路地裏の攻防戦 その11
その名に恥じず、”金札”の実力は相当なものだった。
大男の連撃を回避しつつ、合間に放たれる反撃の狙いは一つ一つが正確だ。
ガルドスの対応しきれない所を狙って、長剣が軌道を描く。それだけではなく、手数を増やすためだろう。時折輝きを持つ魔法の光弾が、矢のような勢いでガルドスの体をかすめるのだ。
”金札”のランベールと”銀札”のガルドス。わずか一段の違いと侮るなかれ。そこには歴然とした実力差がある。
正直に言って、”金札”の腕利きを相手にするには厳しい戦力だ。ガルドスとミーシャ、二人の猛攻にもランベールは軽々と耐えて見せる。
度々生まれるガルドスの致命的な隙は、彼我の技量差によるもの。それでも彼が深手を負わないのは、ミーシャの援護があるからだ。例え”鉄札”レベルの弓使いであっても、状況によっては、彼女の矢が実力以上の働きを為すことがある。
矢の一撃を回避した先を予測して、ガルドスが踏み込んだ。刃が鈍い音を立てて、火花が飛び散る。
恐らくこのまま行けば、そう遠くないうちにこちらが押し切られる。敵も味方も関係なく、その場にいる誰もがそれをよく分かっていた。
だが、エルシアにそんな下策を取るつもりはない。
一際大きく振りかぶった、ガルドスの斬撃。彼が得意とする、力で押し切る太刀筋だ。それによって生まれる隙を、連携によって埋めることを前提にした攻撃とも言える。
渾身の一撃を、片手で難なく受け流したランベールが、体の後ろに隠した反対の手に魔法陣を纏わせているのを、エルシアの目が捉えた。
「左から来るわ! 頭を!」
エルシアの叫びに、戸惑うことなく大男がかがむ。直前まで彼がいた空間を光弾が切り裂くのを見ながら、エルシアはミーシャにまで届くよう、大声で叫んだ。
「ガルドス! ミィ! ”赤”!」
自らも飛び込みながら、エルシアは勝負をかけた。
エルシアの死角からの攻撃に、男は難なく対応してみせた。矢を避けた”金札”にショートソードの追撃が迫る。
「貴方は……!」
「受付さんまで戦うのかよ!」
エルシアが思い切り剣を叩きつけたところで、ランベールの体勢は変わらない。細腕で押し込んだところで、敵は一歩も下がることはない。
それでも、人攫いの注意は逸らせることができる。
「どうしてケトを!」
「どうして、だと?」
予想外の軌道を描く剣を必死になって防ぐ。奇跡的に刃を捉えることに成功したものの、受け止めた剣ごと、エルシアの右手がびりびりと痺れた。
「それはあんたが一番良く知っているんじゃないのか、受付さん!」
「ケトはまだ子供よ、ただの子供!」
「あんた、現実が見えているのかよ! あの化け物がただの子供な訳がないだろうが!」
「はっ。そんなの本物の化け物を知らないから言えることよ!」
エルシアの剣が絡めとられた。そのまま引き上げられ、自らの手から剣がすっぽ抜けるのを感じながらも、エルシアは叫ぶ。
「ミィ! 今よ!」
脱兎のごとく後ろへ転がる。反転する視界の中、きらりと一筋の軌跡が敵に向かって飛ぶのを見た。ランベールが剣を振るったのだろう。何かが叩き切られるような鈍い音が耳に入る。
もう一撃。エルシアが無理な姿勢でダガーを投げつければ、ランベールの体勢がほんの少し崩れる。
「おおおおッ!」
その時には既に、ガルドスが踏み込んでいた。懐に入り込み、低い姿勢から、力任せにロングソードを振るってのけた。
「ぐっ……!」
ガツンという鈍い音。交わされた剣から金属の破片が飛び散った。
エルシアとミーシャの連撃で体勢を崩されたランベールだったが、その上で力任せの攻撃を受け止めるには限界があると悟ったようだった。
「やってくれるじゃないか……!」
男の手から剣が離れる。叩き落されたのではない、自らの意思で手放したのだ。
その証拠を見せつけるかのように、ランベールの動きが変わった。
剣を手放すやいなや、ガルドスを蹴り飛ばす。よろめく大男を他所に、片手で目の前の地面に魔法を打ち込みつつ、敵から離脱を図ろうと飛びのいた。
魔法の着弾によって舞い上がる土塊は、矢の射線を攪乱する目的があり、前衛を近づけさせない狙いがあった。ミーシャが戸惑ったように矢を撃つのをためらい、エルシアとガルドスがその場で二の足を踏む。
「強え……!」
ガルドスが呻く。絶好のチャンスを逃したミーシャが唇を噛みしめる。長年の付き合いで培ってきた三人の連携を”金札”はことごとく打ち破って見せたのだから、無理もない。
だが、エルシアは心配していなかった。
剣を失ったランベールが今度は魔法を主体にした戦術を取って来るであろうことも予想済みだ。そしてそれを許す程、エルシアはお人良しじゃない。
かなり後方、ケトの傍まで転がったショートソードを拾いなおしつつ、ランベールに向かってエルシアは声を張り上げた。
「ランベール! 貴方に勝ち目はないわ。投降しなさい!」
同様にエルシアの前まで下がったガルドスが剣を構え直す。ミーシャはきっと次の矢をつがえているはずだ。
「おいおい受付さん、あんたら三人で勝てると思っているのか? 剣がなくなったっていくらでもやりようはあるんだ」
エルシアの勧告ににやりと笑うランベール。ベルトに括り付けてあった小さなカバンから小瓶を無造作に手に取る。
中身が輝き始めた。間違いない。やはり魔法を使う気だ。
その視線を真っ向から受けとめ、エルシアは剣を掲げた。
「そりゃあ、私たちだけでどうにかできる訳ないじゃない。だから、こうするのよ」
瞬間、建物の影から、壁の上の歩廊の陰から、わらわらと人影が姿を現した。顔ぶれは冒険者から衛兵隊から、様々だ。
剣を構えたオドネルがエドウィンと肩を並べる。弓を持ち出してきたナッシュは衛兵達に交じって壁の上から狙う。冒険者への伝令役だったミドは息を切らして後ろで膝に手を当てているし、衛兵隊に状況を伝えに走ってもらったサニーやティナの孤児院組も、ロンメルの隣で遠く離れた壁の上から不安そうにこちらを窺っていた。
「もう一度言うわ、ランベール。貴方に勝ち目はない、投降しなさい」
ショートソードを向け、エルシアは再びランベールを睨む。
「……」
”金札”がゆっくりと辺りを見回した。自分に向けられた武器の数々、それも弓を主体にした布陣を認め、壁との高低差を活かして誤射の可能性を限りなく減らした包囲に気付いて、薄く笑った。
「……あんた、とんだ策士だな。受付さん」
「戯言は結構。武器を捨てなさい」
断ち切るように返すと、ランベールは笑みを消し、手に魔法陣をまとわせた。
「調子に乗るなよ? あまり魔法は得意じゃないが、このあたり一帯を更地にすることくらいはできる」
その言葉に冒険者たちがギョッとした顔をする。子供たちが慌てて歩廊の壁に頭を隠し、ミドが慌てて建物の角から頭を引っ込めていたが、エルシアは顔色一つ変えることはなかった。
「自爆でもするつもり? 貴方にはそんなことできないわ」
ランベールが片眉を上げる。
「どうして言い切れる?」
「貴方、そんなタイプじゃないでしょう。自爆するくらいなら、投降して脱獄の機会を窺うタイプじゃない」
「……知った風な口をきく」
間髪入れずに返した確信に満ちた声色に、ランベールが眉をひそめた。
壁際の路地から、常連さんが顔を出すのを確認し、反対側からは屋根から降りてきたミーシャが弓を片手に走り出てきたのを見る。既に包囲網は完成していた。
「もう一度言うわ、投降を」
「……」
「逃げ場なんかない。貴方がどれほど凄腕でも、これ以上の抵抗は無意味よ」
男は押し黙ったまま、エルシアをしっかりと見据えていた。
冒険者たちが武器を向け、息詰まる時間に隣のガルドスが焦れ始めたころ。
「……受付さん」
ランベールが苦々しそうに呟いた。
「あんた、俺が金に困っていることを知って、依頼を優先してくれたな」
ガルドスがチラリと寄越した視線を感じつつ、エルシアは冷たく返答する。
「……だから何?」
確かにその通りだ。クシデンタの復興のために金を稼ぐ必要があった彼に、気を遣った。今考えれば、なんて馬鹿な真似をしたのだろうと思う。よりによってケトを狙う人間を思いやっていたのだから。
「……それから、そこのジェスとかいう坊主。そいつはずっと、必死にケトを逃がそうとしていたよ。見どころのあるガキだ」
後ろでジェスが一瞬だけ瞳を揺らした。だがそれだけ。少年は人攫いを燃えるような瞳で見つめ続ける。
「この町の人間は揃いも揃ってお人よしばかりだ。正直なところ、故郷の次に好きになったよ」
悲し気な微笑みを浮かべるランベールに、エルシアは眉を顰める。
「何が言いたいの?」
今から泣き落としでもしようというのか。要領を得ない話にエルシアが訝しみ、周囲が焦れ始めたころ。人攫いが看板娘を鋭く睨みつけた。
「だがな、受付さん。その少女は、お前たちでは守り切れない。いつか絶望する日が来る」
その言葉に、冒険者が、衛兵がいきり立つ。ガルドスが怒鳴り返した。
「ふざけるな! 負け惜しみなら、別のところでやれ!」
「負け惜しみなんかじゃない。事実さ」
ランベールはもう笑み一つ見せなかった。
「確かに俺の負けだ。だけどな、ケトはその力を周囲に示しちまった。スタンピードでも、今回の騒動でも。俺が諦めたら次はもっとロクでもない奴が来るだろうよ。……ま、善良なこの町の皆様は気付いていないかもしれないがな」
エルシアの隣で、ケトがピクリと肩を震わせる。恐々と自分を見上げる少女の視線を感じながら、エルシアは口を開いた。
「そんなこと、貴方に言われるまでもない」
確かに、町の人たちはそこまで考えついていないだろう。剣に戸惑いを乗せたガルドスを見ても、壁の上で困惑を露わにしているエドウィンを見ても、それは窺えた。
「でもね、だからこそ、私は……」
でも、エルシアだけは違う。少しずつ追い立てられる恐怖を、形の分からない敵に怯える日々を、町のギルドの看板娘だけは良く知っている。
遅かれ早かれ、ケトはその恐怖に追いつかれることだろう。それは人ならざる力を得てしまった少女の呪いだ。避けようのない未来だ。
やはり目の前の人攫いは凄腕だった。その未来が来ることを予言して、冷笑しているのだから。自分を負かしたこの町に、どこまでやれるか見ものだと、そう嘲笑っているに過ぎないのだ。
しかし、それが分かっているからこそ、エルシアはケトを拾ったのだ。
同じ恐怖に怯える者として、人生の先達者として。彼女をいつか来るであろう敵から守ってやりたいと、そう思ってしまったから。
エルシアは欠片も遠慮せずに、空いた左手でケトをギュウっと抱き寄せた。
何も言わずに身を摺り寄せてくれる少女の温もりを感じながら、ギルドの看板娘は右手のショートソードを敵に向けて。
そして、高らかに宣言する。
「私はこの子を守り抜く。何があっても。例え隣にいられなくとも」
もう、エルシアは覚悟を決めているのだ。何が立ちふさがろうと、怯むつもりはない。
「貴方の言う通り、ケトは既にその力を示した。それがどういうことか、私は良く知っている。この子を待ち受ける未来も、ある程度想像はつく」
「……分かっているなら、何故ここまでする? あんただって無駄だと分かっているんだろう?」
ランベールはもはや苛立ちを隠さず、エルシアだけを睨んでいた。
どうにもならない何かを諦めたその目が問う。なぜだ、と。そこまで分かっておきながら、なぜ諦めようとしないのか、と。お前のやっていることは無駄なのだと、分かっているだろう、と。
「……無駄なんかじゃない。無駄にしないために、私は戦うの」
少しずつ育っていくケトが、人生の指針を見つけ、大切なものを得たその時。
困難を目の前に、少女が少しだけ大人になれたなら、それこそがエルシアの勝ちだ。
ケトは、どこまでも凡人でしかないエルシアとは違う。自らを縛り付ける呪いを打ち破るだけの力を持っていることを、誰よりも看板娘が知っている。
ただ、今はまだその使い方が分かっていないだけなのだ。
「ケトが、自分の進む道を自分で決められるようになるまで。その時までこの子を守れたら、それ以外望むことはない」
ランベールは、迷いを見せない看板娘をじっと睨んでいた。
「……あんたはもっと大人だと思っていた。俺には、ガキの理想論にしか聞こえない」
「自覚はしている。でも、こんな気持ちになれたのははじめてなのよ。それに従って何が悪いの?」
「いつか、後悔する日が来る」
「覚悟の上よ」
まっすぐに見返して言葉を返したエルシアに、人攫いは尚も何か言おうと口を開きかけた。だが結局、彼は何も言わず、諦観をその目に湛えた。
自分のカバンを無造作に漁って、魔導瓶をいくつか地面に転がす。その後で、腰の後ろのダガーを抜いて地面に落としてから、ボソリと呟く。
「……投降する。好きにしろ」
彼はもう、エルシアもケトも視界に入れようとしなかった。冒険者達の目の前で、衛兵のエドウィン達が注意深く縄をかけても、何も言わずにされるがままになっていた。
ゆっくりと衛兵たちが歩きはじめる。ランベールもそれに続いて一歩を踏み出した。向かうのは北門だろうか。あそこには長らく使われてない牢があったはずだから。
先程の戦闘が嘘のように静まり返った中。しかし、静寂を破る者がいた。
「待てよ、人攫い!」
「お、おい、ジェス! 近づくな」
ガルドスが慌てて彼の両肩を押さえる。
それ以上近づこうとするのを諦めたらしい少年は、その代わりに叫ぶ。
「あんた! どうして自分のやりたくないことをやっていたんだ!?」
ガルドスが驚いたように目を見開く。エルシアの腕の中で、少女が「ジェス……」と呟いた。
周囲の人間がそっと人攫いの顔を窺う。向けられた視線の先、ランベールは苦虫を噛み潰したかのような表情をしていた。
「……大人ってのは、そういうもんだ。いつか、坊主にだって分かる日が来る」
不機嫌さを隠そうともしない声こそが、ランベールの苛立ちの現れだった。彼の境遇を知らないながらも、大なり小なり世の理不尽を知る大人たちが黙り込む中で、それでも少年は口を閉ざそうとしなかった。
「大人は誰だってそう言うんだ。”みんな同じ”とか、”いつか分かる”とかさ。苦しそうな顔して言うんだ。そんなこと知ったこっちゃない。俺は今、あんたに聞いているんだ! 答えをちゃんと教えろよ!」
その場の”大人”が揃って呆気にとられる。
この状況で、あまりに場違いな我儘。重要なことが山ほどあると言うのに、彼は何よりもそれを聞きたがる。
ランベールも例外ではなかった。しばらくぽかんとジェスの顔を見ていた彼だったが、やがて少しずつ笑みを深くする。そんな彼が、さも可笑しそうに声を上げて笑いだすまで、そこまで時間はかからなかった。
「……そうだな。坊主、お前の言う通りだ。誰でももう少しは好き勝手言った方がいい」
「でも、大人は全部飲み込んじゃうんだ。父さんみたいに言えなくなったら意味がないのに! だから教えろよ、言えるうちにさ!」
少しだけ、目を見開いたランベール。だが、彼は驚くほど柔らかい声で、ジェスを小馬鹿にして見せた。
「……大人が隠すのにはちゃんと理由があるってもんさ。なあ坊主、教えてもらっているだけじゃ駄目だ。少しは考えないと身にならないからな」
「悪党の癖に偉そうに……!」
毛を逆立てて怒るジェスに、ランベールは肩をすくめて見せた。重荷を下ろしたばかりのような、どこか清々しい笑い声をあげる。
「なあ坊主。お前の疑問に答えるのは簡単だ。でもよ、きっとそれじゃあ、お前は納得しない。何故か分かるか?」
「……」
「何を大切にするか。何を取り、何を捨てるか。それは自分の経験から導き出すもんだ。これを人に押し付けられたら、その時点でお前の人生じゃなくなっちまう」
「俺の……?」
難しい顔で黙り込んだジェスに、人攫いは最後に声を掛けた。
「ま、お前みたいなガキにはまだ早い。ゆっくり考えてみると良い。そうそう、お前には見どころあるってことだけは保証してやるよ」
「答えになってねえ!」
「おいおい、衛兵さん。早いとこ連れて行ってくれ。急がないとこの坊主に飛びかかられそうだ」
「ちっくしょう、馬鹿にしやがって……!」
尚もいきり立っていた少年だが、ランベールはもう答えるそぶりを見せることなく歩みを進めた。
引っ立てられるランベールが建物の陰に消えた後も、ジェスはずっと怒っていた。




