路地裏の攻防戦 その5
ジェスが蛮勇を決め込む少し前のこと。
久しぶりに来た町の西側で、ケトは一人しゃがみこんでいた。
町のこちら側に来たのは久しぶりだ。少なくとも、エルシアに拾われてからは近づいたことがない。危ない場所だから近づかないようにと言われていたのだ。
だが、一人になりたいケトにとって、西の空き家は丁度良い場所のように思えた。今だけはエルシアにも内緒で、考え事がしたかったのだから。
適当な家を見繕って、朽ちかけた壁を背に座り込むる。
思い出されるのは、少年の悲痛な言葉。「ずるい!」という叫びは、ケトの心に衝撃をもたらした。
もしもケトがエルシアに拾ってもらわなければ、今頃一体どうなっていたのだろうか。それをはじめて、少女は考えた。それはそのまま、今のジェスの境遇になるはずだから。
もし、エルシアに拾われなかったら。
ケトはきっとまだこの辺りのボロ屋をねぐらにしていたのだろう。暖かい食事なんか夢のまた夢。変わらずギルドに行って、薬草採りをして、帰る。その繰り返し。
胸元の刺繍を撫でる。きっとこんな風に、布地に絵を描く方法があるなんて知らないだろう。着ている服だって、どんどん薄汚れていくだろう。文字も読めないから、食堂で注文もできない。
そして何より、故郷の村にだって、ケト一人では帰れるはずがなかった。父と母のことを気にしながら、何もできずに悶々としていたに違いない。
その全てを、エルシアがくれた。
片や、自分のことは自分で決めるジェスやサニーがいる。ティナに至ってはケトより年下なのに、ずっとしっかりしているように見える。
ケト自身はどうだろうか。エルシアに全てを頼り切り、委ねてきっているのではないか。それは他の子から見れば、甘えや自慢にとられたっておかしくない。ジェスは紛れもなくそのことに怒っていたのだ。
それでもケトは我儘だ。それを知った今もなお、エルシアに抱き着いて甘えたい。頭を撫でて、名前を呼んでほしいと思っている。
エルシアに甘えるのは、ケトの特権。どれだけズルくたって、それを手放すことなど考えられない。
だが、それだけではいけないのではないか。少女はそう考える。
サニーやティナ、そしてジェス。彼らは自分の足で立って生きている。与えてくれるのを待つのではなく、自分から動き、考える子供たちだ。
少なくとも、彼らに胸を張って言い返せる人間になりたい。それくらいには、しっかりとした人間になりたい。
少し頭が冷えてきただろうか。深呼吸をしながら、ケトは尚も考える。
こんな小娘に、一体何ができるのだろう。すぐにエルシアに泣きついて話を聞いてもらいたくなったが、ぐっとこらえる。
きっとエルシアなら、答えを優しく教えてくれるだろう。でもこの問題に限っては、それではいけないのだ。自分で考えて、彼らに向き合うことに意味がある。そのためにも、いつまでもこんなところで座り込んでいる訳にはいかない。
まずは孤児院に戻ろう。そしてジェスに謝るのだ。何と言えば良いだろう。嫌な思いをさせちゃってごめんなさい? 逃げ出しちゃってごめんなさい? 言葉は戻りながら考えれば良い。
汚れた服を両手で払って、ケトは立ち上がった。周囲の建物に切り取られた空からほんの少し傾いた太陽が見える。もうお昼時を過ぎてしまった。急いだほうがよさそうだ。
「こんなところで何やってるんだ?」
声を掛けられたのは、そんな時だった。
「ほわっ……! ランベールさん……」
突然の声に驚いて振り返れば、そこにはギルドでよく見るお客さんの姿があった。剣と革鎧姿の冒険者。エルシアの話によると、とても凄腕の人らしい。何かの依頼の途中だろうか。
ぼんやりと見ていたのが気になったのだろう。ランベールが訝しそうに「ケト?」と名前を呼んだ。そうだった、自分は今質問されているんだ。
「えっと、ま、まよっちゃって、その……」
ケンカして飛び出して来たとは言いづらくて、ケトはとっさにそう答えた。彼はいつの間にいたのだろう。考え事に集中していて、全然気が付かなかった。
ケトの返事を聞いたランベールは、困ったように苦笑した。
「なんだ。勝手に出歩いたら駄目だって、受付さんに言われてなかったか?」
「う、うん。シアおねえちゃんにもごめんなさいしなくちゃ……」
それを言われると耳が痛い。確かにエルシアからは絶対に一人で出歩かないよう、口酸っぱく言われていたっけ。なんてことだ、ランベールにまで聞かれていたとは。
彼は、にっこりと微笑んで言った。
「そうだケト。俺達も同じ方向に行くんだ。せっかくだし送っていこう」
「ううん、道わかるし一人でもかえれるよ?」
答えてから、そういえばさっき「迷った」と言ってしまったのだった、と気付いた。まあいいか、帰り道が分かるのは事実だ。できれば考え事をしながら、一人で戻りたい気分だった。
そんなことを考えるケトの前で、ランベールは乾いた笑いを上げた。
「……すまない。それがな、そういう訳にもいかないんだ」
「うん?」
何を言っているんだろう? そういう訳とはどういう訳だろう?
言葉の意味がよく分からなくて、一歩こちらに近付いていたランベールを見ながら、ケトは首をかしげる。そういえば、さっきランベールは「俺達」と言っていなかっただろうか。 もしかして近くに仲間でもいるのだろうか。
本当は、少し疑問に思っただけだった。男をボケっと見上げながら、少女はしばらく気にしていなかった、龍の感覚に耳を澄ませてみる。
そしてようやく、少女は明確な敵意を捉えたのだった。
「……え?」
呆然とした声が漏れた。思い違いかと、もう一度感覚を研ぎ澄ませる。
間違いなかった。自分は今、周囲を敵意に取り囲まれている。それも一つや二つではない。自分の周りに四つ。ここから表通りへ抜ける道との境目に、二つ。
「……ランベール、さん?」
敵意を発する人間の一人を見上げて、少女は呟く。
「どうかしたか、ケト? さあ、こっちから行こう」
ランベールが、少女に向かってゆっくりと手を伸ばした。頑丈なガントレットに包まれた手が、ケトへと迫る。
「いやっ!」
反射的に身を引く。ケトの頭では理解しきれない感覚が、その手に掴まれることを全力で拒んでいた。
「あ、おい、ケト!」
「ひ、ひいっ!」
ランベールの声に驚き、振り返って足を踏み出す。こちらに道がないことは分かっていたが、このまま大きな手に掴まれることだけは嫌だった。
既に自分が囲まれているのは分かっている。
それでも、包囲の薄い部分がどこか、ケトには手に取るように分かった。不思議な感覚に導かれるまま、少女は脱兎のごとく駆けだし、迷わずボロ屋の柵を乗り越えた。
瞬間、あちこちで敵意が膨れ上がった。
「ちっ、なんで感づかれた?」
「お前、その娘を逃がすな!」
後ろで怒号が巻き起こる。ケトが走る方向、布で顔を隠した男が立ちはだかっていた。ランベールが言っていた仲間の一人だろうか。注意をその男に向ければ、敵意の中にも、恐れと罪悪感が感じ取れて、ケトは息をのんだ。
だからと言って、ケトにその男を打ち倒せる訳がない。相手は大人で、しかも鞘から抜いていないとは言え、手に剣を持っているのだ。足がすくむ。恐怖が少女の喉から声となって飛び出した。
「こないでええええ!!」
目の前の男が鞘に入ったままの剣を構える。「殺すな、生け捕りだぞ!」と誰かが叫ぶ。
視界一杯に覆面男の影が広がるが、ケトは自分の感覚を信じて駆け続ける。いや、まるでスタンピードの時のように、感覚に抗うこともできず、勝手に足を動かされていたと言う方が正しいかもしれなかった。
「このガキ! 止まれ!」
男が剣を振り上げる。フードの下の目と視線が合い、男の表情が緊張に歪むのが見えた、その次の瞬間。
「やめろおおおーーー!」
ケトの目の前で、横から小さな影が飛び込んだ。
まるで毬のように飛び込んできたそれは、男の横っ腹に突っ込んで、体勢を崩させる。
ギャッという悲鳴と共に男が転がる。ケトは無意識に手を伸ばし、男ともつれあって地面に転がる直前の少年を、無理やり引きずり起こす。
それもまた、龍の感覚が勝手に手を動かしただけだ。そのせいで心の準備ができていなかったケトは、目の前に少年の顔が現れたことに心底驚いた。
「ぬわっ!」
「うわあっ!」
「い、痛ってえ、何しやがる! 腕がちぎれるかと思ったぞ!」
強引に引き起こしたせいか、少年は痛みに顔を歪めた。「ごめん」という言葉は驚きの前に立ち消え、ケトは目を丸くして叫んでしまった。
「ジェス!? なんで……!?」
「なんでじゃねえよ! お前を探していただけなのに、どうなってるんだよこれは!?」
「……う、ううーー!」
そんなこと、ケトに聞かないでほしい。むしろこちらが聞きたいと、ジェスを涙目で睨みつける。言いたいことは山ほどあるのに、そのどれもが言葉になってくれない。
一方で、龍の感覚が目の前の純粋な思惟を指して、彼は大丈夫、と微笑むのが分かった。
どれだけ見つめ合っていただろう。実際には数秒のことだったのかもしれない。ジェスがガバリと後ろに目を向け、ランベールの方を見た。
「やっべえ! とにかく逃げるぞ、このポンコツ!」
ジェスが喚いて、ケトの手をむんずと掴む。そのまま、表通りとは反対の方向へ走り出す。
「ジェス! そっちに道ない……!」
「黙ってろって! 抜け道なんていくらでもあるんだから」
振り向けば、男たちがすぐ傍まで迫っていた。先頭のランベールと視線が合ってしまって、ケトはまた悲鳴をあげ、直後手入れの全くなっていない垣根に突っ込んで更に悲鳴をあげた。
垣根と垣根の小さな隙間を通り抜けるジェスから、「何やってんだ」と怒号が飛ぶ。
「ちょっ、ちょっと、はやいよ!」
「んな呑気なこと言ってる場合か!? どうするんだよあれ!?」
板塀の隙間に頭から飛び込む。こんなところに抜け道があるなんて知らなかった。大人の入れる大きさではない、と安心したのもつかの間、板塀の上から続々と男たちが乗り越えて来るのが見えて、また走り出す。
「はあっ、はあっ。そうだ、おいケト! お前魔法使えるんじゃないのか!?」
「へ? あっ!」
息の上がったジェスの言葉に、ケトははっとする。そうだ、魔法! どうして気づかなかったのだろう。怖い人はあれで追い払ってしまえば良いのに!
鍛錬をはじめたばかりのケトには、ロンメル曰く”単純な放出”しかできない。だが、直接当てなくても近くに打ち込んで、十分に驚かせることくらいできるはずだ。その隙に逃げれば良い。
「ジェス、止まって!」
覚悟を決めて、足を止める。くるりと振り向けば、男たちが細い路地を駆けてくるのがよく見えた。「来ないで!」と叫びながら、ケトは両足をぐっと踏ん張る。
右手を前に突き出し、左手は右手の手首をつかむ。とにかく、ケトの魔法のすごさを思い知ってくれたらそれでいい。焦りのせいで教わった内容はすっかり頭から抜け落ち、ただ”あっち行けと思ってピカッとやる”という彼女の元々のやり方で、文様のない魔法陣を展開させた。
周囲の空気が一気に乾く。腕に沿うように六重の円が輝き出す。一か所に収束を始めた空気の塊が密度を高め、荒れ狂った。キィィンという高い音は、その圧縮された水と、周囲の空気が擦れて巻き起こるものだと、ロンメルが教えてくれたっけ。
この手順が一瞬で出来るようになったのは、確かに鍛錬の成果かもしれない。
男たちまではまだ少し距離がある。しっかり狙いをつけなくては。
外すわけにはいかないが、もちろんケトに人が撃てるわけがなく、少しだけ上の方に手を向ける。
そのひと手間がいけなかったのかもしれない。その拍子にうっかり駆け寄って来るランベールの目を見てしまったのだ。
いつもの余裕を一切感じさせず、ピリピリとした刺すような目。その変化にケトが気圧された直後。
「!?」
ランベールの姿が視界からかき消えた。慌てて目で追ったケトに、龍の感覚が警鐘を鳴らす。それに戸惑った一瞬が命取りだった。
「魔法を使われたら敵わんのでな……」
目の前、低い姿勢で飛び込んできたランベールが呟く。一体どう動いたのか、ケトは目で捉えきれても対応できず、突然現れたその姿にギョッとした。
「ひっ!」
慌てて右手を男に向ける。間に合わない。魔法陣のまばゆい輝きをものともせず、男の長い腕がケトの細い手首を掬い上げ、腕を持ち上げられる。
慌てて魔法を解き放つ。衝撃とともに光の束が右手から照射されるが、その時には既にランベールがケトの懐に飛び込んでいた。狙いを逸らされた奔流が、空を斜めに焼き焦がす。
「魔法のことも話には聞いていたが、これほどとは思わなかったぞ」
「は、はなして……!」
力強く抑え込まれた手だが、ケトの怪力なら振りほどくことは容易い。
慌てて力を込めようとしたケトの首元に、ランベールが反対の手を回す。驚きに目を見開いたケトに、男が呟いた。
「……悪いが、こちらも仕事なんだ。少し眠っていてもらおう」
瞬間、男の手に魔法陣が展開する。見た目からは想像もつかない、半ば優しさすら感じられる力で、男に細い首を掴まれる。
「や、やめ……」
抗おうとした手から力が抜ける。踏ん張っていた足が急に重くなる。
目を見開いてランベールを見上げると、その向こうで放出されている魔法が、急激にしぼんでいくのが分かった。
「え、なに……?」
視界がチカチカする。急激に周囲が暗くなり、ケトの膝が崩れた。何をされたのか見当もつかない。世界がぐるぐると回りだし、自分がどこを見ているか分からなくなる。
「お、おい!? ケト!」
「騒ぐな、ガキ」
「て、てめえ、ケトに何をした!」
ジェスの声が聞こえる。助けてくれた彼を巻き込んでしまった。「逃げて」という叫びは声にならず、ケトには何もかも分からなくなる。
ちらつく視界の向こうで、焦げ茶の髪の少年が、がむしゃらに男へと飛びかかっていくのが見えたような気がした。




