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雪の道へと  作者: 雨慮
1/12

雪の道へと1

 少女、落ち葉の陰にドングリを見つける。

それを拾い上げ、入念に確認すると息を吐く。

「ふぅ。これがいいかな。」

 ふと目の前の木に目をやった。視線が幹を上り、その木の大きさを体に感じる。そのまま夕暮れの空に描かれた黒い枝々を眺めていると名前を呼ぶ声がした。

「ティーセ。」

 おじいさんが呼ぶ声。少女が振り向いたのを見て彼はゆっくりと家の方へ戻る。

わたしはそれを追いかけた。




 コッ、コッと庭から軍靴の足音が近づいて来る。この音がすると良いことが起こらない。

ティセは居間の椅子から下りて二階へ向かう。玄関前の階段を上り、狭い廊下の途中の屋根裏の小部屋、ティセの自室に入る。窓からは庭が見え、まだ頭をぶつけることもない。

 靴音が玄関前で止まり戸を叩く。おじいさんが応対して、その軍隊式の挨拶を交わすと家に入れた。


 ティセは落ち着かないまま、毎日一つ選んで拾ってくるドングリを缶に入れたり、赤や黄色に染まった葉を本に挟んだりする。

 用事はすぐに終わったようで玄関からまた軍隊式のやり取りが聞こえて靴音は庭の方へ去っていった。



「明日、村を発とうと思う。」

 夕食を食べていると茹でた豆をスプーンの裏で潰しながら、おじいさんが口を開く。

「昼迄に支度を済ませておいてくれ。」

「うん。」

 一言答えて器に残っていたスープを飲み干すと、ある友人の名が口を衝いた。

「ハルラは、どうしてるかな。」

「ホーガの事は分からんが…いや、西へ行くと暫くは会えないだろう。」

 おじいさんは事実だけを言葉にした。山を越えた北の町、ホーガの事を知る機会は少なかった。



 ティセ、二階の奥の納戸に行く。

様々な物を床に広げ、自室と行き来しながら丈夫なリュックに必要な物を詰める。

 自室で服に、寝間着、毛布、本とぬいぐるみ。

 納戸で水筒、ナイフ、鍋に、マッチと玉杓子。

 箪笥の中に写真、手紙、ロケットペンダント―

手を止め、ロケットを首から下げて眺める。

「きれい、だけど色が変わっちゃってる。」

 ロケットの表面は熱で変色した赤や青の紋様が輝いている。ロケットを開くと小さな子供を抱いた男性のモノクロ写真が入っていた。

「パパと、わたしに似た白い癖毛…わたしだ。」

 箪笥の中で無造作に重ねられた写真に目を移す。

「パパの持ち物は…懐中時計があったかな。」

 箪笥の奥を探ると、かつて投げ入れたそれが出てきて蓋を開ける。

「針が止まって…これ、コンパスだったんだ。」

 床に座り、ロケットと同じ真鍮のコンパスを平行に持つと針が手紙の束を指す。両親とハルラからの手紙だ。

「夏の終わりに届いた、ハルラからの最後の手紙。」

 両親からの手紙はいつが最後だっただろう―

「また会えるよね。」

 その日届いた手紙をおじいさんは読んでくれなかった―

「もう会えないの?」

 靴音が荷物を抱えてやってくる―

「わからないよ。」

 文字を読むのも難しい頃―

「怖くなる。でも、」

 何も出来ず一人置いて行かれた―

「今は違うでしょう。」

 わたしは何処に居ればいい―

「一人でも行ける。」

 このまま此処に居るのが嫌で―

「会いに行こう。」

 ハルラに手を引かれた―



 リュックからぬいぐるみを引っ張り出し、腕に抱えて階段を下りた。居間の入り口に立って様子を窺う。暖炉の傍で椅子に座っていたおじいさんが気付いてティセに声を掛ける。

「準備には困ってないか。」

「うん。」

「寒くなるから、コートや手袋を忘れないように。」

「うん。」

「明日もあるんだ、早く寝るように。」

「うん。」

「ティセ?」

「おやすみなさい。」

「おやすみ…ティセ。」

 これが最後の挨拶になるかもしれない。だけど別れの言葉は誰も言わない。言えなかった。ティセはぬいぐるみを口に当て小さく呟く。

 おやすみ、さよなら。


 


 窓の外から、光が入る。光が届く、遠い空から。

微睡みから抜け出し寝台の上で起き上がる。部屋の隅にはまだ闇が満ちている。

「早くしないと。」

 起きてすぐ発てる様に厚手の旅着を着こんでブーツを履いていた。布団を跳ね除け、外套に袖を通して床のリュックを引き寄せる。月明かりの窓辺の机にはドングリの入った缶が置いてある。

「さよならだね。」

 缶を机の上にひっくり返す。転がったドングリが机の下の静寂に落ちて部屋の扉が閉まる。



 リュックを膝に乗せ座ったまま、そろそろと階段を降りる。

誰も居ない居間の机に手紙を置き、暗い家の中をぐるっと歩く。台所で鍋の蓋を開けると昨晩のスープが残っており、少し悩んで鍋ごと持って家を出た。



 玄関の扉を静かに閉める。

「出た。家を出た。」

 僅かに鼓動が早くなる。家の裏の物置へと向かい、そこで鍋を地面に置くとリュックから缶と小振りな鍋を取り出す。

「鍋が二つもある。」

 小振りな鍋を頭に被ってみて物置を開ける。袋に入った豆を缶に入れ、スープの残った鍋に割れた麦をさらさらと入れる。物置にあった紐で蓋を縛り、平行になるようにリュックに押し込み肩に掛ける。

「ふざけてないで行こ。」

 鉄の帽子を脱いで納屋に置いて行く。低い壁に囲まれた庭に出て、山の頂を見上げた。

彼は誰の空から月が下り、星は遠のいていった。



 村を抜け山道に入る。木々の下は暗く木の根や石に足を取られる。空が明るむと共に勾配はきつくなり息が上がる。つづら折りが終わり、岩の隙間を登りきると、朝陽が広い尾根の空気を照らしていた。

 ティセは振り返って山中の村を見下ろす。村はまだ陰の中で閉じている。ティセはそのまま村が見えなくなるまで後退ると尾根の道を進んでいった。



 日も高くなった頃、尾根から外れて滝の傍の道を下る。水の音を追い岩場を下りると沢の流れに手を突っ込んだ。

「つめたー、あ。」

 慌てて尻もちをつき、それまで水平に保つ努力をしていたリュックの中身を心配する。

「あぶない、あぶない。…平気だよね。」

 リュックを肩から下ろし、また沢に手を入れる。さらに裸足になってズボンの裾を捲り、足を沢に入れると、やっとリュックの中を確認して参事を免れたらしい鍋を取り出す。そして裸足のまま石と木を集め、作った竃に火を点けて縄を解いた鍋を乗せた。蓋を開けて麦が吸ったスープを見ると、ティセは水筒を手に沢を上る。


 鍋の下で火が弾け、濃い緑の苔には木漏れ日の粒が落ちている。

ティセは滝壺に落ちて広がる水を水筒に掬い、滝を見上げた。滝は崖の荒い岩肌で何度も跳ね、その細かくなった飛沫が深い山の中に吸い込まれていく。滝の流れ落ちる音の中、ティセは火に掛けた鍋を思い出して沢の中を戻って行った。


 石の上に座り足を乾かしながら麦粥を頬張る。

おじいさんは今頃どうしているだろうか、追いかけて来ているかもしれない。

「麦を入れすぎた。なんせ、暗かったから。」




 山を下りて歩いている道が夕日に染まる。

「山を越えるのは大変で、でも狭い中で揺られるのも好きじゃない。」

 以前、馬車で通った事を思い出す。初めて歩く知らない道に木々の影が伸びて来て、夜を呼ぶ冷たい風に急かされた。



 夜闇に疎らな光が浮かぶ。一つ、二つ、建物の窓明かりが。三つ、四つ、点々と並ぶ街灯が町の像を浮かび上がらせる。

 土の夜道から町の石畳へ足を踏み入れる。人気の無い道を街灯が寂しく照らし、明かりのない建物が寒々しく立ち並ぶ町の中、記憶にあるハルラの家へと向かった。


 周りと同じにその二階建ての家に明かりは無い。門に手を掛けると鍵の付いた鎖がガチャガチャと音を立てる。

「そっか。居ないんだ。」

 落胆して体が重くなるもすぐにそこを離れた。


 宿を見つけて扉を叩く。返事のない扉に鍵は掛かっておらず、中を覗いてから扉を開く。一度振り返り、ぽつぽつと街灯が灯るだけの通りを見渡し中へ入る。扉が閉まり真っ暗になる受付を横切り壁伝いに階段を上ると、手探りでドアノブを見つけて適当な部屋に入った。


 部屋のカーテンを半分開け、街灯の明かりが僅かに差し込む部屋で鍋に残った冷たい粥を食べる。抱えられない明日を忘れて瞼が閉じる。




 靄の掛かる町。ティセ、ハルラの家を見上げている。

「あんた、どこの子だい。この家に何か用かい。」

 女性の声に振り向く。

「もう、この町に子供なんて居ない筈だよ。いいこと、町の中心の広場に馬車が集まって来ているから乗せてってもらいな。」

「この家の人は?」

「ここの家族はひと月も前に出て行ったよ。」

「何処に。」

 女性は眉を顰めて答える。

「シヴァスって北の方さ。」

「やれやれ」と呟きながら靄の中へ去っていく女性を見送って、ティセはリュックを地面に下ろす。そして家の柵を掴んで攀じ登ると、柵の中へと着地した。


 ハルラの家の狭い外構をゆっくりと一周する。玄関先まで戻り、家を見上げたまま離れていくと少女の手が冷たい柵に触れた。




 町の中心では数台の幌馬車に人が集まり出発の準備をしていた。

ティセは売店を見つけ、向かうと店から大きな旅行鞄を持った男が出てきて店を閉め始めた。その男を呼び止め地図を欲しがると男は一度店に戻り、持って来た地図をティセに渡して店を閉めた。


 地図を見ている内に馬車が減った。さらに一台、広場から出て行くのを横目で見ながら、ティセは静かな北の道へ向き直る。背後を馬車が過ぎ去る。目の前の靄は開き、少女の後姿は霞んでいった。


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