後編
10年ぶりに長岡駅に降りたら、知ってた頃の駅とは随分様変わりしていて驚いた。
今日は、8月2日…長岡花火の日だ。
全国的に有名なだけあって、駅は人でごった返している。
新潟市への出張が、ちょうど長岡花火の日と重なったので、帰り道がてら花火を見てみようなんて思ったんだけど、あの頃よりも人出が多いみたいで、ちょっと後悔している。
あたしは、高校時代、一度だけここに花火を見に来たことがある。
その時一緒に来た彼…片貝樹とは、高校を卒業する前に別れてしまった。
東京の大学に進学するあたしと、新潟で就職する樹とでは、とても続かないとわかっていたから。
その後、あたしは2人の人と付き合ったけど、今は誰とも付き合っていない。
別に、樹を忘れられないとか、そういうわけじゃない。
別れを切り出したのはあたしだし、心が残ってるわけでもない。
でも、今日ここに来たのは、あの頃の思い出が心に引っかかっていたからかもしれない。
駅から歩いてきて川原に登ると、土手には椅子みたいなのがずらりと並んでいた。昔みたいな敷物は見当たらない。
この10年で、何かが変わったらしい。
川原の下の道に並んだ露店でビールを注文してちょっと訊いてみると、今では土手は全席予約制なんだそうだ。昔来た時は、川原の砂利道の上に座って花火を見てる人もいたけど、今はもうそういうこともできないらしい。
あの頃コンビニの前で売っていたみたいな、プラのコップに入ったビールを渡されて、あたしはもう一度土手の上に登った。
ふにゃふにゃのコップを潰さないように気をつけながら飲んでいると目の前を焼きそばやらたこ焼きやらを載せたお盆を持った男の人が通り過ぎて、あたしの方を振り返った。懐かしい面影のある人が。
「ひゅー!?」
ちょっと、やめてよ、恥ずかしい。アラサーにそのあだ名はきついわよ。
「久しぶりね。花火、見に来たの?」
「おう、見てのとおりだ。ひゅーもか?」
「その呼び方、やめてよ。
ちょうど仕事でこっち来てね。せっかくだから見て帰ろうかと思ったんだけど、全席指定なんだって?」
「ああ、何年か前から、そうなった。結構高いんだよな、席代」
そう言って笑う樹の左薬指には、銀色の指輪が光っていた。お盆の上には、ジュースらしきカップが3つ。つまりは、そういうことらしい。
「さすがに、ちゃんとした格好するようになったのね。まさか、バイクで来てないでしょうね」
子供もいるみたいなのにバイクのわけないけれど、敢えて言ってみる。
「もうバイクはやめた。ガキがいると、車じゃねーと無理だ。服は、嫁が着ろって言うから。まあ、安物だけどよ」
「それでも、Tシャツ1枚よりずっといいわよ」
たしかに、廉価系のお店のものなんだろうけれど、クール素材のシャツの上から麻のシャツを着てチノパンをはいた樹は、年相応の落ち着きを持っていた。
「お子さん、いくつ? 男の子? 女の子?」
「男で5歳だ。落ち着きなくて困ってるよ」
そう言う樹の顔は、とても優しい。子供が可愛くて仕方ないんだろう。思っていることが顔に出るのは、相変わらずみたいだ。
「可愛い盛りじゃない」
「ひゅーは、どうしてんだ?」
あなたの中では、あたしは今でも“ひゅー”なのね。高校を出てから、あたし達は一度も連絡を取っていない。アドレスも、別れてすぐ消した。だから、あたしにとっては“樹”だし、樹にとっては“ひゅー”なんだろう。2人の中で、あの頃のまま時間が止まっているから。
「東京で仕事してる。それなりにやってるわ」
「そっか」
「あ、ほら、奥さんとお子さん、待ってるんじゃないの?」
「おう、じゃあ、元気でな」
「あんたもね」
ほんの数分の邂逅で、あたし達はさよならした。
離れていく樹の広い背中を見送りながら、胸にほんの少しの痛みを覚える。
今日、ここに来たのは、きっと虫の知らせってやつだったんだろう。
別に、樹に気持ちが残ってるわけじゃない。
今だって、樹とよりを戻したいと思ったりはしない。
多分、樹が結婚して幸せになってるのを見て、今のあたしの状況と比べちゃったんだ。
樹は、高校時代の元カレ。10年も前に別れて、たまたま今日出会っただけ。住所も、メアドも、何も教え合わないでちょっと立ち話しただけ。でも、胸の中にあったつかえみたいなものが、ゆっくりと溶けていくのを感じる。
さて。
どうせ席もないし、道が混まないうちに帰ろうかな。
あたしのいるべき場所に。
さよなら、樹。幸せにね。
あたしも、きっとそのうち幸せになるから。
いつかまた偶然出会う日があったら、その時はあたしの指にもきっと…ね。
裏話等は、活動報告に載せてありますので、興味のある方はそちらもお読みください。