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飛行機雲とかくれんぼ

不妊の話です。ご注意を

(また、ダメだった……)


 ――近藤さん、残念だけど……治療は次の段階に進めましょう。若いんだし少しお金はかかるけど、今は補助金もあるわ。挑戦してみない?


(次の段階って、体外受精か顕微鏡受精。費用は一気に桁が増える……)


 私は女医から渡された助成金パンフレットをぼんやりと眺める。

 体外受精や顕微鏡受精は最低でも1回30万はかかる。

 昨今の少子化問題から、不妊治療に補助金が出るとは聞いていたが、それでも足りない。

 いいところ1回分がいいところだ。出ないよりはマシなんだろうけど。


 待合室のテレビは地域ニュースの時間で、可愛らしい男の子の写真と共に、ニュースキャスターが行方不明事件を伝えていた。


『……次のニュースです。佐藤(かなめ)ちゃん誘拐事件ですが、当番組がご両親のコメントを独占入手しましたので、お聞きください』


『お願いです! どうか息子を……要を返してください!!』

『あの子は私達の宝です。要求があれば何でもします。お願いです、どうか息子を無事に帰して下さい』


 母親は泣きじゃくって顔を伏せ、旦那さんはそんな奥さんの肩をそっと抱き寄せて支え、涙も見せずに気丈にもカメラを見ていた。

 かわいそうに。まだ見つかってなかったのね。

 早く見つかるといい、だけど素直にそう思いきれず、少し妬ましい自分もいる。


(悲しめるのは、自分の子がいる証拠だもの)


 私の気持ちはきっとあのお母さんには一生わからない。

 「近藤さーん」と受付から呼ばれ、はっとして現実に戻された。

 私は受付でお金を支払い、病院を出る。


 昼間と違い、肌を突き刺すようなギラギラとした暑さは少し収まり、多少散歩のしやすい時間帯。

 私はいつもの神社へ向かった。


 ※ ※ ※


 小さな鳥居をくぐり抜け、お賽銭を入れて柏手を打ち、神様にお願いをする。


(〇〇市△△区□□3-5-25~~マンション5023号、近藤 綾(こんどう あや)です。どうか私に子供を寄越して下さい。お願いします)


 顔を上げて一礼をした時、いつの間にか側に子供がいた。

 3歳か4歳か、帽子を被った小さな男の子。

 泥遊びでもしていたのか、顔も手足も泥だらけ。

 もう夕方だというのに、お母さんはどこかしら。


「まあ、泥だらけじゃない。泥遊びは楽しかった? どこか痛いところはない? お家は?」


 矢継ぎ早の質問に男の子は悲しそうな顔で首を横に振り「お家、わかんないの……」とか細い声で言った。


 私はキョロキョロとあたりを伺い、私は男の子を手水舎に連れていき、柄杓でハンカチに水をかけ、顔を拭き、手足を拭いた。

 ふっくりした可愛いほっぺたと白い手足がようやく姿を見せ、男の子は少しだけ笑顔を見せてくれた。

 普段外に出ない子なのだろう。なおさら泥遊びは楽しかったに違いない。

 本当はこんなふうに手水舎を使うものじゃないけど、緊急事態だからきっと神様も許してくれる。

 服の泥を少し払って幾分マシな姿になった。


「よし! これでおかあさんに少しは怒られないわよ。じゃあおばちゃんと交番行こうね」


 男の子はこくんと頷き、大人しく手を引かれて近くにある交番に向かった。


 ※ ※ ※


 交番には私より一回りは若そうな警察官が暇そうに詰めていた。


「すみません、迷子をお願いします」

「ああ、迷子ですね。お名前と連絡先お願いします」


 私は渡された用紙に名前や住所、電話番号を書いている間に

「ご両親からお礼などで連絡したいと言われたらお伝えしてもいいですか?」

 と聞かれたので、

「お礼なら必要ありません。じゃよろしくお願いします」

 と答え、男の子に手を振って別れた、筈だった。


 ※ ※ ※


「おばちゃん、かくれんぼ」


 声に振り向けば、にこりと笑顔でかくれんぼをねだる男の子。

 さっき別れたばかりのあの子がそこにいた。

 私はとても驚いて駆け寄った。


「ボク、一人で危ないじゃない! 交番にいたんじゃなかったの?」


 一体いつからついてきたのか。


 慌てる私を何一つ気にせず、

「ボクが隠れるから、おばちゃんは鬼ね!」

 と、男の子はどこかに向かって、パッと駆け出していく。


「ちょっ! ダメ、待って!! 走ると危ないわ!」


 この辺は郊外の住宅地だがバイパスも近い。

 バイパスに向かう車も多いし、スピードを出す人間も多い。

 ましてや今は夕方、そろそろ帰宅ラッシュが始まる。


(この匂い、夕立かなぁ。雨が降るわね)


 本格的に雨が降る前に捕まえないといけない。

 私は男の子の背中を追って、走り出した。


 ※ ※ ※


 男の子を追ってたどり着いたのは、古びた廃屋のような工場だった。

 これはさすがに不法侵入だけど、あの子は確かにこの中に入っていった。


(誰かいるといいんだけど……)


 誰かいれば探す許可を貰って探せる。

 そう思い、事務所らしき一角に向かったが、鍵がかかっており、やはり誰もいない。

 どうしよう。

 途方に暮れていると、男の子の声が聞こえる。


「おばちゃん、まあだだよ!」


 困った子ね。まだかくれんぼを続けるつもりかしら。

 私はやけくそで叫んだ。


「もういいかい?」

「まあだだよ!」


 私は10数えてまた叫んだ。


「もういいかい?」

「もういいよ!!」


 外はもう雨が降り出している。叩きつけるようなゲリラ豪雨だ。

 お気に入りの靴じゃなくて良かったと思いながら、声のした裏庭の方向へ歩き出す。

 裏庭は少しの雑草と赤茶けた土が雨を吸い込み、すっかりドロドロだ。

 あっという間に服はびしょびしょに濡れ、靴は泥だらけになった。


「あらあら、あの子はかくれんぼが下手ね」


 クスリと私は笑う。

 だって小さな靴の片方が落ちていたんだもの。

 靴を拾い上げて、裏庭に出るとまた落とし物。

 あの子が被っていた、飛行機のワッペンがついた小さな帽子。


「さあ、どこかな? ここかなぁ?」


 私はわざと大声で呼びかけながら、プロパンガスの物陰やエアコンの室外機の隙間を探す。

 隠れる方は鬼の声が近くで聞こえるとスリルがあって盛り上がるのだ。

 程なくして私は見つけた。


 かくれんぼが下手で隠しきれない細い白い手が、土からひょっこりと出ていた。


 激しい雨に打たれる異常なほど白い手。

 何故始めに気が付かなかったのか。

 私は駆け寄り、雨でぬかるんだ泥を素手で必死に掻き出した。

 何度も何度も掻き出して、ようやくあの子は姿を現した。

 手足や顔は綺麗なのに、襟ぐりからは首に何かを巻かれたような跡。

 不審に思い、そっとTシャツを捲るとお腹には大きな痣や細かな傷が沢山あった。

 何てことを……。こんな小さな子に暴力をふるうだけじゃなく、殺すだなんて。

 痛かったろうに。苦しかったろうに。一番頼れる親も助けてくれなかったなんて。

 こんなにひどい、外道な事をする人が親になれるのに、何故私は親になれないの?

 私に一体何が足りないっていうのよ。

 私の子なら、絶対こんな目にあわせたりしないのに!

 ありとあらゆるマイナス感情がごちゃごちゃになって、私の中で渦巻き、ばたばたと涙があふれる。


 「みいつけた……」


 さあ、かくれんぼはもうおしまい。

 帰りましょう。

 帰るところがないなら、私のところに帰っておいで。

 いつの間にか雨は止み、空には虹が出ていたが私にはそんなものを見上げる余裕はなかった。


 ※ ※ ※


 その後、私は警察に知らせ、状況から犯人に疑われたが疑いはすぐに晴れた。

 真犯人が見つかったからだ。


『……続いてのニュースです。佐藤要くん誘拐事件の犯人は、警察の調べによると両親の狂言による誘拐事件であった事が判明しました……』


 妻は要ちゃんを連れて今の夫と再婚したが、中々要ちゃんが夫に懐かず、夫はしつけと称して度々暴力をふるっていた、奥さんも見て見ぬふりだと近所でも評判が立っていたらしい。

 夫は遺体の見つかった廃屋の工場の元社長。

 経営がうまくいかず、夫には莫大な借金が残り金に困っていたという。

 夫は気に食わない要ちゃんをいつものように折檻していると急にぐったりして動かなくなり、慌てた夫は事もあろうに、病院ではなく近所の廃屋の裏庭に穴を掘って埋めた。

 更にこの夫は借金の穴埋めに利用しようと、要ちゃんを殺した事を隠し、誘拐事件としてでっち上げ、マスコミ経由で世間に同情を訴え、SNSを通じて目撃情報を求め、身代金のクラウドファンディングまで行っていたのだという。


 犯人が捕まり、私の取調べも担当した初老の松井という刑事さんが教えてくれた。


「おかしなものでね、奥さん。夫の証言によるとあの子は相当深くに埋められていて、いくら掘り起こしたばかりで土が柔らかくても、女性のあなたが素手で掘り起こせる程の深さではなかったのですよ」


 大の大人が初めての殺人に震え、発覚を恐れて深く穴を掘って埋めるのは考えられる。

 事実、あの夫はそうした。

 あなたが白い手を見て、あなたが掘り起こしたというが、本当なら見えるわけも掘り起こせる訳もないんですよ、と松井さんは言う。


「でも私、奥さんの言う事を信じますよ。この商売、不思議な力が働いて解決するって意外と多いんです。近藤さん、事件解決のご協力に感謝します」


 そう松井さんは敬礼してくれた。


 ※ ※ ※


 事件から3ヶ月、私はいつものように夫と平穏な日々。


「いってらっしゃい光一。はいお弁当」

「綾、無理しちゃダメだよ。今が一番大事なんだろ?」


 光一はまだ目立たないお腹をそっとなでる。

 ここのところ毎朝、一言一句同じことを言ってから、お弁当を受け取って駅に向かう。

 この人ってこんなに心配性だったかしら、と苦笑する。


「もー。私は大丈夫。早く仕事行きなさい」


 あの後、私達は最後のタイミング法を試した。

 次の治療は受けない。私達は二人でそう決めてからの妊娠判明。

 神様はようやく願いを聞いてくれたみたいだ。

 待ち望んでいた私達は抱き合い、泣いて喜んだ。


 ※ ※ ※


 私は検診の帰り、いつも子供を願っていた神社へ再び参った。

 無事子供を授かったお礼参りだ。

 まだ生まれた訳じゃないけど、この子は絶対大丈夫な予感がする。


 いつものように鳥居をくぐり抜け、お賽銭を納める。

 お礼だからお賽銭を少しはずみ、柏手を打ってお礼を言った。


(〇〇市△△区□□3-5-25~~マンション5023号、近藤綾です。無事子供を授かりました。ありがとうございました!)


 一礼をして振り返ると、あの男の子がいた。

 今度は泥だらけじゃない、綺麗な姿だ。

 帽子も靴もちゃんとある。


「ボク、ホントはおかあさんと会うためにずっとここにいたんだ。見つけてくれてありがとう!!」


 男の子、要くんは溢れるような笑顔を見せると、くるりと背を見せて鳥居に向かって駆け出し、消えた。

 私はお腹をそっと撫でて、語りかける。


「外に出たらたくさんお話ししようね。君の大好きな飛行機のお話を」


 見上げれば、10月の秋の空に似つかわしい、一筋の飛行機雲がかかっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 恐怖の震えと感動の震えが同時に来て大変でした! ((((;゜Д゜)))((((;゜Д゜))) [気になる点] 難しい題材だったと思いますが、お見事でした! [一言] とても良かったです!
[一言] 夏のホラー2021から参りました。 本当に子どもを望むところにはなかなか授からないのに、せっかく授かった命が虐待で失われる。とても悲しい現実ですよね。男の子助けて欲しかったんですね。本当は彼…
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