雪の道へと10
ティセ、自分の服を着て自分が渡った物とは違う崩れた橋から足を投げ出して座っている。
「ここで何をしている。」
背後から男の声がする。
「ここは立ち入りを禁じている。危ないからな。」
「何でも無いよ。レナンくん。」
「…話は聞いた。遥々旅をして来たのだと。」
ティセは落ちている石を握る。
「山を繋ぐ吊り橋を渡るだけで日が暮れたとか、意固地な信奉者を棺に入れて街から送り出しただの、怪しい館では使用人のフリをして難を逃れただの、信じ難い話もあったが…」
「確かに橋を渡るのは大変。」
「そんな話はどうでもいい。聞きたいのはリュックに入っていた缶詰の事だ。」
「あれは酷い味をしてた。」
「味もどうでもいい。どうして手に入れた。」
「貰った。髭のおじさんに。」
「それは何処で、どんな状況で?」
ティセは片足を抱えて崩れた橋を見つめる。
「どんな奴で、何を言ってた。」
ティセ、石を握りしめる。
「そんな事知ったって、外に行く事も出来ないのに。」
淡々と言い放つと川に向かって石を投げる。
「こちらとしても君には無事で町を離れて欲しいと思っているさ。」
頭上を石が飛んで行きティセは手で頭を覆う。石は対岸近くの欄干を留めた橋脚まで届き、ティセは振り返る。
「君について知る必要は無いが、納得はして置きたいのだ。」
軽く肩を回しながらレナンが近付いてくる。
「ジクシーは何か言っていたか?」
「何か、って?」
「この町や人、気になる事なら何でもいい。」
「そんなの、わたしは知らない。自分で訊けばいいのに。」
高い建物が隙間無く立ち並ぶ中、不自然な程にガランとした空き地に子供達が集まって球遊びをしている。その遊びに加わらない者は決まって綺麗なままのフェルトの長靴を履いている。
「客人の女の子だ。」
誰かがティセを指差して言うと子供達は騒めき動きを止める。
「ティセって言ってたよね。」「誘えよ。お客様だろ。」「ルール解るの?」
「ティーセちゃーん、一緒にやろー。」
呼び掛けられ空き地に入る。足元にはバットと金盥がある。
「ボールをこれで打つんだよ。」
「それだけ?」
「まさか。前に向かって打つの。そして打ったら一塁に走るんだよ。」
ティセを誘った子は身振りを交えて教え、空き地の左手前まで走り戻ってくる。
「分かった?」
ティセは頷く。
バットを握り盥の横に立つ。盥を挟んだ向こうで少年が球を放り上げ、舞い上がった球は頭より高い位置から落ちてくる。ティセはボールに合わせてバットを振り下ろしたが球は金盥の中で激しく音を立てた。
少年が球を拾い、すぐさま投じられた二球目に目掛けてティセは体ごとバットを振ったが、ボールはまた音を立てて盥の底に転がった。
「次は打たないとー。」「お客さん、打てー!」「膝ガチガチだよ。」
声援の中、見ると投手はニヤニヤとしている。
「次、投げるよ。」
「うん。気を付けて。」
投手は首を傾げて三球目をこれまでより高く放った。無防備に球を見上げる投手。軌道の頂点から球が落ちてくる。
(前に向かって打つ。)
ティセは落ちてくるボールに合わせ、しゃがみ込みながら体の前にバットを振って出すと、バットに当たったボールが人の間を抜けていく。
「走って!」
周りの声にティセは慌てて走り出す。
「ティセちゃん、二塁行ってー!」
空き地が沸く中、ティセは近くに居た子に尋ねる。
「二塁ってどっち?」
「あっち。」
空き地の右の方を指差される。
「最初から言ってくれればいいのに。」
ティセは走るのを諦めて来た所を戻る。
「どこに行くの?」
「もう一回、打ちに戻るの。」
工場の様な共同の洗濯場。スーと呼ばれていた女性が大きな盥で洗濯をしていた。
「お、少女じゃーん。一人で出歩いているんだ。」
ティセは軽く会釈して辺りを見回す。湯気の立ち昇るハンドルの付いた洗濯機や脱水機が置かれている。
「洗濯物なら置いとけばいいよ。」
「少しだけだから、自分で。」
「それなら、そっちのお湯が熱々だよ。」
真白な湯気に包まれながら洗濯機のドラムに服を入れ、黙々とハンドルを回す。
「それ、ジクシーに借りていた服?」
「うん。」
「へぇ…そうだ、知ってる? あの子、今日が子供で居られる最後の日なんだよ。」
スーは濡れた洗濯物を軽く絞る。
「今でも大人びているけど、これからもっと老けるのかな?なーんて。」
ティセは洗濯槽に目を戻し、棒切れで服を湯から上げる。
「私がこの町から出してあげようか?」
服を湯に落とす。
「なんで。」
「うーん。格好つけてというか、対抗して、と言うのかな。」
「それはあなたの敵に?」
「敵とも違うけどぅ。あぁ、期待はしないでよ。それと―」
スーは両手を肩幅程度に広げて示す。
「これくらいの金盥知らない?」
ティセは知らないフリをした。
ジクシーの部屋。夕食を済ませ、二人とも机で本を読んでいる。
「そろそろ消灯の時間ね。」
ジクシーが本を閉じ、席を立つ。
「ティセ。」
「うん…」
名前を呼ばれて気の無い返事をする。
「分からない所は無い?」
「うん…」
ティセの気の無い返事を聞き、本棚へと向かうジクシーにティセは本から目を移す。長い後ろ髪が本を選ぶと振り向いた。
「夜はベッドに行く前に本を一冊選んで持っていくの。ティセもそうする?」
本を開いたまま頷く。
「熱心な生徒さんね。」
「…ただ読んでいるだけ。」
本とランプを持って寝室へ行き、寝間着に着替える。
「質問、いい?」
「どうぞ。」
「なんで…ここで教師をやっているの?」
「ふふっ、私の事? 好きだから。この町も子供達も。」
「そうじゃない。」
ティセは絞り出す声で否めた。ほんの一瞬、ジクシーの顔から淡い笑みが消えるも彼女はティセに向き合う。
「そうね。でも好きだからよ。渡るだけで疲れてしまう大橋も、子らの懸隔て無い友好も。だから、本当の事を失わない為に世界を、自分を証明する方法を教えるの。」
「それが、夢?」
「いいえ、これは仕事。」
「良い、先生だと思う。」
ティセは布団に潜るとジクシーに背を向け頭を出した。
「誕生日、おめでとう。」
「えっ?」
子夜の眠たげな祝福に気付くと彼女は胸の前で手指を重ねた。
「ありがと。」
翌朝、広場で見知った男に若者達が集い、指示を受けると二、三人の組になって広場を離れていく。
「おはよー、少女。」
ティセに気付いてスーが集団から抜け出してくる。
「どうかしたの。」
「まだどうもして無いけど、どうもして無いからこそというか。おっと。」
集団から解放されたレナンと男がもう一人近付いてくる。
「何を話していた?」
「今晩の会で代表様が人を使って何をさせてるのかなーって。」
「ほざけ。二人は面識が? あまり出歩くんじゃないぞ。」
レナンがティセを見て釘を刺す。
「この子が例の? 是非私ともお近付きに―」
「黙ってろ。」
レナンとスーに睨まれて印象の薄い男は不満気な顔をする。
「で、贈り物は決めたの?」
「いや、好ければ後で…」
「自分で選びなよ。レナン君。」
「…言われずとも。」
レナンは苦い顔で立ち去る。
「ジクシーも愛されるようになった。幼い頃から聡明で、それ故、実に惜しいものだ。」
男、レナンを追って去る。
「あの子は何にも持っていない。資格も権利も欲さえも。でもそれが良かったんだ。」
「あるよ。見えないだけで何時だって。」
「私には分かんないなぁ。」
「レナン君が人と居るのを初めて見た。」
「レナン君ねぇ。あいつ一人で居る方が珍しいのに。」
スーは周りに誰も居ないのを確認してティセに耳打ちする。
「誕生会にレナンが来たら初めて会った事務所に来て。ここから見えるあの建物に。」
ジクシーの為の会はカフェの教室で行われ、会が進むと子供達は去り大人達が酒を持ってやってくる。着なれぬ衣装を着せられたジクシーの人気は絶えない。
「ティセ、こっち来ない?」
写真を撮ろうとする人垣から誘われるのをティセは首を振って拒んだ。カメラが構えられると彫像の様に固まる人々から距離を取り、見る窓外にレナンらしき人影が歩いて来る。
レナンが窓の向こうを横切るのを見て、ティセは入口の前に立つと相手より先に扉を開けた。
「準備は、できた?」
「っ…当然だろう。」
扉の前で身形を整え直していたレナンは見下ろす程の少女を相手に取り繕うも、胸を張って中に入る。ジクシーもそれに気付いた様子で奥の席で立ち上がる。
「ティセ君、君さえ好ければ町に居てくれて構わない。」
ぼそっと言うレナンの顔を見る。彼は僅かに表情を歪ませるとジクシーの元へと向かった。ティセは二人が話す姿を後目にひっそりと外の薄闇へと紛れた。
暗い廊下の先に闇が続いている。突き当たりの階段を上り、明かりの漏れる小窓を覗くと、その窓の縁に鍵の束が置いてある。窓の向こうにスーが近付き、こちら側が暗くなる。
「来たんだ。リュックは前と同じ部屋の隅。一階の外にある扉を開けて、また扉があるから開けて地下に下りると町の外へと繋がる水路がある。その下流にフネを浮かべてあるから。それで―」
彼女はそれぞれの鍵を示しながら説明を終えると机に戻りながら「じゃあね。」と言って、手を振った。
リュックを取って戻ると小窓の部屋に誰かが来ているようだった。ティセは鍵束を握り締め、静かに階段を下りて建物の裏に回り込む。外の大きな扉の前。南京錠を手探りで外して扉を引き摺る。
中から僅かに光が漏れ、ランタンの提がった鉄の扉が見える。暗がりを扉まで真っ直ぐ歩いて鍵穴に鍵を差し込む。ガチャリと音がしてティセはランタンを手に取った。鍵束を鍵穴に残したまま扉が閉まる。
ランタンの灯がティセの手元から広がり、暗渠の狭い歩道を照らす。光は天井には至らず、水の流れる音と共に暗流に飲み込まれている。
ティセは歩きながらコンパスを見た。トンネルは西へ向かって伸びている。その先からコン、コンとノックをするような音が響き、ランタンを掲げて近付く。
「期待より幾分粗末ね。」
暗流に縄で繋がれた大きな木製の盥が浮かんで歩道の縁を叩いていた。
「乗れるの、これ。」
フネには櫂のつもりか洗濯板も積まれている。浮力を疑いリュックを乗せても変わらずに浮かんで縁に当たる。その音に違う音が雑じる。もっと控えめな早い足音が近付き、来た道を振り返る。暗闇から蝋燭の明かり浮かび上がり手燭を持ったジクシーが現れる。
彼女は立ち止まり、何か言いたげにして手燭を地面に置く。ランタンと蝋燭の明かりが寄り添い、重なり合う。
「行くのね、ティセ。」
「うん。」
ティセは穏やかに語り掛けるジクシーから逃げる様にフネに乗り込む。
「待って。外すわ。」
フネに乗って不安定なティセの代りに、ジクシーは手燭で照らしながら結び目を解く。
「これは誰の手引きかしら?」
ティセ、首を振って答えない。
「服が汚れるよ。」
「そうね。洗濯にも支障が出そうだし。」
縄が解ける。しかしジクシーは膝を付き、縄を地面から突き出た杭に巻き付けたまま離さない。
「私は貴女と町を出てもよかったの。」
「それは…駄目だよ。」
ジクシーの手を除け、縄が暗流に滑り落ちる。ティセは動き出すフネからジクシーの手を握る。ランタンをその場に残し、手を繋いだ二人はそれぞれ違う道をゆっくり流れていく。
「貴女は平気?」
「たぶん。」
「私はここに居るのは怖い。」
冷たい手が熱を持ち始める。
「ここは、暗くて何も見えないから」
「貴女の力になりたかった。」
「先生はこの町に必要。」
「いいえ。私は求めてばかりいた。」
「でも、今、怖くないから。」
ジクシー、手燭をティセに渡そうとする。
「旅の願いは必ず叶うわ。」
「いらない。」
「私には戻る為の灯りが待っているから。」
歩道が途切れ、手燭で繋がる手が離れる。
「いってらっしゃい、ティセ。我が家の可愛い客人。」
「ジクシー…。さようなら、ジクシー。」
暗渠を抜け町の構造を潜り抜ける。町を囲む他の川と合流し、広くなった川の只中から離れゆく町を見上げる。川の流れにフネが回転し、ティセは蝋燭の火を吹き消した。




