ケト招集 その3
「すごいね、ケト! 王都だって!」
アルフレッド一行がギルドを辞した後、まるで物語のような出来事を目の当たりにした子供たちは大騒ぎだった。わっとケトの傍によってたかる。
「……よく分かんない」
ケトは答えながらも、エルシアを見つめた。
つい先ほどまでいつも通りだったはずなのに。ケトは今の彼女から張りつめた空気を感じていた。少しだけ俯いたその視線の先に、何があるのか分からない。
「……エルシア、どうした?」
隣のテーブルで様子を見ていたガルドスがそっと問いかけていた。彼もまた、看板娘の様子がおかしいことに気付いたようだ。エルシアは顔を上げると澱みなく答えた。
「ううん、何でもない。それよりごめん。ガルドスの返事も聞かずにあんなこと」
「いや、それは良いんだけどよ……」
翌朝王都へ経つと聞いたエルシアは、アルフレッドに条件を一つ頼み込んだ。
ブランカの冒険者一名を、ケトの旅の護衛として随伴させること。それがエルシアの出した条件だった。
元々公爵家一行には、この町の冒険者よりずっと立派な護衛が、これでもかと付き添っている。
にも拘らず、妙なお願いをしたエルシアに訝しむ視線を向けていたアルフレッドであったが、彼らにしては簡単な条件だったのだろう。その護衛が信頼に足る人物か判断することと引き換えに、同行をあっさりと認めた。
あれよあれよという間に、その”信頼できる冒険者”の筆頭にあげられたガルドスは、結局流されるがままに王都へ向かう事になったのである。
別にガルドス自身も異論はないように見えたが、エルシアの押しに疑問を持ったのは確かなようだった。無理もない。彼女にしては強引なやり方だったのだから。
ケトの感じる違和感が強くなる。ちょこちょこと姉の傍まで歩いて行って、くいっとエルシアのエプロンドレスを引っ張った。
「……ケト」
「大丈夫? シアおねえちゃん」
ケトはエルシアの顔を見上げる。それでようやくエルシアも肩の力を抜いたようだった。
「大丈夫よ。心配させちゃってごめんね、ケト」
―――
町の会合から戻って来たロンメルは、事の次第を聞くなり苦い顔をした。早足でギルド長の部屋に入り、エルシアも後に続く。彼女はその間ケトの面倒を見てもらうよう、ガルドスに頼み込んでいた。
「ついに来たか」
「ええ」
エルシアがドアを閉めた途端に、ロンメルが呟く。
「いや、スタンピードから五か月は経つのだから、妥当なところなのかもしれぬな。できればもう少し放っておいてほしかったところじゃがの」
「……しばらくマーサさんに受付お願いしなくちゃ」
エルシアが肩を落とすと、ロンメルは眉根を寄せてに視線を向けた。
「そんなことを遠慮していたら叱りつけるところじゃったわ。……しかしそうか。目的はケトか」
「アルフレッド様は、ケトの姓を知っていたわ。人攫いの騒動の時に出した王都への報告書に、あの子の姓は一切入れなかったのに……」
「つまり、既に調べはついておる、と言うことじゃろう。表向き調査はこれからと言っても、何らかの確信を得た上で今回の話を持ってきたということになる。もしかしたら密偵か何かが情報を集めていたのかもしれん」
別におかしな話ではない。
ロンメル曰く、貴族が領地の様子を見るのによく使う手法なのだそうだ。例えば商人に依頼して状況を探るとか。例えば旅人に扮した自分の手の内の者を紛れ込ませるとか。方法はいくらでもある。
「出発は早めにって言われてるわ。できれば明日の朝にでも、と」
「……儂も行こう。貴族たちがどこまで娘っ子の力を重視しているかは分からん。だが、力は持っていても無害であると知らしめる他打つ手はなかろうて」
「……いいえ、マスターはここに居て」
「エルシア?」
訝し気に問いかけるロンメルに、エルシアは視線を返した。
「気持ちはとっても嬉しいわ。でも、実際問題、王都でマスターと私が一緒に行動するのは危険よ」
「じゃからといって、儂はお前さんを一人で行かせるつもりはないぞ」
「一人じゃないわ。ガルドスも一緒に行ってくれる。それに考えてもみて。ただの少女一人に、保護者だけでなくギルドマスターまで着いてくるなんて、おかしいでしょう?」
ロンメルが皺に覆われた目を少しだけ見開いた後に、伏せた。
「お前さん、まさかとは思うが……」
「……」
胸元のお守りに手を当てて頷くエルシア。しばし見据えていたロンメルは、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった。いいか、エルシア、今の儂らとて王城のことをよく知らん。警戒するのは良いが、早まって墓穴を掘らんようにするんじゃよ」
「もちろんよ」
「そんなに心配しなさんな。アイゼンべルグ公爵ご本人も、その嫡子のアルフレッド様も、人格者として知られておる。その上お前さんの目論見通り、今やケトはお前さんと並んでギルドの看板娘じゃ。よほどのことがない限り平民の願いを無下にはしないじゃろうて」
「……そうね」
ロンメルの言葉に、ようやくエルシアは表情を緩める。だが同時に、彼女はこう付け加えることも忘れなかった。
「それでも、もしもの時がきたら、私はあの子を守るわ。どんな手を使ってでも」
―――
「ほあああ!」
翌朝、表通りに止められた馬車を見たケトは奇声を上げた。
道にどんと止められて、これでもかと存在感を表しているそれは、馬車の中でもキャリッジと呼ばれる種類の高級品だ。ブランカではまずお目にかかる機会はないと言っていい。
二頭引きの車体はあちこちに装飾がなされた華美なものだったが、同時にかなり頑丈な代物のようだった。長旅に備えた専用の馬車なんて、相当な金がなければ買うことなんかできない。エルシアやガルドスではきっと一生働いたって手に入れられるものではないはずだ。
「朝早くからすまないね。ほら、乗ってくれ」
贅を凝らした扉を開けて出てくるアルフレッドは、馬車を示して一行を手招きした。
「え? あの……」
驚くのはエルシア達だ。こんな馬車、間近で見るのだって恐れ多いのに、まさか乗れとは。お付きの護衛や侍女たちと一緒にもう少し簡易なつくりの荷車にでも乗せてもらうか、なんなら歩くつもりだったのに。
うやうやしく傅いた侍女が、踏み台まで用意してくれた。あまりの至れり尽くせりに後が怖い。自分達の服を見下ろし、思わず侍女に声をかけてしまう。
「あの、そこまでしていただかなくても……。私たちの服で馬車の中を汚してしまうのも申し訳ないですし」
王都行きに必要なものは全て手配する、と言うアルフレッドの言葉に甘え、今回は旅と言うほどの準備をしていない。
武器やマントこそ携えてはいるが、それこそエルシアに至ってはいつものエプロンドレス姿だ。流石に王都に行くにあたって、庶民の基準での一張羅くらいは荷物に入れたが。
彼らの制服からしても明らかに質の劣る服を見ても、侍女は顔色一つ変えなかった。落ち着いた様子の女性が澱みなく頭を下げる。
「いいえ、皆様は大切なお客様でございます。アルフレッド様からもくれぐれも失礼のないよう言いつかっておりますので、どうぞご遠慮なさらずに」
「ほれ、こう言っておることじゃし、ありがたく使わせてもらったらどうじゃ」
見送りに来たロンメルが、そう言って一行を促した。そのまま安心させるように、エルシアに向かって頷く。かつて王都で騎士をしていたという彼の言葉に従い、ガルドス、ケト、エルシアの順で馬車へと乗り込んだ。
思った通り、馬車の中も豪勢な物だった。ふかふかのカーペットに、体が沈み込むような上質のソファ。その柔らかさと言ったら、一旦はソファに座ろうとしたケトが、驚いて立ち上がって座面をぺたぺた押し始めるほどだ。
「ふっかふか……」
「お、おいケト!」
思わずガルドスがたしなめようとしたが、アルフレッドはからからと笑うだけだ。
「気に入ってもらえたようで良かった。長旅になるからね、少しでも楽な方がいいだろう?」
エルシアは大きな窓から外を見る。
馬に乗り、鋼鉄の鎧を身にまとった護衛が大勢で馬車を囲んでいた。後方に侍女を乗せた簡素な、それでも乗り心地のよさそうな馬車が続く。仰々しい一行に、エルシアは口を引き結んだ。
「さて、準備は良さそうだね。出してくれ」
アルフレッドが壁を二回叩けば、馬車がゆっくりと動き出す。初めての馬車にびっくりしていたケトが、窓の外の景色に感嘆の声を上げた。
「見て見て! シアおねえちゃん! 動いてるよ!」
「そうね。お外はどう?」
「おおお? 八百屋さんが動いてる、変なの」
窓に噛り付いているケトが微笑ましくてエルシアは口元を緩める。
少女の二回目の旅は、馬車に乗って始まった。
―――
「なるほど。ケト嬢が力をみせたのはスタンピードの時が最初か……」
揺れの少ない馬車の中で、アルフレッドは考え込む。
ブランカを経ってからまだ半日。途中で小休止を挟んだ以外は特に止まることもなく、順調な旅路だ。
「殺されそうになっているところを救ってもらったんです。それまでは俺だって、こいつのことをただの子供としてしか見ていませんでした」
その時のことを思い出したのだろう。ガルドスが苦々しい表情で呟いた。
「そのスタンピードのことですが……」
ふと思い出したように、エルシアが口を開く。
「最近、スタンピードが立て続けに起こっているという噂を聞きます。本当のことなんですか?」
ガルドスもそういえばと言わんばかりに頷いたのを見て、アルフレッドが重々しく口を開く。
「その噂は事実だ。ブランカを除いても、この冬に三箇所で起こっている。いずれも北の山脈に沿った、それなりに規模の大きい町が被害にあっていてな。魔物の進路上にある小さな村も含めると、相当数の集落が壊滅しているし、何とか撃退できた町でも甚大な被害が出ている」
ケトの故郷や、クシデンタもその一つなのだろう。ガルドスがちらりとエルシアに視線を向ける。彼も何か思うところがあったのだろう。
「ブランカの襲撃も、明らかに普通ではありませんでした。原因は分かっているんですか?」
「大体の目星がようやっとつきはじめた、というところだな。まだ調査は続いていてな。皆に詳細を伝えられるのは確証を得てからになるはずだ」
エルシアは口を引き結ぶんで、思わず身を乗り出した。
自分が言えたことではないが、その回りくどい言い様が気になる。
「そのおっしゃりようですと、一般的な、魔物たちの食糧難とは異なる原因があるように聞こえるのですが……」
「エルシア嬢は鋭いな。その通り、とだけ言っておこうか。まあ、私の権限ではこれ以上詳しくは言えないんだ。どうかもう少しだけ待ってほしい」
申し訳なさそうな様子で眉を下げたアルフレッドを見て、エルシアは我に返った。
「す、すみません。私のようなものが、失礼な真似を」
「いやいや、貴女のような麗しい女性に詰め寄られるのなら、役得と言うものさ」
爽やかに笑うアルフレッドの言葉は酷く気障ったらしいのに、それを不快に思わせないのが流石だ。
もっとも、だからと言ってエルシアに靡くつもりは一切ないのだが。ガルドスが何か言いたげな顔でこちらを見ていたが、こちらも無視して、もぞもぞとソファに座りなおす。
ところが、アルフレッドは笑顔のまま、エルシアをじっと見つめてきた。居心地の悪さを感じながら、エルシアは耐えかねて口を開いた。
「あ、あの、私の顔に何か……?」
「いえ、失礼。エルシア嬢があまりに可憐なもので、思わずじっと見つめてしまった」
隣のガルドスが突然むせ返った。青年に見えないよう後ろで肘鉄を入れながら、エルシアは困惑する。これが冒険者なら適当にあしらうのだが、貴族相手にそれはまずい。このお世辞にはどう反応を返せというのか。
「あの……、私など見ても面白くないでしょう。王都にはもっと美しい女性方が沢山いらっしゃるでしょうし」
「それは謙遜だな。会って少ししか経っていないが、美しくて聡明、ケト嬢にも好かれているのを見れば優しいのであろうことも想像がつく。きっとブランカでも、さぞかし人気があるんだろう」
「いえ、あの……」
エルシアが思わず口ごもると、ガルドスが「そんな良いもんじゃねえだろ……」と呟いていたので、とりあえずもう一度肘鉄を入れてやった。
アルフレッドはそんなエルシアの様子に微笑みを浮かべる。
そして、彼がさらに何か言おうと口を開いた瞬間だった。
「うん?」
話には興味がないと言わんばかりに窓の外を眺めていたケトが、突然ピクリと肩を揺らした。
「ケト?」
エルシアは助かったと言わんばかりに、少女に問いかける。実際、あの褒めちぎり方はあまり心臓に良くない。
だが、それに応えるケトの表情はどこか硬かった。いまいち状況がつかみきれていないようだが、どこか怯えたようにエルシアの服の裾を握る。
「なにか来る……。怖い人たち」
「え……?」
ほぼ同時に、アルフレッドの後ろにあった小窓がノックされ、ケトがピクリと肩を震わせた。
御者席に繋がる窓を開けて「どうした」と答えたアルフレッドは、御者席の人間と何事か話していたかと思うと、やがて真面目な顔つきで振り向いた。
「すまない。少し問題が発生したようだ」
「問題?」
ガルドスが聞き返すと、青年が困ったように笑った。
「どうやら賊の様だ。斥候の話ではもうすぐ接敵すると」
「せっこう? せってき?」
ケトがエルシアに体を摺り寄せながら、思わずと言ったように問いかける。答えるアルフレッドは、幾分優しい口調になった。
「もうすぐ悪い人達が襲ってくるということだ、ケト嬢。大丈夫、周りにはこの国有数の護衛を揃えている。このまま馬車の中にいてくれればすぐ片付けるよ」
「俺らも、戦った方が良いんじゃないか?」
ガルドスの問いに対しても、貴公子は笑って首を振るだけだ。
「せっかくの申し出だが、心配は無用だ。もし良ければ小窓から覗いてくれても良い。私が言った意味が分かるはずだから」
ガルドスに倣って、エルシアも外していたショートソードを体の方に引き寄せ、反対の手でケトを抱きしめた。
ガルドスが大窓の鎧戸を閉め、代わりに小さな窓を静かに開けた。アルフレッドは御者席の男に、矢継ぎ早に指示を出し始める。
「ここでは場所が悪い、ゆっくりと移動する。総員馬から降りて、周囲を囲めろ。馬車には防御魔法を、特に車輪には注意しておけ。敵は殺して構わんが、後追いは不要だ。最優先事項は攻撃を通さないこと、続いてこの場から離れること。徹底させろ、いいな」
「はっ!」
ほどなくして馬車がスピードを落とした。かすかな揺れにピクリと肩を震わせたケトは、エルシアを縋るように見つめた。
「大丈夫なの……?」
「ええ、心配いらないわ」
そう答えるエルシアだったが、彼女自身も不安はぬぐえなかった。目の前の青年は顔色を変えずに佇んでいるのを横目に、エルシアは外していた剣の柄を引き寄せる。
ガルドスの肩越しに見える外は木々に溢れている。話に集中していたせいで、自分が今どこにいるのか、その時になってエルシアはようやく気付いた。
森を突っ切る道の途中、奇襲にはうってつけの場所だ。木々の影の間、敵の姿はまだ見えない。




