第二話「激震」
朝。マジで何でもないはずの朝を迎えた。
どこの所属だか知らない防衛省の人間に拾われ、このよくわからないマンションの八階に住むようになって二年が経つ。年齢は確か二十代後半だとか言っていたくせに、この部屋を購入したらしい。いったいどれほどいいご身分でいい給料もらって生活しているのだろうか。いや、待てよ。あいつ、俺らと一緒にここに引っ越してきたような雰囲気があったから、ここもしかして税金で買ったのか?嘘だろ?たかが俺たちのためだけに?なんだか知らないうちに神輿に担がれているような気がする。
隣ではその"神輿に担がれる"原因となった少女がまだ眠っている。こいつ、睡眠時間は一時間で足りるとか豪語していたくせにここに来てからはきっちり八時間睡眠をとっている。まさか、こいつ真人間にでもなるつもりか。無理だろ。
「おい、禱」
俺はそう彼女に呼び掛ける。だがまだ眠る気らしい。隣の高校生カップルですら布団は別々だという噂を聞いたのに、こいつはわざわざ頼んでまでダブルベッドにしている。やはり真人間になるつもりらしい。喜んでいいのだろうか。
「禱、聞こえてるか貴様」
俺が何度も呼び掛けたことで起きてくれるかと思ったが起きない。仕方がないので禱の生物的本能に賭けて、枕元に置いてあるナイフを鞘から抜いてそれを両手で持ち、彼女の首に向かって振り下ろした。予想通りの結果が訪れた。反射と呼ぶしかない速度で跳ね上がってきた禱は俺の手をひねるとナイフを奪い取り、そのまま俺をベッドから落とすように倒し、というか実際にベッドから落ち、首にナイフを当てた。禱の苗字のもとにもなった綺麗な赤い瞳がこちらを睨んでいる。
「……さすが」
あまりの早業に冗談だと言う暇すら与えられなかった。禱が相手が俺だと認識するのが一歩でも遅かったら彼岸にひとッ飛びしていたところだ。ていうか眼前まで川が迫ってきてた。危ねえ危ねえ、こいつマジで殺しに来てたな。
「起こすなら殴る程度にして」
禱はそう言うとナイフを俺の首から外す。
「そうは言ってもだな……」
俺は打った後頭部をさすりながら起き上がり、呟く。
「俺も前それをやろうとしたじゃないか。結果どうなった?」
「私が無意識に反撃してその日学校を休む羽目になったね」
「覚えているようで何より」
禱はナイフを鞘にしまってまた枕元に隠していた。この二年で人並みくらいには成長したと思う背丈からは、あくまで彼女がただの少女であるという事実が浮かんできている。だが、未だに治らない無表情からは彼女の今の本来の姿も見え隠れしている。
「飯だぞ」
ノックもせずに扉を開け、例の男が現れて言う。名前は遠藤 太郎、二十七歳。このありふれた名前でありふれた顔をしているのに、防衛省のかなりいい地位にいるというからこの世界は怖い。
「ノックくらいしろよな」
「すまんがそいつは無理だ。まだそこまで行ってないだろ」
遠藤がそう軽口をたたいたところ、禱が本気で枕を投げつけた。かなりの勢いであり、もろに顔面で受け止めた遠藤は後ろにのけぞった上地面から足が離れ、壁に背中を打ち付けた。
「マジで……どんな力してるんだよ」
遠藤は枕に顔を埋めたまま言う。一方禱は平然とした表情を浮かべている。こいつめ、自分は助けてもらっておいてどれだけ容赦のないことをするんだ。
「二度と言及するな」
昔に比べれば感情が見受けられる声で禱は言う。相当お怒りのようだ。その怒りが果たして遠藤に向かっているのか俺に向かっているのかで相当意味合いが変わってくる。遠藤に向かっていることを祈りながら、俺は禱に向かって呼び掛けた。
「飯だぞ」
「わかった」
禱はそう言うと、ベッドから降りてきた。
部屋を出ればすぐそこがリビングダイニングだ。六人掛けの机の上には既に五人分の朝食が並んでいる。結構質素な朝食で、白米に味噌汁に魚が付く。このマンション、新宿の十階建てでその十階という華々しい場所であるにもかかわらずまるで実家の朝食だ。まさか、一人で暮らしてる時もこのメニューだったのかコイツ。地味にも程ってものがあるぞ。
さて、その地味にも程がある食事をとるのは何も俺と禱と遠藤だけではない。別の同居人もいるのだ。
「おはよ」
その同居人二人が出てきた。彼らは俺らの部屋と反対側にある八畳の和室に住んでいる男女高校生だ。つまり、この家は男女男男女という組み合わせで暮らしていることになる。生憎男女が一組足りなかった。既に制服に着替えている男子高校生の名前は八弥 徹。初めて会ったときは俺よりもちょっと高い程度の身長だったはずだが、いつの間には百七十センチにまで伸びている。女子高生の方は御影 楓華。うちの禱よりも身長が五センチ高い。だいたい平均身長らしいので、身長が低めの禱はたまに恨めし気な目を向けている。
「おはよう」
俺と禱も挨拶を返した。向こうの二人も二人でいい仲だそうだ。二人とは四、五日行動を共にしたことがある程度の仲で、いやまあ元々のことを考えればそれでも十分な仲なんだけど、まさかこんなところで再会することになるとは思っていなかったので驚いた。国にとっては、俺と禱という二人と八弥と御影という二人の重要性はほぼ同じらしい。まあ、経験を考えれば当然の結果だろう。だからと言ってわざわざ同じ人間のもと同じ物件に住まわせる必要はないだろうに。なぜこうなったのだろうか?
え、もしかして遠藤がそういう性癖とか?ティーンカップルがいちゃついてるのを見ててほっこりしたいだけの変態だったのか?普通にあり得そうで怖い。
さて、その変態はというと早速椅子に座って、こちらに笑顔を向けている。
「さ、食べようか」
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「お前さ、着替えも容赦なく同室なことについてなんとも思ってないのか?」
俺は学校に向かう道すがら禱に問いかける。
「逆に、司君は私が隣で寝てて大丈夫なの?いつ襲うかわかんないよ?」
「どっちの意味で言ってるのかは分からんが」
「殺す方向性で」
「やめてくれ」
禱の制服姿も相当板についてきた。これじゃ見た目はまるでただの女子中学生じゃないか。今の中学は制服はセーラー服ではなくブレザーだ。俺は色々あって中学生どころか小学生という経験を半分以上失ったため、制服は見慣れないものだった。もう見慣れたが、前は禱の制服姿という異常さもあって大変禱がかわいらしく見えた。
「まあ、別にな。俺もうお前のこと信用してるし。あそこまで一緒にいて信頼関係ゼロだったら俺悲しいぜ?」
「ん、ならよかった。私も同じ答え。司君のことを信頼してるから、ずっと隣同士でいい」
信号待ちをしていると、近くを小学生軍団が通り過ぎていく。自転車に乗った高校生なども見受けられる。ちょうど今は通学ラッシュとか言える時間に当たる。民家と民家の間の細い道を通って中学校に向かっていると、同級生や後輩たちと出会う。禱は彼らに会うたびにしっかりと挨拶をする。
「おはよう」
「おはようございます」
その細い道を抜けるとすぐに裏門がある。
「いやしかし、お前と会ったときはこうなるとか思ってなかったな」
「確かに」
なぜか屋上にプールが置かれている体育館のわきを通り過ぎると、どうやら中で部活の朝連が行われているらしくバスケットボールの跳ねる音がする。
「そもそも、私がここまで一般社会に溶け込めるとは思ってなかった。どうせダメだろうと思ってたのに」
「戸籍ないからなあ、お前」
禱はあまり存在としてよろしくないものなので、当然戸籍は存在しなかった。よほど禱を大切にしたいのであろう防衛省がどこかにお願いして作ってもらったのだろうか。
「戸籍管理してるのって法務省だっけ」
「そう。多分いろんな不思議パワーが働いたんじゃないかな」
以前、その戸籍謄本を見たことがある。父親と母親は存在しない謎の人物が割り当てられ、死亡扱いになっていたし、出生地や誕生日も判然としないまま適当に割り当てられていた。誕生日は確か、俺が禱と出会った日を割り当てたらしい。えらいロマンチックなことするな、あの凡人。
「あんまり知りたくはないなあ、舞台裏は」
そんなことをぼやいているうち、正門側に回って玄関にたどり着いた。ここから先は完全にただの中学生だ。俺が知ってる中学校とはだいぶ違う、大学かどこかみたいなお洒落な玄関には、そのお洒落さとは程遠いガサツな中学生たちが集まっている。今日は始業式の日で、わざわざ玄関にクラス替え発表を貼るので毎年この有様だ。まあ、一回しか経験してないんだけど。二年で転入したから。
「おい見えるか」
「うん、大丈夫、また同じクラス」
「最高だな」
「最高」
俺と禱は玄関になだれ込む人の流れに流されるように玄関に向かう。
「三年生教室は何階で靴箱はどれだっけ?」
「私にもわからない」
禱曰く、組はC組だそうなので、『3-C』と書かれた靴箱を見つければよいのだ。見つかればの話だ。人が多すぎて見つけるのに苦労する。二階まで吹き抜けで上の視界はいいのだがなあ。
「あ、あった」
禱が見つける。禱が人波をかき分けてそちらへと向かうので、俺はそれにあやかろうと手をつかんだ。禱は俺が手をつかんだことも気にせずに進んでいく。本当に頼りがいがある。この勢いですいすい進んでくれたから今があるのだと感慨にふけっていたら、いつの間にか靴を履き替えていた。おかしいな、吐き替えた記憶がない。ただ間違いなく自分で履き替えてる。記憶力に難があるらしいな俺……今初めて知ったわ。
「あ、そうだ、三階じゃん」
俺は思い出して言った。そうだった、三年生の教室は三階だ。一・二年が四階なのが納得いかないが、どうやら大抵の中学がそんな感じらしい。三年生が一番下の階なんだと。うるせえ最高学年様だぞ、最上階に入れろ。
この学校、幸いなことにエレベーターが付いているのだが朝は激込みなのでどうしても乗りたい人以外は基本的に階段で上がる。特に、一二年生は四階という高さなので乗りたがる生徒が多い。玄関から右に曲がったところにある、保健室の左の階段を上がって三階へと向かう。時刻は午前七時五十分。結構早く着いたつもりだが、みんな新学年でウキウキしているのか思ったよりもみんな来るのが早かった。三階に上がると、廊下の突き当りにある三年C組を目指す。
「おはよう」
「おはよう」
教室に入ると、既に結構生徒が入っていた。真面目で結構、ただちょっと早すぎじゃねえか?
席は出席番号順、禱の名字は「赤間」で、出席番号は一番だ。一方の俺の名字は「司」、出席番号は十三だ。机は窓側から順に廊下側に向けて六列、一列に六つ並んでいるので俺は三列目の一番前になる。禱は一番窓側の一番前になる。ヒロイン席は窓側の一番後ろだろうが、まあ一番前でも可愛いけどさ。
「また同じクラスか、よろしくな」
すぐ後ろに座っている天 拓斗が言う。天とはまた珍しい苗字だ。検索したところどちらかというと朝鮮よりの名前らしく、全国に二百人程度しかいないらしい。まあ、元植民地だし……いっか。
「おう、よろしく」
禱の方も禱の方でクラスの仲のいい女子と喋っている様子だった。本当にこうしてみるとただの女の子だ。俺の知ってる禱の片りんは表情が薄いこと以外に一切見つからないほどだ。
「相変わらず仲いいな、二人とも」
「あ、どーも」
俺は適当に返事をした。机の引き出しの中には今年使うのであろう教科書類が入っている。去年の分の教科書は確か押し入れかどこかにしまってある。いつか必要になることもあるだろうから、とっておいて損はないはずだ。ちなみに、俺と禱が恋愛関係にあるということはなぜか学校全体の認識になっているらしく、去年も席替えが四回に渡ってあったにも関わらず、すべてにおいて禱が物理的に手の届くところにいた。これも霞が関の陰謀なのか、腹立たしい、感謝しかない。これが本当に霞が関の陰謀ならば、俺は起きるたびに霞が関の方向を拝まなければいけなくなる。やめてくれ。
次々に見知った顔が教室に入ってくる中、ふと禱が何かに気が付いたような表情をしてものすごい勢いで立ち上がった。その表情を俺は知っている。また戻ってきた、あの頃の禱が。
「どうした」
「耳塞いで!」
彼女はそう叫んだ。こういう時は大抵禱の言うことを聞いたほうがいいということをなんとなく学んでいる去年のクラスメイト達は耳を指でふさぎ、それを知らない去年別のクラスだった奴は当惑した表情を浮かべている。
その直後、耳をつんざくような爆音が学校中に響いた。廊下のガラスが一斉に音を立てて震え、ひびが入る。日常では到底経験できないほどの重低音の百五十デシベルが容赦なく飛んでくる。耳をふさいでいなかった人間のほとんどがその爆音に耳をやられ、一時的な難聴になったり鼓膜が破れるなどの被害を受けた。
「おい何が起きた!」
天が叫ぶ。彼はしっかりと耳をふさいでいる。
「まさか……」
禱は無表情でつぶやく。その目は、すでにここが戦場であることを知らせていた。
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鼓膜が破れるのは百八十デシベルから、らしいですが、今回は何人かの方々に犠牲になってもらいました。ごめんね、あとで元に戻すから許してね。