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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第三章 看板娘は姉になる
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路地裏の攻防戦 その4

「わ、悪かったって。ムキになってただけだって」

「ようやく反省したわね! このちんちくりん!」

「ちんちくりんっていうのやめろ!」

「うるさい、あんたはしばらくちんちくりんよ!」

「ジェスはちんちくりんなの?」

「おい! ティナまで言い出したじゃねーか!」


 孤児院で育った子供たちにとって、この町は庭のようなものだ。どの路地が近道か、どの垣根が抜け道になるのか。こと裏道のことに関して言えば、彼らの右に出る者はいない。


 院長の指示の元、飛び出していったケトを探しに、チビッ子たちが町中に散らばっていた。

 決して一人にはならず、何人かの組を作って繰り出して行った彼らが、やけに慣れているように見えるのは気のせいではない。ケトに限らずたまに抜け出す子を探すことがあるから、彼らにとっても別段驚くようなことではないのだ。


 出遅れたジェスとサニーは、部屋の外で心配そうな顔をしているティナと合流してから、町へと飛び出した。

 さっきから、サニーがうるさいとジェスはうんざりしていた。ケンカを止めようとしただけの彼女に掴みかかったのは流石に悪かったと思うが、こちらも我慢の限界だったのだ。


 だが何故だろう。最近ずっと波立っていた気分が、驚くほど穏やかになっていた。

 怒りと悲しみを、寂しさと不安を、全部ぶちまけたからだろうか。


 あのエルシアとかいう女の顔を思い浮かべる。

 ジェス自身が滅茶苦茶だと分かっていた憤りを、顔色一つ変えずに聞いていた女。そして全てを聞き終わった後で、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめして来たその言葉が、驚くほど彼の心に響いていた。ぐちゃぐちゃの心に一筋の方向性をつけざるを得なかった。


 もしもあの時、エルシアが「皆も同じだから我慢しろ」などと言いだしたのなら、自分は決して認めるつもりはなかった。

 孤児院の皆が自分と同じ境遇にいることなんて百も承知で、それでも自分と父のことを”同じこと”で片づけられたくなくて、自分は意地を張っていたのだ。

 そんなお利口さんの答えで納得できる程、この苦しみは軽くない。


 ところがあの女は、皆が言う一般論を並べ立てた一方で、一つの感情を声高に主張しはじめた。その”寂しさ”こそ、ジェスが感じているものと全く同じ種類の感情だ。

 自分と同じ思いを持ち続けてきたあの女。それと向き合うため、エルシアは一つの答えを持っていた。


 ”ケト”という存在。それが、あの女の答え。


 当たり前のように、ケトを”贔屓(ひいき)”していると言った彼女に、ジェスは反論などできる訳がなかった。だってそうだろう。寂しくてたまらないのだ。彼女は家族が欲しかったのだ。自分と同じように。


 心の底から納得できたわけではない。自分が求めているのは新しい家族ではなく、もう戻らない父なのだから。それでも、”皆同じ”ことを、より実感したのは事実。ある種の諦めを感じているのは間違えようもない。

 ごちゃ混ぜになっていて、どうしようもなく乱れた気持ち。持て余すどころか、周囲にぶつけて、迷惑ばかりかけていたつい数刻前までの自分が、今ではよく分かる。


 あのエルシアとかいう女は、どう足掻いても好きになれそうにない。


 だが、認めるしかない。

 父が死んで早二か月。まだまだ引きずっているけれど、それは別として、ジェスは少しずつ今の生活に慣れはじめている。

 エルシアが言った通り、いつか自分も家族が欲しいと願うようになるのか、それはまだジェスには分からない。けれども、ジェスをねじ伏せた言葉は、現実を見ずに暴れまわるのはやめようと、そう思わせるくらいに彼を落ち着かせていた。


 ケトを見つけたら、何と言おうか。今でも間違ったことを言ったとは思っていないが、酷いことを言ったとは思う。それはやっぱり謝った方が良いだろう。


「ケトーーー! 返事してーーー!」


 隣でサニーが叫ぶが、返事はない。ティナがきょろきょろと周りを見渡しながら不安そうに言った。


「この辺にはいないのかな……」


 彼らは今になって、ケトと孤児院の外で遊んだことがないことに気付いた。彼女の行きそうな場所がさっぱり分からないのだ。


「冒険者ギルドと家の方はエルシアが見に行ってるしなあ。表通りも他の組が見に行っているみたいだし……」

「”さん”をつけた方がいい……。お姉さんだもん。きっと怒ると怖いよ」


 ジェスのぼやきにティナがふるふると体を震わせる。特に返事はしなかったが、ジェスも呼び方を直すことにする。さっき身をもって、あの女の恐ろしさを実感したのだから。非常に(しゃく)だが、確かにこれから気を付けた方が良さそうだ。


「ティナ、あんたケトとよく話してたけれど、何か思い当たることない?」


 サニーが困ったように眉を下げていた。いつも先頭をきって周りの子を引っぱって行く彼女にしては珍しい。うんうん悩んでいたティナは、やがてふと思いついたように「西町」と呟いた。


「前に言ってた。エルシアさんといっしょに住む前、西門の近くの空き家に住んでたことがあるって」

「西町……」


 サニーが渋い顔をする。あの周辺は打ち捨てられた家が多く、治安が悪い。孤児院の子ですら悪ガキが入り込んで院長先生に怒られるくらいで、あまり近寄らない。ましてや少女が一人で歩き回るような場所ではないのだ。


「一回戻ろう、私たちだけで行くのは危ないよ」


 ポニーテールを揺らして、サニーが呟いた。どこか自信のなさそうな声だった。


「でも、もし本当にそっちにいたらどうするんだよ。あんな危ない所に一人でいるかもしれないのに」


 その声が背中を押させたのかもしれない。気付けばジェスはそう言っていた。


「少し様子を見て、危なければすぐ戻ってくればいい。このまま戻るより、少しでも何か分かった方がいいじゃないか」


 考え込むサニーに畳みかけるように、ティナが袖を引っぱった。


「私も見に行きたい。ケトぼんやりしているから、もしかしたら帰れなくなっているかも」

「あんたが言うなって」


 サニーが苦笑して、袖を掴んでいたティナの手を握りなおした。


「ちょっと様子を見るだけにしよう。それで見つからなかったら院長先生に報告に戻るってことで」

「だな」


 子供たちはそれぞれ頷き、一番の近道である細道へと駆けこんでいった。


―――


 手が、小刻みに震える。

 ジェスはそれを、武者震いだと強がることすらできなかった。


 生まれて初めて感じる、命の危険。それは怖いなんて軽いものではなく、体の芯から怯えすくませる程の緊張感を伴っていた。

 それでも、後ろにいる二人の手前、ジェスはへたり込む訳にはいかない。


「いいから、二人とも早く戻れって」

「だ、だってあんたはどうする気よ!?」


 サニーが青ざめた顔で詰め寄るが、それを落ち着かせるほどの余裕はジェス自身にもない。精一杯の虚勢でも、声が震えるのを止めることができなかった。


「あれをほっとけるかよ! いいから早く、院長先生に伝えてくれって!」

「だ、ダメ。もどるならみんないっしょに……!」

「ティナの言う通りよ!大人たちを呼んで……」

「あっ、やべえ! 変な連中動き出してるじゃねえか! サニー、ティナを頼んだかんな!」

「あっ! ちょっとジェスのバカ!」


 小声で叫んで、ジェスは隠れている路地裏からそろりと抜け出した。

 幸いにも、連中はまだジェスの存在に気付いていない。きっと奴らはこちらに抜け道があることを知らないのだ。彼らは表通りの方ばかりを警戒していて、こちらへの警戒が薄い。その隙をついて進むしかなかった。


 背後の女の子二人が、一瞬の逡巡(しゅんじゅん)の後、(きびす)を返して来た道を戻っていくのが分かる。そのことに安堵を覚えながらも、ジェスは悪態を吐いた。


「何やっているんだよ、あいつは……!」


 彼の視線の先で、アッシュブロンドの少女が、布で顔を隠した男達に取り囲まれていた。

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