失ったものは…
涼香が野球部のエース、谷口君と付き合い始めてから数日。
あの日から僕と涼香が会話することは段々と減っていき、今では挨拶を交わすくらいで、ほとんど話すことはなくなっていた。
涼香は朝から駅まで谷口君を迎えに行き、休み時間、お昼も隣の谷口君のクラスに行っている。放課後も部活が終わってから一緒に帰っているため、1日を通して涼香の姿を見るのは授業中くらいのものだ。
付き合っていることを隠すこともなく、いつも一緒にいる涼香と谷口君、もともとふたりとも目立つ存在だったこともあり、瞬く間に二人の関係は学校に広まり、もはや学校公認の仲になっている。
今や涼香の隣には常に谷口君がいた。涼香の隣はもう、僕のものではなくなったのだ。
普段ならいつも涼香と一緒にいた僕は学校では一人で過ごすことが多くなった。
僕の周りにいた人たちはみんな涼香と一緒にいたかった人たちだ。僕の隣に涼香がいなくなれば、自然とその人たちも離れていく、そんなものだ。
一度、我慢できなくなり、涼香をお昼に誘ってみた。
結果は言うまでもなかった。「え、ごめん日向。私彼氏のところで食べるからさ」そう言ってお弁当を用意する涼香はもう僕のことなんて視界に捉えていないようだった。
悲しかった。
あんな対応されるくらいなら、もう話しかけない方がいいとさえ思った。
僕は毎日なんとなく学校にはきているが、何もやる気が出てこなかった。
今まで続けてきた流れが身体にしみついていて、いつもの時間に起きて学校に行く、学校では何をするでもなく、ボーっと外を眺めて過ごす。
真面目に授業を聞く気にはとてもなれない。何かが抜け落ちてしまったような、心に穴が開いたような気分だった。僕が失ったものは、これだけ僕の全てを占めていたんだなぁと改めて実感させられる日々だった。
すべての活力、生きている意味、つまり僕は全てを失ったのだ。
深い思考に陥っていた僕は、クラスメイトたちがほとんどいなくなっていることに気が付かなかった。チャイムの音で現実に引き戻され、教室に人がいなくなっていることに気が付く。
そうだ、午後の最初の授業は移動教室だった。慌てて準備をするが、ふと手が止まる。
このままサボってしまおうか。
それもいいかもしれない。少し一人になりたかった僕は教科書を持たずに教室を出る。流石に教室でサボっていたら、すぐに見つかってしまいそうだ。
ふらふらと教師に出会わないような場所を求めて自然と屋上に向かう。お昼休みは人で溢れている屋上も今は誰もいなく静かなものだった。
日差しと風が丁度いい、僕は下から見えない位置に腰を下ろした。そのまま仰向けに横になり、広がる青空を眺める。静かな空間で一人になっても、このぐちゃぐちゃな感情はどうにもならなそうだった。
空を見ていた顔にふと、影が落ちる。
「サボり?」
「……? え、倉木さん?」
眩しさがなくなってから見えたのは、僕を上から見下ろす倉木さんの顔だった。
「珍しいじゃん。昔から真面目だったのに」そう言って僕の隣に座る倉木さん。僕はいきなり現れた倉木さんに驚きを隠せなかった。
「く、倉木さん⁉ どうしたの? 今授業中じゃ」
「知ってるよ。アタシもサボり。落ち着きなよ。チクったりしないから」
「う、うん。ごめん。よく来るの?」
「まぁね。授業中は静かでいいでしょ、ここ」
「……そうだね」
倉木さんはそのまま僕の隣で景色を眺める。風に揺れる髪の隙間から見えるピアスが太陽の光を受けて輝いていた。
「元気ないよね、最近」
「え⁉ そ、そんなことないよ」
「一ノ瀬のことでしょ」
「ッ……」なんの脈絡もなく核心を突かれて言いよどむ。
「ショックなんでしょ彼氏できちゃったの」
「……はぁ、わかりやすいのかな僕?」
「そりゃ、あれだけボーっとしてたらね」
「誰も気にしてないからいいと思って、はは、はぁ」
ついたため息と一緒に自分の中で渦巻いていた感情が一緒に出てきてしまいそうになるのを、俯いて歯を食いしばりグッとこらえる。
何の関係もない倉木さんに泣きついたところで彼女が困るだけだし、かっこ悪すぎる。
そう、思っていたのに……
「いいんじゃない吐き出しちゃえばさ、ため込んでたらいつまでも楽になれないよ」
なんて、聞いたこともないような優しい声で言われて、驚き倉木さんを見ると彼女は優しい目で、どことなく心配そうな、そんな表情で僕を見ていた。
倉木さんのその表情を見て自然と噛みしめていた口から言葉が漏れる。
「なんかさ、今までずっと一緒だったから。勝手にこれからもずっと一緒にいるんだと思ってたんだ」
「…うん」
「だから、急にいなくなられるとね、どうしていいか、わかんなくて…」
「うん」
「ぅ、僕の方が、ずっとぉ、い、いっしょにいたのに、いき、いきなりさ、ヒック、僕だって、僕だって…」
一度あふれ出すと、それはもう止まらなかった。思いが言葉になり、涙になり、止めどなく流れ落ちる。
自分でもわからないグチャグチャな心の内をそのままに纏まらない言葉で垂れ流す。涙が恥ずかしくて下を向く。涙でかすんだ目で地面を見ていると、頭に暖かい感触を感じた。
「寂しいよね。きっと同じ立場になったら誰だってそうだよ。泣いたっていいんだよ」
頭を撫でられながらそう言葉をかけられ、限界が来た僕はもう喋れないほど泣いた。すべてを吐き出す勢いで泣いた。倉木さんは僕が泣いている間。隣で頭を撫でていてくれた。
チャイムが鳴り響く。
もう午後の授業は全て終わってしまったようだ。屋上には昼休み以外は人が来ない。僕はたっぷりと二時間分の授業をサボって屋上で泣き言を聞いてもらったことになる。この頃になるとグチャグチャだった心は段々と落ち着きを取り戻して、徐々に恥ずかしさがこみ上げてきていた。
「く、倉木さん。あの、僕は、その!」
「ふっ何? 泣いて落ち着いたんじゃないの?」
「うぇ、ごめんなさい。なんか付き合わせちゃって、お恥ずかしいところを……」
「別に恥ずかしくないでしょ。悲しいときはさ、誰かに聞いてほしくなるもんだよ」
まったくからかう様子もなく、さらっとそんなことを言う倉木さんは、僕からはとても大人っぽく見えた。
「倉木さんって大人だね」
「何それ、同い年なんですけど」
「いや、何か精神年齢的な、大人びてるっていうかね」
「まぁ、アタシはこんなナリでいろいろ言われるから、何事にも動じない精神を身に着けたわけ」
「く、苦労してるんだね」
「そりゃもう、クラスメイトからいくら? なんて聞かれてみ、そりゃグレるっしょ」
「う、うわぁ、聞きたくなかった。その生々しい話」
「そう言わないで聞きなよ、アタシだって聞いてあげたでしょ?」
「その件は誠にありがとうございました。倉木さんの話もぜひ聞かせていただければと思います!」
僕の素早い掌返しにふふっと笑う倉木さん。つられて僕も笑う。何日ぶりに笑っただろうか、ようやく、気持ちを切り替えていけるような気がした。
「倉木さん。ありがとうね。僕、なんか吹っ切れた気がする」
「どういたしまして、またのご利用、いつでもどうぞサボり仲間さん」
「あはは、そうだ。何かお礼したいんだけど、何がいいかな?」
「お礼かぁ、それなら~~~」
「~~~ばいいの? お安い御用だよ!」
「そ、じゃさっそくよろしくね」