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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第一章 看板娘は少女を拾う
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スタンピード その2

 翌朝。


 雲一つない青空が恨めしい、とエルシアは空を仰ぐ。嵐の前の静けさとはまさにこのことだろう。


 一面の青空にも拘わらず、鳥の一羽も見えない。寝不足の頭に日差しが痛む。辺りは包むのはすでに緊張感ですらなく、ある種の悲壮感であった。


「こんなに早いなんて……」


 誰かが呟いた声が虚空に消えていった。

 正面に砂埃が見える。すべてを押しつぶす破壊の波だ。


 目の前には頑丈な木柵がいくつも設置され、魔物の侵攻ルートをある程度制限しているが、それでどうにかなるとも思えない。あの魔物の数では木柵自体すぐに倒されてしまいそうだ。


 エルシアは他の冒険者や衛兵たちに交じって、門の前にいた。

 鎧の類を持っていなかった彼女は、戸棚の奥から引っ張り出してきた厚手の旅装を着こんでいた。腰にはショートソードとダガー。ギルド職員になる前、森を走り回っていた頃、かつて冒険者の端くれだった頃の格好からあまり変わっていない。

 ギルドの職員だから戦わないなんて言っていられる状況ではなかった。冒険者時代のランクは初級も初級の”木札”。お世辞にも腕が良いとは言えないエルシアだったが、剣の振り方も応急処置の仕方も、冒険者としての基礎知識くらいは身についている。

 もっとも、本格的な戦闘なんてほとんど参加したことはない。現役から遠のいて久しい今、腕も鈍っているはずだ。

 思わず旅装の胸元をギュッと押さえる。厚手の布に阻まれてはいたが、幼い頃から首にかけているお守りの感触を確かめる。


 ちらりと振り返って、石造りの壁を見上げてみた。

 頑丈な壁の上の歩廊には弓兵隊が陣取っている。これも冒険者と衛兵の混成部隊だ。北門の(やぐら)で指揮を取るロンメルの姿がちらりと見えた。幼馴染のミーシャもあそこにいるはずだ。

 そのまま下に視線を落とせば、門の隙間から静まり返った大通りが見える。木製の頑丈な大門は片側だけ開いたままだが、ここにも木柵が設置され簡単には入れないようにしている。

 これが閉じられるとしたら、外に出ている者だけでは魔物を抑えることができなくなった時だけ。すなわち、エルシア達が”大きな損害”を受けた時だ。


 本来であれば、この状況で打って出るなんて自殺行為も良いところだ。それでも門の外で迎え撃たなければいけなかったのは、壁の低さが原因だった。

 ブランカの城壁はせいぜい高めの建物程度しかない上、外堀のあちこちがかなり昔に埋められてしまっている。

 普段であれば、梯子(はしご)を作る知性を持たない魔物相手なら十分な高さだが、ここまで数が多いと他の魔物を踏み台にすれば易々と乗り越えられてしまう。一度乗り越えられたら、後は一気に押し込まれて終わりだ。


 だからこそ、壁に取りつかれる前に数を減らしておかなければならない。幸いというべきか、魔物たちは愚直(ぐちょく)に門をめがけて攻め入ってきているから誘導自体は簡単なはずだ。


 ふと、ケトのことを思い出す。

 小さなあの子はちゃんと避難できただろうか。


 ケトを含め、戦えない子供や老人は町の反対側に避難している。

 ”木札”とはいえ、冒険者として登録されているケトには招集(しょうしゅう)命令がかかるはずだったが、いくら何でも幼すぎるとエルシアが逃がしたのだ。


 本人には、先程いつも通りの時間に顔を出した際、危ないから近づかないようにと言って聞かせた。こちらの混乱を他所にぼんやりとギルドに来たことと言い、キョトンとした顔でエルシアの話を聞いていたことと言い、今の状況を理解できていたかどうかは怪しいが、エルシアとしてもできることはやったのだ。言うことをちゃんと聞いていれば、今頃町の南端にいるはずだ。


 先ほどから見えている砂煙が徐々に大きくなっていた。魔物の大群がもうすぐそこまで迫っている。

 もうすぐ弓の射程に入るだろう。剣を握りしめる手が震そうになって、エルシアはぎゅっと拳を握りしめた。


「来るぞ……」と誰かがつぶやく。一拍置いて、ロンメルが壁の上で怒鳴った。


「構え!」


 壁の上の弓兵隊が弓を引き絞る。

 キィンという、(きし)るような高い音は、町で唯一魔法が使えるロンメルから発せられているものだろうか。エルシアの心臓が痛いほど脈打っていた。


「放て!」


 一条の光を織り交ぜ、壁の上から一斉に矢が放たれる。鋭く空を切る音が、開戦の合図だった。


―――――


 増援が間に合わなかった時点で、こうなるのは目に見えていた。そう、エルシアは思う。


 そもそも、襲撃に気付いてから十分な時間なんかなかった。

 群れの侵攻が予想より半日以上早かったのだ。この辺りでは戦争なんか百年以上なかったから、いつのまにか外堀は何か所も埋められていたし、籠城戦(ろうじょうせん)のセオリーを全く実践できないまま、ようやっと木柵が設置できた程度の備えしかできなかった。その木柵も、すぐに魔物に倒されてしまった訳で。


 頭の中で、言い訳をずらずら並べていたエルシアは、顔を上げ現実を見る。

 はじめこそ気になっていた血の匂いも、鼻が麻痺しているせいで感じ取れなくなっていた。辺りが魔物の死体で溢れている中、剣を振りすぎたせいで酷く重い腕をぶら下げて駆け抜ける。

 目の前にはゴブリンの群れ。あの数にぶつかったら、エルシアでは歯が立たない。

 後から後から押し寄せる魔物は、その勢いを衰えさせることはない。あれだけ必死に倒したというのに、全く数が減っているようには見えなかった。


 カーネルがオーガに右腕を押し潰されるのを見た。オドネルはウルフに横腹を食いつかれていた。寄せ集めの戦士たちが食い破られる戦場を、エルシアは駆ける。


 お世辞にも強いとは言えない彼女に、まだ目立った傷がないのは奇跡のようなものだった。それも迎撃に出た冒険者の中でも後方にいたからにすぎず、このままでは数の暴力に押し潰されて終わりだということがよく分かっている。

 視線の先、大柄の幼馴染もまだ無事だった。ガルドスは近づく魔物を振り払いながら、エルシアに怒鳴る。


「いいから退け! 手遅れになるぞ!」

「でもガルドスは!?」

「俺の心配してる場合か! 早く下がれッ!」

「わ、分かった。時間稼いだら、ガルドスも退いて!」


 それ以上言葉を交わす余裕はなかった。ガルドスがゴブリンの頭を剣で叩き潰すのを背に、エルシアは踵を返す。一瞬の躊躇(ちゅうちょ)が全てを台無しにすることをエルシアはひしひしと感じていた。見慣れた城門がひどく遠く見える。


「撤退よ、みんな退いて! 城門の中へ!」


 走りながら大声で喚く。

 それしかできない自分が情けなくて視界が滲んだ。自分にもっと力があれば状況も少しは変わったのだろうか。それともやはり、数の暴力の前にはどうにもならないだろうか。叫ぶ合間に、知らず口から呟きが漏れ出た。


「ちくしょう……!」


 ひとり、またひとりと冒険者が持ち場を離れていく。ある者は足を引きずりながら、ある者は血を流しながら。その歩みはお世辞にも早いとは言えない。


 彼らが向かう先である北門で、守備についていたエドウィンが落とし格子のレバーに手をのせているのが見えた。

 彼の役割はいざというときに扉を閉めること。たとえ誰が外に締め出されようとも、町の中に魔物を侵入させないために必要な仕事だ。

 閉門が決まれば、タイミングを見極めて落とし格子を下ろすまで、彼はレバーから手を離してはならない。時期を見誤れば、町そのもののがおしまいだ。逃げきれなかった何人かを犠牲にしてでも、籠城戦に持ち込んだ方がマシだと、ガルドスはそう判断したのだ。


「オドネルさん!」


 壁を背もたれにして、動けなくなっていた男のそばに膝をつく。肩を貸そうとして、地面に広がる血だまりに息を飲んだ。


「傷はどこ!?」

「すまねえなエルシアちゃん……、左の脇腹だ……」

「肩を貸すわ。門まで歩ける?」


 傷の応急処置をする時間さえ惜しい。うなずくオドネルの右腕を肩に回したが、血でずるりと滑って力が入れ辛い。ふらつく男を支えて、何とか立ち上がらせる。うめき声を無視して視界を巡らせた。


 完全に負け戦だった。

 弓矢隊が近づく魔物のみを狙って矢を降らせているおかげで、今のところ敵は城門に近づけないでいるが、その矢だってそんなに多くはない。油や石は足止めになる程集められなかったから、矢が尽きれば敵の進撃を止める術がなくなる。


「……ガルドス?」


 迎撃に出ていた冒険者たちが必死に逃げようとする中に、ガルドスの姿を見つけられず、エルシアは背筋が凍った。慌てて探せば、殿を務める彼の姿をはるか彼方に認める。

 彼は一歩も退いていなかった。数多(あまた)の魔物に、その身一つで立ち向かい続けていた。

 全身に細かい傷を負った彼が、オーガの棍棒をはじき、がら空きとなった首元にロングソードを振り上げる。血が噴き出しガルドスのハードレザーを染める。それをものともせず踏み込んだガルドスが、更に回し蹴りを放つ。避けそこなったゴブリンが吹き飛んでいった。

 すぐに別の魔物と対峙した彼だったが、しかしまさしく多勢に無勢だ。飛び込んできたゴブリンを切り裂き、剣を振るった勢いそのままにウルフの喉元に突きを入れる。断末魔の悲鳴が轟いた。


「うらああああっ!」

「ギャイイン!」


 辺り一面が、魔物の声で満ち溢れていた。

 棍棒をはじき、オーガの拳を避け、動く、動く。そんな彼も、別のウルフが滅茶苦茶に噛みついて来ようとするのを避けるのが限界だった。

 敵に深く刺さったロングソードを思わず手放して、飛びずさったガルドスに着地点を考える余裕はない。隙だらけの状態で別のオーガの目の前に躍り出てしまっているのが、エルシアの視界からもはっきりと見えてしまった。

 

 エルシアは、彼の戦いを呆然と眺めることしかできなかった。

 絶体絶命のガルドスの姿から、目が離せなかった。節くれだった棍棒を振り上げたオーガ。目の前のガルドスの手に剣はなくて、体勢を崩してよろめいていて。


――やめて。


 こんなの嘘だ。ガルドスが死ぬわけない。あの棍棒を叩きつけられたら、もう戻ってこないなんて、とても、とても信じられない。


――やめて。


 はるか向こうにいるはずなのに、ガルドスがこちらを見たような気がした。いつも柔らかな光を宿すその瞳が、別の色を映す。エルシアの嫌いな、死期を悟った者の目だった。


――やめて。


 幼馴染なの。脳筋の馬鹿だけど、すごく頼りになって、意外と優しくて、困っていたら何かと助けてくれてる、とても大切な人なの。

 奪わないで。彼を奪わないで。


――誰か。誰でもいい。誰か、助けて。


「ガルーーーーッ!」


 目を見開いて、震える声で、思わず叫んだその先で。

 幼馴染に、容赦なく魔物の腕が振り下ろされた。地面が割られた衝撃で、辺りに勢いよく土煙が舞い上がる。

 せめてその瞬間を見せないようにと、彼の最期をかき消してくれたのかもしれなかった。


 エルシアが叫ぶ直前、銀色の光が視界をよぎったような気がした。

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