二人が立ち塞がるとティセは足を止め、辺りの地面を見渡す。
「嬢ちゃんには手を出さないよ。ウロチョロせずにここに居ろよ。な?」
腰抜け男がしゃがんでティセに話しかける。
「返してくれる?」
「何を? 食ったもんなら戻らねえぞ。」
「ねえ、お嬢ちゃん。そのリュックの中に食べる物は無いの?」
言い訳男の問いに頷くと腰抜け男は「ふん」と言って背を向ける。
「それで、してやったから返せってか。このガキ。」
「ティセ。この腰抜け男。」
突然の名乗りからの暴言に腰抜け男は目を丸くして振り返る。
「なんつった?」
「あはは。腰抜けだってよ。あんちゃんのビビりがバレてんの。」
「誰がビビりだ。じゃあこいつはなんだ。間抜けか役立たずか?」
「…言い訳男。」
「はー、ピッタリだな、オイ。言い訳男だってよ。」
言い訳男は拗ねたように座り込むと尻を付いて体を揺する。
「マヌケで役立たずか。あんちゃんは俺の事そう思っていたんだ。」
「おう、そうだよ。いじけんな。」
腰抜け男は言い訳男を押し転がして集落の中へ歩き出した。
集落の家の前で男達がこそこそと話している。
「あんちゃん、どうするの。」
「付いてきたから何だってんだ。」
「泥棒するのを子供に見られるのは嫌だなぁ。」
「子供だから良いんだろ。大人に見られたら事だぜ。」
「んぅ、じゃあいつも通りやればいいのね。」
「あぁ、それでいい。」
言うと腰抜け男は玄関の戸を叩き大声で中へ呼びかける。
「おーい兄弟、居るかー。居ねえな。もしかしたら裏に居るかもしれねえ。ちょっと待ってろよ。」
「あんちゃん?」
腰抜け男が家の裏に消えると微かにガラスの割れる様な音がして、暫く経つと、鍵の開く音がして玄関の戸が開いた。
「兄弟のやつ居ねえけど上がれよ。」
「あんちゃん、何やってんの。」
「うるせえ、おめぇは台所で茶を淹れてこい。後は分かるな。」
「あー、うん、そゆこと? 分かったよ。」
「ほら、嬢ちゃんはこっちだ。自分の家だと思って寛ぎなさい。」
促されて家に入る。狭い廊下、暖炉の前の安楽椅子にどことなく暮らしていた家を思い出す。
「いいか、この部屋から出るなよ。」
振り向いて男を見る。
「なんだよ。嫌なのか?」
「腰抜けの…」
「いいか、人を呼ぶのにそんな言葉を使ったらいけません。オレの名前はアジナだ。分かったな。」
「おじさんの手伝いぐらい、できるよ。」
「は、はぁ? 誰がおじさんだって!? オレはまだ二十七だぞ。」
「あんちゃん、お茶無かったよ。」
言い訳男が部屋に入ってきた。
「戸棚も見たんだろうな。」
「全部見たけど何も無かったよ。」
「そうか。それなら隣から借りてくるから、お前は嬢ちゃんとここで待ってろ。」
アジナが外に出る。
「行っちゃった。ティセちゃん? あんちゃんが待ってろって。」
「皆で行った方が早い。」
「そんな事ないよ。」
「何軒も探すのに?」
言い訳男を放って外に出ると、アジナが引き返して来る。
「待ってろって言っただろ。」
「あんちゃん、この子もう気付いているよ。」
「…そうかよ。」
「失敗だね。お・じ・さ・ん。」
「おめぇ、聞いてたのか。」
「大声で怒鳴ってたじゃない。」
ティセは二人のやり取りを無視して横を通り過ぎる。
「おい勝手に行くな。いいか。オレはアジナ、こいつはマヌケだ。」
「あー! そんな風に人を呼んじゃあダメだよー。」
三人は食料どころか一匙分の茶葉すら見つけられず、引き返した山道で朽ちかけの屋敷を見つけた。
「小屋に戻るつもりがどこで道を間違えたのか、ボロ屋敷になっちまった。やっぱあの小屋には幽霊が居て、ぼろ屋敷をきれいに見せていたんだ。」
「やめろ。大体気に入ってたのはおめぇだけできれいでも何でも無かっただろ。」
「それで中に入った人から色々と巻き上げるんだ。俺たちからは巻き上げる物が無かったみたいだけど。」
「止せ、そんな話は。」
ブカを屋敷に押し込む。
「乱暴だなぁ。床板がきれいに無くなってなかったら怪我してるよ。」
「こりゃ何にも無さそうだ。あのガキが現れてから良い事無いぜ。あいつ、どこ行った。」
「ティセちゃんならこっちの壁の穴から見えるぜ。おーい! なんかあったー?。」
20メートル程離れた、荒れた畑で少女が何かを掘り出している。
「ありゃ野菜か?」
二人は屋敷を出て、それが芋やカブだと分かる。歓喜してぬかるんだ畑へ向かう男達の後ろでメキメキと不穏な音がして二人が振り向くと、崩れる屋敷の塵埃に襲われた。
細かな雪が降ってきた。伏せていた男達は全身を真っ黒にして立ち上がり、くしゃみをした。
山小屋の土間に火を熾して三人で鍋を囲んでいる。
「まだだ。まだだ。」
ブカが鍋にスプーンを突っ込もうとするのをアジナが止める。
「まだだ。お前もか。しつこいぞ。」
ティセも鍋に手を伸ばしたが払い除けられる。
「でも、ティセちゃんのおかげで食べる物が見つかってよかったね」
「はっ。俺たちは道に迷って、真っ黒になって、野菜と一緒に冷たい川で汚れを落とす羽目になったてのに。」
「良かったじゃない。元から臭かったし。」
「お前もな。」
鍋が煮え、アジナは縁の欠けたお椀にスープをよそいティセに渡す。
「お椀が二つしかねぇからおめぇはさっさと食えよ。」
もう一つをブカに渡しながら言う。
「あんちゃん面倒見が良いだろ。これでも子持ちだから。」
「余計な事言わずに食えよ。」
「ティセちゃんよりは小さいかな。あれ?これ野菜の根っこのトコばっかじゃん。」
「おめぇはそれで十分だろ。さっさと寄こせ。」
お椀を奪われそうになったブカは残っていた中身を一気に搔込む。
「無理に取るなよ、どろぼー。」
「言われなくてもね、俺たちは泥棒なの。」
「泥棒なの?」
ティセは上目で二人を見る。
「そうだよ。嬢ちゃんも畑泥棒したんだ。今日から泥棒さ。」
「借りただけ。」
「同じ事だ。」
「返す気はある?」
「返せる物なんて無いさ。」
「わたしは―」
ティセの目が真っ直ぐに男を捉える。ブカは兄貴分にちょっかいを出している。
「―借りたままなんて、嫌。」
アジナ、席を立ち小屋の外に出る。
「行っちゃった。今の内だな。」
ブカがお椀いっぱいにスープを入れてズルズルと音を立てて食べる。
「うめぇや。ほら、あんなあんちゃんに残して置く事なんてないんだから。」
「そう。」
「ティセちゃんは、どこに行こうとしているの?」
「北に友達が居るの。」
「北かぁ、これから寒くなるのにね。でも友達のためだなんて、俺たちの大兄貴も仲間は大事にしろって。だからあんちゃんとここまでやって来たんだ。」
「ブカ君は、どこへ?」
「さぁ? でも子供一人じゃ心配だしよ、俺たちもう友達だから、一緒に行っていいかな。あんちゃんはあれで主体性無いから言ったら付いてくるよ。」
冷たい風を引き連れてアジナが戻ってくる。
「泣いてたの?」
「ウンコ行ってたんだよ!」
今度はブカがスープをよそう。
「ティセちゃん友達に会いに行くんだって。俺たちも一緒に行こうよ。」
「おめぇは勝手にすりゃいいだろ。」
「うん、勝手にするよ。」
騒々しさに疲れて一日を終える。
ティセ、小屋の外でアジナと朝食の準備をしている。
「ナイフをはこう握るんだ。怪我するぞ。」
添えてきた手を嫌がる。そこに水を汲みに行っていたブカが慌てた様子で戻ってきた。
「あんちゃん、大変だよ。」
「川が干上がってでもいたか。」
二人は肩を組んで小屋の裏に消えた。
その間もティセは野菜を切って鍋に入れる。切れ端は地面に落としながら。
「熊が出た。食うのは山を下りてからにしろ。」
戻って来たアジナは有無を言わさず野菜の入った鍋をティセのリュックに押し込む。
「昨日の集落は避けて東の谷に下りろ。川があるから渡れそうなら渡ってしまえ。」
「どんな川?」
「大きい川だよ。地図があるの? えーとね、あんちゃん俺たち今どこに居るの。」
「知んねえよ。これだろ、地図で見ても大きな川だ。」
「二人は?」
「俺たちはちょっと話してくるよ。」
「あぁ、熊を追ってきた奴等とな。だから一人で行きな。」
背負わされようとしていたリュックを地面に置く。
「どうした。要らねえよ。食い物なら奴等が持ってるから。」
「それじゃ俺はこの小っちゃい芋っこをもらおう。」
「仕方ねえな。」
二人は貧相な野菜を一つずつ手に取るとティセにリュックを背負わせた。
「おら、さっさと行け。」
「元気でね、ティセちゃん。」
「…うん。」
別れを急かされ小屋を離れる。一人は追い払うように、一人は大きく手を振っていた。
山を下りながら地面に居た虫を意識と無意識の間で踏ん付けた。
浮かせた爪先の下に落ち葉が滑り落ちる。立ち止まって見た靴裏には変わらず泥がこびり付いていた。