夕暮れの窓辺で その3
ケトは駆ける。
露店の隙間を潜り抜け、道端の石を飛び越える。賑やかな町並みが、彼女の気分を高揚させていた。帽子が飛ばないように片手で押さえ、ひらひらと紺のワンピースをはためかせる。
「ケト! ま、待ってえ」
「こら、ケト! あんまり先に行っちゃダメ!」
後ろから追いつこうと必死なサニーとティナを待つために、ケトはその場で立ち止まった。
しかし、逸る気持ちはそうそう抑えられるものでもない。少女はその場で足踏みしながら、口の中で飴玉を転がした。エルシアに見られたら、お行儀が悪いと怒られてしまいそうだ。
「のみのみ市、すごいね!ジェス!」
「おう! 蚤の市な!」
最近よく一緒にいる四人組の中で、ケトのペースについてこられたのはジェスだけだった。彼は先程一緒に買った飴玉をなめながら、ぴょこぴょこ跳ねまわるケトの傍にぴったりとくっついている。
活気づく蚤の市の町中は、ケトにとってはじめての連続だった。お店番をすることもはじめてなら、露店を回るのもはじめて。沢山のお店が沢山のはじめてを売りさばいているのだ。
ポケットの中で小さな袋が揺れる。それはエルシアが作ってくれたお財布で、中には銅貨が入っている。
そういえば出発前に、エルシアがサニーを捕まえて「ケトのことお願いね」と言い聞かせていた。あれはもしかしたらお金を使いすぎないように、と言う意味なのかもしれない。
大丈夫。計算はまだゆっくりとしかできないけれど、しっかり買いたい物を選ぼう。
「ケト! あんまりはしゃいじゃダメじゃない」
ようやく追いついたサニーが目を吊り上げていた。サニーとティナを大分引き離してしまっていたから、確かに悪いのはケトだ。
「ご、ごめんなさい。でもね、のみのみ市すごいんだよ!」
サニーが呆れたように「蚤の市ね……」と呟く隣で、ティナが心配そうな表情でケトの袖を引いた。
「でもケト。一人で先に行っちゃうと、迷子になっちゃうよ」
「わたし、来た道分かるもん……」
「あのねぇ、ケトだけ道が分かっても、あたしたちが心配するのよ」
「はーい……」
サニーは相変わらず呆れ顔だ。腰に手を当てて諭すように言われてしまった。謝りながらも、ふとケトはティナの手を掴んでみた。
「そうだ、じゃあ手をつなご! そしたらきっと迷子にならないもん」
「はいはい。……まったくケトのどこが子猫よ。じゃじゃ馬じゃないの」
自分より背の小さなティナと目を合わせ、サニーの小言を聞き流す。反対の手でジェスの手を取ると、彼は目を真ん丸に見開いて顔を赤くした。
「あ、ジェス赤くなったー!」
「んなっ! そ、そんなことねえし!」
ティナがクスクス笑いながらジェスをからかったので、腕白坊主は気色ばんで腕を振り回した。三人できゃあと騒いで、その場からぱっと散らばる。
その拍子に、ケトは背中から人にぶつかってしまった。慌てて振り返って、後ろにいた人を見上げる。
「おっと。大丈夫かい?」
「ご、ごめんなさい」
ぶつかった相手は白いローブを着こんだ男だった。
この辺りではあまり見かけない服装で、思わずまじまじと見つめてしまう。男は穏やかな顔つきだったが、少しだけ困ったような表情を浮かべていた。
「うん、良かった。怪我はないようだ」
白ローブの男は、ケトの頭のてっぺんからつま先までをざっと見て、安心したように笑いかけた。散っていたサニー達が戻ってきて、ケトの隣に並ぶ。
「ちょっとちょっと! ケト、何やっているのよ」
「ご、ごめん」
「人が多いからね。気をつけるんだよ?」
「は、はい。すいません」
男の人の言葉を聞いて、真っ先に謝ったのはサニーだった。彼女は子供たちのリーダー役と言うこともあって、流石に返答が素早い。ケトの傍に戻ってきたジェスがケトの手をギュッと握る。
ケトは無意識に気配を探った。
この感覚はとても便利だ。知らない人を探るのは、最近半ば習慣になっている。今までだって、この感覚で相手が危険かどうか判断できたのだ。この間の人攫いの様な本当に危ない相手ならすぐに分かるはずだった。
しかし、この時ばかりは、その感覚がいまいち掴めなかった。ぼやけているような、覆われているような、もやもやとした感覚に戸惑う。
白ローブの男は、ニコニコと人の良さそうな表情を浮かべて、サニーに話しかけていた。
「ああ、そうだ。せっかくだから少し教えてくれないだろうか。ちょっと困っていてね」
「何ですか?」
「実は、人と待ち合わせをしているんだが、道が分からなくなってしまってね。もし知っているなら場所を教えてほしいんだ」
なるほど、と四人で顔を見合わせる。とりあえず危ない人ではなさそうでほっとする。同じくホッとしたのか、ジェスがケラケラ笑っていた。
「なんだよ、おじさんも迷子か! ケトとおんなじだな!」
「まだ迷子になってないもん!」
思わずムキになって言い返してから、人前であったことを思い返して恥ずかしくなる。サニーはしばらく悩んでいたようだが、やがて頷いた。
「どこに行きたいんですか? 院長先生に知らない大人の人にはついて行っちゃダメって言われているから一緒には行けないけれど、道なら教えられます」
「本当かい? 教えてくれるだけで十分だよ」
男が示したのは、ここからあまり遠くない宿屋だった。子供たちも何度か前を通ったことがある場所だ。
口々に、通りをまっすぐ行って、とか、三番目の角を左、とか教えてあげる。男はその度になるほど、なるほどと頷くと、ケトたちに頭を下げた。
「いやあ助かったよ。本当は怖がらせないよう大人の人に聞こうかとも思ったんだが、こうして会ったのも何かの縁だからね。その子、確かケトちゃんと呼ばれていたかな? 君も迷子にはならないようにね」
ケトは自分が名指しされたので驚いてしまった。どうして名前を、とも思ったが、先程ジェスに呼ばれてたことを思いだす。
思わず少年の影に隠れてしまった少女を見て、男は再度笑った。
「しまった! どうやら怖がらせてしまったか。ま、気にしないでくれ。本当に助かったよ」
ひらひらと手を振って、白ローブの男が歩み去っていく。それを見ながら、四人で思わず息をついてしまった。
「びっくりしたねえ」とティナが言えば、
「でも、悪い人じゃなかったみたいだし、困っていたし」とサニーが呟く。
「人助けだからいいじゃんか!」とジェスが言って、元と言えばあんたのせいでぶつかったんでしょとサニーに突っ込まれていた。
ケトはと言えば、男が嵐のように来て、嵐のように去っていったので、いまいち状況に追いつけていない。
「そんなことよりも、ほら次行こうぜ、次!」
「本当にジェスは調子いいんだから。ケト、今度は勝手に走って行っちゃダメ! ジェスもティナも、ケトの手を放さないように」
とりあえず、仕切り直しと言わんばかりに、四人はどこに行くか相談を始めた。今度はケトも素直に手を繋いだので、ジェスの顔はずっと真っ赤だった。
―――
日も傾いた夕暮れ時。
結局、午前中の冒険者たちを除くと猫のワッペンはそこまで売れなかった。最後の方は露店に閑古鳥が鳴いていた。小箱にまだまだ積まれているワッペンを眺めて、エルシアは院長と二人苦笑する。
「やっぱり、このタイミングでワッペンは厳しかったかねぇ」
「そうね、ちょっと余っちゃったわ」
とは言え、思った以上に売れたのも事実。半分弱は売りさばけただろうか。
ガルドスやロンメルをはじめ、顔見知りはみんな、ケトが店番の時を狙って来てくれた。この町の一員として、そしてギルドの一員として皆が彼女を認めてくれたような気がして、エルシアはそれが嬉しい。
他の子供たちも思い思いに駆け回ってお祭り騒ぎを楽しんでくれたようだ。どうやら院長の目標は達成できたと言ってよさそうだった。
「とりあえず、余ったワッペンは孤児院に持って帰ろうかね。いつかどこかで使うこともあるかもしれないし」
「使う機会って何があるのよ」
院長ののんびりした口調に、思わずエルシアは笑みをこぼす。クスクスと笑う彼女を見て、院長もまた優し気な微笑みを浮かべた。
「シアも随分自然に笑うようになったねえ」
「そう……? 自分じゃよく分からないけど」
「とてもいい笑顔をしているよ」
「や、やめてよ。照れるから……」
思わず赤面したエルシア。
最近そう言われることが増えたところを見るに、どうやら自分は本当によく笑うようになったらしい。その理由に心当たりのあるエルシアは、胸元のお守りを握りしめてポツリと呟いた。
「もしそうなら、それはきっと……」
そう。それはきっと、ケトのお陰だ。
ケト。銀の少女。
人々を畏怖させる力の持ち主。龍の血を体に宿す人ならざる者。
そして、今だって友達とおしゃべりしている、ちょこっと人見知りな九歳の少女。エルシアに言い訳をくれた人。看板娘の大切な妹。
少女と暮らし、少女に教え、少女と笑い、少女と泣いた日々。
それが看板娘のことを少しずつ変えてくれたのは、もう疑う余地もない。少女を見つめるエルシアを、ダリアは優しいまなざしで見つめていた。
「ねえシア。あんたまだ、蚤の市を回っていないんじゃないかい?」
「え? ああ、毎年見ているし、別にいいわよ」
肩をすくめた娘に、院長が微笑む。
「片付けはいいから。ケトと二人で回ってきなさい」
「先生……」
栗色の目を丸くしたエルシアは、しばし悩んだ後で「ありがと」とはにかんだ。




