王都再び その6
どこか気詰まりな時間は、ノックの音で終わりを告げた。
はい、と答えてドアに向かおうとするエルシアを、ヴァリーはにこりと笑って制止する。ハンカチで目元を拭った侍女は、丁寧な所作で扉を開いた。
「怪我の具合はいかがですか?」
入ってきたのはアルフレッドだった。相も変わらず文官の略装を着こなして、ヴァリーの一礼を受ける。
どうやら最初の交渉相手が来たようだ。少しだけ緩めていた警戒を引き上げ、エルシアは姿勢を正す。
「かすり傷みたいなものよ。お陰様で命拾いしたわ。助かりました」
ケトを連れていた時に比べて、今のエルシアの姿を見る視線の方が数段険しい。ここからが本番だという、エルシアの感覚に間違いはないはずだ。
「それは何よりです。御身に何かあれば、文字通りこの国を傾けかねませんから」
”傾国の娘”に相応しい皮肉だ。笑えない。
何か探るような視線を寄越したアルフレッドに、エルシアは何も言わずに向き合い続けた。視界の外で、ヴァリーが紅茶を淹れるために茶器の置かれたワゴンへ向かったのが分かった。
どれくらい見つめ合っていたのだろうか。アルフレッドは小さくため息を吐いて、エルシアから視線を逸らした。どうやらエルシアの言いたいことを察してくれたようだ。
「……いいだろう。ざっくばらんに行こうか」
「そうしてもらえると助かるわ。私は貴族の回りくどいお世辞には慣れていないから」
アルフレッドが向かいの長椅子にドカリと腰かけるのを眺めながら、エルシアは続ける。
「貴方が私と同じくらい腹黒いのは知っているつもりよ。今更取り繕ったって、お互い時間の無駄でしょう?」
「いいだろう。私も回りくどい話は嫌いだ」
そう言って足を組んだアルフレッドは、しばし目を閉じる。次に顔を上げた時、その青の瞳はエルシアを射抜かんとするほどに鋭いものだった。
「何故こんなことをしたんだ、従妹殿。我々を騙そうとしてまであの町に固執し続けたあなたが」
自らの正体を知られることを何よりも恐れたエルシア。名だたる貴族を相手に、裏で大立ち回りを演じてまで少女と二人元の生活に戻ろうと奮闘した彼女が、一転して自ら正体を暴露したのだ。
アルフレッドにしてみれば、そして王都にしてみれば、もっともな疑問に違いない。
「……龍神聖教会がケトを連れ去ろうとした。強引な手を使ってきたから、それに対抗するために私の身分を出した」
「……それだけか」
「ええ。それだけ」
睨みつけるような表情から、呆れた顔へ。雰囲気を変えたアルフレッドがため息を吐く。
「馬鹿なんじゃないか。あなたはそんなことの為に、国一つを混乱に陥れようとしている。そのことを、よもや理解できないわけではないだろう?」
「ただ必要だったからそうしただけ。現に私が動かなければ、ケトは今頃連中の手のうちに落ちていた」
「そもそもの優先順位がおかしいと言っているんだ。ただ力が強いだけの田舎者と、死んだはずの第二王女。どちらが国にとって価値のある人間か、考えればすぐに分かることだろう」
「それは貴方たち貴族の判断基準よ。私はこの国に愛着も何もないし、何よりもケトが大切だったからこうしたの」
アルフレッドは整った顔に渋面を浮かべ「理解できないな」と呟く。
そんな彼の前に、ヴァリーが紅茶を置いていた。続いて自分の前に置かれた紅茶に、エルシアは視線を移す。
深紅がカップの中で揺れる。もしかしたら幼い頃はよく見ていた色なのかもしれない。だがエルシアの記憶の中に、その紅い輝きはやはりなかった。代わりに脳裏に浮かべたのは、具の少ないスープの色。
「……こんな紅茶じゃなくたって良い。あったかいスープすら飲めない冬のひもじさを知らない人に、私の気持ちなんか分かるはずないわよ」
ヴァリーがギョッとした顔でこちらを見たのが分かったが、それを無視してカップに口をつける。普段は摘んできたハーブを干して茶の代わりとしていた舌に、熱い紅茶はまるで薬のように思えた。
「では、従妹殿はこれからどうするつもりだ」
カップから視線を上げる。青年が腕を組んで背もたれに身をうずめていた。
「これから、あなたは否応なく王国内の勢力争いに巻き込まれることになる。何も考えていなかったでは済まされないぞ。隙を見せた途端、貴族たちに良いように使われて終わりだ。下手をすればこの国を傾ける悪魔にもなりうる、その程度の自覚はあるだろう?」
いかにエルシアと言えど、この問いは流石に跳ね除けることができなかった。
王家の様子も、貴族の様子も分からないエルシアに、打てる手はいくらもない。アルフレッドの言う通り、なあなあにしていたら絡めとられてすぐに終わりだ。
だからこそ、アイゼンベルグ家に繋がりを作っていたのは僥倖と言えた。
考え込むことしばし。この回答は決して悪い手ではないはずだと判断して、エルシアは注意深く答える。
「決まっているわ。ケトを守るのよ」
相手の顔をじっと観察する。青年は呆れ顔を隠そうともしていない。
「……この期に及んでそれか? 本当におめでたい人だな」
「仕方ないじゃない。私は貴族のことなんか分からない。国の行く末なんか興味ない。それなら、自分のやらなければならないことをやるだけよ」
口を動かしながら、ふと後ろで佇むヴァリーのことを考えた。
今の答えはある意味でエルシアのありのままの考えだ。それを、かつての宰相家付きの侍女であった彼女は、どう受け止めるのだろう。
「王女の権力が使えるなら、それを使ってケトを守る。近づいてくる人間が私の願いを叶えてくれると言うのなら、その人に最大限協力しましょう。もちろん信用できるかどうか、じっくり判断した上でね。もう私には後がない。正直言ってその人の思想がどのようなものかなんて二の次よ」
アルフレッドは流石に驚いたのだろう。唖然とした後、その表情が歪んだ。
「……もしもその者たちが、この国に害をなそうとしたら?」
「関係ないわ。今更やれ父だ、やれ実の姉だ、なんて言われても何も思えないわよ。私には王女だった頃の記憶なんてない。初対面も同じ国というものに、一体どんな思いを持てと言うの」
エルシアはカップで口元を隠しながら、平然と言ってのけた。
どうだろう? 腹の探り合いに慣れている彼に、果たしてこの演技は通用するのだろうか。世間知らずの開き直った田舎娘に見えていたら上出来なのだが。
「私の家族はケトだけ。その家族が幸せになれるのならば、私は悪魔にだって魂を売るわ」
「あなたは……!」
少しばかり声を荒げたアルフレッドを見て、エルシアは自分の作戦が上手くいったことを悟る。
そう、ここで勢いに乗せるのが肝心だ。キョトンとした顔をカップの上から出してやった。
「信じられん。あなたは悪魔にでもなるつもりか? 自分の欲のためなら、この国がどうなっても良いと言っているんだぞ? それは王族として最も恥ずべき行為だと、その程度の矜持すらないのか……!?」
その声に色濃い失望が滲むのを感じ取ったエルシアは、内心ホッと息を吐いた。
あまり激高させてしまっても意味がない。そろそろ頃合いだろう。アルフレッドの目の前で、エルシアは表情を変えてやる。
精一杯の優雅さで、カップを置く。口元だけに笑みを浮かべ、目を細めて青年を見つめた。
「何もそこまで言っていないじゃない。落ち着きなさいよ」
「”そこまで”だと? 自分の言った言葉すら正しく理解できていないとは」
「まさか。理解しているからこそ、言ったのよ」
エルシアは笑みを深める。ただしその目だけは、半ば睨みつけるようにして。
王女の貫禄など持てる気はしないが、少なくともただの田舎娘には見えない程度の雰囲気が出せていればそれでいい。
「……私の言ったこと、逆に考えてればいいじゃない」
「逆だと……?」
アルフレッドはエルシアを睨みつけながらも、何かに気付いたように椅子にしっかりと座りなおした。
どうやら、こちらの様子が変わったことに気付いたようだった。一拍置いて、エルシアは悠然と声を上げた。
「ねえ、アルフレッド。第二王女を手懐けるのは、きっと貴族たちが思っている以上に簡単よ?」
ぴたりとアルフレッドが動きを止める。
少しずつ、だが確かに、彼はエルシアの言葉の意味を理解したのだろう。一気に疲れ果てたようにソファにもたれかかる。その口から、乾いた笑いが漏れ出た。
「……ははは。……なんて女だ」
「何よ、酷い言い様ね」
「伯母上、……あなたにとっては母君に当たるのか。あの人は、王都の貴族の間でこう呼ばれていたよ。……”女狐”とな」
途端、ヴァリーがジロリと青年を睨んだ。一介の侍女がとっていい態度ではないが、アルフレッドは意に介さなかった。その様子を目の端でとらえつつ、エルシアは聞き返さずにはいられない。
「”女狐”?」
「人畜無害な顔をして、裏でこそこそ動き回る。他者を意のままに操り、自分はずっとソファから動こうとしない。だというのに、結果は自分の思い通り。あの方はそういう人間だった。確信したよ……。あなたはまさに、”女狐”の娘だ」
「褒め言葉として受け取っておくわ。こちらはもう最後の一手すら使ってしまった。なりふりなんて、構っていられないのよ」
渾名が”女狐”とは。母は一体何をやらかしたのだろうか。顔すら朧げな母のことが少し気になったが、今はアルフレッドとの交渉が先だ。気持ちを切り替えて、じっと目の前の金髪を眺める。
第二王女、エルシア・アリアスティーネ・エスト・カーライルを操りたいなら、こちらの要求を聞け。エルシアが言ったのは、そういうことだ。
要求を受け入れるかどうかは別にしても、まともな貴族なら交渉に乗らない理由がない。今ここで突っぱねて、それこそ王国を害する側に付かれでもしたら目も当てられないのだから。
アイゼンベルグ家には、エルシアを危険分子と見なして軟禁すると言う手も選べない。龍神聖教会の人間が第二王女の生存を知った今、襲撃の可能性は少なくない。
その上貴族たちにエルシアの存在が知られでもしたら、囲っていると見なされて、他の貴族から袋叩きだ。
自分が微妙な立場にいたとしても、王国に対してある程度の影響力を持っていてしかるべきだと、エルシアは踏んだのだ。
果たしてそれは正解のようだ。アルフレッドは唸るように口を開いたのがその証拠だった。
「何が望みだ」
「ケトの日常の維持。町の人や、本人には気付かれないような形で護衛をつけて。あの子を狙う者は多いわ。いざという時守れる態勢が必要なの」
即答してやると、アルフレッドが眉をひそめた。
「それは難しい。”影法師”からは、ケト嬢が既に監視に気付いている節があると報告を受けていた。その上で今回の騒ぎだ。ケト嬢自身警戒を強めていてもおかしくない」
エルシアはしばし考え込む。
確かに、王都から帰ってきてすぐに、ケトは「変な人がいる」と言っていた。きっとあの時から気づいていたのだろう。彼女の感覚は人のそれをはるかに超えて鋭敏だ。
「……ある程度は仕方ないわ。目的はあくまで、ケトに危険が及ばず、のびのびと過ごせるようにすることだもの。あの子の察知能力では、完全に隠れることはできないでしょう。ちなみに一つ聞きたいんだけど、”影法師”ってアルフレッドの私兵か何か? 前も言っていたよね、隠密って」
アルフレッドは首を振った。
「私兵か……。難しいな、一応管轄は当家ではなく国なんだが」
ため息を吐く青年を前にして、エルシアは言い返す。
「私は馬鹿なの。分かるように言って」
「”影法師”は、いわゆる国が抱える隠密部隊だ。然るべき立場の者からの指示があれば、情報収集、護衛、暗殺何でもやる。王国騎士団とは違い、目立たないよう黒いローブで身を隠しているがな。表向きに解決できない問題に対する、実働部隊と思ってもらって良い」
なるほど。文字通り、隠密を生業にする者達という訳だ。
「一時は王家が囲っていた時期もあったんだが、それでは権力が集中しすぎると貴族からの反発が多くてな。今は宰相家が抱えている。まあ、王家への抑止力、ということになるのさ」
「へえ? じゃあかあさまや、その血を引く私の命令も聞いてくれるのかしら?」
深く考えずにそんなことを言って見ると、アルフレッドがピクリと肩を動かした。慌てて訂正する。
「冗談よ。ケトに危害さえ加わらないなら、別に何かやらかすつもりもないもの。いずれにせよ、その”影法師”は実質あなたの命令を聞いてくれるってことでしょう? なら私のお願いにぴったりだと思うんだけれど?」
アルフレッドはじろりとエルシアを睨んだが、それだけだった。
「……言いたいことは多いが、まあいい」
「……じゃあ」
少しだけ前のめりになったエルシアだったが、青年がそれを手で制した。
「だが、私が命じられる範囲には限界がある」
「限界……?」
訝しむエルシアに、アルフレッドは少し俯いた。
「仮に敵が教会だと明確だった場合、私は”影法師”に戦えと命じられない」
「……どういうことか聞いても?」
アルフレッドが出された茶に口をつける。
「先日、教会とのいざこざの話をしただろう?」
「対立の話でしょう? 内戦寸前だとか」
「実際既に一部では戦端が開かれているが、それはあくまで冒険者を装った謎の武装勢力と騎士団の戦闘でしかない。先程従妹殿が襲われたのも、同じように処理されることになる」
なんだそれは。
「”影法師”の裏に宰相家がいるのは明白だ。……すなわち、教会との直接的な戦闘は、開戦と同義なのさ」
「……?」
「これはあくまで私個人の意見だが、教会との開戦をできる限り避けたいと考えている。例えば敵が冒険者の格好をした人攫いなら問題ないが、白い修道服を着た教徒相手に攻撃を命じることはできなくてな」
「何よそれ……」
「それは敵も同じ。教会側の開戦準備はまだ整っていない。だからこそ、襲撃者は身分を偽り続けている」
ふと、王都に来るときの襲撃を思い出す。
秋口にケトを狙ったものも、つい最近エルシアが狙われたものも、敵は革鎧と鎖帷子を重ね着した冒険者風の男であった。それが例え龍神聖教会の者だと分かり切っていたとしても、彼らは決して白い修道着を身に着けていなかった。
それは、迫りくる戦争を回避するため。敵の正体が分からなければ、戦争の始めようがないという、言い訳のため。それは、国も教会も一緒なのだろう。
「……なんてまどろっこしい」
「結果的に、散発的な戦闘は発生していても、本格的な武力衝突には至っていない。私としても、その幕をわざわざ切って落とすつもりはない。だからこそ、敵が白ローブを着た襲撃者の場合、”影法師”を戦わせるつもりはなく、あくまで監視役が不規則遭遇戦に巻き込まれたという状況を作り出す必要がある」
しばし考えて、エルシアは唇を噛んだ。
なるほど、先日枢機卿が押し入ってきた時に、監視が動かなかったのはそれが理由かと、妙に納得してしまった。
「……あくまでケトには護衛ではなく、監視をつけざるを得ないということ?」
「物分かりが良いな。もちろん対策は練るが、すぐには難しい。それまでは我慢してもらえるか」
思考を巡らせてみる。護衛ではなく、監視。それもアルフレッドの言い方を聞くに、遣わせることのできる人数はあまり多くなさそうだ。
であれば、エルシアとて安心はできない。引き続き動く必要はあるが、何もないよりはマシという程度か。
「状況は理解したわ。ひとまずはそれで問題ないと、納得するしかないわね」
「ふむ。とりあえずはご理解いただけたようで何よりだ」
「さっき言った対策とやら、急いでもらえると嬉しいわ」
エルシアは小さく息を吐いた。勢いだけで押し切った交渉。成果としてはまあまあのはずだ。不安は残るが、ケトの安全を守る最低限の態勢は整えた。エルシアの目的は達成できたと言っても良いだろう。
胸のどこかに一抹の不安を抱えながらも、エルシアはそれとは分からぬよう、肩の力を抜いた。
―――
さて、と思考を切り替える。次の問題は、アルフレッドが何を要求してくるかだ。
先程は悪魔だ何だと好き放題言われていたエルシアだが、これでも交渉相手は選んだつもりだ。ケトの存在を隠すことに協力し、かつ宰相家という立場のアイゼンベルグ家であれば、ある程度信用できると踏んだのだ。
その御曹司であるアルフレッドは、足を組み替えてエルシアに問う。
「次の要求は?」
「ないわ。私はケトの安全が守れたらそれで良いから」
即答してやると、アルフレッドが目を見開いた。どうやらエルシアからの要求にかなり警戒していたらしい。
「……本当に、それだけなのか?」
思わず、と言ったように呟いた青年に、エルシアは頷いて見せる。
「……私のことは、どうとでもすれば良い。ケトの安全を守ってくれる以上、私は貴方の指示に従うわ」
先程とは別種の驚愕を滲ませ、穴が開くほど目の前の王女を見つめていたアルフレッド。彼はしばらく黙り込む。再度口を開いた時には、先ほどの険しさなどほとんどなく、ただ困惑が現れていた。
「前に王都に来た時から思っていたんだ……。従妹殿にとって、あの少女はそれほどまでに大切なものなのか?」
欲張れば、まだまだ要求できることはあるはずだ。エルシアにだってそれは分かっている。
エルシアは苦笑しようとして、失敗した。最後に見たケトの泣き顔を思い出してしまったのだ。元々隠すつもりは欠片もなかったが、多くを語る気にはなれなくて、エルシアはぽつりと呟いた。
「ええ、大切よ。とても」
ケトが幸せになるためなら、どんなことでもやろう。あの子の笑顔のためなら、悪魔に魂を売ったって良い。
本当に、あの子を泣かせた自分が言えることじゃない。エルシアはため息を吐いて、気持ちを切り替えた。
「……それで、こちらのお願いは終わった訳だけれど。私は何をすれば良い?」
「……あなたは」
アルフレッドは何かを言いかけた。口を何度も開いたものの、やがて諦めたように首を振った。
「……従妹殿の存在は既に複数の貴族に知られている。である以上、恐らく第二王女として、正式に王国に公布せざるを得まい。今後、貴族たちがどう出るかは読めない部分も多いが、こちらとしてはあなたの行動を抑制できれば良い。しばらくはくれぐれも迂闊な真似をしないように」
宰相家の人間であることを考えれば、彼の言葉は至極まっとうだ。既に相当の地位にある以上、すぐに蹴落とさなければいけない政敵もいない。敵に渡らなければそれで良いという、ある意味ケトを囲ったのと同じ感覚なのだろう。
「分かった。まずは状況を見極めるまでは大人しくしている、それで良いわね」
頷いた王女を見て、アルフレッドも肩の力を抜いたようだった。
「それから、あなたには作法をしっかり身に着けてもらおう」
「ああ、是非お願いしたいわね。でもむしろ、最初は田舎娘っぽさを前面に押し出した方が他家の油断を引き出せるんじゃない?」
首を傾げたエルシアに、アルフレッドは薄い笑顔を向けた。
「以前あなたが当家に滞在していた時、随分とおかしな作法をしていたと聞いている」
「おかしい作法?」
「例えば、並べられたフォークを逆から使ったとか。あれが田舎者の演技なのかどうか、大分悩まされたぞ? 作法を知っているのか知らないのか、是非聞きたいものだ」
あれは素だ。そう答えるとアルフレッドは苦笑する。仕方ないではないか。十三年も使っていないうろ覚えな作法だったのだから。
アルフレッドの小言はまだ続く。
「それから、男の前で恥じらわないデリカシーのなさは考え物だからな」
「別にそこまで肌は出てないじゃない。こんなにもこもこしてるのに」
「それは夜着にもなる代物だ。お前は寝るときの格好を人にさらすのが趣味でもあるのか」
「嘘。こんな上質な服が寝巻なの?」
エルシアは驚いて、自分の格好を見下ろした。
滑らかな手触りのワンピースはどうやら夜着の類だったらしい。クリーム色の布地にレースの刺繍が編み込んであるし、これで普通に出歩くものだと思っていた。ショールで肩口を隠しているから、別に肌が見えているわけでもない。
そう考えると、自分は寝巻姿でベッドの端に座りながら凄みを利かせていたわけだ。威厳もへったくれもあったものではない
「……最低。それ、もっと早く言いなさいよ」
ようやく今の状況をつかめたエルシアは、座った目で目の前の青年を見つめたのだった。
「分かったら早いこと着替えることだ。ヴァリー、従妹殿にドレスを見繕ってやれ。下手な印象をつけたくない。過度に洒落たものは避けろよ」
呆気にとられたエルシアの前で、椅子から立ち上がった青年が侍女に指示を出した。「かしこまりました」と侍女も澱みなく答える。
「何をするの?」と問いかければ、貴族の青年は皮肉気に笑った。
「喜べよ従妹殿。まずは国王陛下に謁見しなければ始まらないだろう? 親子の感動の再会と言うやつさ」




