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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第三章 看板娘は姉になる
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路地裏の攻防戦 その3

 思えば、ケトの周りの人たちは、自分の感情をありのまま示すことが少ない。


 例えばガルドス。昔は悪ガキだったと言う話が信じられない程に、彼は落ち着いて物事を考えられる大人だ。ミーシャだって明るく陽気に見えて、しっかり周りが見えている。最近になってよく話すようになったランベールから、何か悲しそうな、変なもやもやを感じることがある。


 これが普通の人の感覚なのか、ケトにはよく分からない。

 例えばエルシアと話をしながら、時に何か膜に覆われたような感覚を、時に愛おしく甘やかな感覚を感じ取れるのは龍の力のお陰なのかもしれないと、漠然とそんなことを思うことがある。


 つまり何が言いたいのかと言えば。

 ケトがこれほどまでの激情を直接ぶつけられたのは初めてだということだ。


 二歳年上だという少年ジェスは、ケトをまっすぐに睨みつけていた。

 感情のうねりが波となって襲い掛かってきて、少女にはどうすれば良いか分からない。必死に押し込めてきた感情が形作る言葉は、ただただ怖い。そう思った。


「何とか言えよ!」

「べ、別にそんなつもりじゃ……」

「ジェス、あんた言っていいことと悪いことがあるでしょ!」

「じゃあ何だよ、見せつけられるのを黙って我慢してろって言うのか!」


 ケンカが始まった時、食堂にサニーとティナ以外いなかったのは、もしかしたら救いだったのかもしれない。止めに入ったサニーでさえ、少年のえらい剣幕に押されているところを見ると、ケトはもうたじたじだ。


 しかし、ケトにだって言いたいことはある。自分のことをよく知りもしない癖に、随分と言ってくれる。そう思ってしまうのも事実だった。

 彼の感情に当てられて、ふつふつと湧いて来た腹の内を、恐る恐る外に出してみる。


「み、見せつけてないもん!」

「じゃあどういうつもりだよ。毎週こうやって”おねえちゃんが、おねえちゃんが”って言いに来てさあ! 自慢したいなら他所でやれよ!」

「えっ……?」


 必死に言った一言に、間髪入れずに言い返され、ケトは目を白黒させた。

 まるで頭を殴られたような気分だ。何を言われているのか分からない。

 自慢? 一体何を自慢したと言うのか。自分はただ”シアおねえちゃん”の話をしていただけで……。


 まさかそれがいけなかったのだろうか。そこまで言われてようやくケトは考えが至った。

 そう、ここは孤児院。親なし子が集う場所。エルシアから最初に聞いていたではないか。


 ケトの両親はもういない。でも、ケトには”シアおねえちゃん”がいる。

 ジェスのお父さんももういない。そしてジェスには”シアおねえちゃん”もいない。

 サニーはどうなんだろう? ティナは? 皆にも”シアおねえちゃん”はいない。ケトが誰よりも縋ってしまう”姉”がいない。


 それを考えると、ジェス達に対して、ケトは無意識に酷いことをしていたのではないだろうか。家族のいない少年が、自分には存在しない家族の話を聞いてどう思うか。気付きさえすれば、その気持ちが分からぬ程、ケトは鈍くない。


「ふざけんじゃないわよ!」


 突然響く大声に、ケトの肩がビクリと震えた。慌てて視線を向ければ、怒りに顔を真っ赤にしたサニーが、ジェスに躍りかかっていた。


「あんた! 自分がどれだけ酷いことを言ったか分かってる!?」

「うるさい! みんな言ってたんだよ、ケトって奴がとんでもない力を持ってて、皆を守ったんだって! なのに、そいつは父さんを守ってくれなかった!」


 赤髪の少女と、濃茶の髪の少年が、滅茶苦茶に拳を振るう。互いの髪を掴んで、振り回す。当事者のはずのケトは見ていることしかできない。


「ずるいじゃないか、ずるいじゃないか! 力を持っているのに父さんは助けてくれなくて! それなのにこいつには姉貴までいて! こいつばっかり良い思いして!」


 少年の悲痛な叫びが、ケトを揺さぶる。思わず耳をふさぎたくなったが、まるで手が石になってしまったように動かなかった。


 確かにジェスの父はあの戦いの中にいたと聞いた。

 だが、ケトの記憶ではその姿を見た覚えがない。自分が戦場に飛び込む前にやられてしまっていたのではないかと、ロンメルが常連さんと話しているのを聞いてしまったこともある。


 もしかして。

 もしかして、ケトがもっと上手くできれば、ジェスはまだ、お父さんと一緒にいられたのだろうか。ケトがエルシアと一緒に孤児院に来さえしなければ、ジェスは傷つかなかったのだろうか。


 思うところはある。言いたいこともある。

 だが、サニーのような怒りが、ケトにはどうしても湧かなかった。

 それは、ジェスが叫ぶその度に、彼自身が傷ついていくのが”視える”から。その原因が、力があるのに使いこなせない自分にあることも分かるから。

 あの時、どうしたら良かったのだろう。これまでは町を守ってくれてありがとうと、皆からお礼を言われるばかりだったから、それでいいと思っていた。こんなことに思い至るのははじめてだった。


 口をパクパクさせて、でも何も言い返せなくて。

 だから、ケトは(きびす)を返して食堂を飛び出した。今だけは、とにかくジェスの目の届かない所で小さくなりたかった。


「ケト!」


 少年と取っ組み合ったままのサニーがギョッとした顔で少女を呼び止めたが、無視して廊下を駆け抜ける。アッシュブロンドの髪をなびかせて、ケトは孤児院の玄関から飛び出した。


―――


「一体何があったのよ、これは……」


 食堂に入るなり、エルシアは唖然とした。

 倒れた椅子に、木のカップが机から転がり落ちている横で、ジェスとサニーが互いににらみ合っていた。二人とも髪はボサボサ、服の裾は破けているし、酷い有様だ。


「これはまた、随分暴れたねえ」


 にっこりと笑った院長が、二人に声を掛ける。その笑顔に騙されてはいけない。院長の雷はとんでもなく恐ろしいのだ。


 大人たちを見るなり不貞腐(ふてくさ)れたようにそっぽを向いたジェスとは対照的に、サニーは途方に暮れた顔をしていた。


「エ、エルシアさん。ケトが……。どうしよう……」

「ケト? あの子はどうしたの?」


 見渡しても、ケトの姿が見当たらない。エルシアが急速に不安になる中、ティナが院長のエプロンの裾を掴んで、固唾を飲んだように見守っていた。


―――


「……」


 心のどこかで、考えついていたことだった。

 その上で、甘えていたことだった。


「シア……」


 急いでケトを探さなければいけない。あの子を一人で出歩かせるなんて、どんな危険があるのか分からないのに。

 院長が心配そうな顔をエルシアに向けている。それを認識しながら、エルシアは考えることを止められない。


「何とか言えよ!」


 最初こそジェスの首根っこを掴んでいた院長だったが、途中からその手を放していた。

 その判断は正しい。だって彼は悪いことを何もしていないのだから。これ以上なく正当で、切実な訴えを口にしているだけなのだから。


 綺麗ごとを並べて生きるには、エルシアはこれ以上なく無力だ。全てを拾うことなんて、絶対にできる訳がなくて、だからこそ、エルシアはケトを選んだのも事実で。


「どうせ、あいつだけ特別扱いなんだろ! 強くて、町を救った英雄だから!」


 堰を切ったように溢れだす、親を亡くした子の叫び。エルシアにはその気持ちもまたよく分かる。それは、幼い頃のエルシアが上げた悲鳴でもあるのだ。


「先生……」

「シア?」

「ごめんなさい、皆にお願いして、ケトを探してもらえない? 私もすぐに追いかけるから」


 大丈夫かい? と問いかける院長先生に、頷いて見せる。しばらくじっとエルシアの顔を見つめていた院長は、やがてため息を一つ吐いた。


「分かったよ。もしもどうにもならなくなったら、私に声かけなさいな」

「ありがとう」


 そのやり取りで、ジェスが傷ついた顔をする。やはり、院長ですら自分より少女を選ぶのだと悟った表情をする。その彼に、院長は声を掛けた。


「ジェス。それからサニーも。後でみっちりお仕置きするから、絶対に院長室まで来ること。分かったね」


 言葉とは裏腹に、院長のその瞳は柔らかい色を湛えていた。もっとも、その言葉の中に皆大事な子供なのだという意味がこもっていることは、エルシアくらい歳を重ねてようやく分かることだけれど。


 ティナを引き連れて、院長が食堂から出ていった。この場を任せてくれたことに感謝しながら、エルシアは少年に向き直る。


 正論を叩きつけられた人間がとれる手段は少ない。それは今のエルシアも同じ。

 だから、エルシアは叩き潰すことを選んだ。かつて自分を生き延びさせた、血も涙もない暴論で。


「ジェス、聞きなさい」


 静かな声でも、少年は諦めたように口を(つぐ)む。それだけで、エルシアには彼がごちゃごちゃした心に回答を出すことを求めているのだと分かる。大人だな、とそう思う。


「ケトは、お母さんもお父さんも失った。貴方と同じようにね」

「……」

「ここに居る子は、皆同じ。貴方だけじゃない。皆が皆、家族を失っている。貴方だって良く知っていることでしょう?」


 エルシアを睨む目は、鋭さを失わない。むしろ一層目を吊り上げたようにさえ思える。当然だろう。彼のもっとも嫌悪する答え方をしているのだから。


「それは私も同じ。私は母に捨てられて、ここに来た。沢山泣いて、沢山憎んで、沢山暴れた。助けようとしてくれた手を全て振り払って、誰も信じないようにしていた。だって信じた人がいなくなったら、こんなに苦しいことはない。なら、最初から誰も近づけない方がマシだわ」


 そこで初めてジェスの瞳が揺れる。貴方だってそうでしょう? とエルシアはひとつ頷く。


「でもね。本当は、心の底のその奥では、とっても寂しかった。ドアの向こうから足音がする度に、母が来たんじゃないかと思って、ドアが開くたびに母が開けたんじゃないかと思って、そっちを見た。……そんなこと、ある訳ないのにね」


 サニーが瞳を震わせる。彼女もまた、心当たりがあるのかもしれない。こんなものは、どこにでもある救いようのない話でしかない。

 そういえば、こんな話はガルドスやミーシャにだってしたことがない。きっとあの二人にはお見通しだったのだろうけれど。


「ただね、人間って慣れるものなのよ。嫌だ嫌だと抗っているのに、ふとした拍子に母の顔を、声を思い出せなくなっていることに気付く。そしてそのことに寂しさを覚えながらも、いつの間にか背が伸びた自分に気付く」


 エルシアのことを”ちんちくりん”とガルドスは呼ぶ。

 その通り、エルシアにだってちんちくりんの頃はあった。泣いて、喚いて、身の程を知る前の、文字通りのちんちくりんがそこにいた。実際、今でも本質は変わっていないけれど。


「……どこかでずっと寂しさは消えないままどんどん自分は大きくなって。そして、ある時思ったのよ。家族が欲しいなってね。もう子供ではないから、お父さんやお母さんは作れない。じゃあ、自分がなるしかないじゃない」


 ジェスの瞳が揺れる。

 エルシアの言葉は、彼の未来をなぞっているように聞こえるだろうか。エルシアはすうっと目を細める。いくら幼い正論を突き付けられたって、高ぶる感情は別の問題だ。幾分低い声で、エルシアは言う。


「貴方、言ったよね。ケトが”特別扱い”されているって」


 ジェスの目が鋭さを取り戻した。さあ、これがエルシアの答えだ。存分に受け取ると良い。自嘲の笑みを浮かべて、彼女は言い放った。


「その通り、良く気付いたわね。私はケトを特別扱いして、贔屓(ひいき)しているわ。だって当然でしょう? ずうっと寂しかった私が、ようやくつくった、たった一人の家族だもの」


 つかの間、静寂がその場を満たした。


「……なんで、あいつなんだよ」


 ポツリと漏れた言葉は、ジェスの素直な想いだったのだろう。

 彼は別にエルシアに拾われたかった訳ではない。けれど、ケトが持っていて自分が持っていないものが何か、どうしても知りたいのだろう。

 その答えも簡単だ。酷く身勝手な、エルシアの答え。ジェスも、そしてケトも望んでいないであろう答え。


「あの子に、力があったからよ」


 ジェスの瞳に、諦めの光が見えた。

 ああ、結局それかよという、挫折の色。「くそったれ」と動く口にかぶせるように、エルシアは言葉を紡ぐ。ロクでもない勘違いなどさせるつもりはなかった。


「あの子の力が、あの子を殺す呪いになるから。だから私はケトを選んだの」


 理解できない言葉に、ジェスが目を瞬かせる。

 エルシアの言葉の意味など、彼に分かるはずがない。それでも気にせず、エルシアは続けた。


「私がそうだったように、ケトはいつか、自分が持たされた力に殺される日が来る。そのいつかから、ケトを守りたい。そう願ったから、私はケトの”姉”になったのよ」

「……守る?」


 混乱したように、少年が呟く。


「そう、あの子の力に守られるんじゃない。私が、ケトを守るの」

「……意味わかんねえ」


 途方に暮れたような顔を見て、エルシアは表情を緩めた。

 ああ、何て大人気(おとなげ)ないのだろう。傍から見れば、自分は子供相手に意地になって暴論を振りかざしただけ。良い大人が聞いて呆れる。

 でも、彼が欲しかった言葉もまた、伝えられたはずだ。これで少しは、真摯に向き合えたことになるだろうか。肩から力を抜いて、エルシアは続けた。


「当たり前でしょ。こっちは貴方よりずっと生きた上で出した結論だもの。聞いたくらいで分かると思わないことね」


 今度こそ、ジェスは「くそったれ」と悪態を吐く。その言葉に棘が抜け、幾ばくかの諦めが含まれているのが分かって、エルシアは内心安堵のため息を吐いた。

 彼はきっと納得していないだろう。本当は暴れたいのだろう。でも、それを押さえるだけの強さを持った子だ。


「さてと。大分時間食っちゃったわね。ジェス、貴方にもケトを探してもらうわよ」

「えっ? 何で俺が!」


 驚いたように食って掛かった少年のこめかみに、エルシアはグリグリと拳をくらわせた。


「貴方のせいでケトが飛び出しちゃったんだから、探すのが筋ってもんでしょう!」

「痛え痛え! なんだこのおばさん!」

「誰がおばさんですって!? 私はまだ十八よ!」


 サニーが終始度肝を抜かれたような顔をして、エルシアを見ていた。

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