一難去って
「……どこだよ、ここ」
闇から解放され、視界に飛び込んできた光景に、ラグナはあっけにとられる。
視界を彷徨わせても、先ほどまで周りにあったはずの人工物は一つも見当たらない。あるものは木や草ばかり。
見渡す限りの大自然が、眼前に広がっていた。
「あの三人はいないし……ってことは逃げ切れたのか」
何が起こったのかはさておき、難を逃れたことに安堵のため息をこぼす。
もしもあのままあの場に残っていたとしたら、果たして自分はどんな目にあっていたのか、想像しただけでも恐ろしい。
冒険者には二度と手を出さないようにしよう。そう深く心に誓った。
「助かったのはこの魔道具のおかげ……だよな?」
少し記憶を遡れば、ラグナを包んだあの闇は魔道具から発生しているように見えた。
全身が闇に包まれ、そして気づけば森の中。
人を一瞬で別の場所へ移動させる魔法、それを使える魔道具と見て間違いないだろう。
「そんな魔法、見たことも聞いたこともないけど……。もしかしたらこの魔道具、高く売れるのでは?」
希少な魔法を使える魔道具は非常に高価である、とどこかで聞いたことがある。
それに元々、魔道具とは高価なモノだ。
ならばこの魔道具はいくらで売れるのか、考えただけで笑みが浮かんでしまう。
だが、売るにしてもまずは人が住んでいる場所まで行かなければ。こんな森では誰かにモノを売ることもできない。
おそらくはこの魔道具をもう一度使えばアルマイアまで帰ることができるだろうが――
「問題はどうすれば使えるのかだよな……」
ラグナは魔道具の使い方を知らない。先ほど魔道具が使えたのは完全に偶然、まぐれ当たりである。
魔道具の魔法が発動するかしないか、その点においてもラグナは賭けに出ていた。
「……ま、色々と試してみるしかないか」
まぐれでも一度は使うことができたのだ。何かやっていればそのうち勝手に発動するだろう。
ラグナはそう、楽観的に考える。
が、しかし、
――パキィン
「……は?」
タイミングを見計らったかのように、突如、魔道具が音を立てて真っ二つに割れた。
「……え? 何? 壊れたのか?」
楽観的な思考は一瞬にして霧散し、ラグナは途端に慌てふためく。
それもそのはず、魔道具が壊れればアルマイアまで帰る手段がなくなってしまう。
「嘘……だろ……」
一難去ってまた一難。
こうしてラグナは一人、森に残る羽目になった。
▼△▼△▼△
自身の置かれた状況に絶望し、立ち尽くすこと数分。ラグナはようやく動き出した。
「ハァ……ハァ……クソ、森で生活なんて、冗談じゃねえぞ……」
アルマイアにいた時も帰る家は無く、森で生活したとて生活の質に大した変化はない。
しかしそれでも、ラグナにとってアルマイアは森の中よりは幾分かマシな環境だった。
理由は二つ。
一つは食料の問題だ。アルマイアでは金はなくとも盗めば食料は手に入る。それも、食べても安全なものだと分かった上で。
森の中でも探せば木の実などの食料はいくらでもあるだろうが、安全なものとは限らない。人体に有害なものを口にしてしまえば、死を免れることはできないだろう。
そしてもう一つの理由。
どちらかと言えば、ラグナが森で過ごしたくない理由はこちらの方が大きい。
それは――
「魔獣に食われるのだけは、ごめんだ」
――魔獣。それは人と同様に『魔力』と呼ばれる力を操り、人に害を与える獣のこと。
鳥や猫などの、ただの野生の獣とはわけが違う。一体一体が人を簡単に殺せるような力を持っている魔獣は、『人類の敵』ともいわれるほどの危険な存在だ。
魔獣は基本的に、人が住んでいる場所に近づくことは無い。しかしその逆、人のいない場所には必ずいると言ってもいい。
だから、この森は魔獣の巣窟である可能性は大いにある。
戦う力を持たないラグナがそんな魔獣と遭遇すればどうなるか、結果は言うまでもないだろう。
ゆえに、ラグナはこの森から自分の足で抜け出すことを決意した。
現在は森のおおよその出口を知るために、森を見渡せる高さがある木に登っている最中である。
「ハァ……ここまで登れば十分だろ……」
時間をかけて森を見渡せる高さに到達。真下を覗き見て、ラグナは思わず息を飲んだ。
地面が遠い、落ちれば死ぬ高さだ。我ながらよくこの高さを登ってこれたな、と感心する。
そして意識を森の出口を探す方へと変え、視線を上に戻し、
「……は?」
森を見渡して、ラグナは言葉を失った。
360度、視界いっぱいに広がる森、森、森。切れ目などなく、それは地平の先まで続いているように見えた。
「なんてこった……」
生まれてからずっと、アルマイアから出たことがなかったラグナにとっては別世界じみた光景だ。
まるで、自分以外に人間が一人もいない世界に来たような、そんな感覚。
そして同時に、ここが出口の見えない地獄であることを理解した。
「……」
残酷な現実を目の当たりにし、半ば放心状態になりながら、登るときとは倍の時間をかけて地面に降り立つ。
「……これは、悪い夢だ」
そのまま木の根元にへたり込み、現実逃避。
まさか魔道具を盗んだだけでこんな目に合うなんて、いったい誰が想像できるだろうか。
一度眠れば、この悪夢から目覚めることができるだろうか。そんなことを考えていた、その時、
「っ!?」
突如生じる、違和感。
無風だった場所に冷たい風が吹き始め、漂う空気に変化がもたらされたことを、ラグナは肌で感じ取る。
そして、それだけではない。
「何かが……いる」
茂みの奥、まだ姿は見えないのに感じる、圧倒的な存在感。
まるで全身の肌を針で刺されているかのような感覚を覚え、ラグナは立ち上がり、半歩引き下がる。
ここから早く逃げ出したい。そう思っても、茂みから目を離すことができず、動けない。
目を離せば終わる。頭ではなく、本能でそれを理解していた。
「ハァ、ハァ」
その存在が近づくにつれ、ラグナの心音は次第に大きくなり、疲れるほど動いていないのに呼吸が乱れる。
全身からじっとりとした汗が流れ、冷たい風で体が冷やされていく。
――ガサガサ
茂みが震え、音を立てる。吹いている風によるものではない。明らかに一部分だけが激しく動いている。
風が原因ならば、あの茂みの動きは不自然だ。
つまり、その存在はすぐそこまで来ている。放たれている存在感からも、それは間違いない。
そして、茂みの中から姿を現した、その威圧感の正体は――
「――魔獣」
ラグナは今、最も出会いたくない存在とのエンカウントを果たしてしまった。
▼△▼△▼△
「プゥ」
ラグナの目の前にいる魔獣の人の頭ほど。全身を薄い緑色の体毛で覆われており、丸く黒いつぶらな瞳と、二つの垂れ下がった丸い耳が特徴的。
鳴き声も含め、それだけならまだ愛くるしい見た目の生物で済むのだが、問題は額から生えた長く鋭い一本の角だ。その角は明らかに獲物を刺し貫くことを目的としている。
「最悪だ……!」
冒険者の魔道具を盗んでから、解決する間もなく立て続けに不幸な出来事が起こっている。
今までの悪い行いがすべて自身に帰ってきているのではないか、そう思うほどに。
新たに出現した目の前の不幸は、現状そのすべての締めくくり。戦う力を持たないラグナにとっては、死神のように思えた。
「逃げるしか――」
逃走を選択し、動いた瞬間だった。
コンマ数秒前にラグナが立っていた場所を、目にも止まらぬ速さで小さな何かが通過する。
「――は」
小さく息を漏らし、硬直するラグナ。
たった今、横を通り過ぎたものが何なのか、それが判明したのはその直後のこと。
ドスンという大きな音と同時に、足元が振動で揺れる。振り返ると、不自然な大きさで抉られた木が横倒しになり、傍らにはその原因であろう一角の魔獣の姿があった。
「……な、ん」
大きな風穴を開けられ、倒れた木を見て、脳内に思い浮かんだのは明確な『死』のイメージだ。
少しでも動き出すのが遅れていたら、風穴を開けられていたのは自分の腹だった。
その事実に顔は青ざめ、背筋が凍り付く。
「くっ……」
――足を止めてはいけない。
恐怖で動こうとしない足を無理やりに動かし、一角の魔獣がこちらに振り向くのを待たず、背を向けて走り出す。
「こんなところで……死んでたまるかよ!」
命がけの鬼ごっこが始まった。