アタシは 放さない
屋上で話をして以来、アタシと日向君は、ほとんどの時間を一緒に過ごすようになった。
席が前後で、休み時間は自然と話をし、昼食も学食に行って一緒に食べる。時には、ふたりで授業をサボり屋上でひたすら話をして過ごしたりもした。見る人がいたら、それはもう色々と噂をされただろうけど、今は一ノ瀬たちの話題で学校中が盛り上がっており、こちらを気にするような人は少ない。なんともいい状況を作り出してくれたものだ。その恩恵を受けて、人目を気にすることなく、アタシは日向君との距離を縮めていく。
だけど、やっぱり邪魔は入りそうだった。
一ノ瀬涼香が日向君の動向を気にし始めていた。一ノ瀬から日向君に声をかけることが多くなったし、隣の教室に行くことも少なくなっていった。
けれど、アタシの方が先に行動していたから、日向君はもう、気持ちを切り替えていて、一ノ瀬の彼氏に気を遣い誘いを断っていた。
それが気に入らなかった一ノ瀬は、アタシたちをつけてくるようにまでなり、しまいには、日向君が来れない場所を狙ったのかトイレでアタシに関わらないように忠告までしてきた。
少しの間、日向君がいない状況になって、ようやく気付き始めたのかもしれない。彼女にとっても何が、大切なのかを……。
だけど、今更遅い。
アタシはもう分かっている。
何が大切なのか、手放すわけがない。
それからというもの、一ノ瀬が関わってこないように周りには気を配るようにした。日向君と二人にしないよう、学校では常に側にいるようにして、放課後も遅くまで遊びに誘った。
改めて一緒にいるようになって感じる日向君の優しさ。相手に気を遣って合わせてくれようとする彼との時間は、とても心地よいものだった。
あの女はこれを当たり前のように感じていたのだろうか、この何にも代えられない、かけがえのない時間を。
案外役に立ったのは野球部の彼氏だった。一ノ瀬は日向君が気になり始めてから、隣のクラスに行くことが極端に減った。
そうなれば動くのは彼氏だろう。これまでとは逆に、彼氏がこちらのクラスに、一ノ瀬に会いに来るようになった。注目のカップルだ。堂々とクラスメイトの前で会いに来る彼氏にクラスメイトたちは盛り上がって、すぐに人だかりができる。
その隙に、アタシは日向君を連れ出し、思うように動けない一ノ瀬は、イライラを隠そうとしていなかった。
おかげで、ふたりの時間をしっかりと取ることができたアタシは、今週の土曜、つまりはクリスマスイヴを日向君と一緒に過ごす約束まですることができていた。
あぁ、あと少し、あと少しだ。
内心、イヴのことを考えると興奮してしまい、おかしくなりそうだった。
隣で笑う日向君の笑顔を見ていると身体が奥から熱くなってくる。彼が視線を外しているとき、意識しないうちに手が伸びていて、慌てて感情を抑える。
まだ、今じゃない。
必死に自分の感情を抑え、なんとかイヴ当日を迎える。
待ち合わせ場所に来た日向君は、平常心を装っているが、何か心配なことがあるようで、どこかソワソワしていた。
「どうかした?」
「え? な、何が?」
取り繕おうとする日向君の手を握る。
「……心配な事があったらアタシに言って、日向の力になりたい」
「く、倉木さん⁉︎ あの……」
「アタシになら気を遣うことないよ。日向は優しいから、遠慮してるけど、アタシは日向の事ならなんだって聞きたい」
「あ、あぅ、ありがとぅございます……」
顔を赤くして俯いた日向君は、少し逡巡してから意を決して話し始めた。
「昨日涼香がね、倉木さんとは遊ぶなって、その、倉木さんのいろいろな噂を気にしたみたいでね」
「……そっか」
「優しくしてくれた倉木さんを悪く言わないで欲しくて、つい怒っちゃったんだよね。そうしたら、涼香も怒ったみたいで昨日からすごい数の着信が来ててさ、話すのがちょっと怖いなって……」
手に持っていたスマホに視線を落とす日向君。その表情は、不安と後悔が入り混じっているように見えた。その表情を見ているだけで、日向君が後悔する必要なんてないと、そう伝えたい想いが溢れてくる。
「話してくれてありがとう。それに代わりに怒ってくれたんだね」
「そんな、こちらこそ不安な話をきいてくれてありがとう。話をしたらちょっとだけ楽になったよ」
「それはよかった。今日はせっかくのイヴだし、いっぱい遊んで嫌な事は忘れよう!」
「うん! 今日はよろしくね、倉木さん」
日向君にはスマホの電源を切ってもらい、その後は二人で遊びまわった。
楽しく、幸せな時間が過ぎていく、こんな幸せを味わってしまったらもうダメだ。
笑顔、声、微かにわかる匂い、日向君のすべてに幸せを感じる。
それはまるで麻薬のようで、感じる幸福感の虜になる。
あぁ、誰にも渡したくない。アタシだけに笑いかけていて欲しい。
それを叶えるために、日向君との関係を今日、進める。
夕方まで遊び倒して、家に日向君を連れ込む。
アタシはマンションに一人暮らしで、家に帰っても親なんていない。親は生活費を振り込んでくるだけの存在で、ここはアタシだけの場所。
これからはアタシと日向君の場所になる。
日向君には、わざと一人暮らししていることを言っていない。家にふたりきりとわかった日向君は緊張し始めた。そこに追い打ちをかけるように身体を寄せて過ごす。
必死に意識しないようにしている日向君は、見ていて可愛らしくアタシの気持ちは益々高まっていく。
頃合いを見計らってシャワーを浴びにいく、これもわざと意識させるようにしたことだが、それは失敗だった。
何やら部屋から話声が聞こえた。
日向君だ。
おそらくは電話。
シャワーを浴びている間に一ノ瀬からの電話に出てしまったようだ。意識せずにスマホを見てしまったのだろう。
「……そんなこと! 今更言われたって、僕はもう涼香のことは諦めたんだ! いつまでも凹んでたら心配かけると思って、それなのに、今更ッ」
このまま話をさせていたらどうなるかわからない。今はまだ必死に拒絶する日向君の声に、下着姿のまま出て行き、そのままの勢いでベッドに日向君を押し倒す。
「そんな……え? あ、ちょっ……」
日向君の上に跨り、押し潰すように口付けをし、逃がさないようにしっかりと脚を絡ませる。
その内に抵抗がなくなっていき、日向君の手から落ちたスマホを取る。
あの女に伝えておかないといけない。
「日向⁉︎」
「一度失ったら、もう遅いんだよ。一ノ瀬さん」
「……え?」
それだけ言葉にして伝え、通話を切った。
少しの間は日向君の官能的な声を聞かせてあげた。一ノ瀬にも今、何をしているかぐらい充分わかったはずだ。
自分が失ったという事実も、しっかりと。
荒い息遣いで横たわる日向君。相当疲れたみたいだけど、まだ足りない。
もっとアタシに、アタシ無しではいられないように、
抵抗出来ないように抱きしめ、耳元で囁く。
「これからは、アタシがずっと側にいるからね。ずっとね」
「倉木さん?……」
新学期になった。
アタシは日向君を家まで迎えに行き一緒に登校する。ふたりきりの登校。学校でも、ずっと一緒、他の人の視線も気にせずに手を繋ぐ。アタシを見る日向君は笑顔だ。
「ふふ、そんなに嬉しい? これからも毎日だよ」
流石に注目を集めることになるが、それでいい。学校中が日向君はアタシのものだと認識してくれる。
登校も休み時間も放課後も、日向君の時間は全部アタシのもの。
周りからは、狙い通りにアタシたちについて話す声が聞こえてくる。
「え〜あのふたり、いつから?」
「クソッ、日向のやつ羨ましいな」
「日向が金払ってんじゃねぇの」
「いや、どう見ても倉木から絡んでるだろ、あの感じ」
「確かにな、倉木はなんか、尽くしてる? 日向はされるがままって感じだな」
「倉木さん、日向君のこと好きだったのかな?」
誰もわかってる人はいない。
好きとか、そんなものじゃない、
大切なんだ。
それは、きっとあの女にとっても一緒だったに違いない。
どろりとした異質な視線をたどれば、その先にはこちらを虚ろな目で見つめている一ノ瀬がいた。
誰に話しかけられても反応せず、彼女はただ自分が失った大切なものを見つめ続ける。あの目には沢山の感情が押し込められているようだった。
日向君と一ノ瀬の間に入るように立つ。一ノ瀬を日向君には近づけない。
アタシを見る日向君は笑顔だ。
「うん。安心して、アタシがついてるから。ずっと、ずっとね」
アタシは一ノ瀬とは違う。
アタシは――
――絶対に放さない。