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雪の道へと  作者: 雨慮
12/12

雪の道へと12




雲の隙間から光の梯子が降りている。


「天の梯子。でも、この光は眩しいだけで雪も溶かせないんだ、知ってる。」


大気の底。光が宙で弾かれている。


「光が空気の底に溜まって、不思議な白い輝きを放っている。」

「あの下には何があるのか…ううん、何も無い。無かったもの。」


陰った雪の丘を振り返ると歩いてきた跡がぐにゃりと曲がっている。


「どれほど回り道をしてきたの。歩こう、真っ直ぐじゃないけど。」


雲が切れて雪面の白が拡がる。


「世界が満ちていくよう。もう、いいのに。」


目線を上げると丘の上に樹氷を見つけた。


「樹氷が立ち並んでいる。大きい物と小さい物と、枝の先が融け合わさって、一つの生き物みたい。」

「あの不気味に毛を逆立てた氷像まであと50歩、100歩。ううん、もっと掛かる。」

「あそこまで行こうか。」


懐からコンパスを取り出す。


「凍ってる。針が同じ方角を指したまま動かない。」

「何もかも凍ってしまった。水も空気も、木も鉄も。この方位磁針も温めてやらないと凍り付いて動かない。」


ティセ歩き出す。


「あれが動き出したら、20歩?30歩? 逃げられないな。」

「初めは山を越えるのすら躊躇っていた? まだ霜を踏んだあの頃は。」


「村には何の意味も無い所に塀があった。」

「わたしの背丈程のその曲がりくねった塀は黒い汚れが流れて筋になっていた。」

「机には焦げ跡があった。熱い鍋を置いたから。」

「黒い輪っかになって、一番焦げた所は剥がれて穴が開いた。」

「寝台の梁に疵を付けた。木目に沿って、爪を突き立てた。」

 雪で覆われている丘に線を引く陰が現れる。

「雪の切れ目。その沢も凍っている。」

 リュックを先に渡し、段差を乗り越える。リュックを拾い上げる手に重ねた手袋の厚みを感じる。

「何を持って来なかったっけ。」

「何を持っていたっけ。」

「小さな汚い毛布。」

「壊れたピアノのキー。」

「クローゼットの誰も着ない服。」

「誰の物だったのかな。」

 軽く雪を蹴り上げる。

「窓枠の抜けた釘。」

「缶一杯になって捨てた木の実。」

「どこの物か分からない鍵。」

「引き出しの把手に出た錆を、」

「毎日磨いていた事をおじいさんは知らない。」

 樹氷が迫る。

「風は黙ったし。」

「影は持ち場を離れない。」

「ここには私一人だけ。」

「不気味に見えた獣も、静かに遠くを眺めている。」


 樹氷の間を抜けて、丘の上で立ち止まる。

「よく、見える。」

 黒い森が根付いた大地と、雲が自由に散逸したがる空とを分かちていた山々はここで終わり、遥かな地平線が見える。

「空と森とが繋がって、隔てる物は無くなった。」

 太陽が暈を纏って雲間に覗き、青く吸い込まれそうな天頂に虹の弧が現れる。

「でも、ちょっぴり眩しい。」

 空を見上げながら樹氷の陰に隠れると、眩い光の環は空に溶けていった。



 暫くの後、虹の弧が薄らぎ、ティセは何かに気付き声を漏らした。自由だった雲が纏まり太陽を隠すと、大地に落ちる影が移動する。

 ティセはその影の縁を指で追った。光は空に還り、雪の大地が枯れていく。

世界が落ち着きを取り戻す。


 ティセは落ち着きを取り戻した世界へと歩き出した。





 黒い雲が空を覆い、空気が濁ったように暗くなる。

 何も無い平野に円塔が見える。壁からは煙突が突き出し、空を染めているかの様な黒い煙を噴き出している。ティセは数段ある階段を上り、円塔の半開きになっていた扉を押し開ける。

 焦げた匂い。室内は真っ暗で、ストーブの小さな焚口でぱちぱちと燃え盛る炎だけでは、部屋を狭くさせている机の奥や高いのであろう天井はよく見えない。

 ティセは開けた扉に寄り掛かり、ズルズルとへたり込む。穴が開き、漏れ出す排煙で室内を汚すストーブの熱を浴びている内に意識が遠のく。

「誰だ! 何をしてる!」

 老婆のしゃがれ声に目を薄っすらと開ける。

「ごめんなさい。」小さな声で意味も無く謝る。

「覘いてみたって、ここには盗る様な物なんて無いだろう。出てお行き!」

「わたし、この火だけ借りたくて。」

「そこを退きな。」

「…」

「中に入りな。開けっ放しじゃあ雪が入る。」

 老婆がティセの足を跨いで家に入る。ティセも座ったまま体を引き摺り、扉が閉まる。

「何処から来た。」

「どこ…だったか、遠く。」

 眠たくなってくる。物音。老婆の声が一塊の音になる。


 体を揺すられている。気付くと目の前に蝋燭の小さな火があった。

「来い。」

 リュックの肩紐を外され、ストーブの前へ引っ張られる。

「温もったら、さっさと出てお行き。」

 老婆が机に蝋を垂らして蝋燭を置く。机にはそれまで無かった黒い塊の入った小瓶が置かれている。

「それは?」

「どれさ? こりゃ…ただの薬さ。」

「それを飲めば遠くまで歩いて行ける?」

「小娘に買える物じゃないよ。」

 老婆は小瓶を暗がりの棚に置く。

「お金なら有るわ。」

「この薬はお前には効きやしないよ。はぁ、もう薬を売るのもウンザリだ。」

「腐りもしない重たいお金なんて、持っていても荷物になるだけ。」

「そんなに金を捨てたいなら卜占でもしてやる。」

「もう、手遅れ。」

 老婆がストーブの近くの低い椅子に腰掛ける。

「でも…いいよ。」

「手を出しな。」

 ストーブの火の前で手が繋がる。

「何が分かるの? 道具も無しに。」

「道具は全部売っちまったが、あれは人を信じ込ませる為の目に映る影さ。こうして顔を見て手に触れてみれば十分だ。」

「わたしはシヴァスへ行ける?」

「もうすぐだ。森に入ると迷うから気を付けな。」

「なんで分かるの。」

「シヴァスはもう近くだと知っているからさ。ほら、道具を使うより信じられるだろう。」

 繋がった手が机の下で影になる。

「友達とは会える?」

「…お前の行く場所に必ず居る。」

「…ほんとに?」

「たとえ水晶玉があって、この火をどう映したって関係ないのだ。」

「もう何処へも行けそうにない。」

「お前はすぐ此処を出ていく。この手が温まればな。」

 ティセは自分の手を包む老婆の手を見る。

「信じられぬか。なら、こうしよう。」

 老婆は机の朽ちた所を剥ぎ取りストーブの火に放り入れた。赤橙色の炎がティセの顔を照らす。

「この燃え方は良い兆しだ。明日は暗くともその先は違ってくる。そうだろう?」

「そうね…熱いわ。」




 ティセ、振り返り円塔を見る。扉は既に閉められ、煙突が黒煙を弱々しく吐き出していた。


 老婆、暗がりの棚に向かって手を合わせる。

「おまえさん。わしらでは薬になる事は出来ないのだ。分かってやってくれ。」





何も見えない聞こえない、灰色の吹雪がやってきて。


吹雪の中、歩く。次第に灰色が濃くなって、

耳が聞こえない。猛吹雪の風の音も、襟巻で覆った息遣いも。


目を閉じて、歩く。先が見えない

吹雪の中、閉じ込められてしまった

歩いているのに変だなと


歩くのに足の感覚が要らないのにも慣れた

のは、気のせいで。森を避けて通って

も、雪の原は深くて

も、肩紐を掴んだ。足を上げる。


 靴先で雪を切って靴底で雪を踏み固める。

目を開けて、自分がどこに居るのか確かめる事をしない。


 暗澹。そして風雪の音が再び聴こえてきた。

うっすらと目を開く。目に映る景色はより暗い色の雪に掻き消されている。

その中に影が見えた。黒い雪がどれだけ吹雪こうが、その影は揺るがず、より深い闇を湛えて聳え立っていた。

 ティセは在りもしない感覚で歩幅を広げた。雪を掻き分け影の根本へ。

肩紐が千切れてリュックを引き摺る。這いずる腕が雪に飲まれる。それでも進んで、吹雪を遮るその巨木の陰に身を隠した。

 此処では吹雪が止んでいる。少し手前に置いてきたリュックまで這って行って手を伸ばし、取り出した鍋で木の側の雪を掘る。そうして出来た深い窪みに座り、最後に穴の開いた鍋蓋で雪の穴に蓋をした。



何も見えない、聞こえない。

零の世界がやって来て

やっと体を落ち着けた。


静かに、静かに息を抱き込め

長く、長く吐き出し、心を眠らせれば

後は雪が解けるまで

このままで―




 一点、暗中を覗く様に光の点が現れる


休みもせずに、今日もせっせと太陽が光の梯子を下ろしている。

暗い天井に穴を開けた一筋の光を行きかう煌き。

遠くから雪を蹴散らす新たな音色。

甲高い喇叭の祝福が近くで止んで、

この旅は、ここでお終い。




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― 新着の感想 ―
[良い点]  旅立ちにあたって、少女が拾い集めていたドングリの缶をひっくり返すシーンがありますよね。毎日ひとつずつ彼女が吟味して選んだドングリが、月明かりを受けた窓辺で散らばりゆくその響景には詩的で美…
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