保護者の真髄 その1
カーライル王国の中心である王都カルネリアは、二つの大河の合流地点に存在する。
都市の中心にある王城までたどり着くためには、王都そのものを取り囲む外壁と、城の周りにそびえ立つ内壁、二つの壁を抜けなければならないそうだ。その防御の厚さは、はるか昔に行われたという、建国時の戦乱がどれほどのものかを物語っているのだとか。
ケトは今、その都市の入口である北門を見上げていた。
首が痛くなるほどに上を向かないと、外壁のてっぺんが見えない。せいぜいが建物の屋上の高さくらいしかないブランカの城壁に親しんでいた少女は、その威容に圧倒されていた。
「おっきいねえ、シアおねえちゃん!」
「あんまり見上げすぎてひっくり返らないでね」
「そんなことしないもん!」
むうと膨れながらエルシアを見やれば、彼女はくすくすと笑っていた。その向こうではガルドスが同じように壁を見上げて、「でっけえなあ」と呟いていた。なんだい、ガルドスだって同じじゃないか。
立派な石造りの門には関所が設けられ、王都に出入りする人を守衛が一人ひとり確認している。馬車の護衛の話によると、本来であれば身分証を提示しなければ王都に入れないとのことだったが、今回は特例として、一切の手続きを免除されていた。
”身分証”のくだりで、エルシアが珍しく真っ青になっていたのが不思議だった。後から聞くと、ケトの身分証となるギルドカードは、ブランカの冒険者ギルドの独断で「ズルをして」作ったものなのだと、こっそり教えてくれた。
何でも、普通は十五歳にならないとできない登録を、無理やり九歳のケトにさせたのだとか。
このことがもし王都のギルド本部にバレでもした日には、それはもう怒られるらしい。叱られるのは嫌なので、ケトは木でできた自分のカードをカバンの一番底にしまい込んだ。
結局、アルフレッドのお陰で、ケトたちは大した問題もなく王都に入ることができた。大きなぶ厚い壁を潜り抜けると、そこはもう、王都の街並みが広がっていた。
「ふああ!」
馬車に据え付けられた大きな窓を開け放ち、身を乗り出したケトは大きな声を上げる。
目の前には大通りがまっすぐ続き、石畳で舗装された道の両脇には、背の高い立派な建物が所狭しと並んでいる。午後の風を浴びるケトの鼻を、甘いお菓子の良い匂いがくすぐった。
「ようこそ、王都カルネリアへ」
はしゃぐケトを見て、向かいに座るアルフレッドは微笑みながらそう迎え入れてくれた。
ブランカとは明らかに趣が違う。
きらびやかに飾り付けられた露店がそこかしこに見え、売り子たちが活気に満ち溢れた声を上げていた。建物の中にも外にも数々のお店が並び、後から後から人が行ったり来たり。
何て色鮮やかな場所なのだろう。掲げられている真っ赤な看板も、売り子が着ている派手な黄色の服も、ブランカではほとんどお目にかかれないものだ。
前に視線を戻すと、ガルドスは御者席の隣を陣取り、御者の男にあれこれ質問をしているところだった。
曰く、騎士の訓練はつらいのか、とか、やっぱりその剣は支給されるのかとか。なんだろう、まるでジェスが聞きそうなことばかり聞いている。
「あまり身を乗り出すと危ないわよ、ケト」
エルシアはケトの肩に手を置いて落ちないように支えてくれていた。言葉こそ少女をたしなめるものだったが、ケトがふと様子を窺えば、その視線は道行く女性たちに向けられているのが分かった。小声で呟く声が聞こえる。
「こうして見ると王都の服ってすごく華やかね。色が全然くすんでいないし、染め方の違いかしら……」
はしゃぐケトの向かい側で、アルフレッドは微笑んでいた。
「よければ、後程王都を案内させようか」
「いいの!?」
その言葉を聞いた途端、ケトはストンと座席に飛び込んだ。
ワクワクが止まらない。何しろ馬車の窓から見るだけで、面白そうなお店が沢山見えたのだ。実際に駆けまわってみたら、果たしてどれほど楽しいのだろうか。
アルフレッドは突然戻って来たケトに目を丸くしていたが、やがて「もちろんだとも」と微笑みを浮かべた。
しばらく進むと、町の雰囲気が少しずつ変わり始めた。
店の多い区域を離れたと思ったら、いつの間にか大きな屋敷が立ち並ぶ通りを進んでいる。先程までの喧騒は鳴りを潜め、代わりに静かな街並みが広がっている。
窓の外に見える邸宅は、どれも一軒一軒が驚くほどに立派だ。手入れの行き届いた広い庭が門の隙間からちらりと見える。どの家も、立派な鎧を着た守衛が控えているのが印象的である。
「宿屋くらいであれば、私たちで探すのですが……」
「確かに普段はそうしてもらうんだ。費用はこちら持ちにして、いくつか宿を紹介するんだが、今回はそうもいかなくてな。当家の屋敷に部屋を用意してあるから、しばらくはそこに滞在してもらうことになる」
恐縮するように頭を下げたエルシアに、アルフレッドは苦笑して続ける。
「王城には、明日向かう予定だ。ケト嬢の検査はその後になると思ってくれ。まずは深く考えず、長旅の疲れをゆっくりと癒してくれればいい」
青年がそう言った途端、馬のいななきが聞こえ、軽い揺れと共に馬車が止まった。
「さあ、着いたぞ」
青年がそう口にするのと、馬車の扉がひとりでに開くのはほとんど同時だった。
びっくりしたようにケトがのけぞるのを支えながら、エルシアは外に目をやる。どうやら馬車の扉を外側から開けてもらったようだ。扉の外には、ぴしりと執事の制服を着こなし、先頭に白髪を綺麗に撫でつけた老齢の紳士が立っている。
アルフレッドが片手で外を示して笑う。その手の先に、一際大きな屋敷が見えた。
―――
「ねえ、ガルドス! 床がすごいよ!」
「お、おい、あんまりうろちょろするなよ」
「ろうかなのにふかふかだよ、ふかふか!」
長い廊下をひた歩く。後ろの二人が騒ぐのを背に、エルシアは歯切れ悪く疑問を口にした。
「あの、いくら何でもこれは……」
「どうかしただろうか、何か至らぬ点があったか?」
「そ、そうではなく……」
エルシアが口ごもると、アルフレッドは少しだけ意地が悪そうな顔を見せた。
「……すまない、言いたいことは分かる。まあ、遠慮しないで言葉にしてみると良い」
「……では、お言葉に甘えて」
後ろに続いていた荷物持ちの侍女に目線をやる。品の良い制服を着こなす彼女たちが、田舎者の粗末なカバンを運ぶ図には違和感がある。そんなに大切に運ばなくていいのに。
「なぜ、庶民である私たちにここまでお心遣いいただけるのでしょう。あの護衛の規模、アルフレッド様の馬車に乗せていただいたこと、このお屋敷に部屋までご用意いただいていること。どれをとっても、一領民への対応にしてはあり得ない程のお心配りのように思えます」
「ふむ。……君自身はどう思う?」
恐る恐る口にした疑問、間髪入れずに返されてエルシアは目を白黒させた。
「え……?」
「エルシア嬢の事だ。ある程度の想像は付いているのではないかと思っているのだが。もしも考えていることがあるなら、聞いてみたいと思ってな」
ちらりとこちらに向けられた視線が、それなりに鋭いものであることに気付く。
試されているのだと分かり、エルシアはごくりと唾を飲み込んだ。やはり、野営地での交渉で警戒されているのだろうか。少し、無茶をしすぎたのかもしれない。
「王城の方々が、ケトのことを非常に重視していらっしゃる、とか……?」
我ながら、中身のない回答だ。つまるところは、何も分からないということをそれっぽく言いなおしただけだ。
明確な答えを出すにはエルシアには情報が足りない。案の定、アルフレッドは少し表情を緩めて笑った。
「流石に意地の悪い質問だったな。道中で随分と鋭い考えを聞いていたから、少し勘ぐってしまったようだ」
エルシアは居たたまれなくなって視線を逸らした。窓の外に視線をやれば、手入れの行き届いた広大な庭が視界に入る。木々の間の離れ屋敷を見つめていると、アルフレッドが振り向かずに答えた。
「単純に、ケト嬢の力が露見する事態を防ぎたいという話さ。これから検査結果を私の独断で変えるかもしれない。護衛をつけての街歩きくらいなら許せるが、自由気ままに出歩かれても困る」
「も、申し訳ありません。私の我儘でご迷惑を……」
「今更だな。まあ、君たちにも色々と協力してもらうことになるから、覚悟はしておいてもらおう」
「……はい」
アイゼンベルグ家に囲われる形になることに、一抹の不安を感じたエルシアだったが、さりとて他に手がないのは事実。エルシアはそれ以上何も口にせず、黙って青年の後に続いた。




