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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第三章 看板娘は姉になる
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路地裏の攻防戦 その2

 冒険者ギルドの職員には、週に一度の安息日の他に、月に一度自分の希望の日を休みにすることができる決まりがある。

 エルシアにとって、春の終わりのその日が、丁度そこに当たっていた。

 みんな働いている中で自分だけ休みというのは、ちょっと申し訳ないような、それでいてちょっと得したような、何とも不思議な気分だ。せっかくなので翌日も休みにしてもらえないだろうか。


 そんな休日は、ケトを連れて孤児院を訪れるのが定番になりつつある。

 今日も今日とて、少し気の早い太陽が初夏の日差しを投げかける中、エルシアははしゃぐケトと手を繋いだ。


 どうやらケトはこの間、サニーとティナと三人で本を読む約束をしたようだ。

 この短期間でぐんと伸びたケトの読み書きの力は、エルシアから見ても驚異的なものだった。今の彼女なら、絵本の一冊や二冊なら簡単に読めるはずだ。


「あとねあとね、今日は、サニーとティナにねこさんを見てもらうの!」

「そうねえ、あんなに頑張ったんだから、二人をびっくりさせないとね」


 ケトは自らのワンピースの胸元に輝く刺繍に触れて、花開くような笑顔を浮かべていた。


 白糸で縫い付けられた猫は、ケトの渾身の作品だ。

 旅用のカバンに縫い付けた刺繍をケトがいたく気に入ったのが切っ掛けで、エルシアはことあるごとに同じ白猫の刺繍をあちこちに施していたのだ。元々はエルシアの遊び心だったのだが、最近はケトのトレードマークになりつつある。

 ケトは自分の持ち物に刺繍が増える度に、猫さん猫さんと喜んでいたが、やがて自分でも縫ってみたいと言い出した。


 当たり前だが、刺繍は袖を繕うのとは訳が違う。大苦戦して何度も失敗したケトだったが、それでも昨日、やっとの思いで白猫の刺繍を完成させたのだ。


 通りを歩きながら、道沿いの道具屋のご主人にご挨拶。近くの八百屋さんのマチルダのおばちゃんには手を振り返す。最近よく見る旅人とすれ違ってから、左に曲がると見慣れた建物が見えてきた。

 

 エルシアの手を放したケトが、一目散に駆けていく。後について歩きながら、エルシアは白塗りの壁を見上げた。

 あちこち塗装が剥げて、上からペンキを塗り足した跡が残る白壁。

 窓枠に白いペンキが点々と散っているのは、昔、ガルドスと二人で刷毛を振り回して、ペンキを飛ばした跡だ。後で院長先生にこってり怒られたっけ。


「いらっしゃい!」

「こんにちは。サニー、ティナ!」

「まってた、ケト」


 待ちきれないように飛び上って、少女が呼び鈴を鳴らせば、サニーとティナが飛び出してきた。三人できゃあきゃあ言いながら、手を繋いでくるくる回る。


「行ってくるね、シアおねえちゃん!」

「ええ、行ってらっしゃい」


 手を取り合って食堂へと駆けていく三人を見送って、エルシアは笑った。まるで娘を見送る母親の気分だ。おっと訂正。娘を見送る姉の気分だ。


 さてと、と呟いて、エルシアは院長室へ向かう。見慣れた廊下を歩き、傷だらけのドアをノックすれば、いつも通りの優しい声が出迎えてくれるのだ。


「先生、エルシアです」

「あら! よく来たねえ、シア」


 エルシアにとって、孤児院のダリア院長はもっとも世話になった人である。

 産みの母に捨てられて何一つ分からず途方に暮れていた自分に、生き抜くための知識と、考える時間をくれた人。辛いときに抱きしめてくれる人。何の気兼ねもなく話ができる数少ない人。誇張でも何でもなく、エルシアにとっての命の恩人だ。


 ケトと接するとき、エルシアはよくこの人のことを思い浮かべるものだ。

 先生ならどうするだろう、先生なら何と言ってあげるのだろう。それを考えれば、故郷を失くした少女への接し方も自ずと決まる。


 きっと母親というものは、こういう人のことを指すのだろう。そんなことを考えて、エルシアは少しだけ赤面した。自分ももう十八歳。成人した大人が一体何を言っているのだろう。


 孤児院を出てから六年が経つが、エルシアは事あるごとにダリアの元を訪れていた。

 他の人には言えない事を愚痴(ぐち)ったり、他愛(たあい)もない話をしたり、孤児院の手伝いをしたり。今日もエルシアのおしゃべりタイムの始まりだ。


「そっか。もうすぐ蚤の市だっけ」

「今年はほら、スタンピードがあったでしょう。本当は先月に行う予定だったんだけど、延期になったからね」


 話題に出るのは蚤の市のことだ。年に一度催されるブランカの蚤の市だが、今年はスタンピードのせいで延期していたという話はエルシアも聞いていた。

 蚤の市では様々なお店が大売出しをするだけでなく、普段は商売をしない人もその日ばかりはこぞって手作りの品を売り出すことができる。それは孤児院も例外ではない。


「今回、うちの孤児院は出店するの?」


 おんぼろのソファに沈み込んで、白湯をすするエルシアが聞く。


「そうさねえ……。町の復旧に回っているせいで、今は空き家にも資材がほとんど残っていないと子供たちが嘆いてるよ。毎年出ているし、今回も出たいのは山々なんだけれど……」


 困ったように笑う院長の言葉に、エルシアは表情を曇らせた。魔物の襲撃はこんなところまで余波を残している。こんな騒ぎの後だから、人々の財布の口も堅そうだ。

 ところがダリアは、その後すぐににっこりと笑顔を浮かべた。


「そんな状況だから、元手が少なくても作れるワッペンでも作ろうかと思って。せめて子供たちにも市の雰囲気を味わってもらいたいじゃない?」

「ワッペン?」


 首をかしげるエルシアに、ダリアは部屋の隅の箱を指さした。蓋が開いたままの木箱には、こんもりと山のように積まれた布が入っている。


「昔ここにいた子で、今は裁縫用品を取り扱っている子がいてねえ。その子が布の切れ端をよく譲ってくれるんだよ。繕い物にどうぞってね」

「なんてありがたい」


 エルシアが頷く。材料があるのなら、小さなワッペンぐらい沢山作れそうだ。元手が少なくても良いと言うのは、これ以上ない魅力である。

 まあ、復興中の町でワッペンが売れるかどうかは別の問題ではあるが。


「ねえ、先生。今年もまた手伝いに来てもいい? できれば、ケトにも皆と一緒に楽しんでもらいたくって」

「もちろんだとも。仕事の忙しくないときでいいから、いつでもおいでな」


 ありがとう、と答えたエルシアは、落ち着いた優しい微笑みを浮かべた。それを見た院長は、表に出さなくともほっと安心する。


 初めてケトを連れてきた時、院長はエルシアを一目見て、ひどく身構えているのが分かった。エルシアは打たれ強いが、へこむ時はへこむ。べっこりとへこむ。院長も随分と心配したものだ。だが、この様子なら大丈夫だろう。


「……ケトとは、とっても上手くいっているみたいね。他の子たちともよく馴染んでいるみたいだし」

「え、あ、うん」


 ダリアの言葉に、娘が目を丸くしたが、すぐにはにかむような笑顔を見せる。


「……えっと、その、先生のお陰だわ。相談して良かった」


 恥ずかし気に俯いて礼を言うエルシアは、十八歳という年齢より、少し幼く見えるような気がした。

 ダリアはその表情のことをよく知っている。別に彼女に限った話ではないが、孤児、特に親のことを覚えている子が、時折見せる表情なのだ。


 本当は、もっと子供のように甘えたい、でも、どうやって甘えればいいのか分からない。もしも拒絶されたらどうすれば良いか分からない、怖い。

 素直になれない不器用な子たちが、たまに見せる心からの笑顔。彼女たちの精一杯の甘え方だ。


 元々、美しさと可憐さを併せ持つ容姿の子だ。そんな彼女からはにかんだ笑顔を見せられた日には、同年代の異性は心を奪われて当然だろう。

 まったく、よりにもよってなぜこの子に、とダリアは思う。

 時にその容姿を武器にして生き抜いて来たエルシアだったが、場合によっては人の記憶に残る容姿が、彼女にとって命の危険をもたらすことだってあるはずだ。

 その点では、ケトのアッシュブロンドも同じだ。遠目に見ても目立つ銀。あれが彼女たちにとって牙を剥かなければ良いのだが。


 どのくらい時間が経ったのだろう。他愛もない話をしていると、あっという間に一刻は経ってしまう。気兼ねなく話せる数少ない場だからか、エルシアはいつも時間が経つのを忘れてしまうのだ。前回だって、それで長居しすぎてしまったのに。

 ケトはちゃんと本を読めただろうか。そうだ、今度行商人が来た時にでも、絵本がないか聞いてみよう。もし扱っているなら、一冊買ってあげるのも良いかもしれない。


 そんなことを話している時だった。

 突然ドアがバンバンと大きな音を立てて叩かれる。驚いた二人が振り向いた瞬間、返事も待たずにドアが開かれた。ドアの前で立っていた女の子がおろおろとしながら、院長に駆け寄る。


「あらあら、どうしたのティナ」

「ど、どうしよう! せんせい!」

「大丈夫よ。まずは落ち着いて、何があったか教えて?」


 涙目のティナに、しゃがみこんで目線を合わせた院長が優しく問いかける。黒髪の少女は混乱しきった表情で、それでも何とか説明しようと、声を上げた。


「えっと、ええっと、ケトとジェスがケンカしちゃったの!」

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