保護者の真髄 その10
検査の結果が出たという報告がエルシア達の元に入ったのは、その翌日のことだった。
部屋まで呼びに来た使用人に続いて、三人はアルフレッドの執務室に入る。アルフレッドはどうやら王城から戻って来たばかりの様で、文官の略装を身にまとったままだった。
「お待たせいたしました」
「よく来てくれた」
真面目な顔つきのエルシアが部屋に入るなり、書類から顔を上げたアルフレッドはそう言った。
ガルドスはエルシアの横顔をちらりと盗み見る。彼女は落ち着いた様子だった。その左手にケトの小さな手を握り、堂々と胸を張っている。
今朝食堂でエルシアと顔を合わせた時、彼女はガルドスの方を見て、少しだけはにかんでくれた。そんな些細なことが、たまらなく嬉しい。
きっと何かを感じ取ったのだろう。ケトだけが不思議そうに、大男と看板娘をかわるがわる見つめている。
「すまないな、呼び立てたりして」
「いえ」
ガルドスが意識を飛ばしている間に、看板娘と貴公子の会話が進んでいた。慌てて耳をすます。
「改めて言うが、これから話すことは一切他言無用だ。もし外部に広まりでもしたら、それこそケト嬢に危害が加わることになる。まずはそれを念頭に置いてもらおう」
「心得ております。ケトにも後で言い聞かせますから。ガルドスも良いよね?」
「ああ」
異論などある訳がない。エルシアとアルフレッド、二人の視線を感じながら深々と頷く。
彼女がケトの生活を考えてアルフレッドと交渉していたことは、先日の騎士団長謁見の前にある程度聞いている。確かに大男に詳しい話は分からない。だが一つ確かなのは、それがケトにとって良い話であること。そこにガルドスが疑う余地はない。
「エルシアが納得しているなら、俺が口を出すことはない。ケトのこと、お前が一番考えているんだから」
「ありがと、ガルドス」
「君達ならそう言ってくれると思っていた。では始めようか」
小さく深呼吸。自分にはエルシア程の頭脳はない。それでも少しでもエルシアの隣に近づけるように、アルフレッドの話を一語一句たりとも聞き逃すつもりはなかった。
「現時点で、ケト・ハウゼンの能力について知っているものはごく一部に限られている。だが、もしもケト嬢の力が広まれば、有力者は決して黙っていないだろう。その権力争いに巻き込まることを、エルシア嬢は危惧していた。この認識に間違いはないな?」
「はい、おっしゃる通りです」
エルシアが静かな声で返答する。ケトは既に話について行けないようで、不思議そうに隣の姉を見上げていた。
「結論から言おう。王都の現状から見て、エルシア嬢の懸念は的を射ている言っていい」
厳しい顔で口を開いたアルフレッドは、そう言ってケトを見やった。執務机の上に広げられた書類を手に取る。
「検査結果を見るに、ケト嬢の能力は完全に人知を超えたものと言っていいもの、そして感性と頭脳は九歳と言う年齢に相応しいものだった。この事実が外部に漏れた場合、有力者の歯止めが利かなくなることは間違いない。皆こぞって手に入れようとするだろうし、そのいずれに渡ったとしてもこの国の勢力図が大きく崩れることになる。それはこの国にとっても、当家にとっても、避けるべき事態だと判断した」
ガルドスは思わず目の前の貴公子を見つめた。にわかに物騒な話になってきている。大男は一瞬静まった間に、エルシアに聞いてみた。
「エルシアは、それに気付いていたんだな?」
「ええ。その通りよ、ガルドス」
「そう。だからこそ、エルシア嬢の提案を採用することにしたという訳だ」
アルフレッドがエルシアに鋭い視線を向ける。
「ケト・ハウゼンの力を秘匿し、我が領内のブランカでこれまで通りの生活に戻る。それがエルシア嬢の提案だった。もちろんこれまで通りに力を振るうのは避けてもらう必要があるし、申し訳ないが、今後は護衛もつけさせてもらう。他にもいくつか制約もつくはずだ」
「護衛?」
「先日の人攫いの一件、狙いは間違いなくケト嬢だろう。実行したのは冒険者崩れだったが、裏には何らかの黒幕がいると見た方が良い」
「……!」
ランベールをはじめとした人攫いの騒動。その裏の存在を聞き、ガルドスは背筋が寒くなった。もしかして、これもエルシアは気付いていたのだろうか。
「本当はケト嬢を当家の隠れ屋敷に匿うことも考えたのだがな。エルシア嬢に突っぱねられたよ。それは軟禁と変わらないだろうとな」
「当然です。私はケトを籠の鳥にするつもりはありません」
「ならば、これまで通りの生活を送るために、君たちにも協力してもらう必要がある。だからこそこうして呼び出したという訳だ」
いつの間にそんな話になっているのだ。エルシアがしれっと答えていることから、それも含めて交渉済みと言うことなのだろう。軟禁などというとんでもない言葉が飛び出したところを見ると、エルシアは見えない所で相当粘っていたに違いない。
「元はと言えば、私がお願いしたことです。何をすれば?」
答えるエルシアの口調には迷いも澱みもない。金髪の青年は一つ頷き、紙の束をエルシアに手渡した。
「明日、ケト嬢には再び登城してもらうことになる。もちろん保護者である君たちも一緒にだ。今渡した書類が、騎士団への偽の検査報告になる。これを既に提出したのだが、お偉方が一度連れて来いとうるさくてな」
「やはり、騎士団の方々ですか……?」
「ああ。会いたがっているのはグレイ侯爵、先日も会っただろう? 王国騎士団の筆頭ともいえる人物だし、元々ケト嬢の噂に一番興味を示していた方だからな」
ケトは話について行けないながらも、不穏な空気を感じ取ったようだ。くいっとエルシアの服の裾を引っぱった。少女の手を握り返しながらも、看板娘の視線はアルフレッドから離れない。
「……なるほど。ケトは明日、その方の前で無力な普通の少女を演じる必要があるということですか?」
「その通りだ。ケト嬢の能力は、”普通の娘にしては、少しだけ力が強い”程度のものとして報告している。”魔法の適性もあるが、技量は素人同然”ともな。詳細は偽の報告書を読んで欲しいが、その結果にふさわしい受け答えをして欲しい」
「……よくわかんない」
ケトが困惑した顔でエルシアを見上げた。ガルドスがその頭に手を乗っけてやると、少女はキョトンとした後に、視線を前に戻した。
「大丈夫よ、ケト。話は全部私がするわ。貴女はただその場にいてくれれば良いから」
「その通りだ。そしてエルシア嬢の手助けはこちらでする。君はまた挨拶だけしてくれれば良い」
「後で練習しよっかケト」
「う、うん」
ケトとしっかりと手を繋ぎなおし、エルシアが視線を合わせる。ガルドスは少女の頭をゆっくりと撫でた。きっと安心したのだろう、少女は笑顔を浮かべた。
「話は以上だ。まずは報告書を読み込んでくれ。分からないことがあれば侍女に言って、私を呼んでもらってくれて構わない」
「畏まりました」
丁寧に腰を折ってからエルシアはくるりと踵を返した。ケトとガルドスも続こうとした時、アルフレッドが声を上げた。
「ああそうだ、エルシア嬢」
「はい、何でしょうか」
ドアを開いた状態で、エルシアが振り返った。
「すまないが、エルシア嬢は残ってくれないか」
「私、ですか? ケトとガルドスは……」
エルシアが不思議そうに首を傾げた。思わずガルドスも声を上げる。
「ケトのことについての相談なら、俺達も同席させてください。エルシアだけに押し付けるつもりはありません」
「ガルドス……」
エルシアが目を丸くする。ケトが二人の顔を見比べて、「あまあま」と謎の言葉を呟いていた。そんな三人の様子を知ってか知らずか、アルフレッドは苦笑した。
「ああ、すまない。本当に大した用ではないんだ。茶会のお誘いでな」
「お茶会、ですか?」
エルシアがキョトンとする。
「この間王城でグレイ侯爵と会った時に、客人のお嬢さんがいるのに茶会の一つも開かないのか、と嫌味を言われてな。もちろん外から誰か招くつもりもないから、ガルドス君やケト嬢も同席してもらってもいいんだが……。正直言って、君たちには退屈なはずだ」
「つまんないの……?」
「お行儀よく座って、相手の顔色を気にしながら紅茶をすするだけだ。とは言え、何もしないまま明日の謁見で突っ込まれても面白くない。エルシア嬢が茶会の様子を知っていれば十分かと思ってな」
「うーん」
露骨に興味を失くしたケトを見て、アルフレッドは苦笑を漏らした。ガルドスはそれでも食い下がろうとしたのだが、その前にエルシアが噴き出した。
「ふふっ。ケトは興味なさそうね。ねえガルドス、戻るまでケトのこと、お願いしても良い?」
そう言われてしまっては、ガルドスに断ることなどできはしない。「お、おう」と頷くと、エルシアは「ありがと、お願いね」と微笑んだ。
―――
ケトはびっくりしていた。
エルシアのピリピリが大分収まっている。昨日の町歩きが効いたのだろうか。それともやっぱりガルドスが何とかしてくれたのだろうか。
「ガルドス、シアおねえちゃんに何かしたの?」
「ぬえっ!? な、何だよ突然」
だから、部屋に戻るなりケトがそう聞くのは当然のことだった。ただ不思議に思っただけなのに、ガルドスが思いの他慌てたことが、ケトの確信に拍車をかけた。
「シアおねえちゃん、昨日からすっごくほわほわしてるもん」
正確に言うと、町歩きから戻ってきた時からだ。上辺こそいつも通りを装ってはいたが、ケトの目は誤魔化せない。溢れる甘い感覚は、こちらの気分まで浮き立たせるのだ。
ついでに言うと、夜中にエルシアが枕を抱きしめて、えへへ、と気持ち悪く笑っていたのも知っている。ベッドの上でゴロゴロ転がっていたから、隣の布団で寝ていたケトも目が覚めてしまったのだ。
これは問い詰めねばなるまいと、ケトは興味津々で大男の目を見つめた。「あー」とか「うー」とか言われても誤魔化されない。エルシアがいるときっと有耶無耶にされそうだったから、これは思ってもみないチャンスだった。
「別に、ちょっと話をしただけだって」
「話って?」
「うっ。ぐいぐい来るなあ、どうしたケト」
むうと頬を膨らませたケトは、ぐっと背伸びして精一杯訴えた。
「だって、シアおねえちゃんもだけど、ガルドスだってほわほわしてるもん! 二人だけずるい!」
「お、おう。そうだな……」
「もー、またほわほわしてる!」
大男に駆け寄って、ポカポカ叩く。もちろん力はほとんど入れていなかったが、ガルドスは心底困ったように顔を赤くしてほわほわしていた。ずるい。
―――
「シアおねえちゃん、遅いねえ」
「ああ。お茶会ってそんなに時間かかるものなのか?」
「分かんない」
結局しどろもどろのガルドスからも誤魔化されてしまった。やっぱりエルシアにも聞いてみるしかなさそうだ。そう思ったまでは良かったのだが、肝心のエルシアが全く戻ってこない。
偽の報告書を前に難しい顔をするガルドスを他所に、真っ白な紙に落書きをしていたケトは顔を上げた。
ちょっと心配だ。昨日から浮かれていたとは言え、ここ最近エルシアが緊張しきっていたのは事実。変な事になっていないといいのだが。そんなケトを見かねたのか、ガルドスが大きな体を伸ばして伸びをした。
「なあケト、少しエルシアの様子を見に行ってこようか」
「うん、行く!」
侍女に一言言っておけば、ある程度好きに屋敷を回ることができる。
それが平民には破格の待遇だということくらい、もうケトにだって分かる。これもきっとエルシアがいてこそのもてなしだろう。もしも、自分を拾ったのがエルシア以外だったら、一体どうなっていたのだろうか。想像もつかないからこそ、ケトは少しでも感謝を伝えたいのだ。
―――
意外なことに、エルシアはすぐに見つかった。
ドアを開けて見まわしたら、彼女は廊下の突き当りの窓辺に佇んでいたのだ。緩やかな癖っ毛を亜麻色に靡かせ、ギルドの制服を風に揺らして。
愕然とした。
夕日に照らされた後ろ姿は、酷く細く、頼りなく見えた。
今にも消えてしまいそうだと、ケトは思った。どこか浮世離れしたその姿は、まるで天使が舞い降りてきたようで。いつか空に帰ってしまいそう、そんなことまで考えてしまう。隣でガルドスが小さく息を吸っていた。
一歩、また一歩と、少しずつ彼女に近づく。
この現実感のなさは何だろう。エルシアがエルシアでないような、絶対に手が届かない所へ行ってしまったような、そんな感覚。
ケトは声が出せない。何か音を響かせただけで、彼女の均衡を破ってしまいそうで、恐ろしくて話しかけられないのだ。
窓際の細い影はピクリとも動かない。ただ、ぼんやりと外を眺めているように思えた。
「シアおねえちゃん……?」
「エルシア?」
近くまで行ったケトが、勇気を振り絞って声を掛けると、その声で彼女はこちらに気付いたようだった。その口元から震える息遣いが聞こえる。
「……泣いているのか?」
ガルドスの声が廊下に反響した。それに答えるように、看板娘は振り返って。ケトの銀の目が、涙に濡れる栗色の瞳を映した瞬間。
ケトは酷く狼狽した。
彼女の栗色に宿る絶望は、それほどまでに深かった。
怒りとも、悲しみとも、憎しみとも異なる何か。呆然と視線を合わせて数秒。ケトはそれが諦観であることに気付く。
何が起きた? この短い間に、エルシアは一体何を諦めた?
彼女の中には浮き立つ気持ちなど、もう欠片もない。むしろ先程まで高揚していた分、絶望が増したとさえ思える。
「シアおねえちゃん……?」
手を握ってあげたいのに、伸ばせない。
理由は簡単だ。エルシアがそれを拒んでいる。それが視えてしまうから、ケトは動けない。
「何があった……?」
低く押し殺すような声。隣でガルドスが拳を握りしめていた。
「アルフレッドに何かされたのか? 茶会って言うなら王都の女に何か言われたのか? まさか、ケトのことで変な要求をされたんじゃねえだろうな」
きっと彼も、ケトと同じ何かをエルシアに感じている。だからこそ、彼は怒る。エルシアが怒ることすらできないのなら、代わりに怒ろうとしている。
「何があったか言ってくれ。お前を一人で矢面に立たせるつもりはないんだ。だから……」
「何も、なかったよ」
静かな声だったが、よく通った。ケトを安心させる柔らかな声で、彼女は言う。
「お茶会は、一度すれば十分かな。良い経験になったし、楽しいっていう人の気持ちも分からなくはなかったけど」
目いっぱいに涙を溜めて、エルシアはそんなことを言う。大粒の雫が頬を伝う傍から、涙の粒が次から次へと浮かんで来ては栗色の瞳を彩った。
「そんな顔して何もなかったなんて通じるかよ! ふざけるな、アルフレッドは執務室か? あいつのところに行ってくる!」
「やめてっ!」
返す言葉は悲鳴の様だった。その声色は懇願そのもので、ガルドスが動きを止める。
「……ありがとう、ガルドス。心配してくれて、ありがとう。でもね、本当に何もなかったの。そういうことになったのよ」
にこりと笑うエルシアの目から、また一粒涙が落ちる。
「ケト、おいで」
夕日に照らされて、看板娘は両手を伸ばした。迷う余地などなく、ケトはその腕の中に飛び込む。
「シアおねえちゃん……!」
「ケト、明日は頑張ろうね。皆の元へきっと帰れるように」
痛い。
これほどまでの心の痛みが、かつてあっただろうか。少女には比喩でもなんでもなく、心臓を突き刺される痛みとして感じられる。
もどかしさをぶつけるように、姉の名前を呼んだ。
「シアおねえちゃん!」
「大丈夫よ、ケト」
「そうじゃなくて……!」
思い切り顔を近づけても、エルシアは何一つ変わらない。泣きながら、微笑んでくれる。ケトを安心させるための笑顔を浮かべてくれる。
抱きしめられているのに、どこか遠い。拒絶が沁みて痛い。
辛い気持ちが少しでも和らぐようにと、ケトは両腕に力を込めた。それなのに、決して和らぐことはなくて。
エルシアはボロボロと涙をこぼして、ケトを抱きしめながら、ガルドスに答えながら。
ただ、全てを拒絶していた。




