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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第七章 看板娘は、もう戻れない
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王都再び その7

 ドレスはあまり好きになれそうにないと、エルシアは思った。


 アルフレッドの後について、長い廊下を進む。

 下に敷かれた深紅の敷物はシミ一つなく、柱にも、扉にも、果ては窓枠にまで、精巧な彫刻が施されている。窓枠にはめ込まれたガラスを見て、エルシアはため息を吐きそうになった。あれほど美しいガラスは見たことがない。窓の外が全く歪んでいないではないか。


 すれ違う人は皆、自分たちに道を譲ってくれた。自分の顔はまだ一部にしか知られていないはずだから、恐らく隣にいるアルフレッドや執事のお陰だろう。

 書類を抱えた文官が腰を折る。ドレス姿の見知らぬ令嬢は、敷物の上から脇に退いて、両手で静かに服の裾をつまんでいた。きっと自分が使う時もあるはずだ。覚えておこう。


「このカーライル城は、中央の本城と、東西にそれぞれの支城、更にそれらを一から六の塔で囲んでいる。行政棟や練兵場は北だ」

「……”六の塔”って、もしかして」

「ああ、あなたがかつてリリエラ様と暮らしていた場所だ」

「暮らしていた? 軟禁されていた、の間違いでしょう」


 青年はこちらを一瞥したものの、それに関しては一切触れず、説明を続けた。


「本城の上階には、王族の方の居室と、夜会の行われる”玉座の間”が配されているから、まずはその辺りだけでも覚えておいた方が良い」


 アルフレッドの案内を聞き流しつつ、階段を登る。はじめて履いたヒールに四苦八苦しながら、ドレスの裾を踏まないようにも気を付けなければならない。

 手すりを掴もうかと思ったが、躊躇するほどに見事な彫刻が彫られていて、思わずエルシアは手を引っ込めてしまった。


「やはり、早々に作法を覚えてもらわないといけないようだな」

「仕方ないじゃない。これが育ちの差って奴よ……」


 アルフレッドが、階段の中ほどで振り返った。その所作一つ一つから優雅さがにじみ出ている。対するエルシアは小声で悪態をつきながら、なんとか階段を登り切る始末だ。

 一気に人気がなくなった廊下を前に、青年が口を開いた。


「ここからは王族の方々が過ごされる階層になります。普段、他の人間が立ち入ることは禁じられていますので、ご注意を」


 突然切り替わった口調に首を傾げたのもつかの間、アルフレッドが従妹から王女への対応に切り替えたのだと気付く。

 なるほど、どうやらここからが本番らしい。怯える内心を抑え込んで、エルシアは目の前の大扉を見据えた。門と見まごうほどに巨大な扉の左右には、これまた立派な制服を着た”近衛”が二人控えている。


「ご苦労」


 アルフレッドにとってはいつものことなのだろう。彼は淡々とした口調で近衛に話しかけた。


「これは、アルフレッド様。こちらの方は?」

「先触れを出しておいた”特別な客人”だ。陛下に謁見する予定になっている」

「お伺いしております。どうぞ、中へ」


 ”近衛”の言葉に答えるように、大扉が内側から開かれた。


「謁見の間にてお待ちを。陛下はすぐにいらっしゃいます」

「承知した。ありがとう」


 アルフレッドが歩みだす。エルシアは軽く頭を下げつつ、その後に続いた。


「……”影法師(シルエット)”が宰相家の命によって動くなら、先程の”近衛”は国王陛下専属の騎士部隊だ。陛下のお考えが分かるまで、下手に信用しすぎない方が良いだろう」


 歩きながら、小声でアルフレッドが言ってのける。エルシアはどこまでも続く回廊を見つめた。なるほど、そこここにいる騎士が”近衛”なのだろう。さすがは王城。警備は完璧だ。

 やがて一つの扉の少し手前で立ち止まった青年が、エルシアを振り返った。扉の両脇の”近衛”には聞こえないくらいの小声で問いかける。


「心の準備は良いか、従妹殿?」

「……良い訳ないでしょう」

「まあ、一つ言えるとするなら、あまり期待しすぎない方が良いかもしれないな」

「ご忠告感謝するわ」


 軽い口調で返しながら、エルシアは緊張を抑えられない。

 手の先が冷たい。期待など元からしていなかったが、それでも父親と会うと言うのは酷く怖い。

 アルフレッドが、扉の傍に立っていた”近衛”に話かけると、両開きの重厚な扉がゆっくりと開かれていく。エルシアは思わず唾を飲む。


「お手をどうぞ、レディ」

「……ええ」


 ふかふかの絨毯にヒールを取られながら、エルシアは進む。

 部屋の中は無人だった。にも拘わらず随分と明るいことに、エルシアは気付いた。きっと蝋燭だけではこうはいかない。窓から差し込む光を効果的に取り入れているのか。天井のあちこちが光っているように見えるのは気のせいだろうか。

 部屋の奥が一段高くなっていて、そこに立派な椅子が置かれていた。その後ろに扉があるところを見ると、恐らくその扉から国王が入ってくるのだろう。


「……ここ、何の部屋なの?」

「謁見の間だ。陛下が客人と会われる時に使われる」

「応接室が、こんなに広いの……?」


 アルフレッドの声に思わず目を見開くと、青年が面白そうな顔でエルシアを見た。


「そんなところに引っかかるとは思わなかった。情勢の予測はできても、貴族の常識には疎いのか。従妹殿の感覚は、随分と庶民のものに近いな」

「馬鹿にしているの? 当たり前でしょう。五歳の頃の記憶なんてほとんど残っていないもの。この広さにも、豪華さにも、違和感しか感じないわ」


 言葉の端々にからかうような響きを感じて、エルシアは顔をしかめた。「悪い?」とつっけんどんに返すと、青年が「いやいや」と笑う。


「意外と余裕があるようだと思ってな」

「……」


 思わず言葉に詰まったエルシアを見て真面目な表情に戻ったアルフレッドは、低い声で呟いた。


「分かっているとは思うが……。落ち着けよ、従妹殿」


 余裕なんか、どこにもある訳がない。ごちゃごちゃの頭を整理しきれなくて、考えることを放棄していただけだ。


 父親。


 エルシアにとって、その男は赤の他人でしかない。

 記憶に父の姿は一切残っていないし、そもそも忌み子の自分が会ったことがあるかどうかも怪しいのだから。

 かつてエルシアが捨てられた時、行方不明になった娘を探そうとしたのは宰相家だけで、王家は何もしなかったとも聞く。実際問題、忌み子の捜索など王家の外聞を考えればできなくて当然なのだろう。


 確かに幼い頃、自分のお父さんとはどんな人なんだろう、と考えたこともあった。だがそれも、今は興味すらない。

 ただの中年の男を前にした時に、果たしてこれが父と納得できるのか、正直エルシアには自信がなかった。泣けばいいのだろうか、抱き着けばいいのだろうか、それともやっぱり赤の他人のままなのだろうか。


 とめどなく流れるエルシアの思考は、重い音と共に開いた奥の扉の音で終わりを迎えた。ひざまずいた状態のアルフレッドが更に頭を垂れる。それに従って、エルシアも頭を下げた。


(おもて)を上げよ」


 渋い声色の言葉に従って、そろそろと顔を上げる。徐々に開けていく視界の真ん中に、その男はいた。


 がっしりとした体格の男だった。(かざりお)の施された豪奢な衣装を身にまとっているにもかかわらず、そこには派手さというよりも堅実さが感じられる。どっしりと構えているせいか、その存在の重厚さが、ひしひしと感じられた。

 エルシアは目を見張る。華美な衣装よりも、皺の刻まれた顔より。何よりもその髪に目を引かれてしまったのだ。


 亜麻色の癖っ毛。自分とそっくりだ。

 これが父親。そして、この国の王。


 ターコイズブルーの瞳に、エルシアのブラウンの瞳が映る。目の色は違うのだな、と少し安心する自分がいることに、エルシアは戸惑う。


「アルフレッド」


 渋い声が、青年の名を呼ぶ。顔を上げたアルフレッドが、口を開いた。


「陛下に置かれましては、ご機嫌うるわしゅう。まずはそのご健勝と、我が国の更なる発展を願い、この身は未だ未熟なれどより一層の……」


 エルシアはぎょっとして、隣の青年を見た。突然何を言っているんだこいつは。

 まどろっこしい言葉を使わなければいけない決まりでもあるのだろうか。それとも、自分の父もこんな話し方をするのだろうか。


「アルフレッド、端的に話せ。公的な場ではあるが、今は無駄に長い言葉は不要だ」

「はっ」


 頭を下げたアルフレッドを見て、エルシアは胸を撫で下ろした。あんなにごてごてと言葉を飾り付けられたら、どこが本題か分かったものではない。

 どうやら”公的な場”とやらでは、無駄に長ったらしい前置きや、修飾語が付くのが普通らしい。それをエルシアは頭に刻み付けた。

 一呼吸置いて、アルフレッドは再度口を開く。


「こちらが、陛下の御子にあらせられます」

「そうか」


 今度は随分と端折っていないだろうか、と思ったエルシアであったが、どうやら国王にはそれで十分だったようだ。「エルシアです」と慌てて頭を下げた娘に、遠慮のない視線が注がれる。身の置き所のなさに、身をよじりたくなる衝動をぐっとこらえた。


「確かに、リリエラの面影があるな」

「お顔立ちがよく似ていらっしゃると、当家の侍女が申しておりました」

「ふむ」


 髪と同じ色の顎鬚を撫でつけながら、国王は娘を見つめ続ける。その目を真っ直ぐ見返すだけの度胸が持てないエルシアは、視線を少しだけずらしながらも、その感情を読み取ろうとする。

 その青の目は、深みを湛えてこちらを見ている。父親が一体何を考えているのだろうか。エルシアには想像もつかなかった。


「それで? お前はどこまで知っている?」

「えっ?」


 突然訳の分からない質問をされて、エルシアは目を白黒させた。


「これまでの生い立ちについては私も報告を受けている。恐らくお前にはこの国の現状を知る機会もなかったのだろう」


 国王ヴィガードは、右手の人差し指につけられた自身の王印を撫でながら言った。


「しかし、それでは王女としての役目は務まらん。今後の教会の動きも予断を許さぬしな。第二王女として対外的に示せば、当然奴らも躍起になるだろう。それに対抗するのがお前の役目になる」

「あ、あの……」


 突然何を言っているんだ? 娘との再会の場で、なぜ突然教会の話など出てくるのだろう。会話について行けないエルシアの代わりに、アルフレッドが慎重に答えた。


「申し訳ありません。エルシア殿下はまだ王都に来られたばかり。情勢もご自身のことも未だお伝えしておりません。事情はあれども親子なのです。先にお目通りを、と思った次第でございます」


 国王は表情を変えなかった。「そうか、私も気が急いたようだな」と呟き、エルシアを再び見やる。


「……よく来た、エルシア。私はお前の父親だそうだが、所詮は血がつながっているに過ぎない」

「は、はい……」

「期待していたのかもしれぬが、父親らしいことはしてやれぬ。今更お前がそれを求めているとも思えないしな。城に部屋を設けるから、そこで色々と学べ。しばらくはアイゼンベルクの者に面倒を見させる。その後で、お前にはやってもらいたいことがある」


 期待するなよ、というアルフレッドの言葉が、エルシアの脳裏によみがえる。


「まずは今晩、お前の第二王女としての披露会を行う。その場で主要な貴族は顔を覚えておけ。後々重要になる。聞けば冒険者たちの間で受付をやっていたのだろう? そのあたりの愛想の使い方は知っているはずだ」


 すうっと、心が冷える。

 戸惑ったのもほんの少しの間だけ。これが我が子に掛ける言葉かと、何だか笑えてきてしまった。


 なるほど、心のどこかで期待なんかした自分が馬鹿だったようだ。目の前の男は、娘を見ていない。厄介ごとの種か、はたまた自らの駒としてか、そのどちらかでしか捉えていないのだろう。

 それでも、少しでも可能性を探し出したくて、エルシアは声を上げてしまっていた。


「あ、あの、申し訳ありません」

「なんだ」

「陛下と母は、どのような関係だったのでしょうか」


 隣でアルフレッドが息を飲む。国王はピクリと眉を動かしたものの、何も答えない。


「ずっと考えていました。正妃でも、妾でもない母が、国の火種になると分かり切った娘を何故産んだのか。陛下と母が愛し合っていたから、そうなのですか?」

「エルシア殿下」


 青年が隣で首を振っていた。これ以上はやめろというサインだと言うのは百も承知だったが、エルシアは構わず続けた。


「貴方は父親としての期待をするなとおっしゃいました。なら、王女の役割しか持たぬ私は一体何なのですか? 私に、一体何を期待していたのですか?」

「殿下!」


 アルフレッドに静止されながらも、エルシアは目の前の父を見据えた。


「後々説明する。まずは王都の情勢について説明を受けておけ」

「……」

「アルフレッド、この娘を任せる。特に礼儀作法は徹底させろ。王家の恥にはしたくない。夜会では妙なことを言いださないように言い聞かせておけ」

「畏まりました」

「以上だ。今日の夜会には私も顔を出すつもりだが、何かあれば”近衛”に伝えておけ」

「はっ」


 深々と頭を下げたアルフレッドを見て、慌ててそれに倣いそうになったエルシアは、歯を食いしばった。カーペットに沈み込む自分のドレスの裾を心許ない視線で見つめている間に、国王が席を立つ音が聞こえた。

 これほどまでに翻弄されてきた王という存在に、国の主という存在に、何か言ってやらなくては気が済まない。


「お父様! 私は……」

「私に父親を求めるなと言った」


 奥の扉から退席しようとするヴィガードの足が止まった。


「人の目のある場で、その呼び方は二度とするな」

「……!」

「エルシア、仕方のないこととは言え、お前には王族としての自覚が足りていない。教師はつけるが、己の頭でも考えろ」


 言い返そうとした言葉が胸の奥で滞る。

 エルシアは、呆然としたまま国王の背中を見送ることしかできなかった。

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