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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第六章 看板娘は、
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エルシア その2

 秋も深まり、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた頃。

 看板娘と少女が王都から帰還して半月程経ったその日、ブランカの冒険者ギルドでは、とある計画を実行に移そうとしていた。


 何といっても、今回の目標は人知を超えた力を持つ少女だ。その目標に気付かれないように、冒険者たちは慎重に慎重を重ねた。

 ちなみに今回の計画の首謀者であるギルドの受付嬢は、今日は目標の注意を引く囮役を引き受けている。やっていること自体は、まあいつも通りとも言えなくはない。


 冒険者たちの中でも若手であるミドは、木箱を山のように積んでギルドの裏口から入り込んだ。いつもは職員専用の出入り口だが、今日ばかりは計画のために、何人もの冒険者たちが出入りを繰り返している。

 フロアの階段とは反対側にある細い業務用の階段には、手すりも何もない。注意しながら階下の厨房へ一直線だ。

 ようやくミドはそこで荷物を下ろすことができた。とにかく重い上に中身は牛乳だから、手が滑ってひっくり返しでもした日には大惨事だ。


「おや、ミドかい。お疲れ様だね」


 厨房の奥からマーサが出て来て、ミドが木箱の中身を確かめるのを横目で見ながら話しかけた。


「エルシアさん、大奮発ですね」

「随分と気合入れていたからねえ。これはあたしも腕がなるってもんさ」

「……これだけ愛されていると妬けてきますね」

「まったくさ。あの子も幸せ者だよ」


 納品書にサインを書き込むマーサと二人、言葉を交わす。

 かつて孤児院にいたミドは肩をすくめた。きっと彼だって同じことをして欲しかったのだろう。だが彼は切り替えも早い。羨む言葉を発したのも一瞬。すぐにマーサに向き直った。


「ま、やるとなったら徹底的に協力しますよ。その代わり、マーサさんもお願いしますね!」

「満腹にさせてやるから、期待しときな」

「ういっす! じゃ、残りも運んじゃいますね!」


 トントンと、軽やかに階段を駆け上るミドを見送りながら、マーサは一人ごちた。


「しかしエルシアも、貯金は大丈夫なんかねえ……」


 今日の出費は全てエルシア持ちだ。彼女から今日の相談をされた時には、貯金を切り崩すと言っていたっけ。

 そもそも、ギルド職員の給金もそこまで高い訳ではない。エルシアは倹約家(けんやくか)だから、これまで必要最低限のものだけ買って、あとはせっせと貯金に回していたはずだ。


 彼女の金の使い方が変わったのは、間違いなく少女と出会ってから。

 食事は質の良いものを取るようになった。少女の服には気を遣うようになった。

 極めつけは例の人攫いの時だ。彼女は協力してくれた冒険者への褒賞金(ほうしょうきん)を、その月の給金と貯金から一括で出した。その額が相当なものであることを、ギルド職員であるマーサは知っている。


 そして、今回の計画。エルシアが提示した予算は、思っていたよりもずっと多かった。流石に多すぎるのでは、という忠告に彼女は笑ってこう返した。


「マーサさん。できるだけ盛大に大勢でやりたいの。あの子に、少しでもたくさんの幸せな思い出を作ってあげたくて。だからお願い、我儘を許して」


 そこまで言われてしまっては、断りづらいものがある。結局エルシアのお願いを聞き入れ、ギルドを挙げての大掛かりな準備が始まったのである。

 いい年をした荒くれ者どもがバタバタしているのが少し可笑しくて、マーサはクスリと笑みをこぼした。


「ケトちゃんも、今やうちの看板娘みたいなもんだからねえ」

「そうじゃのう」

「あら、マスター」


 返答はミドが下りてきた裏口とは反対側から返ってきた。振り返ると食堂から、ロンメルがひょっこりと顔を出している。


「エルシアはどうですか?」

「相変わらず娘っ子につきっきりじゃな。今日は仕事になりそうもないの」


 フォッフォッフォと独特の笑い声を響かせて、ギルドマスターが山と積まれた木箱を見る。マーサは野菜の下ごしらえに戻りながら、話しかけた。


「明るくなりましたね、エルシア」

「ケトに一番救われたのは、間違いなくエルシアじゃろうからの」

「そう言いながらつまみ食いするのやめてくれませんか、マスター」


 しみじみとチーズを口にするロンメル。背後ではひたすらにニンジンを刻むマーサ。考えることは同じ、上であたふたしているであろう看板娘のことだ。


 どこか底の知れない、けれどいつも必死なエルシア。今日の計画が、彼女にとっても幸せなものになるようにと、二人は静かに願った。


―――


「シアおねえちゃん、お仕事は?」

「うーん? そうねえ、今日は暇かな」

「ミーシャは? 今日はお仕事、受けないの?」

「今日はパス。寒いもん」


 何かおかしい。ギルドのロビーを陣取って、ケトはキョロキョロと周囲を見渡した。

 いつも通りのギルドの午後。強いて言えばジェス達わんぱく組が顔を見せていないことくらいか。何も今日、と思わないこともなかったが、それこそ彼らが知っているはずもなし、高望みは贅沢と言うものだろう。


 護衛の視線にも段々と慣れてきた。

 王都から戻ってきてすぐのころ、ケトはそれはもうびっくりしたものだ。


 どこにいても視線を感じるというのは、あまり心地の良いものではない。部屋の中や共同浴場以外は常に見張られている気分だ。

 それでいて、彼らは絶対に姿を見せない。今もギルドの屋根裏に潜んでいるはずの護衛。あんな狭い所にずっといる気だろうか。


 とにかくエルシアに気持ち悪いと訴えてはみたものの、彼女も困った顔で「ごめんね」を繰り返すだけだった。きっとエルシアとしても本意ではないのであろう。

 ケトが敵意を向けられているわけではないなら、気にしないのが一番だ。エルシアを困らせるのは嫌だから、ケトは早々に割り切るしかなかった。


 そんな中での、”そわそわ”である。


 てっきり何か危ない事でも近づいているんじゃないかと、全身の毛を逆立てて感覚を研ぎ澄ませたケト。しかし予想に反し全くもって危険を感じなかったので、さらに首をひねることになった。

 むしろこの浮き立つような感覚は、夏の蚤の市に近いものがある。心の中のウキウキやワクワクをみんなで覆い隠そうとしているみたいだ。


 ケトの隣でオーリカへの手紙、もとい報告書を書いているエルシアを見ながら、ケトは頭をフル回転させた。こういう騒動には、大体中心にエルシアが関わっているのだ。そのことをケトは経験として知っている。

 そう、すなわち……。


「シアおねえちゃん、何かかくしてる!」

「えっ?」


 びしっと指を突き付けてやると、エルシアが目をぱちくりと瞬かせた。彼女の手からポロリとペンが落ち、隣のミーシャが飲んでいたお茶を噴き出す。


「ずるい! わたしも混ぜてくれなきゃやだ!」

「ふへへへへへげほっごほっ」


 ミーシャがおかしな声で笑いながら盛大にむせている。周囲のテーブルでだらけていた常連さんたちが揃ってビクッと肩を揺らしたので、ケトの疑念は確信へと変わった。


「ほら、みんなだっておかしいもん」

「そ、そうかしら……」


 エルシアの目がほんの一瞬泳いで、それからすっと落ち着く。これも良く知っている。王都でガルドスがこういう状態のことを何というか教えてくれたのだ。


「そんなことないわ。ごめん、きっと例の気配のせいね……」


 きっと彼女は屋根裏にいる護衛のことを言っているのだろう。現に、本当に申し訳ないと思っていることだってケトには伝わってくる。分かってはいるのだが。

 今ばかりは、しょげた顔でそんなこと言ったって、ケトは騙されないのだ。


「シアおねえちゃん」

「な、何?」

「今、猫かぶったでしょ」

「へっ!?」


 今度こそ、エルシアから()頓狂(とんきょう)な声が漏れ、後ろのテーブルからこらえきれなくなったように爆笑が巻き起こる。向かいの席のミーシャはテーブルをバシバシ叩いて声も出ない程に笑い転げていた。


「むうう。だまされないんだからね!」

「ちょっとケト、そんな言葉どこで覚えて……。あ、こら!」

「聞いてるのはわたしだもん!」

「わ……! ちょっと、ケト、うわっ!」


 椅子から降りて、隣のエルシアに飛び付く。慌てて抱き留めてくれたエルシアだったが、少し勢いがつきすぎたようだ。受け止めきれずにバランスを崩す。

 どすん、と音を立てて、二人そろって床に落っこちてしまった。やっぱりエルシアは、ケトを抱き留めたまま、下敷きになってかばってくれている。


「ケ、ケト……」


 至近距離。エルシアの胸元にうずめた顔を起こして、真ん丸に見開かれた栗色の瞳をじっと見つめる。姉が口を割らないなら、こっちにだって考えがあるのだ。


「話してくれるまで、こうしてるんだから」

「ど、どうしたのよ一体?」

「シアおねえちゃん……」

「ケ、ケト……?」


 ケトの鼻を、シアおねえちゃんの良い香りがくすぐる。抱き留めてくれた体の柔らかさを堪能(たんのう)しながら、徐々に近づく瞳と瞳。そして。


「えいっ」

「えっ、ちょっとケト!? やめ、ちょっ、あはははははっ!」


 その柔らかな脇腹に魔の手を伸ばした。


「や、止めてケト! あっ待ってって、あはははははっ! くすぐらないでってば!」


 エルシアはくすぐられるのに弱い。この間、ミーシャにこっそり聞いたことだ。


「ひいっ、ケトちょっと! ミィ! 笑ってないで助けて」

「ごめん、脇腹が弱点って教えたの、多分あたしだわ」

「ぬうう。話してええ」

「わ、分かったって。ははは、分かったからとめてええ!」


 必死に逃れようとエルシアがじたばたしているが、ケトに力で敵う訳がないのだ。ちゃっかり抱き着いてエルシアを堪能(たんのう)しながら、ケトはしばしの間、こちょこちょを続けた。


「はあっ、はあっ、はあっ……。も、もうゆるしてぇ……」

「あれ……?」


 ふと気づくと、エルシアがぐったりしていた。ちょっとやりすぎちゃったみたいだ。

 顔を起こして彼女を見下ろした時、カランコロンとベルの音が鳴った。


「な、何してんだお前ら……」


 ドアのほうを向いたら、ガルドスが大口を開けてこちらを見ていた。後ろには何故か、今日は来れないと言っていたはずの、ジェスとサニーとティナの仲良し組が続いている。


 ガルドスの言葉の意味を考えて、ふとケトは周囲を見渡してみる。

 床に倒れたエルシアと、覆いかぶさるケト。

 少女の猛攻を受けたエルシアは、頬を上気させ、目にはうるうると涙を溜めていた。はあはあと荒い息を吐いて、ケトの手を掴んでいる。逃れようと暴れたせいで、エルシアの服は乱れに乱れ、あちこちから白く柔らかそうな肌が覗いていた。


「あー、こりゃダメだ」

「うわっ! 何すんだよ、いきなり!」


 ガルドスが、入ってきたばかりのジェスの目を両手で覆った。

 ちなみに、そんなガルドス自身の顔も真っ赤だった。


―――


「良かった、俺はてっきりとうとう一線を越えたのかと……」

「そんな訳ないでしょ、もう……」

「お前、やっぱり小さな女の子が好きなんじゃないか? 悩みがあるなら聞くぞ?」

「はったおすわよ……!」


 ガルドスが、呆れたような、どこかホッとしたような声でぼやき、エルシアは首を横に振る。


「何があったの?」

「んー。あんたらにはまだ早いかな?」

「ミーシャさんずるい!」

「ずるい!」


 後ろで、ミーシャが子供たちのなぜなに攻撃に耐えている。先頭のジェス以外は、ガルドスの背中に隠されて騒動が見えなかったらしい。また別の一団に視線を向ければ、こそこそと男どもが囁き合っていた。


「……良いもん見れたな」

「ああ、あれは良い……」

「意外と押しに弱いのかもしれないぜ、ミドに見せてやりたかったな」


 次々と食堂へ降りていく常連さん達にため息を一つ。これは後々大変そうだ。

 だが、それよりもまずは目の前の少女の不機嫌を宥めなくてはなるまい。エルシアは気持ちを切り替える。


「それで? なんでこんなことになってんだ?」


 むうと頬を膨らませるケトを見て、ガルドスが訝しんでいた。


「シアおねえちゃんが、かくしごとしてるの。話してくれないの」


 ケトの訴えを聞いたガルドスが、残念なものを見る視線をエルシアに向けた。


「……エルシアお前、遂にケトにまで言われ出したぞ」

「うっさいわね。どうせ私はひねくれ者ですよ」


 エルシアにだって、ひねくれている自覚なんて嫌と言うほどある。ここまでそれでやってきてしまったから、今更変えようもないのだ。ツンとそっぽを向いたら、隣のケトと視線が合ってしまった。膨れた顔も可愛くて、思わず頬が緩む。


「なあケト。エルシアはな、決してお前をのけ者にしようとした訳じゃないぞ」

「……そうなの?」

「ああ。むしろお前の為に色々と、な」

「いろいろって?」

「それを俺の口から言うのは野暮ってもんだ。おい、エルシア。準備はまだなのか?」


 こういうところ、彼は本当に気が利く。昔の我儘なガキ大将ととても同じ人間に見えない。エルシアがガルドスを好く理由の一つだ。


「そうねえ……」


 ケトの後ろ、食堂へ続く階段の入口から、ひょっこりと顔を出したマーサに目を向けた。先輩受付嬢が手で作った丸は、準備完了の合図だ。

 小さく頷き返してから、エルシアはケトに視線を戻した。


「ケト、ちょっと一緒に来てくれる?」

「うん?」


 看板娘が手を差し伸べると、少女は首を傾げながら、小さな手を伸ばしてくれた。

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