夕暮れの窓辺で その2
思い返してみれば、最近のブランカはどこか重苦しかった。
それはどう見てもスタンピードの影響で、復興が進むブランカはどことなく静かな印象を抱かせる町であった。
だがその日に限って、町の南北を走る表通りはかつてないほどの活気に満ち溢れていた。
今まで強いられてきた苦しい生活を、今日だけは全て忘れたかのようだ。道を歩けばそこかしこから客寄せの声がかけられ、表通りはごった返す人並みで歩きづらいほど。
蚤の市。
ブランカで年に一度催される大掛かりな市場の日である。
商売人はもちろんのこと、普段は客となる人たちも手作りの売り物を持ちよっては露店をなす。食べ物を売る屋台があちこちで軒を連ね、店先から食欲をそそる匂いを漂わせる中で、エルシアは雲一つない青空を見上げた。
本来は雨期に入る前に開催される蚤の市だが、スタンピードの影響で、夏のこの時期に延期していたのだ。お陰でじりじりと日差しが眩しい。
今回は孤児院もワッペンを売るため参加することになる。自然と気合が入ると言うものだ。
「……でも実際、復興中の町でワッペンは厳しいんじゃない?」
「最初から分かってたことじゃないか。売ることじゃなくて、楽しんでもらうことが肝心だからいいのさ」
差し込む日差しの元、露店の準備を手伝いながらエルシアは院長と話し込んでいた。今日はギルドも臨時休業で、エルシアは地味な色の普段着を身にまとっている。ギルドの常連さん達もきっとこの人込みのどこかにいることだろう。
大きな木箱を両手で抱える男の子に道を譲ってから、エルシアは作り上げた露店を眺める。
店と言っても、台車を改造して作った急場しのぎ。孤児院の露店は毎年これだ。意外と様になっているのは、少しでもそれっぽく見せようとした先代たちの工夫の賜物である。
「ワッペンいっぱいだよ」
木箱の中をのぞき込んでいたティナが、院長に報告していた。彼女は穏やかそうな顔で「そうねえ」と答えている。
ワッペンのデザインは、結局ケトの縫っていた猫に決まった。
サニーとティナの仲良し組が推したのはもちろんのこと、意外にもジェスがいたく気に入って騒いだのが大きいかもしれない。
流石に少し幼すぎるデザインなので、エルシアと院長の二人で少し手を加えて落ち着いたものにしたが、それにしたって可愛らしい造形だ。間違っても、ギルドのむさくるしい冒険者たちには縁のなさそうな代物である。
通りを見渡せば、いらなくなった家財道具や、ちょっとしたお菓子、中には端材をそのまま売っている露店まである。例年に比べると、古着やお菓子を出している店は少なく、代わりにいらなくなった板材や家具を売ろうとする人が増えているようだ。この町の現状を良く表している。
これはお客さん来ないだろうな。そんなことを思いながらも、エルシアは気分が浮き立つのを感じた。
準備をする子供たちも皆楽しそうだ。
ケトだって、あっという間に陳列台に姿を変えた台車のあちこちを興味深そうに眺めている。隣に付き添うジェスは金槌片手にどこか誇らしげだった。
今日の彼女は目いっぱいおめかしをしている。紺色のワンピースは彼女に初めて買ってあげた服で、上質なお出かけ仕様。
買った後、すぐにダメにならないようにとあちこちに裏あての布を縫い込んである。帽子は薄手でも日差しをきちんと遮ってくれるつばの広いもの。それを身に着けるケトは、それはもうはしゃいだものだ。
「すごいすごい!」と台車を指さすケトに、ジェスがチラチラと視線をやっている。ふむ、と頷いてエルシアは眉間に皺を寄せた。妹に変な虫がつかないようにと心配する姉の姿がそこにあった。
「……エルシアさん、おしゅうとめさんっぽいね」
「ね」
「貴女たち、何か言った?」
「ひえっ」
後ろでこそこそと囁き合っていたサニーとティナが慌てた様子で手伝いに向かった。最近の子は耳が早い。姑なんて言葉どこで覚えてくるのだろう。
そろそろ定刻、店を開く時間だ。
とりあえず店番だけはしっかりやろうじゃないかと、エルシアは売り場に立った。
子供たちは交代制で自由時間もたんまりあるが、エルシアは院長と二人で子供たちの面倒を見なくてはいけない。これは長い一日になりそうだと、彼女は袖をまくり上げた。
―――
ケトにとって、算術とは食堂でのお会計のために学ぶものであり、いつか来たるであろう、本を買う時のための準備であった。
まさかそれがここまで役に立つなんて、一体誰に想像できただろう。
目の前のロンメルから、大銅貨一枚を受け取ったケトは、頭の中で考える。
大銅貨は十ライン。ワッペン一つで三ライン。と、言うことは……。
「マスター。お釣りはえーっと、……七ラインだよ!」
「ほほう、随分計算が早くなったのう」
感心するそぶりを見せたロンメルに、銅貨を七枚と、ワッペンを手渡す。じっくりと眺めたギルドマスターは、やがてその皺だらけの顔をほころばせた。
「なるほどのう。お前さんがよく身に着けている刺繍の絵柄なんじゃな」
「うん。猫さんのワッペン!」
こんなところで算術を使うことになるとは。
正直本を買うために頑張るのも疲れてきたのだが、こんな経験をしてしまうと、より一層取り組まなければという気になってしまう。とりあえず教えてくれたエルシアとマーサに感謝しながら、ケトは声を上げた。
「お待たせしました! 次の方どうぞ!」
その掛け声は姉がギルドで張り上げるものと全く一緒だったそうで、ロンメルは手を振って更に笑っていた。
―――
「おう、ちんちくりん。調子はどうだ?」
「やっほーシア、ケトちゃんもいる?」
幼馴染たちが顔を出したのは、もうすぐお昼時になろうかという頃のこと。腕組みをしてひょっこりと覗き込んだガルドスは普段通りだが、ミーシャは両手に持った串焼き肉を頬張って幸せそうだ。
「しかし、随分大所帯ね……」
「いやまあ、元々俺とエドウィンとミーシャでうろつく予定だったんだがな……。いつの間にかこんなことに」
苦笑するガルドスは後ろを見やる。そこにはなじみの冒険者が勢ぞろいしていて、露店の前は大入り満員だ。
「おおーー! エルシアちゃんの私服姿だ!」
「お前図体でかすぎだ! ちょっとかがめ!」
「ケトちゃーーん! こっち向いてくれー!」
一気にむさくるしくなった空気に、エルシアも苦笑しながら、ケトと顔を合わせた。
「みんなに手を振ってあげて、ケト」
「わ、分かった」
少女がはにかみながら手を振ると、冒険者たちがやんややんやの大喝采で答えた。孤児院の子供たちはびっくりして目を丸くしている。
そんな中、エルシアは常連たちの間に見慣れない顔を見つけて、首を傾げていた。
「あら? そちらの方は?」
薄手でも頑丈そうな外套。旅人だろうか。エドウィンと何事か話していた男が、エルシアの視線に気づいたようだった。
「ああ、紹介するよ。最近ブランカに来た旅人で……」
「ラッドと呼んでくれ。この間、酒場でガルドスやエドウィンに世話になってな。そのよしみで蚤の市を案内してもらっているんだ」
ガントレット越しの手と握手を交わし、エルシアも軽く挨拶をした。
「エルシアです。この町の冒険者ギルドで職員をしています。それからこの子はケト、私の妹です」
「こんにちは」
エルシアの紹介に、ぴょこりと頭を下げるケト。そんな二人を見て、ラッドと名乗った青年は顔をほころばせた。
「なるほど、ギルドの受付さんか。こんな美人さんがいるんじゃ、この町の冒険者は幸せ者だな」
「おだてても何も出ませんよ。蚤の市は楽しまれていますか?」
お世辞を軽くいなして話を向けると、ラッドはにこやかに笑った。
「それはもう、予想以上に。スタンピードの噂を聞いてきたんだが、まさかここまで活気があるとは思わなかった。きっと苦労されたんだろう。素晴らしい町だと思うよ」
「……本当に、口が上手ですね。露店はいくらでもありますから、どうぞ楽しんでください」
思わず顔が綻んでしまった。自分の容姿などよりも、この町を褒められたことの方がずっと嬉しかった。
―――
冒険者たちに片端からワッペンを売りつけ、名残惜しそうに騒ぐ男達も散っていった後、エルシアとケトは露店の裏で一息ついていた。
水筒の水をケトに飲ませながら、エルシアは微笑む。
「ありがとね、ガルドス。ミィも」
「うん? 何がだ?」
「皆に声かけてくれたの、二人でしょ?」
ただうろついていただけと言いながら、皆揃って来てくれたところを見るに、きっと前々から声を掛けてくれていたのだろう。ひたすらにワッペンを作りながら、「売れる気がしない」とエルシアがぼやいていたからかもしれない。
顔を真っ赤にしたガルドスが「お、おう」と呟いていたところを見るに、どうやら図星だったらしい。彼は、相変わらず無愛想に見えて優しい男なのだ。
その隣で笑うミーシャは、のんきな顔でのたまった。
「いやーほら、エルシアファンクラブの面々からしたら、休日のシアを拝めるまたとない機会だし、行かない訳にはいかないでしょ! 面白そうだったから、あたしも付いてきちゃった!」
「あ、バカ! お前」
「うん? あっ! ファンクラブのことシアには秘密なんだっけ? ごめんごめん」
可愛く舌を出して、やっちまったと呟くミーシャにギョッとするガルドス。スッと目を細めたエルシアはジロリと大男を睨んだ。彼の顔はもう真っ赤だ。
「ガルドス、貴方……」
「な、何だよ」
「あれで隠してるつもりだったの?」
「ぬえっ!?」
隣のミーシャが目を丸くして、「わーお、バレてるとは予想外」と呟いていた。ケトはぱちくりと目を瞬かせて三人を見上げている。
「まあ、解散しろとは言わないけどさ……」
「おお!? まさかの本人公認!?」
「ミィは黙ってて。……せめて私の知らないところでやってよ、恥ずかしいから」
「お、おう……」
顔を上げられないガルドスには知る由もなかったが、彼女にしては珍しく、恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めていたのだった。




