保護者の真髄 その4
騎士団長がガルドスを馬鹿にしたように見えたせいで、ちょっと怒っていたケト。しかしその後しばらくして、彼女は心底驚くことになった。
通り過ぎる使用人たちの視線を浴び、門に佇む兵士の視線に肩をすくませ、ようやくの事で乗ってきた馬車までたどり着いて、やっとのことでアルフレッドを先頭に乗り込んだところである。
もうクタクタだったケトがポスンと座席に腰かけている横で。
それまで大きな体を丸めていたガルドスが、エルシアと意味ありげに視線を交わしたのが始まりだった。
「……もういいか?」
「もういいわ」
謎のやり取りに首を傾げるケト。どうして突然かくれんぼの掛け声をかけたのか少女にはよく分からないが、ガルドスにはそれで通じたようだった。
「いっやあ、キッツいなぁあのおっさん!」
大男が大きく伸びをして、胸を広げる。狭い車内で腕をぐるぐる回すものだから、とても危ない。
「ガルドスに同意だわ。正直すごく怖かったもの。ケトもよく頑張ったね」
「えっ?」
「圧がすごいな、圧が! あれが本物かあ、戦士としての憧れって感じだな!」
「冒険者とか目じゃないわよ、あれ」
「えっ?」
一気に緩んだ空気に、ケトはついて行けない。あれ、ものすごく硬い雰囲気だったでのではないのか。ケトなんか、偉いおじさんに見下されたような気がして怒っていたと言うのに。
思わずアルフレッドの方を見ると、青年もまた苦笑を漏らしていた。
「二人とも、ケト嬢が驚いているぞ。……何というか、私も庶民の逞しさを見た気がするよ」
「申し訳ありません。緊張の反動が抑えきれなくて……」
柔らかく微笑んでエルシアが言う。ガルドスも隣でうんうんと頷いていた。
「あんな人間を誤魔化そうとしてるんだから、我ながら大したもんだよ。話し合いのお陰かどうかは知らんが、そこそこ上手くいった方なんじゃないか?」
「そうだな。もう少し、私から助け船は出すつもりだったのだが。その必要がないくらいには、”緊張しきった平民”を演じられていたと思うぞ」
アルフレッドが半ば呆れた顔で答える向かいで、エルシアとガルドスが会話の応酬を繰り広げる。
「ガルドス、貴方があんな演技できるなんて知らなかった。見直したわ」
「演技じゃない、素だ。誤魔化して申し訳ねえって態度をあのおっさんが勝手に勘違いしてくれただけだろ。俺、嘘つくのは本当に苦手なんだよ」
「……前言撤回ね。貴方はやっぱり脳筋よ」
「うっせえ、ちんちくりん。またケトの隣で木剣の素振りさせるぞ」
あのおどおどした態度も、威圧された様子も、全てそう見えるように振る舞っていたのだと言う。確かに、朝の席でそんな会話をしていたが、あれを実行に移すとこうなるのだそうだ。
こほん、と咳払いを一つしてから、アルフレッドが口調を変えた。
「エルシア嬢。この後の話だが」
「はい。承知しております」
エルシアが姿勢を正す。向かいの青年が心持ち、声のトーンを落とした。
「検査の人員は、エルシア嬢の要望にできるだけ沿うよう心掛けている。手配ができたらさっそく始める予定だ。その結果次第で、今後の動きも決まるだろう。まずはケト嬢についてのきちんとした情報を取らせてもらいたい。協力してくれるな」
「こちらからお願いしていることです。改めてよろしくお願いいたします」
ゆっくりと頭を下げるエルシア。その礼は、騎士団長の前でしていたようなへりくだるようなお辞儀ではなく、心のこもった丁寧なものだ。
「なあエルシア」
「どうしたのガルドス?」
「今日のこともそうだが、お前本当に何を考えているんだ? ケトを守りたいんだってのは分かるが、何も騎士団まで誤魔化す必要なんて……」
微妙に自信のなさそうな彼の言葉を聞いたエルシアは、真面目な顔で向き直った。
「今朝、話した通りではあるんだけれど。王国騎士団はこの国を守る剣と盾。そこに入るということは、何かあった場合に戦場に赴くということなの。私はケトを兵士にするつもりはないし、国の命令に縛らせるつもりもないというだけ。この子の力が及ぼす影響は大きいから、特にね」
「……少なくとも貴族の前でする話ではないがな、エルシア嬢」
「申し訳ありません、アルフレッド様。私個人の我儘ではありますが、無下にするにはケトの力が強すぎます。公爵閣下にとっても悪い話ではないはずです」
謝るエルシアの口調には、一切の澱みがなかった。先程自信がなさそうにケトの様子を説明していた娘とは似ても似つかない。
きっと実感が湧かないのだろう。対するガルドスの言葉はやはり歯切れが悪かった。そしてそれはケトの疑問でもある。エルシアから感じ取る警戒心の向け先がいまいち分からないのだから。
「……理屈は分かるんだが、そこまで警戒するようなことか?」
「分からないわ。私はただ、この不安が杞憂のまま終わることを祈るだけよ」
ケトは難しい話は苦手だ。だが、姉が自分の為に頑張ってくれているのは痛いほど分かったから、何も言わず、体を摺り寄せたのだった。
ただ一つ、気になることがあるとすれば。それは時折、アルフレッドがエルシアを射抜くような目線で見つめていることだけだった。
―――
自らの屋敷にたどり着いたアルフレッドは、客人と分かれて階段を登った。
今回の一件、中々に危ない橋を渡っている自覚はある。
確かに”白猫”の力は、噂通りの警戒すべきものなのだろう。しかしそれだけでは、騎士団に対して弱みを作るほどの理由になり得ないのも事実。
これはあのエルシアという田舎娘にも伝えていない話だ。
あの娘は頭が回る。仮にこちらが疑っていることを知れば、次の手を打とうとすることは想像に難くない。ならば、表向き協力姿勢を見せつつ、裏であの女の弱みを握った方が後々動きやすくなる。
エルシアの名を持つ娘について、個人的に気になっていることもある。動くのは慎重にすべきだと、彼は結論を下していた。
だから執事頭から、”影法師”が戻っていると聞いた彼は、急ぎ自室に向かったのだ。
―――
夕方と言うにはまだ早い時間だ。
窓から差し込む日差しのお陰で、部屋はそれなりに明るい。天井に備え付けられた魔導灯をつけることすら後回しにして、アルフレッドは書類から顔を上げた。
普段の彼を知るものが見たら、きっと驚くことだろう。唇を噛み締め、震える手で書類を掴むその姿には、珍しく余裕がない。酷く深刻そうな表情で、彼は押し殺した声を上げた。
「……コンラッド」
「はい」
「これは、事実なんだな?」
”影法師”という呼び名の通り、部屋の片隅で影に紛れる男は、重々しく頷く。
「……残念ながら、真実です」
青年の手の中で、報告書がくしゃりと音を立てた。
「……コンラッド、これを知っている者はどれくらいいる?」
「私と、アルフレッド様のみです。私がもしやと疑った時点で、マルートをはじめとした他の者は調査から外しました。ですが、現地の者がどれくらい知っているかは、確認のしようがありません」
「国王陛下はどうだ?」
「もちろん何も伝えておりません。その書面も原本で、写しは作っておりません」
確かめるように、青年は言う。
「確かに、やたらと敵意を向けられるな、とは思っていたんだ」
「はい。"白猫"の処遇に口を出すための演技を疑っていましたが、どうやらそれだけではないようです」
「あれ自身の問題か。道理でブランカに戻りたがる訳だ」
彼が口をつぐむと、部屋の中に重い沈黙が落ちた。
「……内容は頭に入れた。処分してくれ」
しばらくして口から漏れたのは、そんな言葉。
コンラッドは無言で暖炉の前でひざまずき、アルフレッドが差し出した紙の束の端を破って火口にすると、隅でくすぶっていた火種から直接火をつけた。
揺らめく火が紙を焼く。書かれた文字は紙ごと黒く塗りつぶせても、事実を塗りつぶすことなどできはしない。
「……最初に見た時から、名前といい、髪といい、どことなく似ているとは思ってはいたんだ」
炎を見つめた青年が呟く。それを境に、彼は表情を切り替えた。
「良くない。良くないな、コンラッド」
「はい。ただでさえ危険なのに、時期も最悪です」
「この件、断じて他に漏らすな。特に陛下や、教会に近しい諸家には断じて知られるなよ? 早急に対策を練る必要がある。付き合ってもらうぞ」
「はっ」
火かき棒を手に取ったアルフレッドが、真っ黒に焦げた燃えさしをつついて灰を崩す。その口が小さく動くのが、黒ローブにも分かった。皮肉気に口元を吊り上げた青年が言う。
「……ただ力が強いだけの”白猫”など可愛らしいものだな」
「はい。恐らくあの娘自身、自覚があるのでしょう」
「より厄介だ。あれこそ、正真正銘の化け物だ」
暖炉の中で、決して知られてはならない事実が、静かに、だが確かに燃え上がり始めていた。




