路地裏の攻防戦 その10
路地を抜け、左へ。家々に挟まれた細い道の先にそびえ立つ壁面をチラリと見て、ガルドスは更に足を速めた。
エルシアが言うに、事前に見定めておいた場所の一つだそうだ。
町を囲う壁際の中でも高い建物がある場所。東門の守衛所からは少し離れている場所。そして何より、入り組んだ路地が壁際まで迫っていて、人目に付きにくい場所。
冒険者たちが走り回ったおかげで、人攫いを浮つかせることはできたはずだ。条件を絞れば、おのずと逃走経路を絞ることができる。エルシアはそう言っていた。
そしてまさに今、敵は彼女の読み通りの場所に向かっていた。そのことに空恐ろしさを感じない訳でもなかったが、今はとにかく追い込むだけだ。
土の道を踏みしめながら、エルシアが叫ぶ。
「ガルドス! ”黄色”だからね!」
「さっき聞いた! 任せろよ!」
「敵はしばらく貴方に任せる。私はきっと子供達で手一杯だから!」
「心配すんな、きっちり引き付けてやるさ!」
エルシアが横道に入ったのを横目に見つつ、ガルドスはまっすぐ突っ込む。もう疑う余地はない。敵はすぐそこだ。
「……いるな!」
扱い慣れたロングソードを抜く。相手は腕利き、きっとガルドスの実力では一瞬たりとも気は抜けないはずだ。
つんのめるように角を曲がったその先で、建物の入り口をこじ開けようとしている男の姿を、彼は遂に視界に入れた。
「ランベール!」
「……ガルドスか」
男の傍にいる二人の子供たちが、目を見開く。
「やっぱりあんたなのかよ、ランベール……」
男を睨みながら、ガルドスは足を止める。
エルシアとの事前の打ち合わせ通り、早まって飛びかかる真似はしない。”合図があるまで、手出ししないように”と、口酸っぱく言われているのだ。
剣を中段に構えながら、子供たちの様子をよく観察する。
少女も少年も、縛られているのは手だけだ。袋に入れられてもいなければ、足を縛られていない。大きな怪我もなさそうだと、心の中で安堵する。あれなら隙さえ見つければ、自分たちの足で逃げることもできる。
「もう逃げ場はないぞ。その二人を離せ」
「……できないと言ったら?」
「離すまでぶん殴るだけだ」
「それは困るな……。仕方ない、こうするしかなさそうだ」
男が手を動かすと、握られたロングソードが鮮やかに回転した。
首元に剣を突き付けられたケトが怯えた顔をする。ガルドスは「やめろ」と慌てて剣を下ろさざるを得ない。
壁と建物に挟まれた路地には、ガルドスの他に人影はなかった。
だが、焦ることはない。人質がいる以上はタイミングが重要だと、エルシアに何度も念を押されたのだ。その瞬間まで時間を稼ぐのが彼の役割。ガルドスは単純な疑問をぶつけることにした。
「あんた、どうして一人なんだ? 仲間はどこに行った?」
ランベールは笑うばかりで答えない。代わりにジェスが叫んだ。
「他の奴らはいなくなっちまった! 別の場所から逃げて、町の外で落ち合うつもりなんだ!」
「……彼らにだって事情がある。ジェス、あんまりそういうことを教えて欲しくはないんだがな」
「うるさい、この卑怯者!」
人攫いが怒って何かしでかさないか心配になったガルドスを他所に、当の本人はからからと乾いた声で笑うだけだ。
「卑怯者、か。その通りだな。……もう少し逃げられるかと思ったんだがなあ。どうやら難しそうだ」
そう言って苦笑する人攫いは、少年の口をふさごうとすらしない。それどころか笑いながら質問を返してきさえした。
「それにしてもよく見つけたものだ。この指揮は誰がとった?」
「あんたには関係ないだろ」
答えながら、ガルドスは訝しむ。
目の前の男から読み取れる、諦めたような寂しそうな表情。それが、とても悪行に手を染めた男のものに思えないのだ。まるでこちらが大人に歯向かっているような錯覚、とでも言うべきか。
おかしい。奴は悪者で、こちらが正しいはずなのに。なんだろう、目の前の男から感じる、この威圧感は。
「もう答えてもくれないか、当たり前だな……。しかし困った。逃がしてもらえそうもないなら、突破させてもらうしかないんだが」
ランベールはどこか寂しそうにそう言って、笑みを消した。
―――
エルシアは、その一部始終をすぐ上から見下ろしていた。
裏口から入った建物の中を進み、音を立てないよう、細心の注意を払って窓へ忍び寄る。錆び付いた蝶番を見て肝を冷やしながらも、何とか静かに窓を開くことに成功。
慎重に慎重を重ねながら窓枠に足をかけ、ぐっと外へと身を乗り出した。
ケトの姿がすぐそこに見える。男に剣を突き付けられて震える彼女を見て、腸が煮えくり返りそうな思いだ。許されるなら、今すぐ離せと声を上げたいほどだった。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、周囲を見渡す。正面、町を囲う壁のてっぺんから覗く複数の頭に合図を送ってから、再び眼下へと視線を落とした。
人攫いが数組に分かれた可能性。数か所から一斉に逃げ出すことで、こちらを攪乱する可能性。そのどちらもエルシアが想定したもので、そのどちらもエルシアが完全に放置したものだった。
確かに、敵の別動隊にも人員を割り振るべきだったかもしれない。その場合の手も考えつかない訳ではないが、エルシアはあえてそれをしなかった。
もう、エルシアにとってそんなことはどうだって良いのだ。
ケト本人を取り巻く状況、その一点において、事態は既にエルシアの想定通りの道をたどっている。それこそが彼女の望む全てだ。決して高望みなどしない。
少しだけ窓から身を乗り出し、数棟離れた建物の上で弓に矢をつがえたミーシャにアイコンタクトを送る。それなりに遠い距離をものともせず、幼馴染にはこちらの意図が伝わったようだった。
エルシアに向かって大きく手を振り、彼女はすぐさま弓を引き絞り始めた。
普段のおどけた彼女からは想像もできない程に、鋭く射抜くような視線。自分が獲物の命を奪おうとしているその意味を、ミーシャなりに理解し、落とし込んだ狩人の視線だ。
路地にガルドスの声が響く。
準備は整った。後はタイミングを合わせるだけ。
「ならせめて、その剣を下ろせよ! ケトもジェスも、まだ子供なんだぞ!?」
「この状況で剣を下ろす奴がいると思うか? そもそも、この娘がただの九歳で済むようなガキではないこと、お前だってよく分かっているんだろう?」
脅しのせいで剣を下に向けたままのガルドスが、それでも柄を持つ右手に力を込める。それは、エルシアの合図を受けとったという、彼なりの返事だ。
ジリと、ランベールが体勢を整えた。少女の肩を掴む手に力を込め、男が姿勢を低くする。その拍子に、足がほんの少しだけ、右にずれた。
ミーシャはその隙を見逃さなかった。
ロングボウの弦が弾かれ、矢を虚空へと押し出す。数棟離れた建物の屋上から、矢が男に向かって猛進する。
「ッ!」
その直前、ランベールが一瞬で身を翻した。
少女に突き付けた剣を引き戻し、軽い動作で振るう。一瞬の早業。カンという甲高い音。矢が男の眼前で叩き切られて転がるのを、エルシアはロクに見ていなかった。
「このっ……!」
窓枠にかけた足に力を込め、体を躍らせる。人攫いの真上、二階の窓から飛びかかっていたのだ。
ランベールの剣が他所を向いているのを見て、その表情が驚愕に歪むのを視界に入れて。
エルシアは全身をばねのようにしならせて、思い切りランベールに突っ込んだ。
天地がひっくり返る。ガツンという脳を揺さぶる衝撃。その程度は気にもせず、自分より大柄の男へとダイブ。
ランベールの驚きの声が思いの他耳元で聞こえて、エルシアは思わず総毛立った。全身に鈍い痛みを感じながら、滅茶苦茶にもがく。
いくら運動が苦手なエルシアでも、ある程度体は動く。
これでも十二歳から三年間は、冒険者の端くれだったのだ。それこそ受け身の取り方くらいなら、体に染みついていた。流石に飛びかかった相手をクッションにしたのははじめてだが、何とか上手くいったようだ。
頭も打っていないし、肩の痛みだってすぐに引く類のもの。問題は方向感覚で、空がどちらか分からない。
「くそっ! ……受付さんかよ!」
「よくもケトを……!」
地面の固い感触を手でまさぐって、エルシアは強引に体を持ち上げる。
相手は”金札”。看板娘の決死の突撃だって、男の体勢を崩せはしても痛手になる訳がないことも分かっている。
それでもランベールはケトから離れた。今はそれで十分だ。
ふらつく頭を必死に抑え、彼女はショートソードを抜いた。ケトとジェスの二人が自分の後ろにいることを確かめながら、目の前の男を睨みつける。
既に姿勢を整えていたランベールが、すっと目を細める。そもそも、押し倒すどころの話ではなかった。人攫いが地面に手すらついていなかったことに、エルシアは今更気づく。
人に殺気を向けられることは中々ない。背筋が凍るこの感覚は、やはり早々慣れるものではなく、それでも、エルシアは唇を噛みしめて足を踏ん張る。
それも一瞬のことだと知っているから、出来る芸当だ。
すぐに男の注意が他へと向いた。流れるように地を滑り、右手に握ったままのロングソードで、横合いから打ち込まれた剣を防ぐ。
「おい、ちんちくりん! 何て真似してるんだ!」
剣を握った大男が喚く。更に切り返しの一撃を放ち、敵を押し込む。
「ガルドス!」
切り付けるというより、叩きつけるような斬撃。ガルドスが自分のペースに引き込みたい時によく使う手だ。剣を振るいながら、大男がエルシアに向けて怒鳴った。
「合図を待てとは言われたがな、こんな馬鹿な真似するとは聞いてねえぞ!」
「上手くいったからいいでしょ!?」
ランベールが横なぎに剣を払い、ガルドスは思わずたたらを踏んだ。
正面から力で押し込むガルドスの太刀筋は、威力がある分単調ともいえる。ことごとく敵に防がれているところを見ると、どうやら”金札”には読まれているようだった。
だが、ガルドスはそれに気にせず、ロングソードを振り回し続ける。合間を縫って、エルシアに向けて大声を上げた。
「こっちは任せろ! お前は二人を!」
「分かってる!」
すぐにエルシアは踵を返す。振り返ったその視線が、ただ立ち尽くすばかりのケトの目と合った。
「ケト!」
「……シアおねえちゃん?」
呆然とした声。目を限界まで見開いているところを見ると、きっと彼女はまだ状況の変化についていけないのだ。
駆け寄って、思い切り抱きしめる。放り出したショートソードが乾いた音を立て地面に転がった。「ああ……」という言葉にならない声が喉から漏れ、エルシアはひたすら、腕の中の少女の感触を確かめる。
「シアおねえちゃん……!」
少女の声に感情がこもる。強く抱きしめたすぎただろうか、少女には少し痛いだろうか。それが分かっていながらも、力の加減ができない。少女のあちこちに触れ、傷がないか確かめながら、エルシアは囁くように問いかける。
「酷いことされなかった……? どこも怪我してない……?」
「うん、うん……!」
「良かった……。良かった……! 怖かったよね、もう心配ないからね」
「うん……!」
胸に頭を押し付けているせいで、少女の返事はくぐもって聞こえる。その声にかぶさるように、後ろで剣戟の音が響いた。
そう、まだ戦闘は終わっていないのだ。
安堵のあまり座り込んでしまいたくなる自分を叱咤して、エルシアはケトから身を離した。ぐずぐずしていると、今度はガルドスが危ない。
腰の後ろのダガーを引き抜く。ケトの手を縛る縄は思いの外頑丈で、刃をこするように切り落とす必要があった。
後ろで矢が空を切る音が聞こえる。ミーシャの援護に違いない、エルシアの腕の中で、少女が不安そうな声を上げた。
「シアおねえちゃん、ガルドスが……!」
「大丈夫、何とかする!」
安心させるように微笑んでから、隣のジェスと視線を合わせた。
「ジェスもよく頑張ったわ。手を出して、縄を切るから」
エルシアの言葉に、しかし少年は首を横に振る。
そんな彼の顔を覗き込んで、エルシアは息をのむ。つい昼前には、混乱しきった表情で激情を叩きつけてきた彼が、いつの間にかずっとしっかりした顔つきをしていることに気付いたのだ。
「俺よりも先に、あいつをやっつけてくれよ!」
「ジェス、貴方……」
「あいつ以外、人攫いは皆別のところに行っちまった。だから、あいつさえやっつけちまえばいいんだけど、滅茶苦茶強くて……! 剣だけじゃない、変な魔法も使うんだ。それでさっきはケトが気絶しちゃって」
「魔法……」
不条理に整理をつけ、常に冷静を保とうとする意志。半日前には感じられなかったそれを、少年からひしひしと感じる。決意をたたえた瞳で、ジェスがエルシアに訴えかけていた。
この短い時間に一体何があったのだろう。聞いてみたくなったが、それこそ後で良い。今は彼の意思をありがたく受け取る時だ。
知らず知らずのうちに、エルシアの口元が綻んでいた。
普段浮かべる穏やかな微笑ではなく、猫を被った朗らかな笑顔でもなく。
そこにあるのは、ただ心の内から湧き上がる、純粋で、だからこそ歪なエルシアの笑みだ。
「……了解。下がってよく見ていなさい、ジェス」
地面に転っていたショートソードを拾い上げ、エルシアは戦場に視線を戻した。
「私の戦い方、見せてあげる」




