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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第五章 看板娘は王都に向かう
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保護者の真髄 その9

「本当にいいの?」

「いいも何も。王都ではいくらでも飲めるし。さっきのお礼だと思ってよ」


 ギルドの入り口でレモネードのレシピが書かれた紙を受け取りながら、エルシアはピョンピョン飛び付くケトを見た。


「不思議な味がすると思ったらはちみつが入っていたのね……」

「はちみつ!」

「冬はお湯で割ると良いかも。ホットもおいしいから」

「なるほど。試してみるわ」


 随分長いこと居座ってしまった。ロビーでの話も盛り上がってしまったし、その後にギルドの案内までしてもらったのだ。まさか二階が冒険者のための宿屋になっているとは思わなかったし、なんならギルドでも武器を売っているのには驚いた。

 仕事は大丈夫なのか聞いてみたら、大変良い笑顔で大丈夫だと言いきられてしまったので、エルシアは早々に気にするのをやめたのだ。


 立派な樫の扉を開けると、既に太陽は西に傾いていた。


「今日はありがと。ブランカのギルドの皆にお土産話も沢山出来ちゃった」

「こっちも楽しかったわ! 仕事は堂々とサボれちゃったし、本当会えて良かった」

「今度は私からオーリカさんに手紙送るね。報告書はもっと大雑把(おおざっぱ)にするね」

「だから細かい方がいいんだってば。上司から突っ込み入れられた時に大変なんだから!」


 自然な形で両手を組んで、腰を折る。互いに受付の一礼を交わしあってから、顔を上げて目を見合わせて、二人でクスクス笑いを漏らした。


「……それじゃあ、ここで」

「うん、また会いましょう!」


 背中を向けて、道を歩き出す。ちらと後ろを振り返ってみれば、オーリカが手を振る姿が見えて、エルシアはケトと一緒に手を振り返した。


 会えて良かった。素直にそんな風に思えることができたことに気付いて、エルシアは微笑んだ。

 きっともう、会うことはないだろうから。


―――


 石畳が敷かれた道に、長い影が伸びる。ガルドスは隣のエルシアに歩調を合わせて歩いていた。


 エルシアがあれほどはしゃぐのは久しぶりだ。声色がいつもより大分明るかったし、いつ見てもニコニコしていたように思う。

 冒険者ギルドで随分と時間を潰してしまったものの、ガルドスには異論などなかった。彼女のあんな表情を見ることができるなら、むしろもう少し居ても良かったくらいだ。


「最近ね、夕陽が好きになったの」


 横顔をチラチラ見ていたら、荷物を両手にぶら下げたガルドスの横で、エルシアはそんなことを口にした。


「珍しいな。お前苦手だって言ってなかったっけ?」


 二人の歩みはゆっくり。先頭を歩くケトは相変わらず元気いっぱいで、買い物袋を大事そうに抱えながら跳ねまわっていた。繁華街では身を隠していた護衛がいつの間にか姿を見せて、つかず離れず見守っている。


 隣を歩く幼馴染の視線は、そんな少女から離れない。朱色の光を受け止めて、亜麻色の髪が美しく靡く。


 夕陽はお別れの象徴だから。そう言ったのはかつての彼女自身だ。孤児院を出てからと言うものの、一人きりの家に帰るのが心細くなった。だから夕陽は嫌いなのだと。


「……そのはずなんだけどね。今はほら、ケトがいるから。帰った後は、二人でご飯を食べて、二人で体を洗って、二人でベッドに入って。それを考えたら寂しくなる暇なんてないじゃない?」

「……帰る場所に誰かがいてくれるのは、俺たちにとって何よりの贅沢だからな」

「ええ。本当に」


 かつてのちんちくりんの面影を色濃く残すエルシアは、しかし穏やかな笑顔を浮かべていた。こんなに柔らかな微笑みを見るようになったのも、最近のことだ。


 だからこそ、その表情にどこかに寂しさが滲んでいることが、ガルドスには引っかかってしまう。


「……なあ、エルシア」

「ん?」

「大丈夫か?」

「えっ、何が?」


 突然の言葉に面食らったのだろう。エルシアはこちらに振り向いた。

 彼女はガルドスより頭一つ小さいから、自然と見上げる形になる。無意識の上目遣いにどきりとしながらも、ガルドスはエルシアを見つめ返した。


「王都行きが決まってから、お前なんか変だから」


 栗色の大きな瞳が見開かれる。ピクリと肩を震わせたところを見ると自覚はあったらしい。しばし見つめ合った後、目線を逸らしてから彼女は呟いた。


「変、かな……?」

「少なくとも俺が気付くくらいには。ずっとピリピリしているだろ?」

「……」

「何ていうかさ。……そう、まるで孤児院に来たばかりの頃みたいだ」

「来たばかり……?」

「そう。あの頃は部屋の隅で縮こまってただろ? 訳の分からん我儘ばっかり言う割には、ずっと何か怖がっているようだったし」


 口を尖らせたエルシアが不機嫌そうな表情を浮かべた。


「訳の分からんって……。それは酷くない?」

「あー、まあ言い方は悪かったげどよ。実際昔のお前は、ずっとオドオドして、色んなものに片っ端から怯えていたじゃないか? 俺やミーシャが無理やり連れだしているうちにずけずけ物言うようになったけどな」


 幼馴染はしばし考え込んだ後、力なく笑った。


「思い当たる節が多すぎて、返す言葉が見つからないや。……本当、感謝してる」


 そのまま恐る恐ると言う風にガルドスの顔色を窺った。


「……そんなに今の私って酷い?」

「いや、俺やケトでようやく何か引っかかるくらいだからな。というか、最近のお前は、気を張ってるときは顔色変わらないから分かりづらいし」


 エルシアは俯いてしまった。

 しばらく黙り込んでいた彼女から「あちゃー、まいったなあ……」という呟きが聞こえた。苦笑しようとして失敗したように唇を噛みしめているところを見ると、どうやら図星のようだった。


「……お前さ、昔から何でも一人で抱え込みすぎなんだよ。ケトのことをあちこちに頼み込んでいたから、少しは人を頼るようにはなったんだろうけどさ」


 俯いたまま何も言わないエルシアを見ていられなくて、ガルドスは急いで続けた。


「悪い、そんな風に落ち込ませるつもりはなかった」

「……違うわ。ガルドスは悪くない。でも……」

「なんて言うか、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくてさ。……何か悩み事があるんだろ? 言ってみろよ」


 ガルドスがじっとエルシアを見つめると、それに気づいた彼女はそわそわと視線を動かした。力なくうなだれるエルシアの頭を撫でてやりたい衝動をぐっとこらえていると、胸元をギュウっと握りしめる細い手が目に入った。

 この癖も、ガルドスはよく知っている。エルシアが不安な時によくする仕草だ。どうやら首から下げているお守りを握りしめているらしい。

 彼女が、孤児院に来る前から持っているお守りを、肌身離さず大切に持ち歩いていることだって、大男はよく知っているのに。


 なのに、彼女は最後の最後に自制をかけてしまう。誰も頼ろうせず、抱え込もうとする。幼い頃から隣にいたガルドスやミーシャに対してですら、どこか取り繕おうとする。


 この時もまた、たっぷり悩んだあげく、エルシアは苦しそうに声を絞り出した。


「言えない」

「エルシア……」

「これは誰にも言えないの。もしケトと一緒にブランカに帰れたなら、いつも通りに戻れるから。そうしたら全部心配なんてなくなるから……」


 まるで、自分に言い聞かせているような声色だった。


「……でも、お前はずっと辛そうだ」

「ガルドス……」


 少しだけ目を見開いたエルシアが、大男の顔を見上げた。その表情がふっと緩む。


「……ガルドスがこんなに心配してくれてるの、久しぶりだね」

「普段から心配してるっての。お前はいつまでたってもちんちくりんだから」


 気恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じる。目線を合わせられなくてそっぽを向いていると、落ち込んでいたエルシアがくすりと笑う気配がした。


「ありがと……」


 逸らした目線を戻せば、栗色の瞳がこちらを見つめていた。

 へにゃりと笑みを浮かべた彼女。こんな顔をするのは珍しい。昔はよく見ていたはずの表情なのに、いつからか見せなくなってしまった。

 今だけは心細さを隠そうとしない彼女に、胸が苦しくなる。


 両手に持った荷物を片手にまとめる。空いた左手でエルシアの手を半ば強引に掴んだら、本当に昔に戻ったみたいだ。


 まだ幼いエルシアを外に連れ出すときに、よくこうして強引に手を引いていた。

 ガキ大将として、子分の面倒を見るのは当然のこと。当時のガルドスはそのくらいしか考えていなかったし、エルシアはエルシアで、手を引かれるままついてきていたっけ。

 

 けれども、その頃とは明らかに違うこともある。

 ガルドスは自分の頬に熱が溜まるのを感じる。隣のエルシアもまた、顔を真っ赤にしていた。


―――


 どうしよう。

 心臓がバクバク鳴っている。繋いだ右手から、高鳴る鼓動がガルドスに伝わってしまいそうだ。


 彼の手は、記憶の中にあるそれよりも、ずっと大きく力強かった。前に手を繋いだのはずっと昔のことだから、当たり前なのかもしれないけれど。

 母に捨てられた後、何もかもが怖くて縮こまっていた自分。それを外に連れ出してくれた暖かい手だ。彼の手に引かれていく先には、いつだって見たこともない世界が広がっていたっけ。


 ただ怯えているだけでは生きていけない。そのことを教えてくれたのもまた、彼だった。ガルドスは危ない所にも平気で行ってしまうし、エルシアのものを取ろうとするし。

 力ではどうしたって敵わないから、代わりに口ゲンカで言い負かせるように、エルシアだって頑張ったものだ。


 自分の境遇に絶望しながらも、自分なりの視点で世界に興味を持つようになるまで、実に数年。その間付き添ってくれていたのはずっとガルドスだった。そして今もまた、彼は隣にいてくれる。自分の我儘を聞いてくれて、歩く速度を合わせてくれて。

 だから彼が振り向いたとき、エルシアは胸が高鳴るのを抑えきれなかった。


 かつて悪ガキが良く浮かべていた表情は鳴りを潜め、年齢に相応しく落ち着いた表情をするようになった幼馴染。その顔に、今ばかりは緊張を浮かべていて。


「なあ、シア」

「う、うん」


 かつて彼はガキ大将で、自分はその子分だった。

 では、今はどうなのだろう。彼との関係を表す言葉を、エルシアは持たない。


「俺、お前が心配だ」

「……」

「話づらいことだっていうのは分かってるし、無理に聞くつもりもない。だけど、これだけは絶対に忘れるなよ」


 心臓が飛び跳ねてどこかに行ってしまいそう。これだけ一緒にいるのだ。彼が何を言おうとしているのか、何となく分かる。


「お前は一人じゃない。どうしようもなくなったら、俺を頼れ」


 その言葉に、胸が詰まってしまう。

 そう。自分のことは自分が一番よく分かっている。自分がガルドスに抱いている気持ちの正体なんて、ずっと昔から気付いているのだ。

 沢山の荷物を抱えてもびくともしない腕っぷしも、右手を包む温もりが与えてくれるこの心地良さも、彼の視線を受けて高まる胸の鼓動も。

 間違いなんかじゃない。気の迷いなんかじゃない。他に言いようなんかない。


 自分は彼に、恋をしている。


 彼の真っ赤な顔から目を離せない。じいっと見惚れてしまえば、くっきりとした黒目に自分の顔が映っているのが見えた。彼と同じように、頬を染めて瞳を潤ませた自分の姿が、とてつもなく恥ずかしい。


 この忌々しい亜麻色の癖っ毛も、栗色の瞳も、やっぱり目に入ってしまうけれど。今だけは、自分の心に素直になりたくなってしまって。


 エルシアは素直な笑顔を浮かべて、繋いだ右手をギュウっと握りしめた。


「ありがと、ガル」

「おう」


 先を歩いていたケトがふと振り返って「あまい……」と呟いた。

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