保護者の真髄 その11
翌日、ケトは再び馬車に揺られていた。
隣に座るエルシアの手をギュッと握る。少しでも傍にいてあげたい、その一心だった。
相変わらず、エルシアはギルド職員の制服のままだ。
ここまで徹底して同じ服を着続けているところを見ると、流石のケトにも何か理由があるように思えてならない。そもそもなぜ王都に行くときにギルドの制服を四着も持って行く必要があるのか。その時点で疑うべきだった。
エルシアは今朝もまた、簡素でもドレスを、という申し出を断ったのだ。
私たちは平民ですから、と答えるエルシアの顔は強張っていた。半ば言い聞かせるような口調にも、それに対して諦めたようにため息を吐いたアルフレッドにも、ケトは酷い違和感を感じたままだ。
エルシアが自分のために戦ってくれていることは痛いほどに分かっている。だというのに、その中身がケトには全くついて行けない。自分に関わることだというのに、難しすぎてついて行けないのだ。
エルシアが全部良いようにしてくれる、という絶対的な信頼の一方で、全てを姉に押し付けてしまっている焦燥感。ごちゃ混ぜになった感情が、少しずつケトの中で膨らんで来ていた。
「はやく大人になりたいな……」
小さな声で呟く。大人になれば、きっと難しい話だって分かるようになるはず。そうしたら、シアおねえちゃんの役に立てるのに。
少女の呟きが聞こえたのだろう。制服に腕を通した姉が不思議そうに自分を見ているのが分かった。
―――
「……これを見る限り、ケト・ハウゼンには何の力もないというように読み取れるのだが」
「はい」
グレイ侯爵は、書類から視線を上げた。その視線が鋭くアルフレッドを刺す。
「長剣を振れる程度の力。素養はあっても技術のない魔法。本人の前で言うのも悪いが、そのような人材が珍しい訳ではない」
「その通りです。確かにケト嬢は、ブランカのような辺境でこそ光るとは言え、国全体から見れば、特別な人物とは言えません」
ケトはしっかりと前を見据えた。いくら怖くても、騎士団長の鋭い目に怯むつもりはなかった。怯めばきっと、エルシアに迷惑をかけてしまうから。
「魔法技術は近年加速度的に広まったとはいえ、王都近辺と、南の一部地域が主であることは変わりません。北の辺境であるブランカには使える者は一人しかいないとか。そんな中で奇跡的にスタンピードの撃退に成功し、同時期に流れ着いた未熟な魔法の使い手。担ぎ上げられた背景も、分からなくはありません」
まどろっこしい言葉遣いは、どうやら王都では普通らしい。ケトにはいまいち分からないけれど、グレイ侯爵は軽く手を振って、アルフレッドの発言を遮った。
「では、ブランカは水車小屋を活用した囮戦術と町の防壁によってスタンピードを乗り切った。本当に、それだけだと?」
「はい。その通りです。先日お渡しした被害調査書に間違いはありません」
ふん、と鼻を鳴らした騎士団長を、ケトはじっと観察する。龍の感覚を使うまでもなく、彼が報告を信じていないことは明らかだ。
「では、アルフレッド卿、一つ聞かせてもらおう」
「何なりと」
「数日前、当家にエレオノーラ王女殿下からの使者が来られた。曰く『騎士団の動きが民に不安を与えつつある。特に幼い少女を呼び寄せて、騎士に仕立て上げようという今の状況は、その流れを助長しかねない。王国騎士団には国内情勢を鑑みた上での、懸命な判断を望む』と」
アルフレッドは小さく驚いて見せたが、ケトには視える。これも間違いなく演技だ。
「その様子を見ると、アイゼンベルグ家は関わっていないと見てよいのかね。私はまた、貴殿が横やりを入れたのではないかと疑ってしまったのだがな」
「まさか! エレナが、ですか? お恥ずかしながら、それは初耳です」
慌てたように、一歩前に出るアルフレッド。事情を知っている身からすれば、良くここまで演じ切ることができるものだと、感心してしまう。
「騎士団を統べる者として、貴殿に聞こう。この少女の報告書に嘘偽りはないと誓えるか。もしも後に偽りだと分かれば、国益を損なう行いとしてアルフレッド卿の考えを聞く必要があるが」
ケトは奥歯を噛みしめて、アルフレッドの方を見た。静かに佇む彼からは、欠片も迷いが視えなかった。
「はい。筆頭公爵家アイゼンベルグの名に懸けて。この文書に一切の偽りがないことを誓いましょう」
「……相分かった」
どこか疲れたように、グレイ侯爵は背もたれに体重を預けた。机の上に散らばった書類を見つめ、ため息を吐く。
「信じよう、というより信じざるを得ないな。王女殿下のご進言をいただいた以上、騎士団内での再検査をするわけにもいかなくなったのだから」
「……」
「ケト嬢、それから関係者の諸君。はるばるここまで足を運んでくれたことに感謝する。残念ながら褒美もやる訳にもいかないが、せめて王都滞在を楽しんでもらえれば幸いだ」
ケトには分かる。グレイ侯爵の今の言葉は本心だ。アルフレッドに対する不信感や、現状を嘆く色が視えるのだ。
だが一方で、会話の節々に現れる水面下のやり取りに背筋が寒くなる。もしも無策で行けば確実に絡めとられていたに違いない。そうなればケトはブランカに帰れなかったかもしれないのだ。
この場で口を開くつもりは全くなかったのに。気付けばケトは声を上げていた。
「……こうしゃく様。ごめんなさい」
嘘を吐くのは悪いこと。悪いことをしたら、院長先生に叱られなくてはいけないのだ。
「君が謝ることではない、ケト嬢。この国は中々厳しい状況にあるから、”白猫”の手も借りたかったと言うのも本音ではあるが。どうやら私の力不足だったようだ」
アルフレッドは相変わらずの無表情だったが、エルシアは少しだけ俯いていた。
最後にちょこんと頭を下げて、ケトは執務室から退散した。
―――
一行は本城の通用口から外へと出た。
車止めに止められた馬車へと向かうと、彼らを待つ馬車の前に、一人の侍女が立っていた。
恭しく頭を下げるその姿に、ケトは見覚えがあった。検査の合間に会った、服好きの侍女だ。やたらケトの紺のワンピースを褒めてくれた年嵩の女性である。
「お帰りなさいませ。ご首尾はいかがでしたか?」
「問題ない。エレナにも礼を言わなくてはな」
「それは何よりです」
開かれた扉の端に手をかけながら、アルフレッドが侍女に話しかけた。
「ありがとう、ヴァリー」
「いいえ。こちらこそ、お心遣い痛み入ります」
「エレナたっての希望だ。その理由も分かる以上、動かないという選択肢はないさ」
一体何の話だろうか。アルフレッドが言葉を交わした後、侍女はエルシアとケトの方を見た。
視線が合ったので、ケトはとりあえずちょこんと頭を下げてみる。
「こんにちは」
「こんにちは。可愛らしいお嬢様」
帰ってきた返答は、堅苦しい挨拶とはかけ離れた柔らかな微笑みだった。
アイゼンベルグ家の侍女は皆、上品で形式ばった挨拶ばかりするのに、目の前の侍女は違うようだ。心の底から浮かべているのだと分かる笑顔をケトに向ける。
「今日も素敵です。とっても似合っていますよ」
「えへへ、似合ってる?」
「ええ。あなたの雰囲気にぴったりです」
「ありがと」
ケトは目を輝かせて、侍女に答える。そう、この洋服はケトのお気に入りなのだ。エルシアが裏あてをして寸法を合わせてくれた、紺の地に白い刺繍の施されたワンピース。
王都の人の服は、ずっと色とりどりで質も良さそうなものが多い。だから今まで埋もれてしまっていたのだが、ケトの一番大好きな服を褒めてくれるのはとても嬉しい。
「早く乗りましょ、ケト」
「う、うん」
入口で止まっていたせいか、後ろのエルシアがつかえてしまっていた。慌てて馬車によじ登ると、後ろで侍女がエルシアに深々と一礼していた。
彼女は対照的だった。侍女と目線を合せようとせず、すり抜けるように馬車に乗り込む。ガルドスが続いたのを確認してからアルフレッドは御者に声を掛ける。
「出してくれ」
走り出した窓からケトは外を覗いてみた。頭を下げた侍女の姿がどんどん遠ざかり、やがてそれも庭園の向こうへと消えていく。
揺れの少ない馬車の中で、ケトはエルシアの袖をギュッとつかむ。ガルドスが何も言わずに看板娘の隣に座る。
どうにかして、彼女の気分を和らげてあげたい。今もなお、彼女の心に立ち込める暗雲を消し去ってやりたい。少女も大男もただそれだけを願っていた。
そんな二人の思いを知ってか知らずか、エルシアはゆっくりと頭を下げた。
「アルフレッド様、私の願いを叶えてくださったことに、心より感謝を申し上げます」
「いや……」
アルフレッドの答えがどこかぎこちない。青年がどこか窺うように問いかける。
「これから、あなたはどうするつもりだ?」
「当初の予定通り、ブランカに戻ります。長いこと仕事も休んでしまいましたから、可能な限り早くに」
アルフレッドはケトとエルシアを見比べる。
「そうか……。分かっているとは思うが」
「承知しています。護衛と、ケトの能力の隠蔽に異論はありません。今後もご迷惑をおかけしますが……」
エルシアの声が小さくなったのは、それが万が一にでも聞かれたら危険な内容だからだろう。アルフレッドも答えるように頷く。
「負い目に感じる必要はない。むしろ手に負えなくなる前に、対策を講じられたのは幸いと言うべきだ」
「はい……」
「屋敷に戻り次第、ブランカへの馬車と護衛の準備をする。行きのように仰々しくはできないが、護衛はきちんとしたものをつけるから安心して欲しい。襤褸が出る前に王都を離れた方が良いだろうから、明日の早朝にでも王都を発てるよう手配しよう」
「何から何まで、すみません」
馬車が門の下をくぐる直前、エルシアはちらと外に視線をやった。
つられてケトも外を見ると、視界の端に映るのは本城の屋根。くすみなど欠片も見当たらないその白壁と、翡翠の屋根の輝きを見つめていたら、素直な感想がケトの口から零れ落ちた。
――綺麗。
同じ瞬間に、同じ感想を口にした姉と視線が合う。お互いになんだか可笑しくなって、二人でくすりと笑って。
再び顔を上げたエルシアの瞳には、小さな決意の光が宿っていた。
「願わくば」
その小さな声に、アルフレッドが、ガルドスが視線を向ける。
それに気づいているはずのエルシアは、しかしケトの顔だけをしっかりと見据えながら、一言一言区切るように言った。
「この子が、この地を二度と踏むことがないことを望むわ」
「……シアおねえちゃん?」
「もしもこの子を脅かす者が現れたなら、私はどんな手を使ってでも守ってみせる」
彼女の目には一体何が見えているのだろう。ケトにはやっぱりそれが分からない。
龍の力を持たぬエルシアに全てを視通すことなんてできるはずもないのに、姉はいつもケトには視えないものを見ている。そんなエルシアに少しでも近づきたくて、少女はその宣言にはじめて言葉を返した。
「じゃあ、わたしもシアおねえちゃんを守ってあげるね!」
銀の瞳でじっと見上げていたケトは、エルシアの顔に見とれてしまった。
少しずつ見開かれていく栗色の大きな瞳。小さく息を飲んだ彼女の表情が、少しずつほころんでいく。
抱える不安が消えたわけではないけれど、それでも心の底から幸せそうな表情で、彼女はふんわりと笑っていた。
「ありがとう、ケト」
二人を乗せた馬車は走る。
ブランカへ、あのギルドへ帰るために。
いつも通りの日常に戻るために。
「……私、本当に幸せ者だわ」
エルシアはもう振り返らなかった。
ただひたすらに正面を、帰る町がある方角を、じっと見つめていた。




