五年後
「……本当に、行ってしまうのか? 私を置いて?」
「行けって言ったのはあんただろうが! ええい、離れろおおぉぉぉ!」
声を荒げるラグナにしがみついているのは、その師匠であるウィズだ。
華奢な体つきをしているが、その力は侮れない。全力のラグナをもってしても引きはがせないほどである。
その馬鹿力が発揮されるのは、大体こういう時だけなのだが。
「急に試験だとか言って、一人で森の魔獣を倒してくるようにっつったのはどこの誰だよ!」
「私だが……私だけども……! もし、今生の別れになったらどうする! 一瞬でも愛弟子が私の傍からいなくなるなんて、そんなのは耐えられない! それとも君は何か? 私と離れ離れになっても構わないというのか!? この薄情者! 鬼! 人でなし!」
「縁起でもねえこと言うな! あと、四六時中べったりくっついてた記憶はねぇよ!」
この二人の仲睦まじい様子はもはや日常。毎日のように繰り広げられている光景だが、この場にいるのはこの二人だけ。故に、ツッコミを入れる者も止めに入る者もいないため、どちらかが諦めるまでこの無駄な掛け合いは続く。
「ハァ……ハァ……。これからって時に無駄な体力使っちまったじゃねぇか、アホ師匠」
「ハァ……ハァ……。まったく、人が身を案じてやっているというのに、馬鹿弟子め」
「……だったら初めから試験なんて言い出すなよな」
「うぐ……」
ラグナとウィズの出会いから、すでに五年。
五年も経てば人は変わるもので、ガリガリで小柄だったラグナも健康的な体つきになり、身長も年相応に、といった具合に見た目に変化が表れている。
一方のウィズは何故か外見に一切の変化もないが、性格やら口調やら、ラグナに対する接し方が変わりすぎなくらい変わっていた。
出会った当初の知的な雰囲気はどこへやら。現在のウィズのラグナに対する溺愛ぶりは、それを受ける側のラグナもドン引きするほど。
どうして、いつから、何がきっかけでこうなったのかはわからない。気が付けばいつの間にかこうなっていたというのが実情だ。
好かれることに抵抗は無いラグナでも、度を過ぎればうざったいものである。
「……それで? なんで魔獣討伐なんて言い出したんだ?」
「それはまあ……そろそろ私以外との戦いも経験しておいた方がいいかなぁと思って。負け癖が付くのも……ねぇ」
「……どうせ俺は師匠に手も足も出せない雑魚ですよ」
「あれぇ!? どうして急に卑屈に!?」
ウィズの心を抉る発言に、ラグナは体育座りでふさぎ込む。
過去千回を超える手合わせ、ラグナはそのすべてに敗北を喫している。それも、一度も碌に反撃できないほどの完敗だ。
ウィズは毎回、ラグナは強くなっていると褒めてくれるが、その実感が湧かない。
世界最強の実力はこれほど遠いものなのかと、差を思い知るばかりだ。
「ラグナは強い! いつもは私が相手だから負けるのは当たり前なだけだ!」
「……フォローになってない」
「……と、とにかく! 自信を持て! ラグナの強さは師匠である私が認めているんだ。私の言葉に間違いはない!」
「……本当に?」
「本当に」
「本当の本当に?」
「本当の本当の本当にだ」
「……それじゃあ、魔獣にも楽勝で勝てる?」
「もちろん! 愛弟子が勝てない魔獣なんてこの世にいないとも!」
「言ったな? その言葉、忘れるなよ?」
「…………あれ?」
いたずらに成功したような笑みを浮かべ、立ち上がるラグナ。
ウィズは突然のラグナの豹変ぶりに驚くも、数瞬した後にそれに気づき、
「……わ、私を嵌めたな!?」
「ふはははは! 言質とったり! これでもう、俺が森に行くのを阻止する理由が消えたなぁ」
「ぐぬぬぬぬぬ……。いや、まだ私が寂しさで死んでしまうという理由が……」
「それは知らん」
ぴしゃりと冷たく突き放し、ラグナはウィズに背を向ける。後ろから「そんな殺生な……」といった声が聞こえるが知らんふりだ。
「とにかく、俺はもう行くからな。後ろからこっそりついてくるなよ? 師匠が言い始めたことなんだからな」
「…………わかっ…………た」
「いまいち信用できない間だな……。というか、師匠はおとなしく家で寝とけよ。目の下のクマがすごいぞ。どうせまた魔法の研究でもしてたんだろ」
「ああ、いや、これは夜通しラグナの寝顔を見つめていたからだな」
「何やってんの!?」
衝撃的なカミングアウトに鳥肌を立たせ、思わず振り返る。
ウィズはその反応に「冗談だ」と子供のような悪い笑みで返した。
先ほどの意趣返し、ということらしい。
「……はあ、師匠に構ってたら日が暮れちまう」
「行ってしまうのか……」
「……ま、パッと行ってササっと倒してくるさ。本当に孤独死されても困るからな」
「絶対だからな。秒で帰ってきたまえ」
「秒は無理。……そんじゃ、行ってきます」
後ろ向きに軽くひらひらと手を振って、今度こそ振り返ることなくその場を後にする。
ウィズはその後ろ姿を見ながら、
「……寂しくなるな……本当に」
ぽつりと呟いたその言葉は、結界を通り抜けたラグナの耳に届くことは無かった。
▼△▼△▼△
「――とは言ったものの、怖いな」
結界を抜け、森に足を踏み入れた瞬間の空気の変わりように、先ほどまで威勢のいいことを言っていたラグナの足が止まる。
実は、この森の中に入るのは五年前に死にかけて以来。これまではずっと結界の中で過ごしていた。
視線を下に落とせば、自分の足が震えているのが見える。
戦う力を手に入れたとは言え、五年前のトラウマを克服できたわけではないらしい。
「師匠がついてこなくてよかった……」
あんなことを言った手前、こんなに情けない姿を見せるわけにはいかない。
もしも見られていたなら、一生いじられるネタになること間違いなしだ。
「ハァー……。よし」
深呼吸をして、心と体を落ち着かせる。
気を取り直し、まずは討伐目標の確認だ。
ウィズの言う魔獣討伐の試験。それは適当な魔獣を倒せばいいというものではなく、倒すべき魔獣は指定されている。
その魔獣の名はギガントロックタートル。名前の通り巨大な岩のような甲羅を持つ魔獣だ。
普段は地中で眠り、背中の甲羅だけを地上に出している。性格は比較的温厚だが、眠りを妨げられると狂暴になり、視界に入った生物を片っ端から襲うのだとか。
この魔獣はそう、五年前にラグナを軽々と吹き飛ばし、死の淵に追いやった魔獣だ。
すでに一度、その体の大きさと強大な力を身をもって経験しているおかげで、この試験が一筋縄ではいかないことは理解している。
正直、ラグナに一人で倒せる自信は無い。しかし、ウィズが試験と称して討伐に向かわせたことから、おそらくは自分の実力でも十分に倒せる相手なのだろうと思うことにした。
要するに、ラグナは自分よりも師匠であるウィズを信用してこの試験に挑んだのだ。
こんなこと、本人の前では恥ずかしくて言えたものではないが。
「行くか」
言葉に出し、後戻りはしないと決意を込めて、歩を進める。
そして二歩、三歩と進んだところで、ラグナは自身の内にある力を周囲に解き放った。
「〈魔力探知〉」
――魔力。それはこの世界に存在するほとんどの生物が秘めている力だ。
魔力は主に、魔法を使う際や、身に纏うことで身を守るなどの目的で使用される。
しかし、今回ラグナが行った〈魔力探知〉はそのどちらでもない。
〈魔力探知〉とは、粒子状の魔力を自身の周囲にばら撒き、魔力が付着したものの形状を読み取るというもの。
これを行うことで、周囲の地形や生物の位置を直接目で見ることなく把握することができる。
一見、魔法のような力だが、これは魔力を使用した純粋な技術。この五年間でラグナが手に入れた力の一つだ。
今回ラグナが行った〈魔力探知〉の範囲は、ラグナを中心に半径二十メートルほど。それが、ラグナが体外に放った魔力を操れる距離の限界でもある。
この〈魔力探知〉を行った理由は言うまでもなく、目的の魔獣を早期に発見するためだが、ギガントロックタートルを発見するためならば他に楽な手があった。
それをしなかったのは、試験とは別に、ラグナにはある個人的な目的があったからだ。
「お、いたいた」
〈魔力探知〉を発動したまま歩くこと数分。それは思ったよりも早く見つかった。
周囲に邪魔者はいない。ラグナはそれに向かって一直線に進む。
すると、向こうもようやくラグナの気配に気が付いたのか、近付いてくるラグナを警戒し、臨戦態勢をとった。
「……あの時とは、立ち位置が逆だな」
そう言って、ラグナが茂みを抜けた先にいたのは――
「よぉ、クソ兎」
「ブブッ!」
五年前、ラグナを追い詰めた一角の魔獣だった。