王都再び その8
「お帰りなさいませ、エルシア様」
「……ヴァリー」
謁見の間を辞した後、あてがわれた王城の一室に入ったエルシアは、思いがけない人物の姿にあっけにとられてしまった。
「アイゼンベルグのお屋敷にいるんじゃ?」
「正式にエルシア様付きの任を承りましたので。主人のお傍に控えるのは当然でございます」
「まさか、これからずっといるの……?」
もしかして、侍女と言うものは四六時中傍についているものなのだろうか。それでは息を吐く暇もないではないか。内心でしかめっ面を作りながら、努めて無表情で探りを入れてみると、侍女からは柔らかな微笑みが帰ってきた。
「主となる方々のほとんどは、幼少の折より一人になるということがございませんから」
どうやら、ここでも田舎者っぷりを見せてしまったようだ。気を抜く暇がなくなるが、しばらくは仕方あるまい。エルシアがそんなことを考えていると。
娘の考えを見透かしたかのように、ヴァリーは微笑んだ。
「……ですが、それは王都の常識でしかありません。侍女の使命は、主人にとって少しでも心地良い環境を作り上げること。もしもお一人になりたい時があれば、遠慮なくお申し付けください」
思わず、皺まじりの侍女の顔をまじまじと見てしまった。傷の手当ての時と言い、なんだか随分とエルシアの立場に立ってくれる人だ。
「……その申し出、すごくありがたいけれど」
顎に手を当てて俯く。
一言命じれば、ヴァリーは外に出ていくのだろうが、きっとそれではこの場所では生きていけない。
例えば周囲の貴族にこのことが知られでもしたら。小さな疑念が少しずつ積み重なれば、もたらされるのは身の破滅。自分だけならまだいい。だが、もし第二王女が失脚すれば、龍の少女を守る盾がなくなるも同然だ。
「きっと、そうやって追い出し続ければ、第二王女に疑念を持たせることになるんでしょうね……。どうやら王女は侍女を遠ざけているようだ、なんて噂が広がることは間違いなさそうだわ」
「……エルシア様」
ため息を一つ。覚悟を決めて、エルシアは侍女に向き直った。
「悪いけれど、貴女の前で取り繕うことをやめるわ。自分で言うのもなんだけれど、私はロクな女じゃないし、かなり腹黒い方だから。ま、自分の運が悪かったと思って」
腰に手を当てて、続ける。
「ヴァリー、その椅子に座って」
「エルシア様? 主を差し置いて座る侍女はおりません」
ヴァリーは戸惑っているようだったが、無視して続ける。
「じゃあ、主として命令させてもらうわ。その椅子に座りなさい」
「……はい」
訝しそうな表情で豪華な椅子に腰かけた侍女の前に仁王立ちして、エルシアは自分の倍以上生きているであろう侍女を見下ろす。
「良い? これからする質問に対して、必ず事実を答えなさい。もしも嘘を答えたと分かったら、その時点で不敬罪をこじつけて投獄するわ。良い?」
「はあ……?」
面食らったように目を瞬かせる年嵩の侍女。当たり前だ。今の自分は先程の国王並みに馬鹿なことを言っている。投獄がどうとかいう前に、そもそもの話不敬罪なんて罪がこの国に存在するのかも分からない。
内容などどうでもいい。エルシアが本気だと分かってくれたらそれでいい。
「さて、では」
一呼吸置いて、エルシアは心を落ち着かせる。ぐっと顔を近づけ、至近距離で言い放った。
「この部屋に、貴女以外の監視はついている?」
「!」
目を丸くした侍女をエルシアは睨みつける。
「確かに私は馬鹿だけれど、気付かない訳ないじゃない。どう考えたって、国王陛下か宰相家から遣わされた侍女兼監視役でしょう、貴女?」
「それは……」
「私が予期せぬ行動をする、もしくは何らかの派閥や組織と関わりを持つ可能性は十分に考えられる。その場合に止めるか、報告するか。もしくはそもそも動かないように、それとなく誘導するか。いずれにせよ、こんな危険人物を野放しにするわけないでしょうし、当たり前の話だと思うけれど」
相手はどう出るだろうか、しらばっくれられてもおかしくない。まさか突然襲われるとは思いたくないが。内心では冷や汗をかくエルシアを他所に、侍女は何故かニコニコと笑顔になった。
「……何笑っているのよ」
何故笑う? あれ? もしかして自分の早とちりだっただろうか。別に王女の動きなんて大して影響を及ぼさないとか? 自意識過剰だとか?
どんどん余裕のなくなっていくエルシアに、ヴァリーは柔らかな笑顔を向けた。
「申し訳ありません。リリエラ様に本当によく似ていらっしゃると思って」
「……」
椅子の上で姿勢を正したヴァリーは、深々と頭を下げた。
「ご慧眼、感服いたしました。このヴァリー、昔を思い出してしまいエルシア様に不快な思いをさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
顔を上げたヴァリーは、じっとエルシアの目を見つめた。
「先程のご質問ですが、まず、この部屋の監視は私以外おりません。ただし、廊下に二名、”近衛”の方々が護衛として控えております。余り大声を出されると、聞こえる可能性がありますので、ご注意を」
「……気を付けるわ」
想定していたいかなる反応とも違う言葉に、思わず素で返しながら、それよりも重要なことがあるだろうと自分に突っ込みを入れる。
「貴女、自分が監視役だってさらっと認めたわね……」
「エルシア様に隠すことなど、何一つありませんから。お望みであれば、上への報告はいかようにもいたしましょう」
「……何なのよ、貴女」
「かつてはリリエラ様の侍女をしておりました。そして今はエルシア様の侍女です」
何だか調子が狂う。こちらが背伸びしている子供みたいな気分にさせられる女性だ。思慮深いまなざしで、ヴァリーはエルシアを見上げた。
「エルシア様」
「な、何……?」
「お話ですが、お召し替えをしながらでもよろしいでしょうか?」
「えっ? お召し替え……?」
―――
エルシアは、早くも心が折れかけていた。
王女とは、ここまでしなくてはいけないものなのか。早くも泣き言が漏れそうになったが、代わりに口から飛び出したのは、「ぐえっ」という潰れた呻き声だけだった。
「ま、待ってヴァリー。これは流石に……!」
「ご辛抱ください。もう少しですから」
声がかかるなり、ぐっと紐を引っ張られ、エルシアはか細い悲鳴をあげた。
「コ、コルセットってこんなに締めるものなの……!? さっきのドレスはそこまできつくなかったじゃない」
さっきのドレスでもコルセットはつけた。けれども絶対ここまでぎゅうぎゅう締め付けたりしなかったはずだ。
「ちょっとした謁見でしたから、先程は緩いものを選んだのです。本格的な正装は初めてでしょうし、これでも付けやすいものを選んだのですが……」
「無理、無理無理! これ以上はちょっと!」
ようやく締め終わった時には、エルシアはぐったりしていた。対する侍女は慣れた手つきでドレスを広げにかかる。
「……これならチェーンメイルつけて駆け足した方がマシだわ」
「エルシア様は健康的な筋肉の付き方をされていますから、最初は少しきついかもしれませんね」
「……他のご令嬢は違うのね」
「皆様はいかに美しくあるかを求められますから。そもそも目指す体型が全くの別物です」
着付けるだけでここまで時間がかかることに、エルシアには度肝を抜かれていた。そもそも侍女に体を洗われる時点で、常識の違いに驚くしかない。
湯あみって何だ。やっていることはブランカの共同浴場と同じじゃないか。単純に石鹸が何種類にも増えて、蛇口からいくらでもお湯が流せて、香油なるものを塗りたくられて。……うん、どうやら結構違ったようだ。
ヴァリーが手に持つ服に視線が吸い寄せられる。首元の小さな傷や左肩の青あざを隠せるようにという心遣いか、ハイネックのロングドレスを選んでくれたらしい。ワインレッドのドレスは首元こそ臙脂に近い色をしているが、足元にむかうにつれて色が薄くなっていく。
「世の中にこんな染め方があるなんて……」
「グラデーションは最近の流行りなのです。はじめての方でも着こなしやすいはずですよ。エルシア様はお肌の色も健康的ですから、少し濃い色を選びました」
「はあ……」
曖昧な返事を返すと、ヴァリーはニコニコと笑顔を返した。グラデーションだか何だか知らないが、これだけで随分な値段になりそうだ。きっとギルドの受付をやっていては一生かかったって買えない代物だろう。
あちこちを手直しするヴァリーを遠い目で見ながら、エルシアはゆっくりと息を吐いた。
先程はうやむやになってしまったが、エルシアは侍女に言わなければならないことがあるのだ。
「……私が微妙な立ち位置にいることはよく分かっているつもりよ」
「エルシア様?」
突然何を言われたのか分からなかったのだろう。侍女が手を動かしながら首を傾げるのが分かったが、エルシアは気にせずに続けた。
「アルフレッドとの話を聞いていたから、あなたも知っていると思うけれど。私が成し遂げたいことは一つだけ。その目的のためなら、私は国だって傾けてみせる」
「エルシア様……」
侍女が息を飲む声が聞こえた。
「先に言っておくわ。あなたが私という人間に特別な思いを持っているなら、私はそれを利用させてもらうつもり。嫌になったら突き放してもらっていい」
「……」
「でももしも、それを知った上で傍にいると言うなら、協力してくれるというなら。どうか私に手を貸して。何も分からない愚かな私に助言をちょうだい」
無言の時間が流れる。癖っ毛を丁寧にまとめながら、侍女はやがて一つの問いを口にした。
「本来であれば考えることでもないのですが……。せっかく機会をいただいたのです。一つだけ教えていただけますでしょうか」
「私に答えられることなら」
「……あなたは、私を覚えていらっしゃいますか?」
ついさっき、記憶がないと言ったばかりなのに、ヴァリーはそんなことを聞いた。
きっとどう答えても、彼女の態度が変わることはないだろう。それが分かった上で、しかしエルシアは鏡越しに侍女の顔を見つめてしまった。
王都で出会った中で、エルシアが唯一警戒を緩めてしまった人物。そこにはちゃんと理由があるのだ。
「……雨の路地裏で、ネズミに驚いて貴女に飛び付いたわ」
皺交じりの瞼が大きく見開かれる。それまで一切乱れることのなかった手が震え、指先で亜麻色の髪が少しだけ乱れた。
「……きっと本意ではないでしょうが、こう言わせてください」
――おかえりなさいませ、エルシア様。
朧げな記憶が、ほんの少しだけ、脳裏に蘇る。
ああ、彼女はこんな顔をしていたんだっけ。こんな声だったっけ。
王都から逃げ出す自分の傍にいてくれた侍女。自然な化粧で色気の増した娘が、彼女に笑いかけた。
「じゃあ、私もこう答えなくてはね」
――ただいま。
鏡の中で、ヴァリーはそれは幸せそうに笑う。彼女は深々と頭を下げ、口を開いた。
「このヴァリー。命尽きるまでエルシア様に尽くしましょう。今度こそ絶対に、あなたをお一人にはしないと誓います」




