路地裏の攻防戦 その12
「なあエルシア、いい加減ベッドに連れて行ったらどうだ……?」
ガルドスの呆れ顔を尻目に、エルシアは食堂の隅のテーブルを陣取る。
「嫌よ。貴方にも感謝はしてるけど、これは譲れないわ」
エルシアは、すやすや寝息を立てるケトを優しく見つめていた。
少女の頭はエルシアの膝の上にあって、随分長い間、エルシアがゆっくりと撫で続けているのだ。お陰でケトの髪はくしゃくしゃだ。起きたらきっと寝癖が酷いに違いない。
昼間の大捕り物が一段落した後で、ギルドに戻った冒険者たちが宴を始めるのは自然な流れだ。
お代はもちろんエルシア持ち。今回ギルドの冒険者に多くの助けを借りたことを考えれば、当たり前のことだろう。
ジェス達を孤児院に送り届け、協力してくれたギルドの面々に頭を下げて、宴の準備をして。この短い時間でよくここまで動いたものだ。あちらこちらをせこせこと走り回っていたエルシア。ケトはその間ずっと、姉の手を握って離そうとしなかった。
二人がようやく地下食堂の長椅子に腰かけることができたのは、つい先ほどのこと。
昼間の疲れが出てきたのか、ケトはすぐにうつらうつらし始めた。少女を自分の体にもたれかからせながら、それでもエルシアは一向に少女を離そうとしなかった。
その結果、今のケトはエルシアにくてりと体を預け、小さな寝息を立てている。そしてエルシアは、ベッドに寝かせてやれと言うガルドスの苦言もどこ吹く風だ。
「いいじゃねえか。あんなことがあったんだからな!」
エールが並々注がれたジョッキを片手に、向こうのテーブルでオドネルが赤ら顔を見せていた。ミドがどことなく羨ましそうにケトを眺め、ミーシャは普段開けない葡萄酒に舌鼓を打っている。
できればサニーやティナの孤児院組、特にジェスにもこの場に連れて来てやりたかったのだが、流石のエルシアもダリア院長には逆らえなかった。
きっと今頃、三人はこっぴどく叱られていることだろう。昼間のケンカもその後の騒動も、小さな子供達には度の過ぎた冒険だ。
だが、エルシアはあまり心配していない。院長は決して理不尽に怒る人間ではない。叱るとしたら、彼らが大人の付き添いなしに西町に行ったことくらいだろうか。
そして院長はきっとしこたま叱った後に、同じくらい褒めてくれるはずだ。何と言っても、子供たちこそ今回の騒動の立役者なのだから。
「怖いのは私よねえ……」
飽きもせずに頭を撫でながら、エルシアはボソッと呟く。隣でガルドスが大きなため息を吐いていた。
「今回は絶対ヤバいぞ、エルシア。きっとお前はお説教からの罰当番コースだ。庇ってやらねえからな」
「ガルドスの言うとおりね。シアは今回ちょっとやらかし過ぎだわ」
「うへえ……。ミィまでそんなこと言う……」
孤児院を出たからと言って、ダリア院長はその辺、妥協はしてくれない。
今回、エルシア自身もかなり無茶した自覚がある。冒険者だけでなく、子供たちまで巻き込んで大暴れしたのだ。お説教のネタはいくらでもあるだろう。
エルシアはふるりと体を震わせたが、すぐに苦笑した。まあ、怒られるくらい何だと言うのだ。この腕の中にある温もりを失う恐怖に比べたら、ずっと軽いものだ。
「……助けてくれて、本当にありがとうね」
へにゃりと体の力を抜いて、心の底から感謝を込めて呟くと、二人が目を丸くしてこちらを見ていた。始めは呆気に取られていたミーシャたちが、やがてニヤニヤと笑みを浮かべる。
「たまーに、シアは可愛いこと言うよね」
「?」
「本人は自覚ないみたいね? ま、ガルドスには効いたんじゃない?」
幼馴染達のにやけ顔に首を傾げる。ミーシャは笑みを深くして、隣の大男をつついていた。そっぽを向いているせいで、ガルドスがどんな顔をしているか分からない。何となく耳が赤いだろうか。蝋燭の灯りのせいで、よく分からないけれど。
気が緩んだせいだろうか。一気に疲労が押し寄せてきて、エルシアは片手でケトの頭を撫でながら、反対の手で目をこすった。
ジョッキにはまだ半分くらいエールが残っていると言うのに、随分と酒が回っている気がする。周囲はぬくぬくと暖かくて、とても眠い。
「シアも上のベッド借りたら?」
「うーん……」
ダメだなこりゃ、とガルドスが笑う声が聞こえる。そのまま寝たら風邪引くよ、とミーシャが言っている。別のテーブルからどっと笑い声が起こるのを聞きながら、エルシアの意識は落ちていった。
「ケトに、毛布かけてあげなきゃ……」
―――
かくりと首が傾いだエルシアを、ガルドスとミーシャはジョッキ片手に眺めていた。互いに酒を一口すすって、どちらともなく呟く。
「寝ちゃったね」
「……毛布、上から取って来るか」
すうすう寝息を立てるエルシアは、普段より少し幼く見える。流石に疲れていたのだろう。癖のある亜麻色の髪が少し乱れていた。
二人、視線を合わせて苦笑する。彼女が居眠りなんて珍しい。しばらくこのままにしてあげようと、暗黙の了解を交わした。
「エルシアのやつ、最近随分表情が柔らかくなったよな」
「あ、やっぱりガルドスもそう思う?」
チーズを一切れ口に放り込んで、ガルドスはため息を一つ。
「毎日顔合わせてりゃ、嫌でも分かるだろ」
「まあねえ……。ま、その辺はケトちゃんに感謝かな?」
こんなにうるさいのに良く寝れられるよ。そう言ってミーシャはワインのお代わりをもらいに席を立った。葡萄酒なんて、おいそれと飲めるものではない。飲める時に飲んでおくのは賢い選択だ。
戻ってきたらまたおしゃべりが始まるだろう。何となく、幼馴染三人の思い出話になりそうだなと、大男はそんな予感を胸に抱いた。
だがその前に、とガルドスも立ち上がる。寝入ってしまった姉妹に、診療室から毛布を持ってきてやるつもりだった。
「……良かったな、エルシアも、ケトも」
ちらりと見た二人の寝顔は穏やかで、思わずガルドスはそんなことを口にした。
何が、なんて野暮なことは言わない。彼はそのままゆっくりと階段を登って行く。
にぎやかな喧騒に囲まれて、看板娘と少女は、幸せそうな寝息を立てていた。




