夕暮れの窓辺で その1
その日、孤児院は大騒ぎだった。
「ちょっとジェス! 布がガタガタじゃない、もっときれいに切ってよ!」
「見て見て、剣作ったあ!」
「白い糸どこ?」
「うわああん! ライラが布とったあ!」
食堂に集まった子供たちが思い思いに騒ぎ立てる。
翌々週に迫った蚤の市。その準備を孤児院の全員で行っているのだ。
例年何かしら店を出すのは、エルシアがいた頃から変わらない。例えば昨年は薪の端材なんかを使って、木彫りの置物や小物入れなんかを作ったものだ。
最近はスタンピードの復興で使い込んだせいか、いつもなら簡単に手に入る資材が町から綺麗さっぱり消え去っていた。普段使いの薪ですら、驚くような高値が付いているのだ。冬になる前に、もう少しマシになっていて欲しいと願うばかりだ。
結局今回は、院長が伝手を頼って手に入れた布きれを使って、簡素なワッペンを作ることになっている。材料費がかからないというのは、なんと素晴らしいことだろう。
「これは一体何かしら……?」
エルシアは出来上がったワッペンの一つをつまみあげて、小声で呟く。
糸がめちゃくちゃに張り巡らされたそれは、作った男の子曰くどうやら剣らしい。とりあえずエルシアの目には全く剣らしさを感じない。
「元々、採算なんて考えていないからねえ。子供たちに蚤の市の雰囲気を味わってほしい。ただそれだけのことさ。売れれば子供たちの晩御飯に一品増やせるし、売れなければ作った子にあげるつもりだよ」
そう言って笑う院長は、まずは子供たちに自分の好きな柄を作るようにという指示を出していた。作ったワッペンをみんな一つずつ持ち寄って、売り物にする柄を決めるのだという。
その結果が、謎の絵柄をみんなで縫いだすという大惨事である。これは果たしてきちんとした売り物が出来上がるのだろうかと、エルシアは心配だ。
別に利益を出そうという訳ではないのだから、不安に思う必要はないかもしれない。だが売り物にならなければ元も子もないと思うのはエルシアだけだろうか。
ジェスが適当に切った布をはためかせ、馬みたいだと大騒ぎする横で、ケトはサニーやティアと共に一心不乱に針を動かしていた。
彼女が作るものは決まっている。もちろん猫である。
自分の服に刺繍をしたことがあるからか、ケトは少しコツをつかんできたようで、少しずつ針を動かす速度が速くなってきていた。ティナはケトの意外な特技にいたく感動し、同じ絵柄を縫うのだそうだ。
「ケトは刺繍上手いよね」
隣で布を切っているサニーが、ケトとティナの手元を見つめていた。
「うーん。シアおねえちゃんに教えてもらって、練習中なの」
「この間も、猫さんつくってたもんね」
反対側で、針とにらめっこしていたティナが眉根を寄せながら口を開く。黒髪の女の子はどうやら針に糸を通すのに苦戦しているようだった。
「なんかね、シアおねえちゃんが、わたしのことを子猫みたいってよく言うの。だから目印で色んなものに縫い付けているんだって」
「たしかに、ケトは結構ぼんやりしてるもんね」
「サニーの言う通り。ケトは気まぐれでぼんやり」
「うそ? ぼんやり? してるかな?」
サニーだけでなくティナからも同じことを言われたケトは、ぱちくりと目を瞬かせた。
そういえば故郷の村では、父親によく似てぼんやりしていると言われていたような気がする。どこかおかしそうに、サニーは身を乗り出してきた。
「例えば、そうねえ。ジェスがこのごろ、ケトはいつ来るんだーってうるさいのよ。で、いざケトがやって来ると、そわそわしながらこっちをよく見てるの。気付いてないのはケトだけでしょ」
「知らなかった。どうして?」
「さあ、それはあいつに聞きなさいよ」
そうだっただろうか。いまいちピンと来なくて聞き返すと、サニーもティアもニコニコ笑って答えてくれなかった。
それなら後でジェス本人に聞いてみようか。そう考えてケトが視線を巡らせれば、なぜか件のジェスと目が合って、ケトはびっくりしてしまった。
もしかしたら、サニーとティアは超能力が使えるのかもしれない。
余談であるが、この刺繍大会はすぐにお絵かき大会に変更された。
理由は簡単。縫い物に慣れていない子供たちは指に針を刺しまくり、食堂が泣き声でいっぱいになったからである。
エルシアが子供たちの間を右往左往している間に、院長は両手を腰に当ててこう言った。
「ほれ、縫い物はこんなに大変なんだってことがわかっただろう? いいかい、お前たちはよく服の袖や裾を破って帰って来るだろう? その後に繕う方の苦労もこれで身に染みて分かったはずだ。これからはもっと服を大事にすること、いいね?」
エルシアは涙目の悪ガキの手を拭いながら、これが院長の狙いかと遠い目をした。
子供たちみんなで刺繍をなんて、おかしいと思ったのだ。言い始めた時からこの光景は想像がついていた。なるほど、悪ガキも含め、ある程度はこれで大人しくなるはずだ。
なお、ケトはそんな騒ぎもどこ吹く風、チクチクと猫さんの刺繍を縫い続けていた。サニーとティナが、そのマイペースぶりを見て苦笑していたことにも気付いていなかった。
―――
チクチク、チクチク、チクチクと。
どうにも最近、エルシアは針を持つ機会が多い。ケトの服の裾をあげたり、旅装束を繕ったり。そうそう、そろそろ秋に向けて上着のことも考えなくては。どうせならお下がりではなく新調してやりたいものだ。冬前には外套だっているだろう。
外套のことは良いとして、まずは目の前のワッペンである。
蚤の市まで余り日がないのに、院長はやけに余裕があるように見えたことを不思議がっていたエルシアだったが、からくりが分かった今、悪態をつくしかない。
「くそう、先生絶対こないだのこと怒ってるに違いない……」
「まだそんなこと言ってんのか」
ギルドの丸テーブルに腰かけたガルドスは呆れた顔だ。ミーシャは頬杖をつきながら、手を動かし続けるエルシアを見つめていた。
朝の受付ラッシュがひと段落した時間帯。本来なら客の少ないブランカのギルドで、職員が一息つくタイミングを利用して、ひたすらワッペンを作っているのである。
「ま、確かにこれは罰に相応しいな。反省しろ、エルシア」
「……ガルドスも手伝ってよ」
丸テーブルの向かいにいる大男を恨めしく睨むと、彼は意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「俺にできると思うか?」
「未だに繕い物頼んでくる人には全く期待してない」
分かり切ったことを聞いたと、エルシアは肩をすくめた。ミーシャが便乗してニヤニヤと笑っている。
「呆れた。ガルドス、あんた未だにシアに頼んでるの?」
「できないんだから仕方ないだろ。そういうミーシャこそどうなんだ?」
「シアにお願いしてる。そりゃあ親友特権てやつよ!」
「ほれみろ。何も変わらないじゃねえか」
「……二人とも私に頼みすぎなのよ」
玉結びをこしらえながらエルシアがため息を吐いていると、ふと袖をクイクイっと引っ張られるのを感じた。
「できた」
「おっ、どれどれ?」
少女の小さな手のひらに乗せられたワッペンを取る。表と裏を返す返す眺めてから、こちらを見つめる彼女に向き直った。
「ケト貴女、すごく腕上げたわね……」
「ほんと……!?」
ずずいと迫る銀の瞳。そこに何かを期待するような光を感じ取って、エルシアは微笑んだ。
「正直驚いたわ。これなら売り物としても遜色ないし。ありがとう」
「じゃあシアおねえちゃんのお手伝いできる!?」
「ええ、もう一つ、お願いしても良い」
「まかせて!」
満面の笑顔で頷くケト。お望み通りその頭をグリグリ撫でてやると、少女は緩んだ表情で、心地良さそうに目を閉じる。
「……かわいい」
無意識のうちに、ぽろっと言葉が漏れてしまった。それを耳ざとく聞きつけたのだろう。ミーシャの呟きがエルシアの耳に入った。
「シアが危ない人の目をしてる……」
「失敬な! ミィはこの愛くるしさを見て、何とも思わないの?」
「……こりゃ重症ね」
「普段猫被りすぎなだけで、素のエルシアはそんなもんだろ」
腐れ縁の二人の視線が更に生暖かいものに変わったが、エルシアは気にせずケトを可愛がり続けたのだった。




