01
旧時代の遺跡を巡るものを人々は、敬意と忌避感をもってこう呼んだ。
――〈クローラ〉。
現代社会において、遺跡で発掘、発見された遺物や技術は文明の根幹ともいうべきものだ。例えば、夜中でも昼日中さながらの灯りをもたらす電灯。発掘されてからおよそ百年の間で解析され現代文明として定着しているが、それ以前の世界では夜を照らすものといえば火であり、それを用いた松明やランタンだった。
それから飛行船なんかも遺物を再現する研究課程で生み出された技術だ。もともと発掘されたものはクジラが水平に胸びれを広げたような形の巨大な乗り物だった。それは初め船だと考えられていたが、ある学者が空を飛ぶ船であると仮説をたてた。果たして真実は不明であるが、そこから着想を得て開発されたのが現代の飛行船だ。
しかし、こうした遺跡を探索することは容易ではない。
まず遺跡があるのは、〈汚染領域〉と呼ばれ、例外なく人間の生息域外だからだ。人の身で近づけば呼吸もままならず空気中を漂う毒素により内臓が朽ちてゆく。眼球はしぼみ、脳はからからの軽石のように委縮する。五感を失い、痛みも苦しみも感じることができなくなり死んでしまう。
〈クローラ〉は確かに現代の文明を支え、発展させる存在だ。探索するだけでなく、研究を行うのも、多くが〈クローラ〉である。学者がひとつの仮説をたてるうちに〈クローラ〉はいつつの新技術を生み出す、と揶揄されるほど現代文明への貢献度は高い。
その反面、ひとにとっての死地へ向かう彼らを「命知らず」と敬遠するものもいる。もっとも、その大半は彼らによる恩恵を享受しながらも、ただただひとの手によって発展してきたと信じる〝現代主義者〟と呼ばれるものたちであるが。
いずれにしても、〈クローラ〉は世界にとって必要不可欠な技術と知識と覚悟をもった集団であることは周知のことなのだ。
*
「あたしを〈高い塔の森〉まで連れて行ってくれないか?」
旧市街の路地は新都に建てられた巨大ショッピングモールの影となり、日中も常に薄暗い。石畳の舗道も隙間から雑草が伸びたままになっていた。
その石畳を歩く男の腕を掴んだ女が唐突にそんなことを言った。
男は動じる様子もなく足を止めて顔だけで振り返ると、
「突然なんだ? 死にたいなら一人で死んでくれないか」と答えた。
女はまだ少女といえる風貌で、〈クローラ〉が多く住まうこの旧市街では見慣れないようなハイスクールの学生が着るような制服を着ている。
腕を掴まれたのは〈クローラ〉らしい黒いローブをまとった男だ。ローブの隙間からみえる引き締まった身体に心根までも見通すような鋭い眸。年齢でいえば若いといえるが、歴戦の兵士のような印象をもつ男だ。
「頼むよ。あたしは〈クローラ〉資格がないから遺跡に――〈汚染領域〉に入れないんだ」
「ああそうだろう。あと知らないようだから教えておいてやる。資格がない奴を〈汚染領域〉に連れて行ったら、結果はどうであれ〈クローラ〉は資格を剥奪されて殺人罪に問われる。君は僕を重罪人に仕立てあげたいのか?」
「連れていくだけでか?」
「連れていくだけでだ」
「………………そう、なのか。それは知らなかったよ。ごめん」
少女は本当に知らなかったようで、愕然としながらも素直に男から手を放すと頭を下げて謝った。そして、すっかりと肩を落として踵を返す。そんな背中を一瞥して、男は普段であれば言わないようなことを無意識に口にしていた。
「……なにか事情があるのか?」
足を止めて少女は振り返ると、気まずそうに笑いながら頭をかいた。
「いや、まあ、そうなんだけど。さすがに他人様に犯罪を犯せなんていえるような事情なんてないだろ。知らなかったとはいえ悪かったな」
そう言ってとぼとぼと新都のほうへ歩いていった。
小さな背中を見送り、男は自らの格好を見下ろして確認する。確かに別名で〈魔導士〉ともいわれる〈クローラ〉らしい黒ローブ姿だが、別に〈クローラ〉しか着ないようなものでもない。それこそ〈魔導〉の研究者もローブを好んで着用するし、ただのファッションでローブを好むものもいる。
何故、彼女は彼を〈クローラ〉だと判断したのだろうか。
あたりをつけただけであれば、「あなたは〈クローラ〉ですか?」と訊いてきてもよさそうである。しかし、実際は完全に正体を見極められ、第一声から断言された。
男は首を傾げたが、本当に深い意味はなく、〈クローラ〉が多く住む旧市街で黒ローブを着ているだけで、それなりにその判断は的を射ているのかもしれない。
そう納得したところで、視界に通信が入ったことを報せるアイコンがポップアップする。
『見ましたよ、クロウ』
耳の奥――もっと言えば脳内をくすぐられるような振動。〈クローラ〉になるときに施術される〈魔力〉を使用した通信だ。つまり、〈クローラ〉からの通信である。
「また覗き見か? 相変わらず趣味が悪いな、スナ」
『人聞きの悪いことを言わないで。これは趣味ではなくて、お仕事なのですから』
クスクスと笑うような雰囲気で彼女は言う。
スナは〈クローラ〉としては異色な生業――情報を売買する、所謂情報屋をしている。彼女の情報は確度が高く、顧客を多く抱えている。その中にはこの街のほとんどの政治家が含まれているという噂からも彼女の手腕が伺える。
その手腕は情報屋としてのものだけではなく、調査のために単独で遺跡の未知領域を踏破して測量、地形図の作成までを行うことからも、〈クローラ〉としての能力が飛び抜けて高いことを示している。
昼夜を問わずに依頼のメッセージを受信するような、そんな多忙を極めているはずのスナは、どういうわけかしばしばクロウをからかうために、こうして通信を入れてくる。
「仕事なら余計に俺の情報など不要だろう」
クロウは言ってしまえば最下級に近い層の〈クローラ〉だ。一般企業であれば入社したばかりの新人と重要度は変わらない。
『いいえ、そのようなことはないですよ。私はあなたが好きですから。あ、これは友人としてですけれど』
スナの声色からはからかいが色濃く残っていた。
クロウは嘆息して、手をひらひらと振った。通信では姿を見ることはできないが、何となくスナならばどこかで自分の姿を見ている気がしたのだ。
「……なにか用なのか?」
注意深く周囲を警戒しながら、クロウは訊いた。
『少し時間ができたからお喋りしたくて』
「切るぞ」
『え? なぜですか?』
とぼけたような声が耳をくすぐる。
「…………」
『怒らないで。冗談です』
「君、忙しいんだろう? 僕をからかう時間は浪費だと思わないか?」
『思いませんよ。いくら忙しいといっても、私だってお食事や睡眠は欠かせません。あとお風呂も。それから読みかけの恋愛小説を読んだり、映画も一日一本見ると決めています』
「本当は暇なのか?」
『いいえ。優秀な人間というのはですね、時間の使い方が上手なのですよ』
スナは自信をもって言った。それが過信でも増長でもないことは本人以上に周囲が理解している。
「まあ、いい。君がどのような一日を送ろうが、忙しかろうが、退屈であろうが。僕には関係がない」
『冷たいのですね、クロウ。せっかく忙しい合間を縫って、通信しているというのに』
「もったいぶってないで、用件を言ってくれ」
苛立ちを露わにクロウは言う。スナが忙しいというのは真実だ。だから、用事もないのにわざわざ通信を入れてくることは考えられなかった。
『さっき、クロウに声をかけてきた女の子ですけれど』スナの声からふざけた調子が消えた。『彼女、どういうわけか遺跡へ連れていってくれる〈クローラ〉を探しているようです』
「ああ、そうだな。親切に無理な理由まで教えてやった」
『彼女、あれからまた他の〈クローラ〉に声をかけたみたいです』
「なんだって?」
あれほど迷惑な行為だと伝えたつもりだったし、彼女もそれを知らぬこととはいえ謝罪したほど、それが非常識なことだったと認識したはずではなかったのか。
『よくわかりませんけれど、かなり切実みたいですね。〈汚染領域〉へ行こうとする理由』
「はあ、もちろん、断られているんだろう?」
『いいえ』
「なに?」
『快く承諾され、ほいほいと路地裏に案内されているところです。どうやらクロウの伝えた〝犯罪行為〟が断るための嘘だと言われて信じたみたいです。かなりの箱入りですね。他人の悪意に鈍感すぎます』
「どこだ?」
『どこ、とは?』
「そいつが連れていかれたのはどこだ?」
『高いですよ』
思わず舌打ちしたくなる。
「あとで払う。いいから教えろ」
『あら、素敵ですね。見ず知らずの他人なのに』心の底から意外そうに、スナは言う。『――はい、メッセージで位置情報リンクを送りましたよ。あと、請求書もね』
同時に視界の隅に新着メッセージ受信を報せるアイコンが表示された。煩わしいので通知音声は切っていた。一般に使用される携帯端末であれば物理的に遠ざけることができるが、〈クローラ〉が使用するのは身体に内蔵されている。睡眠時にも容赦なく脳をくすぐられるのは彼にとって苦痛でしかない。
位置情報を同期すると、地図上に赤い光点が表示される。
場所はここから二百メートルほど離れた新都のショッピングモールの一画だ。光点は細い路地を移動し、まもなく開けた場所に出ようとしている。
「――ここは」
『駐車場へ向かっているようですね。自動車で移動するのかしら』
まだ通信を切っていなかったのか。と毒づきそうになるのをぐっとこらえてクロウはつま先を回転させてきた道を戻り始めた。
自動車もまた遺跡から発掘された遺物を再現したものから量産化まで至ったものだ。未だに普及しているとは言い難いが、新都にはこうして広く駐車場を確保する施設が増えている。
『自動車の移動速度はおおよそ時速七十キロメートルほどと言われています。クロウが走って追いつける速度ではありませんね』
「判っている。街中で〈魔装〉を使用するわけにもいかないしな」
『〈魔装〉であれば追いつける、とでも?』
「…………そんなわけはないだろう」
『いいえ、そうは思いません。クロウが、というわけではなく、そうした〈魔術〉特性をもつ〈魔装〉も存在します』
「僕がそんな便利な〈魔術〉を使えたら、こんな底辺で落ちぶれちゃあいないさ」
クロウはそう言って一方的に通信を切った。
そして、それでもスナから覗かれている感覚をまとったまま、彼は赤い光点に向かって走り出した。
*
「私でさえ、その〈魔術〉が把握しきれないから、あなたに興味が尽きないのですけれどね。クロウ」
そんな言葉は波にのることなく、ただ少女の口元を震わせた。