王都再び その5
「あとはもう、あんたたちも知っての通りさ。シアはケトを連れて帰るという、当初の目的を達成した。そして自分の出自を隠し通すという目的にもね。その際にきっと王都の人間に監視をつけられたのでしょう。表向きはケトの護衛、実際はシアの監視として。シアを連れて行った黒ローブの男はきっとそれだろうさ」
ダリアが口をつぐむと、部屋に沈黙が落ちた。張りつめた空気に息苦しくなって、ガルドスは呟いた。
「……つまり、王都にはエルシアの居場所がないってことじゃないか」
「その通りだよ。教会がケトを連れ去ろうとしなければ、シアが秘密を明かすことは絶体になかった。それは確かね」
会話が途切れる。ケトはキョロキョロと、何かを訴えたそうな瞳で周囲の大人たちを見上げていた。
今の話はケトにとって難しすぎる。きっと何が何だか分からなかったに違いない。誰かが教えてあげなくてはいけないようだ。
「先生、もう一つ教えてくれ」
「何かしら?」
「エルシアは、どうして俺たちに何も言ってくれなかったんだ?」
ガルドスは、自分の手を見下ろす。ずっと近くにいたはずの彼女が、今は酷く遠い。それに答えるダリアもまた、顔を俯けた。
「……言える訳がない。そうでしょう?」
「……」
「あの子はずっと怖がっていた。いつか、自分の秘密を暴かれて、母のように殺されるのではないかってね。だから、自分の居場所を守ろうと、必死に好かれる自分を作り上げたのさ」
それが、エルシアの被っていた猫の正体。自らを守るためにエルシアが作り上げた壁。そんなこと、言われなくたって分かっている。でも、それを認めてしまったら、ガルドスにはもう何も言えなくなる。
再び部屋に落ちた沈黙は、しかし少女の呟きによって破られた。
「なんで……?」
隣の少女を見下ろす。肩を落として、今にも縮こまってしまいそうな彼女を。
「なんで、シアおねえちゃんはそこまでしてくれたの?」
「ケト……」
ミーシャが声を掛けようとして、項垂れた。
「ずっとこわかったの。わたしはなんにもお返しなんてできないのに、シアおねえちゃんはわたしにすっごく色んなものをくれた。でも、そのせいでシアおねえちゃんは王都に行っちゃったんだよね」
……ごめんなさい、と零れた声は酷く切なくて。
「わたしのせいだ。わたしが変だから。シアおねえちゃんは守ろうとしてくれたんだ」
少女の目から、ポロリと涙が零れる。それは次々とシルバーの瞳を濡らして。
「ねえ、わたしどうしたらいいの? どうしたらシアおねえちゃん戻って来るの?」
「ケト……」
「分かんない、分かんないよ……」
その訴えに、答えを返せる者は、誰もいなかった。
―――
必死に嗚咽を抑えようとするケトを落ち着かせるために、ミーシャが少女を連れ出した後。部屋には居たたまれない空気が漂っていた。
「儂は、また守れなんだな……」
「ロンメル様……」
ギルドマスターが背を曲げて、ため息を吐く。
「リリエラ様も、エルシアも、儂は誰一人守れなんだ。よもやこの歳になって、己の不甲斐なさを味わうとは」
「誰も責めたりなんかしませんよ。ロンメル様だって、引退なされて久しいのですから……」
その会話の意味が、ガルドスには分からない。どことなく通じ合っているように見えるロンメルとダリアを見て、声に苛立ちが混じった。
「一つ、聞かせろよ」
「ガルドス?」
二人の視線を受けながら、ガルドスはずっと抱いていた疑問を口にする。
「なんで、エルシアはケトを拾ったんだよ」
そう。猫を被り続けていたエルシアが、唯一見せた例外。それが、ケトだ。
「昔から、あいつは自分の懐に人に踏み込ませることを酷く怖がってた。それは出自を知られる危険を恐れていたから。自分の事情に巻き込みたくなかったからだって、ようやく分かった」
今になって、ガルドスは幼馴染の抱えていた恐怖を思い知らされた。もう間に合わないというのに。
「でもあいつ、ケトだけは最初から別だった。こう言っちゃなんだけどよ。スタンピードの後、ケトを孤児院に預ける方法だってあったはずだろ? 何で自分で引き取って、傍に置いたんだ? ずっと隠していた秘密までバラすことになってまで、自分の手で守ろうとしたのはなんでだ」
ケトだって、ずっと知りたいと願っているのだろう。
今だけじゃない。少女はふとした拍子に口にしていた。それこそ先程だけじゃない。どうして、何もお返しできない自分にこんなに良くしてくれるのかと、ガルドスにもこぼしたことがある。
言い澱んだ二人に、ガルドスは続ける。
「ケトの力はこれからもずっと付き合っていかなきゃいかないものなんだぜ? 本人の自覚だって必要だろう」
分かっている。これは八つ当たりだと、ガルドスにだって分かっている。
ケトが居ないのをいいことに、突然の苛立ちを年端もいかない少女にぶつけているクソ野郎だ。
「王都や教会の連中みたく力目当てだったんじゃないかなんて疑っている訳じゃない。それなら、俺だってもう少しやりようを思いつくんだから。でもそれじゃあ、エルシアがケトを拾った理由って何だ? ケトが目をつけられること、エルシアは最初から警戒している節があった。そしたら芋づる式に自分の正体を知られる危険性だって思いつくだろう? 現に王都の連中にはそれでバレたようなもんだ」
ダリアは少し驚いたようにガルドスを見た後、初めて弱々しい微笑みを浮かべた。
「……ごめんなさい。こればかりは想像で言っていいことではないと思うのよ。でもね、これだけは信じて。シアはケトのことが大好きだったの。それだけは確かだと、断言できるわ」
それは確かに心のこもった言葉ではあったが、ガルドスの腹の底をスッと冷やす言葉でもあった。
「……結局俺は、最後まで部外者だったって訳か」
「ガルドス……」
「エルシアがずっと苦しんできたことは分かった。俺たちにはもう手の届かない所まで行っちまったってこともな」
それはどこまでもケトのため。
最後に重い置き土産まで残して、彼女は去ってしまった。話を聞けば聞くほど、無力感に打ちのめされる感覚に耐えきれなくて、ガルドスは席を立った。
「先生、爺さん。教えてくれてありがとう」
「ガルドス……」
「悪いけと、俺は先に帰ったってミーシャとケトに言っておいてくれ」
項垂れて、沈んだ声で、ガルドスは言った。
「このままじゃ、ケトに酷いこと言っちまいそうだから」
頭を冷やしてくると唸り声をあげて、大男は部屋を後にした。
―――
「もう大丈夫だって……」
「申し訳ありません。ですがどうか、これが終わるまで我慢を……」
「いや、血ももう止まっているし、本当に大丈夫よ。こんな傷、唾つけておけば治るって」
王都のアイゼンベルグ邸で、柔らかな肌着を一枚着ただけのエルシアは、年嵩の侍女に左肩を包帯でグルグル巻きにされていた。
落馬した際にぶつけた肩は、それなりの青痣になっていた。
確かに痛いものは痛いが、そこまで大げさにする必要はないのに。ブランカにいれば放っておけば治る傷でも、王都ではそうはいかないようだった。
文句はヴァリーと言う名の侍女の前で立ち消える。
諦めてされるがままにされていると、ふとケトのことを思い出してしまう。あの子はお風呂が苦手だった。有無を言わさず体を洗っている時、よくこんな風に遠い目をしていたっけ。
……やめよう。思い出しても辛いだけ。残念ながら、感傷に浸れるほど自分は良い身分ではない。
ふと侍女の視線を感じたエルシアは、そわそわと視線を動かした。どうにも居心地が悪いのは、きっと慣れない環境にいると言う理由だけではないはずだ。
「アルフレッド様のお屋敷は、本当に立派なのね」
「”様”は必要ありませんよ。王都にいらっしゃられたのであれば、エルシア様こそ敬われる立場にいらっしゃるのですから」
「……そうは言ってもねえ」
王女を名乗らねばならない場であれば、それこそ芝居でもするかのような気分で呼び捨てにもできよう。しかし、エルシアはどこまでいってもただの田舎娘。貴族には”様”が付いて当然なのだ。
腰かけるベッドは天蓋付き。信じられない程の柔らかさに、尻の下に敷くのがいたたまれない。
右を見ても、左を見ても調度品の数々。これが金ピカでごてごてと飾り付けられているのであれば、まだ鼻で笑えたのに。さりげなく、しかし絶妙なバランスで配されているのだから、感心せざるを得ない。
「……ここが生まれた場所だなんて、自分でも信じられないわ」
ボソッと呟くと、ヴァリーは優し気に、それでいて寂しげに微笑んだ。
まただ。また、エルシアをそんな顔で見る。
まるで我が子を見るような、母性に満ちた表情。明らかにエルシアに向いている感情なのに、エルシア自身には答えようがない。
「ねえ、ヴァリーさん」
「”さん”も、要りませんよ」
「……じゃあ、ヴァリー」
「何でしょうか、エルシア様」
侍女が持ってきた落ち着いた色の服に腕を通す。これだって随分な上物だ。侍女曰く、大分着やすい服を見繕ってくれたのだそうだが。
着せられたクリーム色の布地を手で確かめながら、エルシアは会話の糸口を探す。
「黒ローブの彼はどうなったか分かる?」
「見た目程傷は酷くなかったようですよ。きっとそこまで時間を置かずに復隊も可能でしょう」
「……そう、良かった」
ラッドと名乗っていた男。随分痛そうだった。本人が何も言わないから、余計にそう思ったのかもしれないが。
「でも、もう一人の”影法師”は……」
敵を引き付けるために後に残った男。名前も知らないが、あれだけの数相手に無事だったとは思えない。視線を落としたエルシアに、しかしヴァリーは微笑んで見せた。
「それなら、先程戻りました」
「え?」
「”影法師”も教会も、一線を超えたくはありませんから。戦闘はあくまで最低限に留めて、攪乱に注力していたのでしょう」
侍女の言葉の全てを理解できたわけではないが、どうやら僚騎の彼も無事だったらしいと知って、エルシアは胸のつかえが取れたような気分を味わった。名前を知っているわけではなくとも、自分を逃がすために尽力した人が殺されるのは胸糞が悪い。
「ラッド様が、エルシア様に大変感謝されていましたよ。自分が生きているのはエルシア様のおかげだと」
「……私がいなければ、そもそもあんな目に遭うこともなかったのにね」
皮肉を言った途端、「いけませんよ、そのようなことを申されては」とヴァリーにたしなめられてしまった。
なんだか酷く居心地が悪い。年嵩の侍女は、自分に対して王女以上の感情を持っているらしい。言いにくいことだが、早めにはっきりさせておかなくてはいけないだろう。
「ねえヴァリー」
「何でしょうか、エルシア様」
「貴女は、私の母のことを知っているのよね」
侍女は両手を体の前で静かに組んだ。
「ええ、とても良く存じ上げています」
「じゃあ、昔の私のことも?」
「もちろんです。私はかつて、あなたの母君であるリリエラ様付きの侍女でしたから。エルシア様がお生まれになった時のことも、少しずつ成長されていくお姿も鮮明に思い返すことができます」
父は国王だった。母は宰相家の娘だった。
そして、目の前の女性は母のお付きの侍女だったと言う。
エルシアにとってはただの事実の羅列に過ぎない。しかし、それが目の前の侍女からは、酷く生々しい感情を持って押し寄せてくる。どう答えるべきか分からず、エルシアは顔を伏せた。
「……先に謝っておくわ。私は何も思い出せない」
「……エルシア様」
「五歳の頃のことなんて、ほとんど分からないわ。住んでいた家のことも、周りの人のことも。母の顔でさえ、私はもう覚えていない。貴女のことだって……」
だから、貴女が抱く感情には答えられない。真っ直ぐに目を見てそう言うつもりだったのに。顔を上げてヴァリーの顔を見た途端、そんな言葉は吹き飛んでしまった。
「良いのです」
侍女は柔らかく微笑んでそう言った。
「あなたが元気に生きていること。それだけで十分なのです」
「……」
「よくぞ、ご無事で。本当に、良く……」
自分の何倍も生きてきた人が、瞳に涙まで浮かべて、自分の生存を喜んでいる。その事実に狼狽しながらも、やっぱりエルシアは何も答えられなくて。彼女はそっと視線を逸らすことしかできなかった。




