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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第三章 看板娘は姉になる
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はじめてのともだち その8

「それなら、こちらの金額の一部を回せばいいのでは? 壊された畑と倉庫分には別に費用があたっているんでしょう。他に直すものと言ったら、壁の外の木柵がほとんどなんだし」

「うーむ、防衛用の設備費はケチりたくなかったんじゃがの……。背に腹は代えられぬか。……エルシア、すまぬがこれでもう一度試算してみてくれ。急がんから、明日また教えてくれんか」

「了解」


 所狭しと数字が書き込まれた藁紙を放り出して、エルシアとロンメルは二人そろって深いため息を吐いた。


 撃退に成功したとはいえ、スタンピードは町のあちこちに爪痕を残した。応急的な復旧作業こそ終えたものの、完全に元の町に戻すためにはまだまだ沢山の金が要る。


 エルシアがケトと旅に出る少し前、ギルドマスターであるロンメルは、町の有力者に交じって、王都インぺリアに向かった。

 王都への報告義務はもちろん、復旧費用の協力や、今年の減税の要請など、話し合わねばならないことが数多くあったのだ。

 幸いにも、この町をはじめとした広大な地域は、この国の宰相を務める、カーライル王国筆頭公爵家アイゼンベルグの領地であった。多忙だという公爵閣下に会うことこそできなかったが、そのご子息が気を利かせてくれたそうだ。人格者だという噂の通り、ブランカは短い期間でかなりの支援金を取り付けることができた訳である。


 ロンメルが良い知らせと共にブランカに戻ってからというもの、冒険者ギルドに割り振られた支援金をどう使うか、ロンメルやエルシアをはじめとした数少ないギルド職員は頭を悩ませていたのだ。

 数日続いた打ち合わせもこれでひと段落だ。とりあえず、これで金銭面での目途を付けられたことになる。迎撃に当たった冒険者への報奨金も含め、スタンピードに関わる支払いも何とか滞らずに済みそうだった。


 すっかり冷めてしまったお茶に手を伸ばしながら、エルシアはカウンターの中から白銀の少女を探す。

 ケトはロビーの丸机の一つに陣取って、カリカリと羽ペンを振るっているところだった。テーブルには、文字がいっぱいに書かれた藁紙があちこちに散らばっている。根を詰めているのは良いが、もう少ししたら一休みさせた方がいいかもしれない。


 孤児院から戻ってからというものの、ケトの成長速度は目を見張るものがあった。

 本人曰く「ドーンのあと、いろんなことをわすれなくなった」そうだが、それにしては、絵本のことを知る前と後では、覚え方の差が大きすぎる。

 例え人知を超えた記憶力を持っていたって、興味がなければボロ雑巾ほどの役にも立たない。やはり本人のやる気こそが大切なのだと、エルシアは実感していた。


「しかしのう。お前さんも、すっかり”姉”が板についてきたの」


 ロンメルもお茶をすすりながら、勉強中の少女を見て目を細めていた。


「まさか。毎日いっぱいいっぱいなのに」

「その割には楽しそうじゃな」

「えっ、それは、まあ……」


 思いもよらぬ言葉を掛けられたエルシアは目を丸くした。楽しそう? そんなに顔に出ているだろうか。

 思わず見つめたロンメルの目にからかう色はない。何だか猛烈に気恥ずかしくなって、顔が熱くなってしまった。確かに考えてみれば、他人への好意を、繕いもせず表に出すのはケトが初めてかもしれない。

 もっとも、エルシアはそのことに居心地の悪さは感じなかった。確かに素直に言葉と表情に出すことの心地よさは何物にも代えがたい。

 フォッフォッと笑いながら、ロンメルがケトの方へ歩いて行った。羽ペンをとって紙の端に何か書きつけると、ケトに見せている。ペンの持ち方でも直してやっているのかと思っていたら、どうやらただの落書きだったらしい。ケトがケラケラと笑い始めた。


「なんだよ、照れてんのか?」


 少しばかり暖かくなった心で少女の横顔を眺めていたら、突然横から声がかかり、エルシアは飛び上った。


「うわっ! ……なんだガルドスか」


 慌てて振り向く。視線の先で、口をへの字に曲げた幼馴染がこちらを座った目で見つめていた。


「なんだとはご挨拶だな。さっきから呼んでたじゃないか」

「嘘? 全然気づかなかった。ごめんごめん」


 いつからそこにいたのだろう。緩んだ頬を見られただろうか。そそくさと視線を戻して、受注中の紙の束から、依頼用紙を引っ張り出した。


 彼が受けていたのは最近増えてきたコボルトの討伐依頼。大規模な戦闘の後には死体を漁るコボルトやガーゴイルのような魔物が数を増やすせいでよく見る依頼だ。魔物の死体はすべて処理済み。もう少ししたら、この依頼もなくなるだろう。

 今日の彼はノルマに加えて二匹分を狩ってきていた。この間の魔物の巣の偵察依頼といい、しっかりと結果を出してくるあたり、流石は腕利きと言ったところだろうか。

 そんな内心を知ってか知らずか、そろばんをはじく受付嬢に、ガルドスが声をかける。


「ケトのやつ、何書いているんだ?」

「字を練習しているのよ。えっと、これ二匹上乗せ分ね」

「おう。なるほど読み書きかあ。懐かしいな」


 どこか懐かしむような表情のガルドスを、エルシアは胡乱(うろん)な目で見上げてやった。


「貴方ずっと、勉強嫌だって逃げ回ってたじゃないの。私まで巻き込んでさ」

「おう。先生に叱られるまでがセットだったな」


 勉強を抜け出したガルドスに付き合わされ、当時のエルシアはよくえらい目に合ったものだ。据わった目で見据えながら、エルシアは羽ペンを乱暴にインク壺に押し込んだ。


「ああ、そうだ。そんな脳筋のガルドス君にお願いがあるんだけど」

「なんだ、ちんちくりん」

「ケトに稽古をつけてやってほしいのよ。剣術と体術。どうせこの後暇なんでしょう?」

「誰が暇だ、誰が」


 とりあえず言い返すだけ言い返した大男は、そのまま目をしばたたかせた。しばらくそうしていた彼の目がすっと細まると、看板娘に探るような視線を向ける。


「お前、前にケトと模擬戦やろうとした時は怒ってたじゃないか。『当分ケトには剣を持たせるな!』とかなんとか言って」

「そりゃあそうよ。あの時のケトはまだ人様の娘だったんだから」

「なんだよ。今は違うとでも言いたげだな?」

「その通り。ケトは私の妹。何を教えようとも、誰にも文句は言わせないわよ? 身に着けておいて損はないでしょ、護身術は」


 荒っぽく息をついたエルシアに、ガルドスはやれやれと肩をすくめた。長い付き合いだから、エルシアが何を言っても退かないことが分かったのだろう。


「分かった分かった。俺もあの腕っぷしは見習いたいからな」


―――


「で、なんでお前らが見てるんだよ」

「目の前で稽古の話をされたら、儂も気になるからのお。なんでもお前さん、この間は、無様にふっ飛ばされたそうじゃないか」

「いや、馬鹿力だと聞いていたしな。せっかくの機会だ、見たっていいだろう?」


 木剣を握ったガルドスが、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。中庭にずらずらと並んだ暇人たちに胡乱(うろん)な目を向ける。ロンメルしかり、ランベールしかり、人を見世物かなにかと勘違いしているのではないだろうか。


 特にギルドマスターが見ているのは心臓に悪い。

 数年前、孤児院を出たばかりの悪ガキだったガルドスに剣術を叩き込んだのはロンメルだ。実際、今のガルドスが冒険者としてある程度の実力を持てているのは、当時叩き込まれた基礎がきちんとしていたからに違いない。


「久しぶりにお前さんにも稽古をつけてやらんといけんかもしれんからのお」


 楽しそうに笑うロンメルに、ガルドスは顔を引きつらせる。変な癖でもついていたら地獄の特訓が待っているはずだ。


 そのころ、エルシアは膝をついてケトにあれこれ言い聞かせていた。


「いい、ケト。これからやることは、とっても危ないことなの。普段は絶対に人に向かってやっちゃダメなことよ」

「うん」

「木剣を持つときは、ガルドスの言うことをきちんと聞きなさい。間違っても無闇に振り回すものではないから」

「わかった」

「でもね、ケト。それでも教えるのは、貴女が危ない目にあった時のためなの。本当に必要だと思った時には躊躇しないで。剣が折れたって、相手をふっ飛ばすことになったって、迷わずにぶっ叩いてやりなさい」

「ん」

「よし、そしたら木剣持って……。刃は必ず下に下ろしておくこと。そうそう。組み合いを始めるときにはじめて相手に向けるのよ? それ以外は絶対に人に向けちゃダメ」


 エルシアがケトの両手を握って、木剣の柄を握らせていた。小さな手には柄が太すぎるような気がしないでもない。


「おい、エルシア。そろそろいいか?」

「脳筋は黙ってて。大事なことなんだから」


 ひとつひとつ丁寧に伝える看板娘と、ひとつひとつ律儀に頷く小さな女の子。教えていることにいくつか物騒な点があるのは気になるが、確かに大事なことだ。少女の怪力で剣を町中で振り回されたらとんでもないことになる。

 もっとも、ケトが本当に分かっているのかは微妙なところだ。それこそエルシアがケトを危険な場所に行かせる訳もなし、いざという時の心得という意味ならこのくらいでもいいのかもしれない。


 まずは力を見てみたいと言ったランベールの希望で、二人は手合わせをすることになった。

 中庭の端から心配そうに見つめるエルシアと、好奇の視線を向けるロンメル。さらには興味に満ちたランベールの視線を浴びながら、ガルドスは少女にいつでもいいぞと呼びかけた。


「とおお!」


 気の抜けそうな声とは裏腹に、瞬間、少女の姿がかき消える。とっさに身を逸らしたガルドスの傍を、目にも止まらぬ速さで木剣が切り裂いていった。重い風切り音を間近で聞いて、ガルドスは思わず飛びずさる。

 着地した後、すかさずガルドスは木剣を構え直した。あのとんでもない馬鹿力を受け止めた日には、また木剣がバラバラになりそうだ。つい先日ふっとばされた苦い記憶がよみがえる。


「えいっ! やあっ!」


 基礎のかけらもない滅茶苦茶な太刀筋だから、速度にさえ慣れてしまえば避けるのも難しくない。相変わらず木剣で受け止められる気が全くしないので、ガルドスはひょいひょいと避け続ける。


「おい、ガルドス」

「何だ爺さん」


 逃げるガルドスと追うケト。二人が振るっているのが木剣でさえなければ、追いかけっこで遊んでいるような、なんだか微笑ましい光景だ。しかしギルドマスターは呆れた顔をしていた。


「お前さん、それでは娘っ子の練習にならんじゃろ……」

「いやいや、だからってこれを受け止めなんてしてみろって。えらい勢いでふっ飛ばされるのがオチだぜ」


 左右にステップを踏みながら、ガルドスは答えた。力任せに振り下ろされた木剣を、身をひねって回避。ガルドスもケトも息一つ切らせていない。


「バカもん。どうして正直に受け止めようとするんじゃ。そのくらい受け流すなり、手元を弾くなり、いくらでもやりようはあるじゃろうに」

「ぐっ」


 ロンメルの声を聞くや否や、それまで軽快だったガルドスの動きがいきなり鈍った。棒切れをぶん回すケトがずんずん迫っていく。


「……さてはお前さん、相変わらず力で押し込んでばかりで、絡め手なんぞ使えないんじゃな? 悪ガキの頃から何一つ変わっておらんの。”銀札”の名が泣くぞ」

「う、受け流すくらいいくらでも……!」


 一度大きくバックステップして距離を取ったガルドスが、目に見えて動きを変えた。足を踏ん張って、基本の構え。足を止めたガルドス目掛けて少女が飛び込んでいった。


 隙だらけの大振り上段。大男は剣を合わつつ、少しだけ重心をずらす。

 ガツンという鈍い音。互いの木剣が交差して、木くずが飛び散って、ほんの少しだけケトの剣先が滑ったように見えたその瞬間。


 耐えきれなくなったようにガルドスが吹き飛ばされた。「ぬおおお!」という悲鳴を響かせながら、頭から薪置き場に突っ込む。ガラガラと薪が崩れて大男を飲み込んで行くのが良く見えた。ガルドスのが持っていた木剣は、またもや無残に折れている。


 大男をふっ飛ばした本人を見やれば、木剣を振り抜いたまま、やっちまったとでも言いたげな表情を浮かべていた。「やれやれ……」というロンメルの声を聞きながら、エルシアは慌てて大男の巨体を薪の束から引っ張り上げに行った。後ろでランベールが驚愕の声を上げるのが聞こえる。


「もう! 貴方が怪我してどうすんのよ!」

「面目ない……、いてて!」


 準備しておいて良かったと、制服のポケットから清潔な布を取り出しながら、エルシアが呆れた顔をする。隣のロンメルも渋い顔だ。流石にこれほどの力だとは思っていなかったのだろう、ランベールに至っては酷く深刻そうな顔までしている。

 やらかしてしまったケトはまだ降り抜いた姿勢のまま、表情だけ心配そうだった。


 布を巻きはじめるエルシアの後ろから、ロンメルの低い声が聞こえてきた。


「ガルドス」

「……な、何だよ」

「鍛え直しじゃ」

「……はい」

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