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理解者




「私を父と呼ぶな、忌々しい」


 それはラグナに向けられた父の言葉。ラグナを視界に入れないように努めるその姿勢と言葉の冷たさは、幼いラグナの心を深く傷つける。


「……そう、あの人はまたそんなことを……」


「……ぐすっ」


 父とは対照的に、母は優しかった。

 悲しいことがあった時は抱きしめて慰めてくれる。何かを成し遂げた時は微笑みながらやさしく頭を撫でてくれる。

 そんな母をラグナが大好きにならない理由は無かった。


「……ねぇ、おかあさん。おと……ちちうえはどうしてぼくのことが嫌いなの?」


「……どうしてでしょうね。私には分からないわ。こんなにも愛おしいあなたを嫌う理由なんて」


「……」


 それは、ラグナの期待していた答えではない。

 しかし、母の悲しそうな表情を見て、それを追求することは無かった。


「ラグナは、お父さんと仲良くしたいの?」


「いーや! ぜんっぜん! だいっきらい!」


「ふふっ、正直ね」


「……ぼくには、おかあさんがいるもん」


「……そう」


 ラグナの呟きに、母は抱きしめる力を強めて応じる。その母の震える手に、収まっていた涙が再びラグナの頬を伝う。


 ラグナは知っていた。母が病気であることを。ずっとベッドに寝たきりになっているのは、もう、立つほどの力がないからだということを。そしてもう、長くは生きられないということも。


 唯一の味方である母がいなくなることは、ラグナにとって到底受け入れられることではない。

 そんなラグナに母は、


「……ラグナ」


「……なぁに?」


「あなたはいつかきっと、大事だと思える人や、大切な仲間と出会えるわ」


「……なんの、はなし?」


「これからの、未来の話よ」


「みらい……」


「きっとその中に私はもういない。でも、これだけは覚えておいて」


「……うん」


「私がいなくなっても、私はあなたの見方であり続ける。たとえ周りに敵しかいなくても、私だけはずっとあなたの味方よ。だから――」


「――――」


「だからラグナ、あなたは強く生きなさい」


 それがラグナの記憶に残る、母の最後の言葉だった。




  ##  ##  ##  ##




「……夢、か」


 懐かしい記憶が終わるのと同時、ラグナを出迎えたのは背中に伝わるベッドの柔らかい感触と、眼前に広がる見知らぬ天井だ。

 天井を見るのは随分と久しぶりのこと。

 貧民街に捨てられて以来、目覚めた時に初めに視界に映り込むのは青い空、というのが日常になっているラグナにとっては実に五年ぶりの出来事である。


「俺は……確か……」


 脳内に映し出されるのは、意識を失う前の、それまでの経緯。

 知らない森に飛ばされて帰ることもできず、魔獣に追われ、最終的に岩の怪物に吹き飛ばされた。そのすべてが、鮮明に思い出せる。

 だが、


「なんで、傷がないんだ……?」


 吹き飛ばされた時の怪我は確認できていないため置いておくとして、全身に負った擦り傷も、顔を打った時の痛みも、何事もなかったかのように元通りになっている。

 仮に、意識を失ってから目を覚ますまでに数日経過しているとしても、そんな短期間で傷が自然に完全回復するということはあり得ない。


「あれが夢だったとは思えないし……いや、それよりも今は――」


 言いながら、体へと向けていた視線を上げ、あたりを見回す。


「ここは誰かの家、だよな……?」


 パッと見た感じは木製の一軒家。

 部屋の中にあるものは小さなタンスとベッドが一台のみで、あまり生活感は感じられないが、埃は一つもなく、手入れされていることがわかる。

 だからおそらく、この部屋まで気絶したラグナを運んできた人物がいるはずだ。


「体の傷がなくなってるのも、その人が関係しているのかも……」


 どれも確実性に欠ける希望的観測でしかないが、他に考えが思いつかない。

 と、一旦考えるのをやめ、ベッドから降りると体を動かしてどこにも異常がないか確認。

 膝を曲げ、伸ばし、肩を回して最後に背伸び。問題はなさそうだ。


「まず、ここがどこかを知るには動かないと始まらないしな」


 ドアノブを回し、扉を開ける。部屋の外に出て最初に目に入ったのは、人がすれ違うことが可能なスペースがギリギリあるくらいの廊下だ。廊下の先には下へと続く階段が見える。


「ん……なんだ……?」


 階段に近づくと、下の階からは何やら食欲をそそる香りが。


 ――グゥ~~


 タイミングを見計らったかのように腹の虫が鳴き、ここでようやくラグナは自身が空腹であることを知る。


「腹、減ったなぁ……」


 ここ数年はまともな食事をしていないため常に空腹ではあるが、料理のにおいを嗅ぐとそれがより顕著に感じられる。

 そのまま匂いに誘われるように歩いて行くと、キッチンには一つの影があった。


「――起きたか、少年」


「っ!」


 その人物は背を向けているにもかかわらず、ラグナの存在を認識する。

 ラグナはそれに驚きつつ、その人物の後ろ姿と声色から女性であると判断した。


「もう少しで出来上がるところだ、席に座って待っているといい」


 そう言い、女性は振り返る。瞬間、ラグナの世界は時が止まったかのように固まった。


「――――」


 艶のある金の髪を腰まで下ろし、同じく金色の瞳は宝石と見紛うほど。身に纏っている黒一色の服装は透き通るような白い肌を強調させ、端正な顔立ちから感じる高貴さとミステリアスな雰囲気が絶妙に調和している。


 誰かを美しいと思ったのは、生まれて初めてのことだった。


「――はっ!?」


 気が付けば、言われるがままに座っていたラグナ。正気に戻ると自分の行動が信じられず、驚きに声を漏らす。

 よもや、何かの魔法をかけられたのではと思ったが、自身の頬に熱を感じたことで、その理由を察した。

 生まれて初めての感情と、熱を払うように頭をブンブンと振り、


「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は助けてくれた礼を言いに来たんだ。料理まで食べさせてもらうわけには……」


 椅子を倒す勢いで立ち上がり、ラグナはそう主張する。

 それに対し、女性は首を傾げ、


「礼は不要だ、人として当然のことをしたまで。それと、腹、減っているんだろう? 何も遠慮することは無い」


「……でも、俺は『黒髪』で――」


 ラグナの当初の予定は、一言助けてくれた礼を言ってからこの家を出ていくつもりだった。

『黒髪』の自分がいたらきっと迷惑になるだろうからと、そう信じて。


 勝手に期待して、裏切られる。そんな経験を幾度となく繰り返し、いつの日かラグナは誰かに期待することをやめた。そしてそれ以上に、自分自身に期待することを。

 だから、また、いつものように拒絶される前に自分から消えようとした――そのはずが、


「それがどうした」


「……え」


「髪の色はただの個性だ。まさか、その程度のことで私が君を追い出すとでも思ったのか?」


 ラグナの考えを一蹴するように、女性は言い放つ。

 何かおかしなことを言っているか? と、さも当たり前のことを言っているような表情で。

 口調は鋭く、しかし、その言葉からは冷たさも、拒絶の意思も感じられない。


「確かに、世間の『黒髪』に対するイメージは最悪だろう。しかし、そうなったのは世界中で悪事を働くとある迷惑な連中のせいだ。君が何かしたわけじゃない。髪の色だけでその人となりを判断するのは、愚かな人間のすることだ」


 何か重要なことを言っているような気がするが、それどころではない。

 覚悟していた。拒絶されることを受け入れる体勢は整っていた。でも、違った。

 女性の言葉はすべて、拒絶とは程遠いもの。


「な、んで……」


 決まりきった覚悟を裏切られ、理解が及ばず、ラグナの頭の中は空白で埋め尽くされた。


「……まあ、その話は後だ。この私特製のシチューでも食べて、まずは腹ごしらえをしたまえ」


「……」


 魂が抜けたかのように唖然としたまま、差し出されたシチューの皿を受け取り、机に置いたそれを無心で眺める。

 ふと、視界に入ったスプーンでシチューを口に運ぶと、


 ――それがどうした。


 ――髪の色はただの個性だ。


 ――君が何かしたわけじゃない。


 脳内で繰り返される、先ほどの女性の言葉。真っ白な部分に染み込ませるように頭の中で反芻し、その言葉の意味を少しずつ理解して、


「美味しいか?」


 優しげな表情でそう聞かれて、ラグナの中で何かが決壊した。


「――っ」


 ラグナが今まで必死に堰き止めてきたものが、ボロボロと目からこぼれ落ちる。

 ずっと耐えてきた、ずっと堪えてきた、ずっと封じてきた、ずっと閉じ込めてきた。それが、ボロボロ、ボロボロと。


 母がなくなって以来、いや、それ以前も、ラグナのことを受け入れてくれる人は母以外にいなかった。

 ただそれだけの事、人にとっては当たり前のことがラグナにはたまらなく嬉しかった。


「お、おい、少年。もしかして、泣くほど不味かったのか? だったら無理せずに吐き出したまえ」


 温かさが胸に沁みた。口に入れたシチューの温かさが、女性の温かな声が、言葉が、冷たく凍り付いたラグナの心を溶かしていく。

 今はシチューの味なんてわからない。けれど、きっと美味しいのだろう。

 でも今、それを口で伝えるのは困難だ。フルフルと首を振るので精一杯。


「……そうか、しっかり食べるといい」


 ラグナの様子から察したのか、女性は笑顔でそう応じる。

 それを受けて、ラグナの目からより一層多くの涙が溢れ出した。


「……はぐっ……はぐっ……」


 止まらない涙を流しながら、ラグナは黙々とシチューを口に運び続ける。ただ、黙々と。

 ラグナが食べ終わるまでの間、女性は自分の皿に手も付けず、どこか嬉しそうな表情でラグナを見つめていた。

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