世界に嫌われた少年
世界最大の都市、アルマイア。
その商業区には多くの人が往来し、騒がしいほどの賑わいを見せていた。
「よってらっしゃい見てらっしゃい!」
「安いよー! 安いよー!」
「パパ―! あれ買ってー!」
人々の声が入り乱れ、合わさり、一つの塊となって響き渡る。
この騒がしさは繁栄の証。煩わしいと思う人間はいない。
――ある一部の人間を除いては。
「……」
路地の隅で小さく座り、憎いモノでも見るような瞳で過ぎゆく人々を睨みつける少年が一人。
ちゃんと栄養を摂ることができていないのだろう、身にまとっているボロ布の隙間からはチラチラと瘦せこけた肌が見える。
光と闇の関係を切っても切り離すことができないように、繁栄の裏には貧困という名の影がある。
この少年もまた、貧困に苦しむ者の一人だった。
「……来た」
そうポツリとつぶやいた少年の視線の先にいたのは、三人の男。
それぞれ腰に剣や短剣を装備しており、戦い慣れした顔つきをしている。
所謂、冒険者と呼ばれる者達だ。
世界中を渡り歩き、様々な依頼をこなして生計を立てる者、それが冒険者。
凶悪な犯罪者や、人々に害をなす獣との戦いになることが多いため、世界で最も殉職率の高い職業である。
ただ、殉職する可能性が最も高いのは、冒険者になりたての仕事に慣れていない新人だ。
少年が視界に捉えている男達の顔つきは、どう見ても新人のそれではない。百戦錬磨の強者であることは想像に難くなかった。
しかし、少年はそれをわかっていながら、男達を今日のターゲットとして定めた。
正確には、男たちが持っているであろう高価なモノを。
「……」
少年は視線で勘付かれないよう、念のためボロ布を頭まですっぽりと被り、顔を隠した。
そうして気配を消して、三人組が路地の前を通り過ぎるのを待つ。
そして――
「――お前ら聞いてくれ、俺は新しく魔道具を買った」
「……お前、また魔道具なんて高価なモノを買ったのか。金遣いが荒いぞ」
「ま、そんなもん今に始まったことじゃないだろ。それで? その魔道具では何の魔法が使えるんだよ?」
などと、会話をしながら三人は過ぎ去ってゆく。
少年に気づいた様子は微塵もない。
狙われているというのに暢気なものだ。そう思いながら、少年は行動を開始した。
「使える魔法が何なのかをあえて聞かずに買うとか……正気の沙汰じゃないぞ」
「そうした方が面白いだろ? どんな魔法が飛び出るか、使って初めてわかるってのは。そんで強力な魔法が出てきた時、テンションは爆上がりってもんよ」
「それでしょぼい魔法が出たらどうすんだよ」
「その時は観賞用魔道具として役立ってもらうさ。見るだけで楽しめる、それも魔道具の魅力の一つだ」
「魔道具コレクターの感性は生涯理解できそうにないな……」
変わらず会話を続ける三人。
その後方、少年は三人と自分の間に通行人を一人挟んで歩き、会話が聞こえる程度の距離を保つ。
そしてタイミングを見計らい、
「――あっ!?」
「……なんだ、急に素っ頓狂な声を出して」
「違う! 盗られた! 俺の新しい魔道具が入った袋を! 中に今日の宿代も入ってる!」
「何!? どんなヤツだ? 男か? 女か?」
「……わからねぇ。姿が見えたのは一瞬で、盗んですぐに人混みに消えやがった。背が小さいことは確かだ」
「探すにしてもヒントが少ないな……」
「……まさか、こんな真っ昼間から盗みとはな……。完全に油断してたぜ」
三人揃って隙を突かれ、三人は歯噛みする思いだ。
そうしている間にも、少年は道行く人々の間をスルスルとすり抜け、三人から遠ざかってゆく。
少年にとって、盗みは日常茶飯事。手慣れたものだった。
ただ――
「前にあったな……人探しの依頼」
「あれか。外見のヒントは髪の色だけっつーかなりの無茶ぶり依頼」
「……そういえばそんなこともあったな。確かに、あの時と今の状況は似ている」
「そんな依頼でも達成できたんだ。だから今回も見つけ出して――俺たちを敵に回したことを後悔させてやろう」
少年はこの日、選ぶ相手を間違えた。
▼△▼△▼△
――俺は世界に嫌われている。
それが、少年――ラグナが十年の人生で得た答えだった。
とある裕福な家庭に生まれたラグナは、母に愛されて育った。しかし、それは五歳までのこと。
父に嫌われていたラグナは、母が病死した翌日に貧困者の集う貧民街へと捨てられた。
嫌われていた理由は『黒髪』だからだ。
捨てられる前、いや、生まれてからずっと、父からはよく「気味が悪いから近づくな」や「お前など生まれてこなければよかった」という冷たい言葉を投げかけられていた。
そして、その評価は貧民街に住む人間からしても同様のものだったらしい。
捨てられ、住む場所も何もかもを失ったラグナは貧民街の住民に助けを求めた。
しかし、その手はことごとく振り払われ、誰にも相手にしてもらえなかった。
かけられた言葉といえば「近づくな」や「二度と話しかけてくるな」といった嫌悪を多分に含んだものだけ。
理由はやはり『黒髪』だから。
なぜ『黒髪』だといけないのか。それを訪ねても、教えてくれる親切な人間は誰一人としていなかった。
そしていつの日か、ラグナは他人を頼ることをやめた。
自分に味方はいないのだと、世界に存在を拒まれているのだと、そう悟り、一人で生きていくことを決めた。
その結果、ラグナは盗みを働くようになった。
それがいけないことだとわかっていても、何もかもを失ったラグナが生きていくにはそれしかなかった。
盗みを始める前は、料理屋裏のゴミ箱を漁って残飯で栄養を摂取し、雨水で喉を潤すといった生活を送っていたが、そんな生活には限界があったのだ。
盗みの技術は貧民街の子供がやっているのを見て学んだ。
直接教わったわけではない。そもそも『黒髪』のラグナと関わろうとする者はただの一人もいなかった。
だから盗み見て学んだ。
おそらく、ラグナには初めから盗みの才能があったのだろう。
ラグナに見られていたということを、貧民街の子供たちは気付きもしていない。
そうして盗みを始めて四年と少し。
盗みを毎日のように続けていれば当然、性格は腐っていく。
最初は露店の果物を盗んだりして一日を凌いでいたが、日に日に欲が膨れ上がり、盗むものは少しづつ高価になっていった。
追われることも何度かあったが、一度も捕まったことは無い。小柄なラグナは逃げ足だけは速かった。
そして、その事実はラグナをさらに増長させることになる。
貧民街の住人はラグナと関わろうとしない。だからラグナを止める者はいなかった。
ここで、ラグナを止めようとするものが一人でもいれば、未来は変わっていただろう。
――俺を止められる奴なんていない。
そんな勘違いをしたまま、今日、ラグナは冒険者に手を出したのだ。
▼△▼△▼△
「――俺の魔道具を返してもらおうか」
ラグナの前方、狭い通路をふさぐ形で男が一人立っていた。
男の正体は、ラグナが盗んだ袋の持ち主である冒険者。
完全に撒いたと、そう思っていたのに。
「な――」
「なんでって顔してるな。別に変わったことはしてねぇよ。野良猫一匹捕まえるのなんざ造作もねぇこった」
「くっ……」
聞きたいことを先回りで言われ、ラグナは言葉を詰まらせる。
そして、他二人の姿が見えないことに疑問を抱き、
「猫? ネズミの間違いだろ」
「袋のネズミってやつだな」
聞こえてきた声にハッとして、振り返った時にはすでに遅く、逃げ場を失っていた。
「クソ……」
現在ラグナがいる場所は、建物と建物の間の狭い通路。
目の前の出口には男が一人立ちふさがり、それと同様に後方の出口にも男が一人立っている。
建物の壁を蹴って上から逃げようにも、最後の一人が頭上、建物の上で待ち構えているため、それも不可能。完全に包囲されている。
詰みだ。
「少年、おとなしくその袋を返してくれれば手荒な真似はしないと約束するが……どうする?」
絶望的な状況のラグナに、男はそんな提案を持ちかける。
ラグナにとっては魅力的な提案だ。
子供一人に対し、屈強な男が三人。それに、ラグナに戦う力は無い。
唯一の取柄は逃げ足が速いことだが、今、その取柄は包囲によって潰されている。
争いになれば、万が一にも勝ち目はないのは誰の目から見ても明らかだ。
だから、提案に乗るべきなのだろう。それで穏便に終わらせられるのなら。
――が、
「……信用、できない」
簡単に人を信じるようなラグナではない。
と言うより、信用するつもりなんて初めから無かった。
『黒髪』は忌み嫌われる存在だ。そんなラグナがいつ、どこで野垂れ死のうと、悲しむ者は一人もいない。それどころか、ラグナを知るほとんどの人間は「やっと死んでくれたか」と喜ぶことだろう。
だから『黒髪』を晒している今、男の言葉を信用して袋を返せば、その途端にどんな目に合うか、ラグナは理解していた。
「……そうか、なら……しょうがねぇな!」
ラグナの返答を聞くと、男は駆け出した。
「手加減はしねぇぞ!」
男は握り拳を作り、振り上げる。血管が浮き出るほどに力強く握られたその拳には、もはや温情の一つも感じられない。
男に盗んだものを返そうが返すまいが、ラグナに訪れる結末はおなじ。一方的に蹂躙されるのみ。
だからこれは――悪足掻きだ。
「うああああぁぁぁ!」
咆哮をあげながら、ラグナは男から奪った袋から腕輪型の魔道具を取り出し、右腕に装着した。
この魔道具で使える魔法をラグナは知らない。一か八かの大博打。
そして、装着したそれを男の方へと向け――
「……え?」
「「「は?」」」
瞬間、ラグナの体は闇に包まれ――その場から姿を消した。